読書感想文

「ゴッドファーザー(上・下巻)」

マリオ・プーヅォ/一ノ瀬直二:訳(株)早川書房 2005年11月15日発行

 映画は何度も観ているけれど(1と2だけね)原作は長いし取っ付き難そうなイメージがあって敬遠してた。

 今更ながら読んでみれば何と面白いことよ! 頭の中をロータの音楽が鳴り響き、ジェームス・カーンが、アル・パチーノが、マーロン・ブランドが練り歩く!

 してみるに映画が如何によく出来ていたのかと唸らされるけど、映画で説明されなかった細かい設定の解るのが原作の面白さだ!

 特に興味深かったのはロバート・デュバルが演じたトム・ハーゲンがどういう立ち位置なのかということ。映画ではヴィトーの養子になった経緯等よく解らなかったのが、原作ではソニーの幼馴染みだったことや、マフィアのドンには不可欠だというコンシルエーゼ(相談役)としての立ち位置などが説明されて成程と思わせる。

 そして思うのは原作にはない映画の狂おしい詩情だ。特にイタリアから幼いヴィトーが船に乗ってニューヨークに着いた時、自由の女神がマスト越しに見えてくるカットには「アレこそが映画だ」と力説したくなる。

 そこには明確に読み物と映画の違いがある。例えばあの有名なシーンでマイケルがトイレのタンクに隠してあった拳銃を取り、対立する敵を撃ち殺しに向かう直前。窓の外を電車が通り過ぎ、轟音が響いてマイケルは頭を抑えるが、原作にはない。

 映画の第一作はマイケルが二代目を継ぐまでの上巻に当たる部分が忠実に再現されているが、下巻は例のフランク・シナトラをモデルにしたと言われる歌手やマイケルの妹コニーの夫のこと等に話が飛んで、やや散漫な印象になってしまう。

 してみるに、原作者のマリオ・プーゾも協同脚色している「パートII」が如何によく出来ていたのかと唸ってしまう。

「II」はご存じ? の通り、ヴィトーがアメリカに渡り苦労してファミリーを築いて行く過程と、マイケルがファミリーを維持しようと非情になることで崩壊していく様がクロスオーバーして行くのが圧巻だった。

 ファミリーの為に非情な手段を取っていくのは原作も同じだが、その加減が違う! なにしろ原作のマイケルは兄フレドーを殺さない!

 映画では実の兄を殺したということがマイケルの印象を決定付けてましたからね。裏切った許しを乞うて泣き崩れる兄を抱きながら部下に目で「殺せ」と言っているあの凄まじい描写が原作には無い!

 また原作ではヴィトーが何故幼い頃単身アメリカへ渡ったのかの説明はあっさりしているが、映画ではヴィトーの母親が散弾銃で吹っ飛ばされる様や、大人になってから故郷を訪れて復讐を遂げる件も描かれている。

 アメリカに渡ったヴィトーが大人になって最初に殺人を犯した件は原作でも描写されているけれど、デニーロが布をグルグル巻きにした拳銃で相手を撃ち殺し、銃に巻いた布に火が点いちゃう映画の描写には生々しい凄味があった。

 そしてリバイバルで初めてスクリーンで観て気が付いた。ラスト奥さんも追い出しちゃったマイケルにカメラがズームアップしていくと、その手の指には結婚指輪が! コレは本当にキョーレツでした。

 昔悪役レスラーで有名だったアブドーラ・ザ・ブッチャーが「一番好きな映画は何ですか?」という質問に「ゴッドファーザー2だ」とあえて「2」と言ったことが印象に残ってる。

 思うに映画の第一作は原作を忠実に再現したことによる成功が大きいと思うけれど「II」は全くもってコッポラの才能ということが出来るのではないでしょうか。第一作と第二作が両方ともアカデミー作品賞を受賞したのはゴッドファーザーだけで、この記録は現在に至るも破られていないんですよね。





「人間の絆」

S.モーム/守屋陽一:訳 角川文庫 昭和47年6月20日 改訂初版発行

 人に勧められるまで作者も題名もま〜ったく知りませんでした。もう随分長く生きて来たようでも、知らないモノがいっぱいありますねぇ。謙虚さを忘れちゃならないと実感。

 今から100年も前に書かれたイギリスの小説ですが、時代も国も違えども、人が成長するに経験したり夢見たり苦しんだり間違えたり……って同じなんだなぁと思った。

 主人公は幼い頃信じていた神様がいないと解り、画家を目指して一人旅立ち、才能の壁に挫折して手堅く医者を目指すことにするが、恋した女に翻弄されてカネが無くなり、絶望の果てに手を差し伸べてくれた人の情けに号泣したり……。

 そんな遍歴を経て主人公が人生の何たるかに辿り着くと、一緒になって涙が流れてくる。

 長尺故のボリュームがそのまま迫ってきて、震える程のカタルシスがありますね。生きた時代も国も違うのに、こんなに自分の実感として読めるのは驚きですよ。

 古い古典の翻訳モノって概して文章が読み辛く、ニュアンスが汲み難いモノが多いけど、コレは訳した人も素晴らしかったのかな。





「青の炎」

貴志祐介 角川文庫 平成14年10月25日 初版発行

 おお〜〜もしろいおもしろいおもしろいおもしろい……で号泣ですよ。

 オレ相変わらず電車男でザックには常に図書館の本が入ってるんだけど、レビューを書きたくなる作品ってそうは無い。

 で本作はというと、何を今更……と言われそうですが、最近「悪の教典」の原作者として話題になってる人なんだけど、そちらは当分順番が回って来そうにない。
 それで映画がイマイチだったので敬遠してた「黒い家」を読んだのだけれど、ディテールがきめ細やかに書かれていて読み物としての面白さはあるけれど、やはり物語にヒネリが無いのであまり印象に残らなかった。
 で本作は映画も観て無いけれど、割と評判が良かったので読んでみたわけです。

 高校生が家族を守る為にどうしても殺人を犯さなければならない状況に追い込まれ、緻密な完全犯罪の計画を立て、実行し、やがて追い詰められていく……。

 犯人が殺人を犯す過程を先に見せておいて、後から追い詰められて行く……って刑事コロンボや古畑任三郎のソレですけど、そゆのを「倒述推理小説」って言うらしいですね。

 でも本作は清張作品の様に主人公が悪い男ではなく、どうしたって共感してしまう高校生の少年なので、追い詰められて行く様にドキドキし、嫌でも息苦しくなってくる。

「そりゃ殺したくもなるだろう……」と共感せざるを得ない男がいて、緻密な計画を立てる過程が繊細に描かれ、実行に移す過程を読者も一緒に体験する……オレこういう内容に限らず、やはり小説の理想形は1人称だと思いますねぇ。

 確かにドフトエフスキーの「罪と罰」を彷彿とさせるけれど、その「彷彿とさせる」ってことも読書の楽しみだと思うので、文中でそのことには触れない方が良いのではないかな。
 文学史上に残る古典をこれだけ現代にアピール出来る作品に蘇らせてるのだから、明らかな新作ですよ。

 何しろ「罪と罰」のソーニャに当たる少女の何と素晴らしい救いよ! そこには胸を締め付けられる青春の瞬間がある。





「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」

鴨志田穣 講談社 2010.7.15 初版

 キョンキョン&長瀬正敏の "元夫婦" が競演した「毎日かあさん」って映画がとっても良かった。この題名になってるのはマンガ家の奥さんが描いてる4コマ漫画なんだけど、この本はアル中で死んだ夫が生前書いてた手記の方だ。

 実はコレもこの書名で映画化されていて、見てないんだけどこちらもほぼ同じ話? を浅野忠信と永作博美の夫婦役で作られている。

 しかしてこの作者、2本の映画で長瀬正敏と浅野忠信という二大名優に演じられた鴨志田穣さんという人は、アル中から肝臓癌を患って、わずか42歳で死んでしまったらしい。

 この鴨志田さんが体験する入院した病院での出来事や、アル中病棟での他の入院者たちとの触れ合いや日常が綴られていくのだけれど、そ〜れがなんとも面白おかしいことよ!

