「野火」
知らないで観てたけど、海外のロケにはスタッフ4人くらいで行ったそうで、低予算でよくぞここまで!
海外のコンペに出品しながらも配給は決まってなくて、まるで自主興行の様なスタイルで全国の映画館を回って上映して貰ってるんだという、こ〜の監督魂には拍手ですね。だって Movie Walker の新作ラインナップにも掲載されていないという……。
そもそも昨今の所謂「戦争反対」映画の嘘っぽさには皆気付いてるでしょう? だって戦争反対ってのは、戦争に負けて、散々な目にあったから言ってるんで、負ける前は日本の国民だって戦争イケイケドンドンだったんでしょ?
そのことを微塵も言わずに現代のヒューマニズムを押し付けたのや、負けたことを前提にした解釈で描いた映画には辟易していますから。こう言っては何だけど、この映画は全く持って「快作」ですよ。薄っぺらいヒューマニズムを見せられるよりコレのがよっぽど惨さを伝えてくれる。
ただちょっと気になったのは、主演の塚本さんは撮影の為にずい分お痩せになったらしいけど、見る感じ何かそんなに痩せてる感じしない。1959年の市川崑監督版の船越英二さんは目がキラキラしてるしお肌もツヤツヤだったけど、ホントに痩せてて飢えてる感じがした。
自分が主演で出るということが映画を作る動機にリンクしていたのかもしれないけど、リアリティとしては無名でガリガリの役者さんを選んだ方が良かったのではないかな。
市川版と比較してみるに、当たり前だけどストーリーは殆ど同じ。塚本版は頭が吹っ飛んだり、ウジがたかってる死体の描写とか、直接的なグロ演出でリアル。市川版はあまり直接的な描写をしないかわりに演出で見せる。
例えば病院の小屋が空襲されてワラワラと虫みたいに裸の患者たちが這い出してくるとこなんざ演出に凄味がある。それに堂々たる大映作品なのでスケールが大きいですね。原野に無数の死体が散らばってる描写なんかは塚本版と違った悲惨さがある。
米軍に見つからない様に夜中に平地を横断しようとして待ち伏せされるシーンは市川版ではモノホンの戦車が走って来ますからね。
それと市川版の方が年代が近い分戦時中という空気感がリアルに感じられる。それに人物たちの心理がよく解ります。塚本版は演出もそうだけど役者の芝居が言葉遣いというか、現代的というのか、人物を身近に感じてしまう分逆に時代的リアリティを欠く気もした。
塚本版は低予算ということでやむなしなところもあったのだろうけど、カメラを主観にしたり、手ブレを多用したり、スローモーションとか、映像の加工で表現しようとするのもリアリティを欠きますね。
昔クロサワが「観客にカメラを意識させてはダメだ」といっていたのは、映画を観ていることを忘れるくらい没入させなきゃダメだってことで、いつからか流行り出した手ブレ画面て嫌ですね。
昔「仁義なき戦い」の頃は今みたいに片手で振り回せる様なデジタルカメラと違って、あの重たい35ミリのカメラをここまで振り回したのか! というのが凄かった訳で、それも今みたいな中途半端な振り回し方じゃなかったし(笑)
市川版のがいかにも南方の島な感じがあったけど、塚本版がウリ? にしているグロ描写はなかなか鮮烈でした。
監督は子供の頃に原作を読んだ衝撃をそのまま表現されたそうだけど、是非このノリで中国人への残虐な行為まで描写される火野葦平の「麦と兵隊」なんかもやって欲しいですね。
終盤出て来るカニバリズムの件は少し浮いた創作的な印象だなと思っていたら、そもそも原作者が「アラン・ポーの小説からもらった」と言ってるらしい。
「プライベートライアン」の冒頭みたく戦争体験者の見たことをリアルに再現することだけに徹した様な映画をもっと観てみたいですね。