北海道合宿、七ツ沼とポンチロロ川
(1962年7月)
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七ツ沼とトッタベツ岳 |
ポンチロロ川 |
北海道へ長い長い列車の旅
7月26日(木) 上野 19:10 急行第1十和田 →
7月27日(金) 8:45 青森 9:30 青函連絡船 → 14:00 函館 14:25 急行まりも →
TWVの年次活動で夏合宿は最大のイベントである。1962年の夏合宿は北海道の道央部で行うことになった。総勢175名が10隊に別れ、大雪、阿寒、日高、夕張、芦別、十勝などの山に登り、空知郡西達布の東大演習林に集合するというものだった。
僕は第3隊千呂露コースのメンバーになった。4年生 2名、3年生 3名、2年生 5名、1年生 8人、総勢18名だった。
北海道へは長い鉄路の旅が待っていた。夏合宿の荷物は重く、30キロを優に超えるザックを担ぎ上野駅に着くまでに汗だくになる。TWVでは食料やテントなどの共同装備は1年生、2年生が背負うことになっていた。北海道は観光地として人気があったが、旅費もかさむのでおいそれとは行けない所だった。ゲルピン学生の多いTWVが北海道に遠征するのは相当議論があったようだ。飛行機は学生には高嶺の花で、列車を乗り継いで行くことになった。
4時の集合時間にメンバーが集まってきたが既にホームには長い行列ができていた。結局席は一つも取れず、青森まで立ちっぱなしだった。
青函連絡船も満員で定員をオーバーすれば次の船になるところだったが何とか乗船できた。やっと座れてほっとした。函館に近づくと乗客は早くも出口に並び始める。到着すると乗客は急行「まりも」の停車しているホームに一目散に走り出した。こちらは大きなザックを背負っているので早くは走れない。おまけに釧路まで行くという団体客があらかた座席を占拠していたので、またも僕ら全員立ちっぱなしとなった。駒ヶ岳、ニセコ、羊蹄山を車窓より眺めて気を紛らわす。食事は食パン半斤と魚肉ソーセージを立ったまま食べるので乗客の視線が気になった。
ようやく北海道の大地を歩き始める
7月28日(土) 曇 3:25 帯広 5:55 → トラック 7:40 三ノ沢飯場 → 8:50 大正沢手前 → 9:45 エサオマントッタベツ飯場
深夜に帯広駅に着いた。上野から29時間の長旅だった。真っ暗な待合室で漸くベンチに横になって休むことができた。
早朝、営林署の好意によりトラックを出してもらうことになっていた。トラックの荷台に冷たい風が吹き付ける。市街地を抜けてトッタベツ川沿いの砂利道の林道にはいると荷台はガタゴト揺れる。スピードが出せないので時間がかかった。1時間45分揺られてようやく林道終点の三ノ沢飯場に着いた。
いよいよ北海道の大地を歩き出す。トップは2年生が勤めるので初日は僕が指名された。張り切って林道から河原に下りるとき、50センチ位の段差を無造作に片足で着地したら体重と荷物の重さを支えきれず前に転んでしまった。すぐに立ち上がったので後ろの方にいる上級生には無様な様子を見られなくてすんだ。30キロの重さを考慮せずに格好つけて飛び降りたことを反省。笹に蕗が混ざる左岸の踏跡を進む。大正沢の手前で橋が壊れていて、右岸に徒渉する。膝くらいの深さだ。登山靴のまま徒渉するのがワンゲル流だ。1年生は徒渉するのは初めてなのでおっかなびっくり渡っている。渡り終えて最初の休憩。
2ピッチ目に一度左岸に渡り、すぐに右岸に戻り、河原の笹を掻き分けながら進む。やがて左から流れ込んでくるエサオマントッタベツ川を徒渉した。まだ昼前だったが長旅の疲れもあるのでここでテントを張ることにした。沢よりかなり高い所に飯場もあったが、数日後に台風で増水した川をU隊が命からがら下ってきたときには飯場は跡形もなく消えていたそうだ。