 病気で死んで行く悲壮感とか、闘病記のような壮絶さとはおよそ無縁? というか文章マジックということもあるのだろうけど「これ以上飲んだら死ぬ」と言われてるのに止められない……所謂 "ダメ人間" がもがいてる姿ってどうしてこんなにも魅力的なのか。

 ただやっぱり、現実にこんな人が身近にいたら、極めて傍迷惑なのには違いないでしょうけれど。寅さんがあんなに愛おしく感じるのも、あくまでスクリーンの向こうにいる人だからなのだろうしねぇ。

 でも太宰治の文学とか、植木等の「スーダラ節」とか、自分のことを振り返ってみても「人間は間違える」という前提がよく解ってるから、どこか他人事でない気持ちで親近感が沸くのかもしれませんね。

 オレだってちょっと寝る前に缶ビール1本だけ飲んで寝よう……と思ったら、1本が2本に、2本が3本に……ってなることありますもんねぇ。
 ただオレの場合は酒弱いので、それ程深酒する前に眠くなって寝ちゃうから良いけれど、これがもしこの人みたく強くって、どこまでも飲み続けられる体質だとしたら……間違いなくアル中になってますね。

「止められないのは自分の意志が弱いから」と言うのは簡単だけれど、アル中にはこの「体質」ということが大きく関わっているのではないかな、だからやっぱし「病気」なのだ。

 ……お腹の中でコポコポと音をたてて血液が溜まってきて、口から溢れだす……って、どんだけ恐ろしい感覚なのかと思うけど。それでも止められないんですから。

 どうしょうもない人だったと言う人もいるだろうけれど、だけどこ〜の楽しい楽しい、キラ星のように輝く文章を読み進めていると、平凡で真面目なんてなんぼのもんじゃい! と思ってしまいます。

 合せて読んだ「遺稿集」も全編キラ星のような輝きに満ちていました。





「楽園の眠り」

馳星周 徳間書店 2005.9.30 初版

「不夜城」は孤独な主人公が闇社会で戦いながら生き抜いて行く様がリアルで面白か ったですね。コレを持って歩いているとポケットに力強い味方がいるみたいな、あの ハードボイルド特有の頼もしさがありましたねぇ。

 舞台になる新宿歌舞伎町近辺の町名や、実際にあるビルの名前等がリアルな空気感 を作っているところは、オレも小説を書くのに影響を受けました。

 馳星周の著作は気後れしてしまうくらい分厚い印象ですけれど、読み始めるとアレ よアレよの面白さでどんどん読ませて行きますね。

 さて本作ですが、それまでのヤクザや不法滞在の外国人など、一般人の日常からは かけ離れた世界を描いていたのと違い、息子を虐待してしまうシングルファーザーの 刑事が主人公という、割と普通に共感出来る設定の主人公。

 この「子供を愛しているのに虐待してしまう……」という親の抱えた矛盾の図式を そのままドラマの構造として織り込んでいるところが面白い!

 父親である刑事の友定から虐待され、幼いながらも絶望の中で生きている雄介。そ して同じく父親から虐待を受けて育ち、援助交際などしながら、好きな彼氏の子供を 身籠ったのに、暴行されて流産し、絶望していた女子高生の妙子が雄介と出会う。

 妙子は雄介の心情を察し「この子を助けてあげたい」と思う衝動から雄介を連れ去 り、友定には返さないと逃げる。

 友定は虐待しながらも雄介への愛情と、息子を虐待していたことが知れれば刑事の 職を失う恐怖から、雄介を取り戻そうと、妙子の足取りを追いかけてくる……。

 妙子は出会いサイトを利用して援助交際や、闇の世界に暮らす大人の助けを借りた りして逃げまくるのだが、身を隠そうとどんなに画策しても、刑事の身分を利用した 友定は僅かな痕跡から妙子の消息を突き止め、雄介を取り戻そうと追いかけてくる。

 こ〜の友定の執拗な追跡はまるでターミネーターだ! それが面白いと思って読ん でいるのに、作中人物に「ターミネーターみたいだな」なんて言われてしまうのには、 ちょっと興ざめしてしまいましたけど。

 友定と雄介を捨てて出て行ったという妻の事情は殆ど描かれていないので、大概離 婚すると母親の方が親権を持つし、子供を連れて行くケースが多いのではないか?  とか、いくら自分も虐待された経験を持ち、同じ境遇の男の子に同情し、また流産し た直後で自分の子供を重ね合わせたとしても、刑事である父親がここまで追いかけて 来たらさすがに諦めるのではないか……等、またチェイスの途中エピソードで、ここ でこの人物がこうするか? と違和感を感じるところもチョイチョイあるけれど、そ こは展開の速さと先への興味で乗り切って行きましょう。

 友定と妙子の一人称を交互に描いていくことで、逃げる側と追う側、双方の駆け引 きがゲームの様に繰り返される構成が実にスリリング!

 しかしてこの物語の決着はどうつくのか……この後味の悪さは、毎度馳ノワールの 真骨頂というところなのだろうけど、本作に関しては、たまにゃハッピーでもいいん じゃん? と思ってしまったのはオレだけじゃないんじゃないかな?

 何せこの悲惨な状況に置かれた雄介君には是非とも幸せになって欲しいじゃないで すか。しかし、そこはやはり馳節が炸裂し、読者を暗黒のどん底に落し入れて物語は 終わるのでした……。

 けどそれも「人間さもありなん」なリアリティがあるから恐いワケで、やっぱし何 につけ人間がビビットに描かれているモノは、面白く、また心に迫るということです ねぇ。




「血の収穫」

ダシール・ハメット/河野一郎訳 嶋中文庫 2005.1.20 発行

 アメリカに「ハードボイルド」というジャンルを開拓した、かの有名な原典!
 
 なかなか読む機会が無かったのと、古い本なので訳が読みにくいのではないかと躊 躇していたのだけれど、今回新訳本を図書館で借りることが出来たので初めて読んだ のでした。そしたら……。

 本書は何より我らがクロサワ「用心棒」に深く影響を与えたと言われています。
「用心棒」はオレにとって、唯一無二の映画であり、今こうしているのも、自分の人 格さえも影響されているのでは……と思っている。

 クロサワ曰く「ダシール・ハメットの名前をクレジットしても良いくらい影響を受 けた」と言っているのだけれど、オレは今まで、悪いヤツ等を仲違いさせて殺し合い をさせる……という大まかな発想だけを貰って時代劇に置き換えたのかと思っていた ……。

 本書を読むと、影響というより、マンマ頂いてしまっているシチュエーションやセ リフのやり取りが随所に見られ、かなり衝撃を受けてしまった。

 何せ「用心棒」はその後の全世界の映画に影響を与えた、他に類を見ない独創的な 映画だと思っていた。いわば「聖書」なのだ。
 つまりオレにとっては「聖書に原作があったのか!」という程の驚きだったのだ。

 以下「用心棒」が「血の収穫」から頂いたと思われるシーンや要素を列挙してみる と……

☆「血の収穫」に出て来るセリフ「何人殺そうが死刑にするのは一度だけだ」
 「用心棒」に出て来るセリフ「何人殺そうが縛り首になるのは一遍だけだよ」

☆「30両! 40両!」と雇賃を引き上げさせるやり取り。

☆主人公が本名を名乗らない。「血の収穫」=わたし
              「用心棒」=桑畑三十郎

☆主人公のセリフ(ほぼそのまま)「この街はこの鍋の中みてえにグツグツ煮えてき たぜ」

☆登場人物に語られるセリフ「街の毒気に当てられた」

☆「血の収穫」闇酒屋の酒樽から酒が溢れて洪水のようになる。
 「用心棒」造り酒屋の大きな酒樽から酒が溢れて洪水のようになる。

☆火を点けられて燃える屋敷から「俺の負けだ、命だけは助けてくれ」と手を上げて 出てきた相手を撃ち殺し、笑い声が上がる。

☆何か頼まれた時の登場人物たちの相槌「すまねぇ」
 別れ際の「あばよ」という言い回し。

☆悪者キャラの死に際の描写。
 「血の収穫」撃たれて血を流しながらも決して弱音を吐かずに死んで行くワル。
 「用心棒」ピストルを持って死ぬ卯之助に対して三十郎「こいつ、最後まで向こう 見ずの本性を崩さずに死んで行きやがった」

