「ローマの休日」
コレはもう今更語ることも無い大古典ですが、見る度に新しい発見のある作品です。だから名作と言われるのでしょう。
毎日公的な行事に翻弄されて自由の無い生活に退屈している王女様が、そんな地位から脱走して一介の新聞記者と束の間の逃避行(休日)を楽しむと言うプチ冒険談なのだけれど、その何とロマンチックなことか!
お互いの身分の違い、時間の枷、カルチャーショック等、後にこのシチュエーションはいろんなラブコメ路線に踏襲されています。
でもそもそもこの作品で鮮烈に登場したオードリー・ヘップバーンの演じた王女様は「何処の国の王女だったんだろう?」って考えたことあります?
見てる間はそんなことあんまし気にしないで見てましたけど、気がついて調べてみると、コレは「架空の国」なんですよ、そりゃそうですよね、実在する国をモデルにしたら「うちの王女はこんなことしない!」って怒られちゃいますから。
そう、この「架空の国の王女」と言う発想がミソなんですよ。
聞いたことも無い国でも、国を代表する外交官として仕事している王女様だったら、公的な行事にばかり感ける毎日じゃ退屈もするだろう……と「さもありなん」な印象を持ってしまうじゃないですか。
冒頭のシーンで、ローマの人たちに歓待されて笑顔を振り撒きながらスカートの下では足をモジモジさせている描写はシナリオ技術の古典的お手本です)。
だから架空の国でも普通に感情移入して見れてしまう。何よりヘップバーンの宝石の様な美しさに魅了されてそんなこと微塵も気にさせませんけど。
本当にこんな王女様なら一生奴隷になっても良い……とかバカな男は思ってしまいましたねぇ。
ヘップバーンの美しさも勿論なんだけど「架空の国の王女様」と言う発想がこの作品の成功の所以じゃないかと思いますね。
いつの時代にもそうしたクリエイティブな発想が新しい作品を生み出して行くものなのかも知れませんねぇ。