「プライベート・ライアン」
スピルバーグがその後の戦争映画の在り方を変えた、歴史を変えた作品。コレは先
行オールナイトで新宿プラザで夜中に観ました。見た時の映画館内は観客が愕然と物凄いモ
ノに見入っている非常な緊張感に満ちていた。スゴイ映画は冒頭部から分かる。ノルマンデ
ィへ向かう上陸艇から兵隊が酔ってゲロ吐いてるのを見て「オ、コレは来てるなぁ〜来るぞ
来るぞ・・」と思っていたらあの唖然とする絵巻が繰り広げられ・・・この物凄さ! 見る
者をねじ伏せる圧倒的な力! 映画を志す者は良くも悪くも皆コレをやりたくて映画を作っ
ている。理屈や感情を押し倒して映画が全てを圧倒する瞬間。紛れも無くスピルバーグは世
界の映画で最先端を行っている。この絵巻の凄さに圧倒された場内の空気に思い出したのが、
池袋文芸座でクロサワ「蜘蛛の巣城」を見た時の館内の空気だった。アレも映像の凄さに観
客全てが固唾を呑んで見入っていた。「プライベート・ライアン」を見て行くうちに主演の
トム・ハンクスはあきらかに「七人の侍」の勘兵衛であり、勝四郎も出て来る・・・「プラ
イベート・ライアン」を見た時はクロサワが死んでお葬式に行ったばっかりでガッカリして
いた時だったので、異常に嬉しかった「ここにクロサワは生きている!」もう嬉しくって嬉
しくって(泣)しかし後半の物語の本筋は、前半のくだりが余りにも凄まじかっただけにち
ょっと薄れてしまっている。テーマや言いたいことは分かるのだけれど。この映画の公開当
時「スピルバーグは反戦を大義名分にしてスプラッター映画を作りたかったのではないか」
なんて意地悪を言う人がいたけれど、ちょっと後半をウェットにし過ぎてしまったところが、
逆にそうした評を産む原因になったのではないだろうか。オレも見て思ったのは、オープニ
ングとエンディングの墓参りのシーンはいらないのではないかと言うこと、コレがどうも本
編の残酷描写の言い訳がましく見えてしまうのではないかな。それと途中でトム・ハンクス
演ずる勘兵衛? が若い部下が無残に死んで行くのを見て戦争の過酷さに耐え切れず人知れ
ず慟哭するシーンがあるのだけれど、「七人の侍」の勘兵衛は決して慟哭したりしない、と
言うかクロサワなら絶対に見せないだろう。でもコレがスピルバーグのスピルバーグたる所
以なのだ。オープニングとエンディングの現在の墓参りや、そうしたウエットな描写が無け
れば本作はかつてペキンパー「戦争のはらわた」やドン・シーゲル「突撃隊」に準ずる映画
になっていたとも思うけど、やっぱりスピルバーグはスピルバーグだからね・・・本人の思
う様に映画を作るのは当たり前だよね。