「うちのだりあの咲いた日に」

青年団リンク 青☆組 Vol,8(2008年4月12日こまばアゴラ劇場)

 日本劇作家協会の新人賞を受賞したと言う戯曲の再演。

 舞台はある田舎町の海辺に建つ古い家で、そこに父親の法要の為に久しぶりで 集まったある家族の一日のスケッチと言った内容。
 再婚した長女とその新しい夫と連れ子の女子高生。彼氏を連れて来た次女。今も 実家で浪人している長男。それに寝たきりの祖母と介護師の女性等が、それぞれ の状況で思惑を抱きながら過ごし、次第にそれぞれが胸の内に巣食っている思いを 露呈して行く。

 だが途中意外にも一同が父親の法要だと思っていたそれが、実はかつて飼ってい た犬の "だりあ" の法要だったことが分かる。
 この物語はそのかつて飼われていた犬のだりあが、埋められている庭の片隅から 家族の有り様を見つめている……と言う趣向でくくられている。

 芝居はその場の空気を作り出すことに専念され、観客もその場に居合わせている 様なリアル感を持って進行する。
 人物たちの心情が痛いくらいに伝わって来るけれど、全体にコレと言って大きな本 筋がある訳ではなく、物語はある家族のある一日の風景として時間と共に通り過ぎ て行く……。

 この手の芝居のテイストも味わいも良く分かるのだけれど、オレあんましこの手の 芝居は好きではありません。
 確かに役者さんたちの抑えた芝居と、時に感情を露出するメソード的なリアリティ は分かるのだけれど、オレみたく 「起・承・転・結! テーマは何だ?」 と言った作劇 を勉強してる者にはどうも中途半端でねぇ。
 そゆ視点から見ると、登場人物たちの心情がビビットに伝わってくれば良い、と言う ことでは満足出来ない。

 本作の場合ホームドラマなのだけれど、観客の視点ともなる死んだだりあと言う犬 は一体どんな犬だったのか? コレは只単に犬の視点、と言うだけでなく、そこに何 らかの感慨なり、ドラマを通して背景から浮かび上がって来る物が見えて来ないとた だの犬で、別にだりあじゃなくても良いじゃないか、と言うことになってしまう。
 せっかくだりあと言う名前もある、家族にとっては特別な犬だった訳だから、終盤だ りあの眠るところに植えたダリアの花が咲きましたと言うだけではあまりに放りっぱな しだ。
 例えば古いけど小津安二郎の映画は家族の有り様をそれぞれに描きながら、観終 わると全体から醸し出て来る言い様の無い高揚感と言うか、生きる勇気みたいな素 晴らしい気持ちが湧き出して来た。それには観客がそうなって終わる様にちゃんと計 算がなされていたからだ。
 それぞれの人物の感情がビビットに表現されると言うテイストは分かるのだけれど、 ただそれだけで、それぞれの事情に何ら決着が着けられるでもなく、かと言って全体 から醸し出されるテーマが浮かび上がって来ると言う群像劇でもない。

 まぁ好き好きと言ってしまえばそれまでなのだろうけど、オレはダメですねぇ。あと途 中犬の法要の為に出て来た犬専用? の僧侶役の藤一平さんはさすがの存在感で、 唯一ギャグ担当なのだけれど、出て来ただけで舞台の空気を一変してしまうところは 凄いと思った。
 けどコレもオレの希望ですけど、こゆ異端な役どころではなく、本筋の中の人物の一 人みたいな、普通に人間の役でドラマを演じるのを一度見せて欲しいですよねぇ。



リストに戻る