 クロサワはこうも言っている「創造とは、記憶の再構築である」ジョージ・ルーカ スやスピルバーグもクロサワ映画の影響を受けて映画を作っていた様に、クロサワも ハメットの小説に影響されて「用心棒」を作った……ということになるんですかね。

 今更になってまた目からウロコが落ちた思いですよ。

 ちょっと冷静に分析してみるに「血の収穫」はかなり荒削りで物語の決着も「用心 棒」の様に決してスカッと終わる訳ではない。
 何しろ本作は主人公「わたし」の傲慢とも言える自分の理念に乗った行動力で、悪 い連中を互いに殺し合わせ、街を血みどろの修羅場にして行く様が凄いのだ。
 こ〜の主人公のキャラクターこそがハードボイルドの何たるかであり=三十郎にな っている。

 クロサワはこうも言っている「用心棒を評して殺人の魅力だと言う人がいるけれど、 僕に言わせればとんでもない話で、あの映画の魅力は一風変わった主人公の行動です よ」って、それも本書のそのマンマだ。

 そうなるとクロサワも「荒野の用心棒」のことをそう手放しに怒れないのでは……な 〜んても思ってしまった。




「武州公秘話・聞書抄」

谷崎潤一郎 中公文庫 昭和59年7月10日初版発行

これまで小説いろいろ読んで来ましたけど、どの作家のが一番面白かった? と言われて一番に 名前が出るのは未だに谷崎潤一郎ですね(笑)思えば中〜高校生の国語の教科書に名前が載ってましたよ ねぇ、初めて読んだのは大学の頃かもっと後だと思うんですけど、まさか学校の教科書に載ってた人の 小説がこんなに変態でエロだとは思いもしませんでしたねぇ(笑) 一時期谷崎大マイブームだった頃に目ぼしい作品は殆ど読んじゃったつもりでいたんですけど、時代劇に材を 取った本作は読んだことがなくて、谷崎作品を読むのも本当に久しぶりだったんです。それも他に借りたい 本が図書館になくて、その繋ぎくらいのつもりだったんですけど、読み始めたらあーた、オオーモシロイ オモシロイオモシロイオモシロイ! もう本当に無我夢中です(苦笑) 設定は戦国時代の屈折した被虐嗜好の武将の物語。この主人公は武州公と言い、子供の頃に城の中で 夜中に女たちが敵から取った生首に死に化粧をしている光景を見る。それは褒美を貰う為に取った敵の武 将の首を殿様に見せる為なのだが、そこには首を洗う女、髪の毛をすく女、化粧を施す女等がいて、武州 公はそのうちの若い綺麗な女が少し顔に笑みを浮かべながら生首の髪の毛を整えている姿を見て恍惚と なる。彼はその綺麗な若い女が手にしている "生首" に自分がなりたいと思う(大笑)もうこの描写のたまら ないことよ! 誰がそんなこと考えつきますか! しかもその少年の気持ちも分からないでもないから恐い(笑) あの生首になって女に持たれて髪の毛をすかれたい、でもそうなれば自分は生きていられないから そうなっている自分を味わうことが出来ない……で葛藤する訳ですよ、文学ですねぇ。 そしてその幼き頃の決定的な思いを胸に大人になった武州公が、新たに展開する物語のなんとも鮮烈で 見事な展開! こ〜の面白さはただ事ではない。谷崎文学の最大の魅力は被虐的で笑ってしまうくらいな 人物の愚かな行いと言うか、飽くなき欲望と言うか、またそれが引き起こす悲劇でもあるんだけど、 しかしてこの読者を取り込んでまさしく「ページを捲るのももどかしい」くらいに引き込んで虜にさせるエンタ ーテイメント性は見事だと思う。純文学って、幾ら人間の真実に迫ってたって理屈っぽくて難しいんじゃ読んでも 分からないですからねぇ、谷崎作品は本当に面白くって、ストーリーに引き込まれるうちに自分にも通ずる被虐 的な欲望も感じさせて、この手腕は見事としか言い様がない。こんなに読者を面白がらせる構成力は凄いと思う。 純文学と大衆小説の中間のちょうど良いサジ加減なんですかねぇ。い〜や〜最高ですよ。




「鷲は舞い降りた〔完全版〕」

ジャック・ヒギンズ/菊池光訳 (株)早川書房 1997.4.15 発行

うおお〜ご存知ジョン・スタージェス監督・マイケル・ケイン主演映画の原作本! 前々 から読みたいと思ってたのを図書館で取り寄せたら、まだ10年前に刊行されたばかりの(完全版)との こと、も〜う勇んで読みました(笑)以下面白かったところと、映画と違ってて興味を惹かれた 部分を書いてしまうので、これから読もうと思ってる方は読まないで下さい。映画は 観たけど原作は読まないと言う方には大体原作と映画の違いが分かります。 出だしは原作者のジャック・ヒギンズが他の事柄の取材の為にイギリスの片田舎の 古びた教会を訪ねるところから始まる。その片隅にあった墓石に「ドイツ軍落下傘部隊員ここに眠る」 と刻してあるのを発見して仰天し、ここで戦時中に起こった事をドイツにも渡って生存する関係者たちから 取材を進め、事実を明らかにしていくと言う形で話が展開される。 主に計画の立案者であるラードル中佐の日記帳が奥さんの手に残っていたことから概要が 分かり、生存する事件の関係者に取材していく過程の記述が実にリアルで、読んでてコレは 本当にあったことなんだ! とマジ騙された(笑) 計画の立案者であるラードル中佐は、まず作戦の指揮官を探し、ワルシャワでユダヤ人少女を助けようとした 為に懲罰隊で魚雷特攻をやらされているシュタイナーたちを訪ねるが、シュタイナーたちはゲシュタポ(ナチス 親衛隊)が来たのかと思い敵がい心を剥き出しにする。 それまでナチスドイツをひっくるめて悪者と言う印象を持っていた感覚とは違い、実はドイツ で軍人たちが如何にゲシュタポを忌み嫌っていたのかが、何処にでもあるお上の圧力という風に描かれて おり軍人たちに共感を覚える。 当初は引き受けることを渋っていたシュタイナーだが、実は父親が反逆罪の言い掛かり を付けられてゲシュタポの拷問を受けており! ラードルはシュタイナーが指揮官 を引き受けるかわりに、捕まっている父親の命を助けるべくゲシュタポ長官であるヒムラーに 進言することを約束する。 ラードルは他にもIRAのテロリストであるデブリンを始め、イギリスの村まで夜中に飛行機でシュタイナーた ちを降ろしに行くことの出来るパイロットや、遂行後に迎えに行く船の船長等、次々に "優秀な人材" を集め て行く。どれも勇敢で魅力的な男たちが集められて行く様はさながら「七人の侍」。 そして計画遂行の日を向かえ、夜中に霧の中を腕を頼りにイギリス領空内に侵入し、無事シュタイナーたちを 降下させた飛行機は、その帰り際、敵を欺く為にイギリス軍の彩色をしていた為に敵機と見なされ て味方に撃墜されてしまう。だがここでも優秀なパイロットによる対処が功を奏して一命だけは取り留める。 降下したシュタイナーたちはポーランド軍を装って怪しまれずに村に滞在することに成功する。 元々村人として潜んでいた女スパイ、ジョウアナ・グレイの素性や村人たちとの経緯が描かれる。 物語の転換点で水路に落ちた子供を助けようとして飛び込んだ隊員がポーランド軍の制服の下にドイツ軍の 制服を着ていた為に素性がバレてしまうのだが、映画ではシュタイナーが「ドイツ軍人の誇りを捨てない為に」 とラードルの忠言を断って押し通す「軍人の誇り」と言うニュアンスでカッコ良かったのだけれど、実はヒムラー の命令で「敵軍の軍服を着て戦闘をしてはならない」と言うジュネーブ協定に基づくものだった。 水路に落ちて隊員に助けられる子供は二人の兄妹で、シュタイナーたちが敵軍だと分かった時に兄の方から 「何故おじさんは僕らの側じゃないの?」と聞かれてシュタイナーは大笑いする。 素性がバレて窮地に陥ったシュタイナーがデブリンと「何故戦うのか」について語る場面があって、シュタイナー は「始まったゲームに参加して、こちらの側だっただけ」と応える。デブリンはもっと狂気に走っていて「戦うことが 生きることになっている」と言うテロリストとしての宿命と対比される。 結局チャーチルはやはり芸人が演じる偽者だったのだが、シュタイナーは寸でのところで撃つのを躊躇い! 射 殺されてしまう。映画ではデブリンが言った「アンタは最高の軍人だった」と言うセリフをこの替え玉が倒れた シュタイナーに向かって言っている。 ここで何故彼が撃つのを躊躇ったのか。がひとつ原作のミソになっていて、デブリンと語った「何故戦うのか」 「ゲームに参加してたまたまこちら側だった」と言う単純な問答に疑う余地も無かったシュタイナーの脳裏に一 瞬何か別のモノが去来したのかもしれない……。 計画遂行後迎えに行く筈のボートはシュタイナーとの連絡が途絶えた為に計画が失敗したと見なされ、中止命令 を受けるのだが、この船長はシュタイナーたちはきっと戻って来ると信じて迎えに行く。 計画失敗後、関係者はゲシュタポから逮捕されるのだが、ラードル大佐は元々片眼は義眼、片腕は義手で心臓 も患っており、既に余命幾ばくも無いと医者から診断されていた為に処刑を免れ、その後何年も生き延びていた。 隊員のうち唯一の生存者であるリッター・ノイマン中佐とデブリンを乗せたボートは無事に帰還し、後にパイロット 等生き残った関係者の消息をヒギンズが取材して行く過程で物語が明らかになったと言う体裁になっている。 その後もテロリストとして孤独に戦い続けているデブリンや故郷で結婚し家族に恵まれて暮らしている恋人のモ リイのその後が描かれる……。 以上が大体映画と原作の相違点なのだけれど、原作本の読者から映画は「単なる戦争アクションにしてしま った」とか御批判が多い様ですね。けど先に映画に感化されてる者にとっては、読んでる間ず〜っと脳裏に浮 かぶシュタイナーはマイケル・ケイン。デブリンはドナルド・サザーランド。ラードル中佐はロバート・デュバルの 顔で、ラロ・シフリンの音楽が鳴り響いていた(笑)映画は実際のドイツの軍服のカッコ良さを見せてくれ、 戦闘時における隊員たちの優秀な戦い振り等が描写されて、映画ならではの興奮を呼び起こしていたと思い ます。 ジョン・スタージェスと言えば「大脱走」勿論だけれど、最後の作品となった本作は全く大傑作だと思います。 思うにこ〜の軍人たちの命を顧みずストイックに任務を遂行して行く姿には後にウォルター・ヒルの示した美学 に通ずるモノがあって、年代を調べるとこの作品の後にヒルの一連の傑作が生まれて来るんですよね。もしか して影響もあったのかな。




