「街の灯」
美しい美しいチャップリンの美学炸裂!
本作はチャップリンが初期の数々の短編〜中編を経て後の「モダンタイムス」「独裁者」
「殺人狂時代」等の社会問題作へと続く転換点にある。
チャップリンのひとつの完成系……って言い方も出来るのではないでしょうか。
近頃のドラマに身体的なハンディを負った登場人物が出て来ると、あざとく感じてしまう
けど、本作はそんなこと微塵も感じさせない、何せ80年も前の映画ですからねぇ。原点を
超えた原点です。って言い回しも変か。
チャップリンと言えば「笑える」ことと「泣ける」ってことですけど、そのどちらもがこれだ
け究極に表現されてるのも本作が一番なんじゃないかな。
何せ笑うのはボクシングのシーンですよねぇ、当然セリフはひとことも無いけれど、いまだに
思い出すだけで笑えてきますもんねぇ(笑)。
泣けるのはやっぱしラストですよねぇ。でも子供の頃初めて観た時も思ったものです。
このラストシーン、本当に良かったけれど、チャップリンの本当の素性を知ったヒロインは、
その後チャップリンに対してどんな感情を抱いていくのだろうかと……。
ラストのラスト、画面が暗転する寸前アップになったチャップリンの顔に、そんな憂いが過ぎる
んですよね。なんだかそれが心に尾を引いたのでした。
思い違いじゃないと思いますよ。だって、本作で盲目のヒロインにチャップリンのことを
お金持ちだと勘違いさせるのにどうするか……ってシーンを撮る為に、車の渋滞に巻き
込まれて仕方なく車のドアから反対側へ出るという件で、うまく出来るまで何百回とテイク
を繰り返したといいますからね。
本作に「なんとなく……」や、意味が中途半端なカットなんてある訳が無いですから。
またこの映画の作られた頃はすでに映画製作は「トーキー」の時代で、サイレントなんて時代遅れ
だったのに、それをあえてチャップリンはサイレントという自分のスタイルを貫いたんで
すよね。
それでも何も音が無い訳じゃなくて、冒頭の政治家(だったかな?)が演説する声を意味不明に
してみたり、トーキーをバカにしたような演出も痛快でした。
全ての芸術は形式から始まる……って前提を改めて認識させるような美学も感じますねぇ。