米粒を餌に岩魚を釣ろうと糸を垂れる者もいたが1尾も釣れなかった。
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エサオマントッタベツ川の出合より札内岳を望む |
トッタベツ川を遡る
7月29日(日) 晴のち雨 泊地 4:20 → 5:00 カタルパ沢 → 5:50 六ノ沢 → 6:10 七ノ沢 →6:40 八ノ沢 → 7:10 九ノ沢 → 8:00 十ノ沢 → 9:30 三股
エサオマントッタベツ川の出合から先ははっきりとした道はない。初めは広い河原を歩いて行けたが、カタルパ沢の合流点を過ぎると沢は狭くなってきた。左岸は岩の懸崖となる。五ノ沢の手前で再び広い河原になった。六ノ沢辺りでピパイロ岳の稜線が見えてきた。沢の中を快適に遡行する。川幅が狭まり水際の壁をヘズるようになると1年生は苦戦する。滑り落ちたら相当流されるだろうから怖がるのも無理はない。長い隊列でペースは遅いが、八ノ沢、九ノ沢を過ぎて、十ノ沢までは河原にテントを張れそうだった。十ノ沢から先は沢が狭くなってきた。ヘズリで1年生が滑り落ちアゴを負傷した。それほど危険な所はないのだが重いザックを背負っていては身軽には動けないのだ。三股に着いたときリーダーは早々にテント設営を命じた。軽症ではあったが怪我人も出たし、1年生の疲労も考慮したのだろう。
昼食後、上級生2名が明日のルートの偵察に出かけた。残りのメンバーは空身で上流の二股まで沢登りの足慣らしに出かけた。
夕食を終えた頃から雨が降り出し、次第に本降りとなった。見る見るうちに増水し50センチほど水位が上がった。テントサイトは水面より2〜3m高いところにあったが、上級生は夜中に何度か水面の高さをチェックしていた。
トッタベツ川をつめ、天上の楽園七つ沼へ
7月30日(月) 曇 泊地 5:40 → 6:10 5mの滝 → 6:35 ゴルジュ 7:00 → 7:15 15mの滝 → 7:45 二股 → 8:15 三股 → 9:00 草付き → 10:05 トッタベツ岳東尾根中腹 昼食 11:15 → 11:35 トッタベツ岳東尾根 → 12:40 七ツ沼
三股から中ノ沢をルートに遡行開始。今日は1年生の荷物の半分くらいを3、4年生に移したので、2年生のザックが1番重くなった。
最初の滝は左岸を高捲きした。1年生は草付きを攀じ登るのに苦労している。2番目の5mの滝は左側の岩場を登ったが、トップのSが3mくらい登った所で足を滑らせ滝壺に落ちた。Sが滝壺に沈むのを僕は呆然として見ているだけだった。Sがぽっかり浮かんできたのと、リーダーが滝壺に向かってジャブジャブと沢の中を突進していくのが同時に見えた。ザックが浮き袋の役目を果たしたのかSは浅瀬に向かって流れリーダーに引き上げられた。僕はとっさに救出に動いたリーダーの行動に感心していた。Sは眼鏡を無くしていた。みんなで水の中を探したが見付けることはできなかった。Sは眼鏡をなくしてこれから多少不便になるだろうが2年生の意地で平静に振る舞っていた。
ゴルジュが現れ直登できそうだったがリーダーは慎重を期して右側の高捲きを選んだ。1年生は荷は重い上にホールドがない草付きなのでモタモタしている。潅木の枝や草の根もとを押さえつけるように握って身体を引き上げるしかないのだが、滑り落ちれば無傷では済まないので恐怖感で身体が動かないようだ。それでも何とか登り切ると、続いて15mの滝に出合った。これも右側の捲き道を登る。滝の落ち口のすぐ横を通るのでスリルがあった。