「トワイライト」

重松清 文春文庫 (株)文芸春秋 2005.12.10 初版発行

小学6年生の時に埋めたタイムカプセルを掘り起こそうと集まった、今は38歳になっている同級生 たちの物語。 「タイムカプセルを埋めましょう」と生徒たちに言い出したのは担任の女性教師だった。でもその先生はその後 不倫問題の果てに相手から惨殺されてしまったと言う経緯があった。 主人公の克也はちょっと気弱だけどクラスの中でも秀才でメガネを掛けた "のび太" 的存在。他に "ジャイアン" 的存在だった徹也と、徹也と結婚してしまったけれど、克也が密かに思いを寄せてい た "しずかちゃん" 的存在だった真理子。それにいつも皆を冷めた目で見ながら済まし込んでいた淳子、少し知能障 害があっていつもニコニコ笑っていた浩平等等。 自分が小学生の頃を思い返してみると誰しも思い当たるキャラクターたちが大人になった現在が、原作者の重 松さんとほぼ同世代のオレにとっては我が事の様に思われてしまう。 本の表紙にもなっている、高度成長と神戸万博の象徴だった「太陽の塔」の図柄は作者と同世代の者にとって は特別な感慨を持って話の内容に共感してしまいます。 克也は妻と子供の平凡な家庭生活だけれども、実は会社でリストラされることが決まっており、家族にそのことが 打ち上けられずに悩んでいる。徹也は子供の頃ジャイアンと呼ばれていた通り何事にも自信過剰で、上手く 行かないことがあるとすぐに放り出してしまう性格のまま。今も手を出す仕事がことごとく上手く行かずに、果ては 不満を漏らす妻の真理子に暴力を振るってしまう最低の自分に苦しんでいる。 真理子はそんな夫に愛想を尽かしつつ、まだ幼い二人の娘を抱えて離婚しようと思っている。 優等生で可愛い真理子を蔑む様に結婚もせず、キャリアウーマンとして予備校の教師をしていた淳子は、 一時期スター教師としてちやほやされていたものの、今は落ちぶれて窓際に追われ、プライドを傷つけられながらも 頑張っている。 26年前に埋めたタイムカプセルの中にはそれぞれが未来に見た夢や、ひょんなことから適当に入れてしまった と思われる「何でコレを?」と言う物までが出現して登場人物たちを戸惑わせる。 中でも克也がタイムカプセルに入れた「21世紀の未来世界」を描いた絵は科学の進んだ素晴らしい世界が描か れていたのに、今現在その未来に立ってみると、あまりにも違う現実とのギャップに戸惑うばかりだ。 そんな中に、当時不倫の恋の果てに殺されてしまった担任の先生から未来の教え子たちに宛てた手紙が一緒に 入っていた。それには「貴方たちは今幸せですか?」と書いてある。それぞれにウルトラビターな状況でもがき苦 しんでいる38歳の主人公たちに、そんな先生の問いかけが迫って来る。 ストーリーは克也を中心に、どんどんダメになって行く徹也と真理子夫婦のことや、真理子の子供たちを預かった 淳子が次第に子供たちと心を通わせて行ったり、実は真理子も克也のことが好きだったことが発覚して不倫して しまったり……とそれぞれが人生に悩み逡巡するストーリーが痛いばかりに展開する。 こ〜の今現在の自分たちを実況中継する様な描写が痛く心に迫って来ます。ほろ苦く? いや超苦くて、身に詰ま されてしまうのだけれど、最後はきっと……と思っていたら、やっぱし皆でもう一度集まってこれから20年後の未来へ 向けてもう一度タイムカプセルを埋めようと言うことになる(泣)。 ほ〜んと読み応えありますよ。中には同世代でないと本当に共感出来ないと言う向きもあるようですけれど。




