昔稽古場でお世話になっていた「劇団キンダースペース」さんのアトリエ公演。”モノドラ
マ”って言うのは要は朗読劇なんだけど、普通の朗読の様に役者が本を持って椅子に座ってただ
「読む」と言うのではなく本は持たず、それなり? な衣装を着て登場人物を半ば演じつつ小説の
文章を忠実に再現していくと言うもの。
前回の「モノドラマ」も見ているのですが、役者が立って動き、時として文章上の台詞に感情を込
めて演じるとは言え、やはり文章は文章だし、役者の練習方法としては良いと思うけど、観客がお
金を払って見る程の物か? と正直思っていました。
でも「新しい試み」たる今回は、役者が一人で朗読すると言うのではなく、ひとつの作品に男女複
数の役者が登場し、時に地の文章を交互に朗読し合い、また時として作中人物をそれぞれが演じ
分けてシーンを再現し、その繰り返しで物語を進めて行くと言うもの。
コレは確かに「新しい」と思った。勿論地の文章は小説な訳で、それを半朗読・半演劇と言う形式
で再現していくのだけれど、原作のどの部分を朗読に当て、どの部分を演劇に当てるのかは変幻
自在だ。逆に言えば小説の文章から朗読部分と演劇部分をどう切り分ければ原作のテイストをより
表現出来るか、を決めるのはかなり困難な作業ではないかと思った。
こうした形式で今回は太宰治と織田作之助と言う2大作家を取り上げて、それぞれの作品を各
2時間のうちに4話ずつのオムニバスで再現すると言う試み。
文学作品の味わいと言うのは、時に理不尽な程に、また複雑に人間の深層を顕わす物ですが、
今回の試みではそれが一本約30分の上演時間の中で見事に表現されていました。
古い文学作品ってモノによっては仮名遣いが古いし、難しくって一度読んでも味わいがつかみ
難かったりするけど、この舞台を見れば普段本とか読まない人でも、原作を読むより理解し易い
のではないかな。
ただ作品によっては登場人物が少なく、一人芝居的な部分が多くて「新しい試み」があまり活き
ていないのもありました。オレ的には(太宰・織田作)各4本の中でこの手法が上手く活きていてと
ても面白いと思ったのは太宰の心中物「姥捨」と織田作の「競馬」でした。
「姥捨」は心中に向かう男女のドロドロとした愛憎が逡巡して行く様が文学臭をプンプンさせて見
事でした。看板女優の瀬田ひろ美さんが男優と演じた心中シーンは雑木林や断崖の情景が目に
浮かぶ様に生々しかった。
「競馬」の方も競馬場や宿屋の様子が目に浮かぶ様で、不器用な男が惚れた女の為に身を持ち
崩して行く様がビビットに描かれて見事でした。主人公が競馬場で出会ういつも「1番」一点買いの
男を演じた役者が印象に残りました。
しかしよくまぁあの狭い空間でさしたるセットもなく、芝居と朗読だけの組み合わせであれだけの
世界観を表現してしまうとは、ちょっと凄いなぁと思いました。
でも考えて見ると文芸作品などを舞台化するに当たって同じ様な手法を取った物って他にもあり
ましたね、オレの知ってるのは「月光の夏」とか「みすずリンリン」とか。
どれも名作でしたけれど。そう思うとそれ程斬新と言う訳でも無いのかな……。例えばだけど、こ
の手法で全くのオリジナルな新作をやってみると言うのも一興かもしれませんね。