それから二股に出て、両方の沢に踏跡があったが左を取った。次第に沢は狭まり、三股になった。今度は右側を選ぶ。水量は少なくなったが溝状の急な岩場を1年生は怖々と登って行く。源流に近付いたのでポリタンに水を満たした。やがてウサギギク、アオノツガザクラ、エゾツツジの咲き乱れる草付きに飛び出した。ほっとしたのも束の間、踏跡はヤブの中に消えていた。仕方なくヤブの中に突入。横幅のあるキスリングザックはヤブを漕ぐのにまったく適していない。ザックが小灌木の枝に引っかかり押し倒すのに物凄く力がいる。押された枝が跳ね返って後続者の顔にムチのように当たることもある。根曲がり竹が密生していて足が地面に着かない。根曲り竹を踏む付けても登山靴が滑って足が前に進まない。急斜面のヤブを30分も漕いでいると次第に足が重くなってきた。このままではダウンするかなと思っていると、1年生のFがダウンしてしまった。上級生がFにハッパをかけるが動けそうもないので、Fのザックを置いて空身にさせ、登高を再開した。この間に僕は元気を取り戻していたが、1年生が遅れがちなので幾分ヤブが薄くなった所で「タルミ!」の声がかかって昼食休憩となった。3年生がFのザックを回収に行った。
昼食後、登高を再開した。しばらくヤブが続いたが遂にヤブを抜け出した。草付きをまずまずのペースで登るとトッタベツ岳東尾根の小ピークに達した。稜線向かい側に七ツ沼が見えた。湖畔に豆粒のような人影も見えた。「ホーヤァー」とTWV独特のコールをかけると、「ホーヤァー」とコールが帰って来た。U隊幌尻コースの連中であろう。後は下るだけなのでまた休憩した。幌尻岳が実に大きく見えた。幌尻とトッタベツ岳の稜線から落ちる七ツ沼カールが雪田を抱え美しい。カール底にいくつかの沼が点在していた。桃源郷を見ているような気がした。
七ツ沼カールへの道を探してトッタベツ岳に向かって歩いて行くとすぐに七ツ沼への道があった。一気に下ったが滑って尻餅をつく者が多かった。七ツ沼カールに下り立つとU隊の連中が迎えてくれた。彼らのテントの横にテントを張った。一番大きな沼の畔だった。実に気持のいいテントサイトだった。
強風雨に襲われ七ツ沼で2日間停滞
7月31日(火) 雨
夜半より雨が降り続き、風も強くなってきたので停滞することになった。気象係が短波ラジオを聞いて天気図を作ると、前線が北海道付近に停滞していて台風9号が九州に接近していた。新品の青いビニールテントは防水が悪く、強い風が吹き付けるとテント内は霧雨状態になるのでシュラフが濡れてくる。強風でテントが飛ばされそうになりみんなでポールを必死に支える。薄っぺらなテントなので破れたらどうなるのかと心配だった。飯も作れないので乾パンをかじって飢えを凌いだ
8月1日(水) 雨
今日も風雨強く停滞となった。2日もテントの中でじっとしているのは辛い。午後になると雨が止み時折晴れ間も出てきた。明大ワンゲルもテントを張っていたのでエールを交換する。夕食は2日ぶりに薪を燃やして食事を作り、満腹した。
七ツ沼カールを攀じ登り、トッタベツ岳を経て、ポンチロロ川へ
8月2日(木) 晴のち曇 泊地 4:15 → 4:40 稜線 → 5:45 トッタベツ岳 → 7:10 北トッタベツ岳 → 8:45 1916mピーク → 10:35 1958mピーク → 16:35 ポンチロロ川が西向きになった地点
暗いうちに起きて炊事の支度をする。雨が降っていないのがうれしい。順調に食事を終え、テントを撤収して七ツ沼を出発した。背中に朝日を浴びながら七ツ沼カールの急峻な草付きの中の踏跡を登り始める。転んだら下まで落ちてゆきそうな急斜面でおまけに道がぬかるんでいるので緊張しながら登る。稜線に出ると強い風に帽子が飛ばされそうになった。左に行けば軽く幌尻岳に登れそうだが僕らの隊の予定にはないので右の痩せ尾根をトッタベツ岳に向かう。頂上にはU隊が先着していた。彼らはトッタベツ川に下るので集中地での再会を期して別れる。
北トッタベツ岳へはお花畑の中の気持いい稜線漫歩だった。1916m峰の先で昼食となった。飯を済ませるとシュラフをザックから取り出して乾かす者多し。久し振りの陽光が有り難い。
