「おとうと(山田洋次版)」
山田洋次監督には寅さんシリーズが始まるずっと以前から 「馬鹿が戦車でや
って来る」(傑作!)や 「なつかしい風来坊」 等、いわゆる人格破綻者というか、はた迷
惑な親戚の伯父さんを描くことがひとつの命題の様に続いていました。
そして48作も続いた寅さんシリーズが途中で逝去してしまったことへのひとつの決着
が、本作だったのかもしれません。
だって本作の吉永小百合はどう見てもさくらがお姉さんになった感じだし、伯父さんが
ふらりと戻って来ては大喧嘩して出て行くところなんてマンマですものねぇ。
ただ本作の伯父さんも寅さんの様に笑えるところはあるのだけれど、寅さんの様に時
としてドキリとする人生哲学を語ったり、直情的な正義を行なったりすることは無い。
寅さんは長年観客から愛され続けて偶像化してしまったけれど、現実にいる ”困った
伯父さん” は 「そんな甘い物じゃないんだ」 と言いいたいのかと思った。
それくらい本作の伯父さんには鬼気迫る物がありましたね。
最期に伯父さんが辿り着いた末期を看取る為の施設の談話室で、皆でテレビで 「寅さ
ん」 を観てる描写をあえて入れたのは 「アレは虚構で、コレが現実だ」 という、そんな意
味合いの様な気がした。
本作で伯父さん(おとうと)を演じた笑福亭鶴瓶さんの、冒頭披露宴での酔っ払いぶり
はリアルで怖かったくらい。芝居に鬼気迫る物がありました。
披露宴に出席すると必ず一人はいますよね、酒さえ飲まなければ良い人なのに……
っていう伯父さん(笑)。映画の中だから笑えるけれど、実際にいたらそーとー迷惑ですよ。
いい年こいて 「お姉ちゃん……お姉ちゃん」 と連呼する目つきも尋常じゃなかった。演
じることに対する執念というか、よっぽどカメラのこっちで監督が恐い顔して睨みつけてる
のかなと思った。
本作の伯父さんは山田監督による 「人格破綻者」 路線の人物像の最終決定版と言っ
ても良いのかもしれません。
また後半死にそうになって腹に刺したチューブからしか食物を摂取出来なくなってんのに、
そのチューブに焼酎が入ると途端に極上の喜びに満面の笑顔になってしまうという(笑)。
この伯父さんがダメダメなのは確かなのだけれど、決して不幸には思われないところは
寅さんにも通ずる山田洋次監督のダメ男節だと思いました。
寅さんファンとしてはシリーズの最終作を観た時に、もういい加減リリィと所帯を持たせ
てあげれば良いのに……って思ったけれど、山田監督に言わせれば寅さんみたいな男
は決して人並みの幸せをつかむことは出来ないのかもしれません。
それでいてこういう男への深い愛情も感じるんですよね、だってこの鶴瓶おじさん。夢も
叶わず家族も持てずでダメダメな人生だったかもしれないけど、こ〜んなに綺麗で優しいお
姉ちゃんがいるだけで充分幸せだったじゃないですか。最期を看取られる施設には石田
ゆり子もいるし(笑)。
現実にはもっと惨めでひとりぼっちで死んで行く人なんて五万といる訳だから、やはり主
役はお姉ちゃんなんですよ。以前の山田監督作品の 「息子」 も主役は親父でしたね。
世間から見ればこんな 「ろくでなし」 オヤジなんて一人でとっとと死んでしまえば良いの
に、と思うけど、でもお姉ちゃんとリボンで腕を結んで寝るシーンではオレ感動してるっ
て自覚も悲しみを感じてるつもりも全然ないのに、勝手に涙が流れてきた。
人としてDNAに組み込まれている原体験を触発されるんですかね、単純な物語の様で
いて、やっぱり凄いなと思いましたよ。
そうですよねぇ、世間から見ればどんな厄介者でも、肉親としてはいなくなるのは悲しい
というのが人の情ってもんですよ、そんなこと現実ではなかなか共感出来ないのに、映画
ってやっぱり凄いなと思いました。
あと本作ではカメラアングルや芝居の付け方。セリフにも小津安二郎を思わせるタッチが
ありましたね、まるで昔の名画をリバイバルで観ている様で、新品のピカデリーのフカフカ
の椅子と鮮明すぎる画面に違和感を覚えた程でした。
山田洋次監督はかつての撮影所システムから育って来た最期の映画監督になるのでし
ょうか。僕等はまだ 「映画はこうあって欲しい」 みたいな第一級の作品が観られて幸せで
す。
あと 「おとうと」 という題名を聞いた時はやっぱし市川崑作品を思い出しましたけど、内
容的にそれ程リンクしてるとは思わなかった。ラストのテロップで 「本作を市川崑監督に捧
げる」 って出たのはもしかしたら、どうせ似てるならいっその事オマージュにしてしまえ、って
なとこだったんですかね。違ってたらごめんなさい(笑)。