「ビフォア ラン」

重松清 KKベストセラーズ 1991.8.5 初版発行

今頃ながらマイブームな重松清さん。ビフォアラン「助走」とはつまり高校を卒業して社会に出て行く 前の日々を綴った青春グラフィティ。このジャンルで思い出すのは「アメリカン・ グラフィティ」や大林宣彦の尾道三部作等、いろいろあってもうやり尽くされているだろうと思ってたのだ けど……こ〜の作品のアプローチにはやられた! 設定は主人公の優を中心とする高校生のバカ男仲間が 毎日ケラケラ笑いながら過ごす高校生活の中で、同級生でお金持ち(県会議員)の娘でノイローゼになって 退学しちゃったまゆみと言う女子がいる。 自殺したのではないかとの噂も流れる中、何ヶ月かしたある日、優は街中のハンバーガーショップでバイトして いるまゆみに出会う。在学していた頃は物静かで一度も喋ったことも無かったまゆみは、優を見ると唐突に 「優ちゃん! 久しぶりやねぇ」と声を掛けて来る。ノイローゼだった鬱状態から躁状態になったのは良いが、 在学中に優と恋人同士だったと言う妄想の記憶を作っているのだ。戸惑う優だったが、成り行きで自分がまゆみの 彼氏だったと言う思い出に付き合わされることになる……。そして優には幼い頃から近所付き合いをしていた優等生の 紀子と言うまゆみとは対照的な同級生もいて、まゆみと優と紀子の奇妙な三角関係が展開していく……。ってな内容なんだけど、 ドキッとするのは同級生でありながら一度も喋ったことのない女子……と言うこと。誰しもいました よねぇ。高校の頃って、幼いし、女に対して憧れはあってもどう接して良いのか分からずグダグダ になってたりして、そんな中で何年も同じクラスでありながら一言も言葉を交わした ことのない女子。でも彼女たちにも三年間の高校生活はあった訳で、その中で同じようにいろ いろなことを思ったり、密かに好きな男子もいたり、それぞれの青春があった訳ですよね。本作では そんな目立たない女子だったまゆみがノイローゼになって入院し、退院して来たらパッと明るい性格に変わって いるのだけれど、その代わりありもしない優との恋愛を妄想し、彼女にとってはその記憶が現実の物で、生きる拠り所 になっている。 まゆみはいつも遠くから優たち男子がキャッキャとバカをやっては楽しげな様子を見ていて「私も仲間に 入れて欲しかった」と言う。泣けますよ。そんなこと思いもしなかったし、だから思い出すと言うことも なかったのだけれど、確かにいたんです "女子" って、顔も名前も思い出せないけど何人も。読んでるうちにク ライマックスが近づく と作品全体から言い知れぬ感慨が込み上げて来た。今まで映画や芝居にしか無いと思っていたこんなダイナミ ズムな感動を小説でも作ることが出来るのだと、重松さんはオレに可能性を開かせてくれた作家です。 ただコレ女の人が読むとどうなんだろう……飽くまで男の視点から観た感慨を呼ぶシチュエーションな気はします けど。




「幼な子われらに生まれ」

重松清(株)幻冬舎 H11.8.25 初版発行

今や旬? の売れてる作家重松清さんの作品。 この読書感想ページは長い間更新してなかったんだけど、本は仕事の行き帰りに随時読んでるので実は結構 いろいろ読んでるんです。 でもなかなか感想文を書こうと言う気にさせる本に出会えなかった。「読むと涙が止まらない」なんて謳い 文句の小説程読むとあざとくて素直になれなかったりしますからねぇ。でもコレは久々に「本当に凄いや」 と唸ってしまった。 オレはやっぱし映画が一番好きなので、本を読む様になったのもそれに付随する原作や、同じ作者の他作品 と言う趣向に走るのが多いんだけれど。この作者の何処が凄いって、芸術には音楽とか絵画とかあるけれど、 やっぱし映画や芝居等生身の人間が演じるドラマの感動程心を揺さぶられる物は無いと思ってた。でもこの 小説はドラマのベクトルがしっかりと組まれていて、興味を惹かれる展開はまるで劇やドラマを見ている様 だ。 涙が止まらないと言う程ではないにしろ、読んでるうちに胸の内から否応無く込み上げて来る感動はまるで 映画や舞台の躍動感に近い物がある。とは言え活字と言う全く別の媒体なのだからメカニズムは違うはずだ。 映画や舞台と違って小説は読者が能動的に読まないと物語は先へ進んで行かないし、誰が見ても同じ時間内 で一気に見る物でもない。読み始めたら面白くって一晩で読破してしまうミステリーとかもあるけれど、大 概は毎日少しずつコマ切れに読み進めて行くものだ。けど何処で読んでいてクライマックスを迎えようがき っと同じ様にこみ上げて来るであろうこの思いは凄い。それはきっと小説ならではの物なんだろう。 ストーリーは離婚して二人の子を連れた女と再婚した男が、育つに連れて自分に反感を持ち始めた義理の長 女との関係に悩む。その一方で前妻との間にいるその子と同い年の実の娘と何ヶ月かに一度会うことにこの 上ない心の癒しを感じている。そんな実の娘と義理の娘との狭間で悩む日々の中、再婚相手が妊娠を告げる。 果たして義理の娘たちは義父と実母の間に生まれた子供と仲良く暮らして行けるのか……。そして義理の長 女は母や自分に暴力を振るって出て行った実の父親に会わせろと主人公に迫る……。 構図だけ説明すると如何にもな 家庭劇でベタな感じがするけれど、それが実にリアルに主人公の抱える問題や空気感が息苦しい程に伝わっ て来る。それはもうマジ読むのが辛くなるくらいだ。しかしリアルで身につまされるからこそどんどん読み 進めて行ってしまう。人間関係の軋轢が見事に浮かび上がって来るのだ。そしてその中でまるで作者さえ意 識していなかったかの様に思いがけず込み上げて来る感動。本当にここまで感銘を受けたのは遠藤周作「女 の一生」以来かな。ってオレ読書の方は他作品と比較して論じられる程読書量は無いんですけどね。でもこ ーれは本当にすーばらしかったですよ。読み終わった時電車の中で拍手したくなった(笑)。




「ケインとアベル(上・下巻)」

ジェフリー・アーチャー/永井淳訳(株)新潮社 S56.5.25 初版発行

コレは昔テレビドラマが放映されて「オーメン」の成長版ダミアンだったサム・ニールが主演してた のを覚えています。ストーリーも大よそは知ってたんだけど、小説も実に読み応えある大河ドラマな展開で面白か った。物語は同じ年の同じ日に違う国で全く違う環境で生まれた二人の男の生い立ちを交互に描いて行きます。銀行 の頭取の息子として裕福な家庭に生まれ、エリート教育でやり手の銀行家へと育って行くケイン。対してアベル は戦争中のポーランドで、貧しい農家に生まれながらも、地元の貴族の息子の遊び相手として屋敷に住み込む ことになるが、戦争で攻め込んで来たロシア人に屋敷を占領され、兄弟の様に育ったその家の息子は殺され、 最愛の姉はロシアの兵隊に死ぬまで強姦されてしまう。やがて決死の思いで収容所を脱出した彼はアメリカへ 渡り、ホテルの経営者としてのし上がって行く。それまで全く関わることもなく別々に描かれて来た二人の 人生が、後半へ来てホテル経営の資金を欲するアベルと、銀行家としてホテルに出資するケインと言う立場 で始めて交差する。だが、ここでの二人の出会い方が不運にも両者に生涯に渡る敵対心を植えつけること になってしまう。もしこの二人が、もっと違った出会い方をしていたならば、さぞ意気投合して、それこそ 生涯の友になり得たのではないか……と思わせるところが皮肉ですねぇ。しかして読んでる方からすると、二 人の戦いがヒートアップすればする程面白くってニヤニヤしてしまうのだから〜エンターテイメントって残酷 ですねぇ(笑)これって事実を元にした話らしいから本当なんでしょうけれど、後半こともあろうにこの 二人の息子と娘とがロミオとジュリエットよろしく恋に落ちてしまうんですよ。まぁたそれをしった双方の親 父の反応ときたら(笑)しかしてこの二人の憎しみは、お互いの息子と娘とが駆け落ちして結婚しても、また 孫になる子供が生まれても、それでも許せない。老人になり、お互いに老い先短くなってもまだ許せない。そ んな人の気持ちって、読んでる方も分かるだけに辛いですねぇ。人の感情って、理屈や正論なんかじゃとても 割り切れる物じゃありませんからねぇ。そりゃ運命の悪戯と言ってしまえばそれまでだけれど、本当読んでる と、もう少し早く、せめてふたりが生きている間にお互い和解して、救われて欲しい……と願ってしまいます ねぇ。果たしてその結末はどうなのか……いや〜余韻を残す良い終わり方だったとは思いますけどね。