道はしっかりしているが案外時間がかかり、1958mのピークで休憩した。ピパイロ岳が間近に見えてきたが、ピパイロ岳往復は諦め、鞍部より北側のカールを下り始めた。急斜面の草付きを慎重に下り、ガレ場を過ぎると傾斜が緩やかになり、小さな流れが現れた。ポンチロロ川の源流だ。流れにそって下ってゆくとやがて森林帯にはいった。透明な水が木の間を自由に流れてゆく。こんな光景を見たのは初めてだった。幻想的で美しい。身体は疲れきっていたが心が浮き浮きした。1年生は足許がふらついて流れに中で転ぶ者もいた。次第に流れは水量を増し、明瞭な沢となって木々と分離した。最初のゴルジュが現れ水際を通れたが、2番目のゴルジュは左岸を捲いて下りた。4時を過ぎ辺りは大分暗くなってきた。テントサイトを捜しながら下るがなかなか見付からない。やむを得ず沢沿いでオカンすることになった。ポンチロロ川が西に向きを変える地点の右岸だった。
沢幅は5m位で静かな流れだった。岸辺にカマドを作り、薪を集めて炊事をした。暗闇になるまでには食事を済ませ、それぞれに寝心地の良さそうな所にシュラフを拡げて潜り込んだ。1年生はオカンをするのは始めてのようで寝られないことだろう。
23時頃より雨が降り出した。
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昼休みは至福の時間 |
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トッタベツ岳(手前)と幌尻岳(奧) |
チロロ岳(左)とルベシベ山(右) |
台風による大雨で恐怖のビバーク
8月3日(金) 強風雨
午前0時頃より雨脚が強くなってきた。1時半、みんな集まってテント本体を被って雨を凌ぐ。3時半に食事当番が薪を焚こうとしたが、濡れている薪になかなか火がつかない。2年生が手伝って何とか火をつけ、飯ごうと大鍋で飯と味噌汁を作った。食事をしているうちにカマドに水が上がってきてあっという間に水没した。慌てて食器を回収して岸辺を離れた。上級生がテントサイトを探しに行き、少し下流に笹原を見付けたので移動した。水位は確実に上昇している。テントサイトは流れより5mは高いので水に流される心配はないが、笹を踏みしめただけでグランドシートを敷いたので、テントを張って中にはいると、グランドシートがぼこぼこして座り心地が悪かった。日高の沢は1日降ったら3日は通れないといわれている。リーダーは長期戦に備え食料の制限を命じた。一日中テントの中で空腹に耐えていた。天気図を取ると台風9号が北海道のすぐ近くに迫っていた。
風雨ますます強くなり、21時頃にはテント内に水が侵入してきた。日付が変わる頃には20センチ位の深さになった。もう眠るどころではない。雨具を着て丸めたシュラフに腰を下ろし夜明けを待った。テントを打つ雨音におののき、凄まじい沢の音に恐怖した。1年生は寒さに震えている。台風9号が真上を通過しているようだった。上級生が1時間ごとに沢の状態を見に行った。鉄砲水が発生すればここも安全とはいえない。まんじりともせずに台風が過ぎ去るのを待った。
8月4日(土) 雨
岩がゴロゴロぶつかる音が響いてくる。沢の水が荒れ狂っている。どしゃ降りの雨だ。なすすべもなく恐怖に耐えている。人間なんて大自然の猛威の前では無力だなと思った。それでも夜が明けてテント内が明るくなってくると何となくほっとする。心なしか雨も小降りになってきた。
10時頃に晴れ間が出てきた。僕らはテントの外に飛び出した。岸辺に下りて岩の上や木の枝にシュラフを拡げて乾かした。リーダーとサブリーダーが偵察に出かけて行った。岸辺で盛大に焚火をして、湯を沸かし紅茶と乾パンで昼食を取った。ラジュースを持参していないので温かいものを飲むのは久し振りだった。
