「血と骨」

 コレきっと映画ファンには評価高いけど一般ウケはしない作品ですね。オレは結構楽しんで(笑) 観ました。崔洋一と言う監督は、ストーリーがどうとか、テーマがどうとか言うことよりも、ひたすら 描写に命をかけ、テーマがどうこうと言うことは後から観客が勝手に考えれば良い。と言う 様な乱暴なところのある監督だと思っていたけれど、今作はその最たるモノではないかな。

 妻や子供、愛人 に対する暴力で我を通すことが人生である主人公の、破天荒さを執拗に追い、リアルに描写することに終始する。 常等ならば主人公の過酷な過去とか、ここまで暴力的な人間にいたる過去の怨念とかが情感とともに 描出されてカタルシスを及ぼすところだと思うけど、この作品にはそれが一切無い!

 朝鮮からの移民であった主人公が少年時代船で大坂にたどり着く、船の上から見た大坂の港の情景がトップと エンディングに映し出され、何かを決意した主人公(少年)の顔が象徴的に映し出される。それだけなのだ。 後は壮年時代のひたすら暴力親父だけ。コレを演じるのがビートたけしじゃなかったら相当醜悪な作品になって いたのではないかな。

 ビートたけしだからここまでエゲツナイ行為に及んでもギリギリ許せて見ていられるのだと思う。この作品 の魅力は何かと言えば、人間が潜在的に持っている暴力性と言うか、生命力の逞しさだろう。強いと言うニュアンス には悪いと言うニュアンスが重なっている。ウジウジ他人にペコペコしてしか生きて行くことの出来ない現代人 にとって、この主人公の強烈さは嫌悪しながらもダークサイドの魅力として惹き付けられるものを感じて しまうんじゃないかな。

 こう言う暴力男の生涯を描いた作品としてスコセッシの 「レイジング・ブル」 やかの 深作欣二の大傑作 「火宅の人」 を思い浮かべるけど、両作にはその暴力性を補って余りある切ない情感に満ちた 印象を残したのに対して、本作はそんな情緒は微塵も入る余地がない、それを敢えて入れなかったと言うことに 監督の意図があるのでしょう。生命力の逞しさと言うモノはそんな生易しいモノではない! と言う言葉 が聞こえてきそうです。

 原作者は自分の父親をモデルにして書いたと言います。在日朝鮮人の話をやはり在日 朝鮮人二世の崔監督が撮った映画ではあるけれど、そうした背景は特に作品のテーマには関係ないのではないかな。 ここにあるのはこの男の生命力、強さの魅力、言わば毒です。でもこうした毒の魅力を味わえるのも映画ならでは の魅力と言うことが出来るでしょう。実際身近にこんなヤツいたら最悪だと思いますけどね(笑)。



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