「生きる」
「七人の侍」や「用心棒」に代表されるダイナミックなクロサワアクション
とは対照的な「酔いどれ天使」や「素晴らしき日曜日」等に代表されるもうひとつの
魅力「人間ドラマ」の最高峰に位置する作品と言っても良いでしょうか。
オレこの映画は多分4回くらい見てると思うのだけれど、その度に観た印象が微妙
に違っていたので、ちょっと思い出してみるに……。
初めて観たのは多分銀座の並木座で中三の時、同時上映は「酔いどれ天使」か「どですかでん」
でした。
「用心棒」で完全に感化されていたオイラにとって、アクションでも時代劇でもない本作
は正直「ピンとこなかった」っていうか、そもそも中学生がこの映画観ても解らないに
決まってますぁね(笑)。
それくらいオイラとしては「クロサワ」と名の付くものは内容考えずにとにかく観なく
ては……ってくらい思い入れてたのでした。
そして二度目に観たのは大学時代に三百人劇場で黒澤特集の時、確か「デルスウザーラ」
と同時上映だったので観たんだったかな。
その時はオレ8ミリ映画作ってて〜自分が天才だと思ってましたからねぇ、しょぼくれて
先行きに絶望してる冴えない市役所職員のオッサンのことなんてどーでも良かった。
本作の真意が実感として理解出来る様になったのは社会人になってからですね。
そりゃ生きてる限りゃ何かしら仕事はしなきゃならないワケで、何処でどんな仕事を
しようとも、そりゃ何がしかの日常というか、非生産的な習慣みたいなことはあるワケで、
仕事って少なからず、自分の本位とは違う方向でも妥協してやって行かなきゃならない部
分ってありますやねぇ。
人にとって「生きる」とはどういうことなのか。組織の機構に乗って生きて行く為には、
歯車として自分を殺さなければならない「現実とのギャップ」を何も感じていない人
なんていませんやね。だから心を打たれるんですよね。
♪命短し〜恋せよ乙女〜♪って主人公がしょぼくれた声でトツトツと唄う声が心に沁み
てくるのは大人になって働き始めてからですよ。
本作を観て初めてその真意を感じられた時、あ〜コレはオレ中学生の時なんかに観るん
じゃなかった〜なんて思ったものでした。
学生の頃は、オレは決してこんなことにはならないぞ! なんて粋がってましたけど、
いざ社会に出て仕事を初めてみると、人生はそ〜んな自分の思い通りになんぞならないという
ことを思い知らされるワケで。
世の中の理不尽、誰しも妥協なくしては生きられない現実を体感してから見ると、全く
感じ方が違いますね。
普段は自分が死ぬなんてこと全く意識せずに生活していますよね。確かに自分の
寿命を突き付けられてみなければ「生きる」の何たるかを本気になって実践出来る様には
ならないのかもしれませんね。
ただ中三で初めて観た時も胸を揺さぶられたのは喫茶店のシーン。余命僅かと知らされ
てヒョロヒョロになった志村喬が、若い女子工員との関わりでやっと生きる何たるかをつ
かんだ時に、偶然にも隣の席で誕生日パーティーが催されており「ハッピーバースデー」
の合唱に乗って店を出て行くシーンでした。
その辺りは誰しも持っている潜在意識に訴えかけてきたのかもしれませんねぇ。