午後は焚火の火を絶やさず濡れた物をかざして乾かすのに専心した。水を吸ったシュラフは物凄く重くなるので乾かして軽くしたいし、濡れたシュラフでは安眠できないからみんな真剣だった。陽光と焚火でシュラフや衣類が湯気を上げて乾いてゆくのは実に気分がよかった。朝のうちは茶色に濁った水が岩を転がして近付くのも怖かったが、着実に水は引き始めていた。濁りも少なくなったが白く泡立つ流れはまだまだ徒渉は危険であることを示していた。
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ポンチロロ川、大分水量は減ってきたが |
台風後のチロロ川を必死に下る
8月5日(日) 晴のち曇 泊地 5:40 → 8:25 チロロ川出合 → 9:20 チロロ岳からの沢出合 → 11:00 左岸より沢 → 11:15 昼食 11:45 → 13:25 北電飯場手前の右岸高捲き → 15:30 北電飯場
温かい米と味噌汁の朝食を取り、気を引き締めて沢を下り始めた。台風で荒れた沢をどこまで行けるか分からないが、とにかく前進する他はない。ポンチロロ川は水量が多くて徒渉は不可能だ。普段なら何でもないような支沢を慎重に横切って右岸を進む。狭い所はヤブを漕いで捲き、広いところは河原を歩いた。ポンチロロ川が少し右に曲がると正面に青い空をバックにした緑のチロロ岳が見えた。その麓をチロロ川の本流が流れていて、ポンチロロ川は直角に流れ込んでいた。合流する手前でポンチロロ川は川幅がかなり広くなり、大きな岩の間を幾筋にも別れて流れていた。おかげで飛び石伝いに左岸に渡ることができた。徒渉せずに渡れたのは本当にラッキーだった。チロロ川とポンチロロ川が合流し水量は一段と多くなった。そのまま左岸を進む。5メートル程の滝が現れ横を捲いて下りた。物凄い音を立てて水が落ちてくる。両岸が狭まってくると沢音がゴーゴーとのべつ幕無しに響き渡り精神を圧迫する。
チロロ岳から流れてくる沢が2筋になって合流した。計画ではこの沢を遡行してチロロ岳に登ることになっていたが4日も停滞をしていたので省略せざるをえなかった。
チロロ川の傾斜は少し緩やかになったが多くの沢を集めていまや滔々と流れている。河原の土は濡れていて、生々しく切り裂かれた流木が散乱していた。昨日の流れの凄さを物語っている。千栄からの林道終点が右岸にあるので、どこかで右岸に渡らなければならない。徒渉点を探しながら歩いて行くと、川幅が20mくらいに広がっている所があった。澄んだ水が川幅一杯にゆったりと流れていた。底の白い小石がよく見えた。何と美しい沢だろう。僕はしばし見とれていた。しかし流れの速さと太股にかかりそうな深さを考えれば相当の水圧がかかるのは間違いない。下流を見ると5mほど下には段差があり、その先は川幅が狭まり流れが急になっていた。もし流されたら一巻の終りになるかもしれない。陽光が燦々と降りかかりチロロ川は美しく輝いていたが、その裏に危険な香りを秘めていた。
リーダーは徒渉を決断した。今回初めてザイルを使うことになった。ワンゲルでは普段ザイルは使用せず細引きを個人装備で携帯することにしていた。今回は沢登りが多いということで上級生がザイルを持ってきたようだ。上級生がトップで渡り、対岸でザイルを確保した。1年生から順にザイルにつかまりながら渡り始めた。案外順調に渡り終えた。僕の番になって渡り始めたが、一番深い所では太股の上まであり水圧は想像以上だった。片足をすり足で20センチほど横に移動する間に4〜5センチ下流に押されるような感じだった。それでもザイルを握っているので安心感があり問題なく渡りきった。全員無事に右岸への徒渉を果たしほっとした。
