「火垂るの墓」
号泣……号泣……また号泣……これでもか! これでもかぁ! もっと泣け! もっと泣けぇ! と観る
人の顔をグジャグジャにさせて泣かせる……号泣映画ベスト5くらいには入るのではないでしょうか…
…。
かつて宮崎駿監督と両雄をなしていた高幡勲監督の紛れもなく代表作で「となりのトトロ」と2本立て
でした。その後二人は方向性の違いから袂を分かつような形になって高幡監督は「思い出ぽろぽろ」
〜「となりの山田くん」と失墜し、宮崎監督は「もののけ姫」〜「千と千尋」と成功して行く訳です。
二人の明暗を分けたは原因は何だったんでしょう……考えるに、宮崎監督の作品はいかにもアニメ
ならでは、アニメでしか出来ないアクションやニュアンスを表現しているのに対して、高幡監督の作品は
どちらかと言うとアニメのカテゴリーから反する、まるで実写映画の様なリアリティに走ってしまい、観客
からすると「別にアニメでなくても実写で映画化すれば良いじゃん」と言いたくなる様な作風になってしま
った。
それって言い換えると「アニメとしてはつまらない」ってことになっちゃうよね、「思い出ぽろぽろ」なんて
まるで実写の映画を観ているようで、いわゆるアニメの醍醐味を期待して来た旨にはちょっと物足りなさ
の残る作品だった。それからその後高幡監督は「となりの山田くん」と言う入魂の大失敗作を作ってしま
うんだよねぇ……。
んでもとにかくこの「火垂るの墓」せっちゃんの声を演じていたのは当時5歳の少女だったらしいけど、
奇跡ですね。奇跡、奇跡としか言いようがない! ただこの作品を観てから年月が経つに連れだんだん
思ったんだけど、どうしてあの兄妹はあんなに酷い思いをしなければならなかったのでしょうか、一応は
面倒を看てくれる親戚もいたと言うのに……。
で考えていて分かったんです。両親を亡くした兄妹は引き取られた親戚の家でそれは肩身の狭い思
いをしたけれど、もしもそれを我慢していたら、どんなに酷く苛められても、どんなに屈辱的な思いをして
もじっと耐えてさえいたら……少なくとも死なずには済んだのではないか……そこまで思い至った時に
思い出したんですよ「はだしのゲン」と言うマンガ知ってますか?。原爆で家族を失った孤児のゲンが、
親戚にたらい回しにされながらその先々でハラワタが煮えくり返る様な酷い目にあって、それでもゲンは
妹を守る為にあらゆる理不尽な仕打ちに耐えて生き抜いて行く……。
もしも「火垂の墓」のお兄ちゃんもゲンみたく屈辱に耐えていたら、せっちゃんも死なずに済んだのでは
ないだろうか……。
だけどこうも思うんです。ゲンみたく屈辱に耐え抜けば生きて行くことは出来るかもしれないけど、人間
ってそんな風に生きて行くと自然に卑しくて打算的な人間になってしまうのではないだろうかと、人として
美しく純粋さを失わない為には、せっちゃんのお兄ちゃんみたく破滅を選んで行くしか手は無いのではな
いかと。この映画が本当に泣ける要因は実はそのことにあったのかもしれませんねぇ。
人が尊厳を守って生きて行く為には命をかけなければならないのかもしれません。