「発狂した宇宙」

ツレドリック・ブラウン/稲葉明雄訳(株)早川書房 1977.1.15 初版発行

今ではもう言わなくなった「空想SF」の楽しさが甦りますねぇ。SFファンの間では古典として 崇められている作品だそうです。この小説がアメリカで最初に出版されたのは1949年なのだとか、まだ家庭 にテレビも無かった時代ですよね。こ〜のイマジネーションの楽しさはどうでしょう! 所謂パラレルワールド 物なんですけど、ある月旅行ロケットの計画が失敗し、月へ向ったロケットが途中で逆戻りして地球に墜落 してしまう。その時現場付近にいた主人公の男は、ロケットが墜落した衝撃で、この世界とほぼ同じだけど 実は凄く違う別の次元へ飛ばされてしまう。そこは一見今までにいたのと同じ自分の世界なのだけれど、 お金の単位が"ドル"ではなく"クレジット"だったり、また人々は自由に惑星間を乗り物に乗って行き来しており、 軍部はアルクトゥールス人なる宇宙人と戦争をしている。そんな世界に迷い込んだ主人公は敵のスパイと 間違われて警察に命を狙われることになってしまう……。ってなストーリーなんだけど、その異次元の世界 の描写が実に面白い。異星人からの攻撃を避ける為に夜は街に濃い霧の幕を張るので、街中が漆黒の闇に 覆われてしまう。そこにはならず者たちの社会があって、闇のバーでは飲むとしばらく別世界へトリップ 出来る特種な酒(最高!)が売られていたりする。元の世界とこの世界には同じ名前で同じ容姿の人間もいて、そんな 中で主人公は元の世界で自分の愛人だった彼女を探し、ここでも彼女の愛情を得ようと奮闘する。こ〜の 世界観は今読むとむしろ新鮮でしたねぇ。子供の頃良くテレビで見た「地球最後の日」や「宇宙戦争」等の 楽しさを思い出します。思えばあの頃のあの空想の楽しさは無くなってしまいましたね。まだまだ宇宙の謎 なんて少しも解けてはいないのに、ほんの数十年の間にこれだけ科学が進歩して、テレビでは大槻教授が 宇宙人を信じる韮沢氏(大好き!)をコテンパンにやっつけてしまうから、こういう夢見る心の楽しさも 失われてしまったのかもしれません。この本はそんな空想の楽しさを思い出させてくれる楽しい楽しい 作品でした。




「流れる星は生きている」

藤原てい 中央公論社 1976年2月10日初版発行

第二次世界大戦中、満州に移住していた日本人たちが、戦争に負けて、中国大陸にソ連軍が 進行して来るのと同時に敗走を始める。関東軍等の軍隊は民間人そっちのけで先に逃げちゃったと言う 話を聞きます。そして残された民間人たちがそのまま中国に残って残留妻や孤児になったと言う話も聞いた ことがあります。でも軍隊に見捨てられて苦労して日本へ帰って来た人たちの話はあまり知りませんでした。 こーれちょっと衝撃でした。作者の藤原ていさんと言う人はまさに当時満州から朝鮮半島を横断して日本へ逃げて来た 民間人のひとりで、自らの地獄の様な体験を書いた物です。当時ていさんは御主人と幼い子供三人の5人家族で、 中国の新京と言うところで幸せに暮していたところ、日本の敗戦と共に一気に敗戦難民となって他の日本人た ちと共に果てしない逃避行を余儀なくされる。御主人はシベリアへ抑留され、残されたていさんは5歳の 長男、2歳の次男、そして生まれて間もない赤ん坊の長女を連れて、ろくに食べる物も無い中、時には粗悪な 列車の中に動物の様に押し込まれ、 時には豪雨の夜の山道を這いつくばる様にして歩き、遂に朝鮮半島を横断し、釜山からの引き上げ船に乗ること に成功する。この乳飲み子を含む三人の幼児を連れたていさんの頑張り様はどうだ! ちょっと考えてみても、ま だ5歳と2歳の男の子と赤ちゃんですよ!? その三人を連れて……赤ちゃんを背負い、2歳を小脇に抱え、5歳を叱咤して 歩かせて、夜の嵐の山道を何十キロも上ったり下ったり……そんなこと出来ますか? オレ不勉強でこうした 大陸からの引揚者たちの苦労は全く知りませんでした。いや凄まじいですよ、地獄です。何がって皆一緒に逃げて 来た日本人の中で、皆人のことなんか構ってられないんですから。それぞれ自分が生きるだけで精一杯 なんですよ。そんな状況の中で人同士の関係はどうなるのか、極限状況に置かれて始めて明るみに出る本当の 世間の姿とでも言おうか、皆で一緒にいても誰も頼ることは出来ない、利害が一致しない限りは。そして自分より 少しでもお金を多く持っていたり恵まれた状況にいる人を見ると自然に妬む、嫉む気持ちが沸いて来る。そりゃ 無理もありませんよ。そんな中で子供たちの為に、僅かな食べ物を恵んで貰う為にどんな屈辱にも耐えて、必要 とあらば他人を出し抜いたりもして。もう形振り構っちゃいられないんですから。そうした地獄を生き抜いて子供 三人を日本へ連れ帰ったお母さんの頑張りには強く心を打たれますね。普通に暮らすことが当たり前になってる 自分が恥かしくなる。戦争の悲惨さを描いた物は軍隊の話とかも勿論だけれど、こうした普通の民間人に襲い 掛かる苦労の方がずっと身につまされる。少しくらい金が無くて美味しい物が食べられなくったって、何も 文句なんか言う必要無いですね。差し当たって食べる物に困らないと言うことの幸せを忘れてはならないと言う 気になります。本当に勇気付けられました。特にオイラみたいなあまり裕福でない苦労人の方にお勧めです(笑) それにしてもこの題名「流れる星は生きている」オレ友達に 教えて貰って何の予備知識も無く読んだのだけれど、この題名からこの内容は想像しませんよねぇ、何かもっと ロマンチックな恋愛絡みの小説かと思いきや、でも読んでみると分かります。三人の子供を連れて地獄の逃避 行の中、時おり夜空を過ぎる流れ星を見る度に、ていさんは別れ別れになっている御主人のことを思い出し、 希望を失わない様にと気を取り直して、そしてまた頑張って行ったんですね。




「江戸川乱歩全集 第三巻・パノラマ島奇談」

江戸川乱歩(株)講談社 昭和53年10月12日発行

い〜や〜面白いですねぇ(笑)江戸川乱歩の発想って本当変わってますよね(笑)そんなこと何で 思いつく必要があるんだ! ってなことや、そんなこと想像してどうするんだぁ! ってなとこが面白いんです よねぇ。本作は後の明智小五郎の原型とも言える北見小五郎って探偵は出て来るけど、推理小説じゃないし、かと言って 怪奇小説とも違う。独特なんですよ。物語は離れ小島に自分だけの楽園を建設したいと言う夢想 に耽る売れない小説家の青年が主人公。ある日学生時代の友人で外見が自分にそっくりだった大金持ちの子息が 急死したと言う記事を見つけ……それで彼は驚くべき陰謀を企てる訳ですよ……ククッ。まず海上の船から夜の 海に飛び込んで、自分が死んだことにして、それからその自分そっくりな男が葬られているお墓を掘り返し、死体 が着てる服を脱がせて自分が着て、よれよれになって人々の前に現れる……そう! 死体が甦ったと言う訳だ(笑) ん〜で、最初は記憶喪失を装って、まんまとその男になりすまし、その莫大な財産を使って夢だった自分だけの 孤島の楽園"パノラマ島"を建設するのだ! その彼が作り上げたパノラマ島の描写の何とも言えぬ広大な爆笑 イマジネーションはどうだ! まず入り口は海底トンネル、トンネルを出ると島の中にいて、そこから広がる 遠近法を駆使した広大な森や平野、遠くの山々など見渡す限りの大パノラマが広がり、湖には人魚が泳ぎ、北朝鮮 の"喜び組み"みたいな美女軍団が踊ってくれる……こんなモノ作ってどうするんだ!(笑)この物語りはこんな パノラマ島を作ってみたいと言う著者自身の妄想に着想アリと見て間違いないでしょう。この妄想! いや〜楽 しいですねえ。何となく気持ちも分かりますしね(笑)それと主人公が自分が死んだ と見せかける為に船から飛び込んで、またロープを伝って船に戻ろうとして登ってる時にふと「俺ってこんなところ で一体何やってんだろう……」とかぼやくところが大爆笑でしたね。いや〜やっぱしどんな物語でもこうして 人間描写が活き活きしてると面白いんでしょうねぇ。乱歩作品は他にも「人間椅子」(笑)や「鏡地獄」(大笑) 等好きな作品がいっぱいありますが、やっぱし極め付きの原点はコレでしょうねコレ。