そこからしっかりとした道もあり順調に歩いて行くと、河岸段丘状の大きな岩の上を滑るように水が流れ、末端で滝になって深いブルーの淵になっている所があり目を奪われた。その景色を横目に岸辺のテラス状の滑石の上を早足で通り過ぎると、川幅が狭まり、川筋をヘズルのが危険なので大きく高捲いた。岸辺に下りた所で昼食を取った。いつの間にか谷間は雲に覆われていた。対岸の大きな沢から褐色の水が流れ込み、水量が一段と増して押し合いへし合い相当な速さで流れていた。もう渡ることは不可能だった。
それから40分ほど下りてゆくと、右岸に高い崖が続き、落差50mくらいの滝が流れ込んでいた。トラバースは不可能だった。一瞬ここで進退窮まったのかと思った。右側のザレ場の急斜面を高捲きできないか上級生が偵察に出た。僕らは不安を抱えながら休憩していた。上流で雨が降り出したのか茶色に濁った水が勢いを増していた。しばらくして偵察が戻ってきて高捲きできそうだということだった。僕らはザックを背負って急斜面に取り付いた。崩れやすいザレ場を這いつくばるようにして登った。高度にして50mは登ったと思われる所で左側の潅木に分けいりトラバースすると岩の斜面にぶつかった。さらに登ってトラバースすると沢がチョロチョロ流れていた。滝を越えたのは間違いなかった。沢を渡ると道があった。その先はるか下に飯場が見えたので1年生が歓声を上げた。導水用と思われる黒いゴムホースが道に沿って敷かれていた。その道を行けば必ず飯場に着くだろう。みんなほっとして急な細道を最後の力を振り絞って下り、北海道電力の取水口工事現場の飯場に着いた。
上級生が飯場の方にテント設営のお願いに行くと、飯場の部屋に泊まって風呂にはいれといってくれたそうだ。これは丁重にお断りして飯場前の平らな砂地にテントを張らせてもらった。林道の状況を聞くと、10数箇所の橋のうちまったく被害のなかったのは2箇所だけだという。作業員が通れるように仮設の通り道はできているが、千栄も日高村も孤立していて連絡できないということだった。台風の被害の大きさにびっくりした。電話は不通だが北電の私設電話は通じているというので西達布の集中地にある本部に無事下山したことを連絡してもらった。
夕食後、飯場にお邪魔していろいろ話を伺った。テントに引き上げるとき、スイカ2個とビスケット数袋を頂いたのには驚いた。こんな山奥でスイカを食べられて感激した。
夕刻より雨が降り出していた。
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チロロ川、最後の徒渉 |
台風により林道の橋は通行不能に
8月6日(月) 雨 泊地 5:25 → 5:50 無名沢飯場 → 6:20 二岐沢飯場 → 10:30 昼食 11:00 → 12:10 製材所 → 13:20 千栄 → 14:25 沙流川にかかる橋 → 16:30 日高村高校
北電の飯場を辞して千栄に向かう。道は所々荒れていたが、落ちた橋も丸太が渡されていたので人間は通れることができた。二岐沢まで1ピッチで行けたが、2ピッチ目も40分ほど歩いたとき、橋を修復中の作業員がこの橋を渡っても右岸には戻れないということなので右岸を進むことにした。工事関係の若者が空身で崖に張られた針金をたよりに水面すれすれを軽業のようにトラバースしていった。すぐ下をチロロ川がゴーゴーと流れている。落ちたら一巻の終りだ。それは無謀すぎるのでリーダーは下草の生い茂る暗い樹林帯を高捲きすることに決めた。しかし途中に大小の崖があって、これを越えるのが非常に大変だった。特に高さ10m位の崖の上を高巻いて下るところが垂直に近い難場だった。ザックを細引きで基部まで降ろし、空身で下降した。滑落したらそのまま濁流渦巻く川に落ちそうな所だった。100m進むのに1時間半もかかってしまった。その後もトラバースに苦労した所が1箇所あったが、10時半には林道に下り立ち、後はしっかりしたトラック道を歩けるようになった。
ここで昼食を取った。人里も近くなりようやく安全な場所に帰還した。ここからは街道歩きである。集中地まで90Km近くを3日で歩かなければならない。
9時頃から降り出した雨は止む気配がない。途中で函館西高の消息を聞かれた。台風で足止めになっているパーティーがいくつかあるようだ。千栄の街道を列になってドカドカ歩いていると里の人が不思議そうに僕らを眺めていた。
沙流川に突き当たって橋を渡ると、すぐ下流でチロロ川が沙流川に合流していた。ポンチロロ川はチロロ川になり、沙流川になって太平洋に流れてゆく。
千栄から2時間歩いて日高村に着いた。村人にテントを張れる場所がないか聞いたら、日高高校のご厚意で体育館に止めてもらうことになった。炊事場も使わせてもらい大助かりだった。食後に北電の飯場で頂いた2個目のスイカのを食べた。今日の街道歩きで1年生を中心に足にマメができた者が多く、手当に腐心していた。雨風の心配なく寝られるのは本当に有り難かった。
洪水被災地を横目にそっと通り過ぎる
8月7日(火) 曇のち雨 泊地 4:40 → 6:10 峠 → 7:15 双珠別 → 8:45 中央 9:25 → 10:00 トマム川 → 11:35 湯沢 → 13:05 峠下 → 13:55 峠 → 14:20 峠を下りた所
日高神社の前で道が分かれていて、右手の新道を行く。富良野の集中地に向かって一路北進する。緩い峠の道を登る。歩き始めは靴擦れで足が痛い。ぎこちなく歩き始めるが10分もすると痛みが薄れてくる。少し下るとアリサラップのバス停があった。トップはかなりのペースで飛ばす。1年生が必死に付いてくる。未舗装のバス道をひたすら歩いて双珠別に出た。占冠村は浸水被害が大きかったようだ。畳やタンスなどが家の前に拡げられている。床上まで浸水したようだ。畑もまだ冠水しているところがあった。こんな広々とした平地で川が氾濫するというのは信じられなかった。呆然としている被災者の横をドカドカ歩いて行くのはまことに申し訳ないような感じがした。村役場で金山までの道を聞き、さらに北上する。日高村や占冠村は交通や通信が途絶していて未だ救援がはいっていないようだが、人は何とか往来できるようだ。
峠下近くで雨が降り出した。峠の手前で2回目の昼食を取る。峠を下り、少し先の道端でテントを張った。雨が降ったり止んだりする中で食事を作って食べた。
街道をバンバン飛ばして集中地に到着
8月8日(土) 曇 泊地 5:00 → 7:10 朝食 7:35 → 9:00 下金山 → 10:00 東山 → 11.10 神社 12:40 → 13:15 西達布 → 14:45 集中地(東大演習林)
3時に起床したが、4時半になっても飯ごう1発も炊けず、リーダーは味噌汁だけを啜って出発を命令。パッキングの遅い1年生3名が怒鳴られる。金山を通過、十梨別で乾パンの朝食を取った。
下金山辺りで陽が差してきて暑さが厳しくなってきた。この日は僕がトップだった。街道歩きも3日目で1年生はマメに苦しみ、歩き出しは足が痛くて早く歩けないようだった。そこで10分間はゆっくり歩き、残りの40分を時速5Kmのペースで飛ばすことにした。初めは痛さに顔をしかめてよたよた歩き出すが、10分も歩くと痛さになれてくるのかスピードを上げても付いてきた。
西達布手前の神社で朝出来上がらなかった飯ごうに水を加えて炊き直した。合宿も終わり頃になるとみな大食いになり2人で飯ごう1発では足りないくらいだ。しかし米の飯を食べてみな元気を取り戻した。
最後の1ピッチでは1年が少し遅れ気味になったが、上級生からハッパをかけられ隊列が間延びしないように必死に歩いた。そして遂に本部隊員や先着隊の出迎える集中地に到着した。集中後、1年生の4名が熱を出してダウンした。マメを化膿させ、体力の限界まで頑張っていたのだろう。よく頑張ったと思う。
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街道をひたすら歩く |