「ザ・ギバー 記憶を伝える者」

ロイス・ローリー/掛川泰子・訳 (株)講談社 1995.9.20発行

コレは高尚な児童文学でした。ソ連にしろ北朝鮮にしろ今や過去の遺物になりつつある"共産主義"が完璧 に実現化された世界でのお話! そこでは戦争も争いもなく、全ての人たちが家族を持って幸せに暮らしていた。 だが、そこで生まれた子供は1歳までは育児センター(だったかな?)でまとめて育てられ、それから当局の 選んだ家族へと割り当てられる。そして12歳になると当局に選ばれた仕事に付き、やがて当局に選ばれた 配偶者と結婚する。身体に障害のある者や老いて動けなくなった者は"リリースする"と言ってより良い世界へ旅立 たせて貰う。全ての人はそれを嬉々として受け入れ、何の疑問も持たずに幸せに暮らしていた。だが、その中 で、12歳になった主人公の少年は自分の仕事を選ばれる時に「記憶を伝える者」と言う職に任命される。それは この世界が完成するまでの誰も知らない人類の歴史をただ一人伝承していくと言う特別な役割だった。少年は前任 の老人から毎日少しずつそれまでの人類の歴史について、彼が知る由も無かった戦争や争いの歴史を始めて知って 行く……そして人間の真実の姿を知ることにより、彼は今の世の中に疑問を感じ始める。やがて"リリースする"と 言うことがより良い世界へ旅立つこと等ではなく、殺されてしまうこと、そして自分の父親がその役割を担っている ことを知ってしまう。そして、彼の家族に割り当てられて育てて来た弟が障害を持っており、お父さんがにこやか に「リリースしてもらおう」と言うに及んで一大決心をし、弟を自転車に乗せてこの世界からの脱出を図る……この ラスト、主人公の少年が命をかけて人間の尊厳を取り戻して行くラストは涙が出ますね、これは是非スピルバーグに 映画化して欲しいですね。




「パピヨン 上・中・下巻」

アンリ・シェリエール/平井啓之・訳 河出書房新社 昭和63年9月3日発行

 かのスティーブ・マックィーンの代表作との声もある映画「パピヨン」の原作ノンフィクション!

 これは前から読みたくて、数年前の映画リバイバル時に紀ノ国屋で検索してもらったら「絶版になっててありま せん」と言われガッカリしてたのを、近所の図書館でリクエストしたら取り寄せてくれました。いや〜図書館様様 です。

 時代は第二次世界大戦前のフランス。無実の罪を着せられたパピヨンが当時フランスが植民地にしていた南アメ リカのギアナの過酷な刑務所に入れられ、そこから脱走しようと何度も失敗を重ねながらも絶対に諦めず、自由を 手にするまでのガッツ溢れる物語。

 ああ……中学生の時に見てどれだけ生き方に影響を与えてくれたことか……。
 後に実話の映画化だったと知った時の衝撃と言ったら……。それ以来どうしても読みたかったんです。そして今 回やっと読むことが出来て、この数週間は電車の通勤時間が短く感じられたくらい。

 あの映画が好きでこれから原作を読もうと思ってる方は以下の文章は読まない方が良いです。原作は読まない けど真実と映画との違いを知りたい、と言う方は読めば要点は全て分かりますよ。

 いや〜原作素晴らしかったんだけど、あの映画をバイブルの様に信奉してきた者としては、少々複雑な思いもあり ましたね。以下原作を読む前に映画について注目してた6つの点をひとつずつ原作と比較して書いてみます。

 その@パピヨンは禁固刑の独房でホントにゴキブリとムカデを食べたのか……実際独房に時々大きなムカデが落 ちて来て刺されて腫れ上がり、高熱を出した等の描写がありますが、ゴキブリも含めて食べたと言う記述はありま せん……この場面はこの映画の感想サイト等で皆が触れる程インパクトある場面だし、オレもキョーレツに覚えて たのでちょっと「なんだぁ……実際には喰ってねえのか」と思った。

 そのAダスティン・ホフマンが演じたドガとはホントにあんな友情で結ばれていたのか……原作にはドガの他に もパピヨンの周囲には沢山助け合う仲間たちが登場し、その人たちと様々な形で友情が描かれる。
 パピヨンは男気溢れる信用出来る男なので何処でも他の囚人たちの信頼を得て仲間として大事にされる。それに 脱走して現地で逮捕された時には当地でドガの弟が登場して何かとパピヨンと仲間たちに便宜を図ってくれたり する。
 映画で後半パピヨンと再会〜別離を果たす悪魔島の件にはドガは登場しない!

 そのB途中脱走に成功したパピヨンが生活を共にするインディアンの様な原住民の種族は? そしてある日突然 パピヨンを残して皆いなくなってしまったのは何故?
 ……あの種族は未開の地に住むインディオで、逃亡中に偶然彼等と遭遇したパピヨンは、言わば「世界ウルルン 探検記」みたく生活を共にし、種族の姉妹の娘ふたりと結婚し、ふたりとも妊娠させている。
 原作ではパピヨンの脱走の目的は自分を無実の罪に陥れた関係者に復讐する為だったので、生まれ来る子供の顔 を見る前にパピヨンは自らひとり種族と決別している。
 映画で種族の長みたいな老人の胸に自分のと同じ蝶のイレズミを彫ってやる描写があるが、実際パピヨンは胸の 他にも身体中にいろんな刺青を入れており、種族の男たちや娘たちの身体のいろんなところに自分の各刺青から彼 等が選んだ図柄を彫ってやっている。
 映画では突然種族がいなくなってしまうけど、あの意味は分かりません。

 そのCパピヨンはホントにあんなに白髪の老人になるまで脱走することが出来なかったのか……事実はパピヨン が脱走に成功し、晴れて自由の身になったのは37歳!
 見た目は若く見られて20代かと思われるくらいだったとあるから、全然若々しいまま自由を手に入れたのだ。

 そのDラストで悪魔島の崖から椰子の実を詰めた袋と共に海に飛び込んで、潮の流れに乗って沖へ出て、その後 どうなったのか……実際は37歳だったパピヨンは仲間とふたりで、それぞれひとつずつ椰子の実を詰めた浮き袋 に乗って他国を目指して海を越えた。
 この30時間に及ぶ大海原をふたりが離れたり近付いたりしながら椰子の実袋に乗って海を漂う件は全編中最大 の圧巻で、やっとヴェネズエラに漂着したものの、不用意に海岸に下りた相棒は底なし沼に足を取られ、沈んで死 んでしまう!

 そのEコレは映画の中でも本筋から外して不問に付していたこと、パピヨンは殺人罪の冤罪を着せられたと言うが、 本当に無実だったのか……原作にはその事件のあらましや裁判の様子も再現されるがコレは非常に興味深かった。
 しかしコレは厳密に言えば「本当のところは分からない」と訳者のあとがきにも書かれている。
 実在のパピヨンは若い頃からチンピラで娼婦に食わせて貰っている所謂「ヒモ」だった。ヴェネズエラで市民権を 得て自由の身になってからもバーやキャバレーの経営や、陰の実力者として皆に一目置かれていたり、結局はヤク ザ気質で自由奔放な生き方を貫いたらしい。

 映画化された脱走譚についても、あくまで本人が書いたルポである故にどこまで本当のことが書かれているのか ……と問題にされ、一時はフランス本国で正否を巡って大論争が巻き起こったらしい。

 オレは映画版を敬愛していて、その興味で原作を読んだのだけれど、夢中になって読んだ反面、ちょっと映画 が極端にデフォルメしていた点も分かってしまって戸惑いも感じてしまった。
 って言うか文庫本3冊分の内容を2時間半の映画に収め切れる訳無いから、映画は別物になるのは当然なのだ。
 そう考えると、まず先に原作があって、コレを脚色して映画の台本にするとしたらどうするか……と逆に考えて 見ると、あの映画が如何に素晴らしく原作のエッセンスを凝縮し、胸を突き動かされる感動編にまで高めて行った かと思う。
 アレで良いんだ。やっぱりパピヨンは独房でゴキブリやムカデを喰ってでも生きようとした方が強烈だし、白髪 の老人になってそれでも脱走を諦めない方がビジュアル的にも痛々しく哀しいまでの彼の執念が描出出来る。
 そして沢山仲間を出すよりもドガと言うひとりに絞って二人の友情と対比を深めることでパピヨンの生き様も引き 立つし、あの断崖での劇的な別れのシーンも生まれて来るのだ。
 しかし映画のパピヨンは脱走に失敗するの2回だけだったでしょ、実際は8〜9回も失敗してて、その度に脱走記 や現地での出来事や逮捕拘留されるエピソード等が壮大に展開される。
 そして各エピソードの中でドガの他にも沢山の囚人仲間たちが登場し、パピヨンとの友情が描かれている。

 オイラとしてはマックィーンの映画は別物として、もっと原作に忠実な完全版のテレビシリーズ化を熱望します。
 ってかそのうち必ず作られるのではないかな。




「女の一生 二部・サチ子の場合」

遠藤周作 (株)新潮社 昭和61年3月25日発行

これは前作から50年くらい? 過ぎた後の話で、前作の主人公キクの従姉妹の孫娘、サチ子を 主人公とした物語。時代は第二次世界大戦が始まろうとするところで、ここでもキリシタンたちは「敵性宗教」 を信奉する者として理不尽な迫害や弾圧を受けて行きますが、ここでは前作の江戸時代みたく、信仰を捨てない と凄まじい拷問に遭って半殺しにされたりと言うことはありません。どちらかと言うとキリストの教え「敵を 憎まず、殺すなかれ」と言う教えに反して戦争に行って戦わなければならないと言う内面の葛藤に主眼が 置かれています。そんな中で、長崎で布教をしていたユダヤ人の神父さんが、かのアウシュビッツで捕虜となり、 家族を持つ死刑囚の身代わりになって自ら進んで処刑にな ったと言う実話が語られる。本筋の物語はサチ子と徴兵されたキリシタン青年とのつかの間の 恋と過酷な運命が描かれて行きます。遠藤周作さんと言う人は御自身もキリシタンであったらしいのですが、 その文学的なところはキリシタンである自分の心情をそのまま語るのではなく、戦争や歴史の狭間でキリスト 教の信者であると言うことと現実との軋轢を一歩引いた視点で客観的に見定め、そこにある葛藤や苦悩を描き 出している点ですね。しかしてこの第二部は第一部の様な心揺さぶられる感動と言うのは無いんだけど、また違った 時代におけるキリシタンの試練と言う物が浮かび上がってきます。アウシュビッツの件はかなり取材もされて 現地へも行き、当事者たちに会ったりもしている様ですが、やはり日本人が書いていると言うことで どうしても想像して書いてる・・って前提が先に立ってしまって、イマイチのめり込めない部分がありました。 オレもそうだけど日本人って殆どが無宗教ですよね、戦争に負けて神道を取り上げられてしまったと言うのも あるんだろうけど、神とか仏とかって真剣に言ってる人見ると異常に見えますよね。でも自ら信者でありながら ここまで客観的に信仰と言うものを見定め、人の心と信仰の関わりのなんたるかを物語にして描き出して見せて くれると、信仰に生きる人の心情が切々と伝わるモノがあって、本当勉強になりますねぇ。




「女の一生 一部・キクの場合」

遠藤周作 (株)新潮社 昭和61年3月25日発行

ちょっと隠れキリシタンの事で興味を持ったので読みました。遠藤周作って「海と毒薬」とか「沈黙」等、 映画化された作品は結構観てるんだけれど、小説をちゃんと読んだのは始めて。なんだか社会問題を扱った 堅苦しくて生真面目な印象があったんだけれど、コレはなんと言う読み易さ! まるでシドニー・シェルダンの 超訳小説の様にスラスラと読めて、この面白いストーリーテリングの上手さはどうだ! もう〜ラストは感動 して感動して涙が流れますね。凄い大河映画を観た様な心揺さぶられる感動がありました。どうして映画化され ないんだろうと思うけど、まぁコレは金が掛かりますね、日本じゃ無理なのかな? 勿体無い! しかしここに描かれる 隠れキリシタンの弾圧のエゲツなさはどうだ! 何と言うヒドイことをよく思いつくもんですね、人間というヤツ は・・・って言うか日本の隠れキリシタンたちの方がホントのイエス・キリストなんかよりず〜っとひどい目に 遭ってると言う気がする。どんなに残虐に殺されても変えない信心って何なんだ? しかも江戸時代鎖国の時代 100年だか200年もの間キリスト教国の宣教師とも牧師とも全く接触しないまま日本人だけで隠れて信仰を 続けていたなんて。キリスト教の教義と言う物の凄さを思ってしまう。遠藤周作自身もキリシタンらしいけど、 でも本作の主人公キクはキリシタンではなく、キクの恋した男がキリシタンで、彼が幕府や明治政府からひどい 弾圧を受けて行くのを命をかけて救おうとする、その直向な思いが胸を打ちますね。映画にしたらきっと「火垂 るの墓」や「ラブレター」に負けないくらい号泣作品になるのではないかな。誰かコレをやろうと言う気骨のあ る映画監督は出てこないものか、熊井啓さんや篠田正浩さんでもきっと無理なんでしょうねぇ。今「第二部・サ チ子の場合」を読み中です。




「物語の作り方」

G、ガルシア=マルケス 訳:木村榮一 岩波書店 2002.2.18発行

シナリオの先生に勧められて読みました。知らなかったんだけど、ノーベル文学賞を受賞しているキューバ の作家で、映画のシナリオ等も執筆しているガルシア・マルケスと言う人が自ら主宰するワークショップで数人 の生徒さんたちと一つのストーリーについてどう展開したら面白くなるかを自由に意見し合ってディスカッシ ョンして脚本を作って行く過程を採録したモノ。大体共同脚本と言うと互いに言いたいことを言い合って喧々諤々 になって結局突き詰めて行くと相容れないところへ陥って物別れ・・・と言うことになりかねないのだけれど、 ここには ガルシアと言う絶対のボスがいて、どう転んでも一つのストーリーとしてまとまる様に見事に指南して行く。ああ なる程なぁと頷かせる。皆がアイデアを出し合って一つのストーリーを練り上げて行くスリリングな過程が面白い です。シナリオに限らず演劇や小説等、物語を作り出すことに興味のある人ならば、なる程と思う発見が沢山あるの ではないかな。オレも今までやって来た中で思ったことと合致するとこも多々あって本当勉強になりま した。ただ惜しむらくはこのディスカッションは実際にキューバで一回30分枠で放映されるドラマのシナリオ 作りの様子だったらしいんだけど、その完成品を観たいですね。この各ディスカッションの過程を読んだ上で 最終的に仕上がった作品を観ると、きっともっと目からウロコな気がするんだけれど、キューバのドラマなんて 日本じゃ放映しないかな・・どうにか実現して欲しいもんだな。




「熟女の旅」

松沢呉一(まつざわくれいち)筑摩書房 2005.2.10発行

いや〜久し振りに笑った! 本を読んでこれ程までに声を上げて笑ったのはかつて椎名誠のエッセイや 筒井康隆以来かな。なんだか低俗っぽい題名だけど、内容は若い女の子よりも中高年の女性を好む筆者と出版社 の若い編集者が、熟女のいる風俗店を求めて全国を旅し、その体験をルポして行くと言うモノ(やっぱ低俗か?) この二人の道中の会話がオモロイのだ! この掛け合い漫才を見ているような躍動した面白さはどう だ! 文章って言わば単に記号が並んでるだけで音も映像も無いし無機質なモノでしょう。こっちが能動的に読ま なければ何も伝わって来ない媒体だ。なのにこれだけ人を楽しませ、声を上げて笑わせると言うのは凄いことだ。 まぁ内容はソレ、ある種のカテゴリーの「男性」でないと笑えないマニアなネタなんだけどね(笑)しかし楽しい。 言い訳じゃないけどなんでこの本読んだかと言うと、図書館で読みたい本が貸し出し中だったので予約を入れて 待っている間、何か間繋ぎに読もうと思って何気なしに見つけたのよ。れっきとした公立図書館にあったんですぜ。 いや! セレクトして置いた図書館員の方、偉い!




 


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