集中地にて(千呂露隊) |
集中地にて
9日は台風10号崩れの低気圧が北海道を遅い、再び強い雨に見舞われた。北海道は先月末から前線が停滞していて、そこへ台風9号、10号が相次いで襲い、30年振りという大雨で各地で洪水が起こり、人的被害も発生した。僕たちの合宿もこの悪天候により悪戦苦闘を余儀なくされた。特にトッタベツ川を下っていたU隊は増水した沢に閉じ込められ恐怖の日々を送っていた。トッタベツ川は一旦増水したら逃げ場のない危険な沢だった。U隊は4日間かけて登山道入口近くまで下りてきた所で橋が流されていて立ち往生した。その地点に合計34名が集まっていたという。6日の夕方にようやく救援隊がやってきてザイルを渡してチロリアン・ブリッジで脱出できたという。
また芦別岳に登った隊は至近距離で熊と遭遇し、ザックを置いて麓に避難した。翌日ザックを回収に行くと、熊はいなかったがザックは沢の中や岸辺、ヤブの中に散乱していた。ビリビリに破かれたザックや爪で穴を開けられた飯ごうもあった。1人のザックからは財布が流されていたという。
ワンゲルでは幸い大きな事故は起こらなかったが、トッタベツ川で学習院大学ワンダーフォーゲル部の1年生が流されて遭難死している。最も弱い1年生が犠牲になったことは誠に痛ましいことだった。
8月11日、合宿は現地解散して終了した。北海道電力の飯場の皆さん、日高高校の先生など、多くの方々に心からお礼を申し上げたい。
解散日は晴れていて北海道の大草原が印象的だった。
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北海道の大草原 |
合宿解散後、ヒッチハイクで札幌へ
現地解散した後、僕は悪友K君に札幌までヒッチハイクしようと誘われ付き合う羽目になった。僕はヒッチハイクなどできそうもなかったが、K君が通りかかる車に手を上げていた。僕は乗せてくれる人などいないだろうと思いながら国道を滝川方面に歩いていた。車は滅多に通らなかったが、1時間くらい歩いたとき、通り越した乗用車が止まってくれた。K君が札幌方面に行きたいといったら、30半ばの男性が「ちょうど札幌に帰る所だから乗りなさい」といってくれた。まだ新しいトヨタのパブリカだった。ザックをトランクにいれて僕らは後部座席に座った。僕たちは北海道の山で合宿をして帰る途中であり、せっかく北海道に来たので札幌に行ってみたいと思ったと話すと、Sさんは僕らに興味を覚えたようだった。それから会話が弾んで、Sさんは自宅に泊まって行けといった。幾ら何でもそれはご迷惑でしょうと丁重にお断りしたが、是非といわれてご厚意に甘えることになった。
Sさん宅に寄って一休みすると、夕食に屋外のジンギスカン料理店にご家族と一緒に連れて行ってくれた。初めてのジンギスカン料理は本当に美味かった。
それにしてもSさんには大変お世話になった。北海道の人々の大らかさ、親切さが身に沁みた。
翌朝、Sさん宅を辞し、バスで支笏湖に向かった。支笏湖から樽前山に登り、その日は湖畔でオカンすることにした。残っていた米で飯を炊き、ツモの得意なK君がキャンプ場の炊事場に捨てられていた昆布の佃煮を見付けてきた。袋に3分の1ほど残っていた。それで2合の飯を食って満腹になった。夕陽が沈んで暗くなって行く湖が妙にロマンチックだった。
翌日、函館から青函連絡船に乗った。暑苦しい船室を逃げ出し船尾デッキにシュラフを拡げて海を見ていた。白く泡立つ航跡に月の光が反射していた。
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札幌市のSさん |
樽前山より支笏湖を望む |
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