1999年11月3日。前々から一度は行ってみたい,と思っていた『うたごえ喫茶』に行ってきました。昭和30年代前半から学生運動時代を経て,カラオケの登場までは隆盛を誇った『うたごえ喫茶』ですが,いまとなっては探すのもひと苦労のようです。が,最近は隆盛当時のお客さんの年齢層向けの雑誌にたまに取り上げられることも多いようです。
そんな『うたごえ喫茶』ですが,生物学的年齢が(当時)27歳であるところのぼくには,果たして合うか,合わないか!?
東京都荒川区の寮から,都電で大塚>山手線で新宿,と乗り継いで,新宿東口までやってきました。新宿には,老舗を含めて何軒かの『うたごえ喫茶』が営業しています。祝日の夜,新宿東口には,カップルがいっぱい。毎度毎度思うのですが…打ち落としてやりたい,なんて嫉妬が。(^^;) うずまき星人から光線銃を借りて,ヤツらをナルトにしてしまいたい。(笑) こちとら,この11月第1週で,彼女いない歴満6年だっちゅ〜の。(爆)
で。そもそも,ぼくが(生物学的には27歳(1999年11月6日現在)なのにもかかわらず)うたごえ喫茶に一度は行きたい,と思っていたかというと…学生時代の合唱団での経験が大きいんです。ぼくの所属していた合唱団というのが,うたごえ運動に端を発するものだった,ということがあります。
うたごえ運動とは,太平洋戦争の終戦(戦争中はもちろん非合法)から70年安保の終結までの間には盛んだった,うたを通じて団結し,さらにうたを通じて政治的主張もしていこう,という運動を指します。こうした運動に根ざしたうたの輪は,労働組合や学生組織を通じて政党につながり…といった構造をとっていて,労使協調なんてなかった時代には,管理職や大学当局からは白い目で見られていたことは容易に想像できます。わが向岳合唱団は,70年安保での火災〜廃寮を契機に,大学学生寮の寮内サークルから大学公認のサークルへと転換し,直接的政治主張をあきらめることで歌い続ける道を選んだ,のだそうです。(ぼくの母校でも,安保闘争に伴う学生寮の攻防はすごかったらしく,今でも使われている,当時当局が建てた管理型寮では,当時のなごりで,加入電話契約が解禁されたのが1990年代に入ってから,という念の入れようでした。)
一方,うたごえ喫茶の方はどうかといえば,レパートリー的にはうたごえ運動で歌われたうたあり,当時の流行歌あり…さしずめ,そうした歌をうたいたいひとびとが集まるたまり場のようなものだったのではないか,と想像します。しくみについては,あとでくわしく。
そういう生い立ちのせいか,ぼくのいた合唱団のレパートリーには,うたごえ運動の中で歌われてきた曲(ロシア・ソビエト歌曲,労働歌など)が含まれています。少なくともぼくが現役団員の頃には,この手のレパートリーに関しては,うたの持つ政治的主張に対する解釈は団員個々に任せ,主張を裏打ちしていた大きな音楽的魅力に対してみんなで共感していこう,というアプローチをとっていたはずです。そのおかげで,いわゆるふつうの合唱曲以外に,ぼくはいろんなロシア・ソビエト歌曲や労働歌に接することができました。…けど,こういううたをうたいたくても,歌える場所がない。それは,うたごえ運動全盛の頃に青春を過ごしたおじさま・おばさまと同じです。(背負っている歴史には雲泥の差がありますが。(笑))
仕事もハマって,パチンコでもハマって,他でもいろいろハマって…さぁ,気分を換えるために,いざ入店!
前置きが長くなりましたが。(^^;)
今回行ったお店は,うたごえ喫茶の老舗・『ともしび』です。開店から全盛期までは,西武新宿駅前にありましたが,いまは靖国通りの新宿3丁目駅方向,1階がケンタッキーフライドチキンになっているビルの6階にあります。皮肉にも,通りの向いにはSHIDAX。うたごえ喫茶にとって替わった,カラオケのお店のビルです。(^^;)
開店(17時30分)してしばらくして入店し,まずはシステムを聞きました。チャージ(600円)+(持っていなければ)歌集(850円)+飲食代=支払い(税抜き,価格は1999年11月3日現在),ということなのですが,まぁ夜から朝まで徹夜でカラオケをするのに比べたらちょっと高め,といったところでしょうか。今回は,カクテル2杯と食事,それにチャージと歌集を合わせて3500円くらいかかりました。
うたごえ喫茶では,どうやってうたうか…ともしびの場合には,ステージタイムが何回か(11/3は5回)あって,その間は,客からのリクエストに沿って,司会者が演奏曲を選び,それを生伴奏でみんなでうたう,というしくみになっています。ちなみに,何曲リクエストしてもお値段は同じ。うたわにゃ損,なわけです。しかも,営業時間中のほとんどはステージタイム。食っているひまなどないのです!(笑)
ステージ,といっても,フロアが高くなっているわけではなく,楽器の前にスタッフやらその曲をリクエストしたお客さんやらが立って,伴奏に合わせて歌う,というものです。さしずめ,飲食ありの音楽室,といったところでしょうか。
さて,1回目のステージが始まるようです…。
1回目のステージ。1曲目は『翼をください』から始まりました。しばらくは,フォーク系ポピュラーが続きます。若めのお客さんから『風になりたい』なんてリクエストが来て…古いのを歌いたくて来たおじさま・おばさまは脱落。となりに座った常連のおじさまから『君若いんだからなんとかしてくれよぉ』と。…若かったんだ,おいら。(笑)
ぼくもいくつかリクエスト。ソビエト音楽から1曲(『心さわぐ青春の歌』)と,うたごえ系歌謡曲(『今,今,今,』…ここを読んでいる向岳合唱団関係者は,『やっぱりそれか』と笑っていることでしょう。)を1つ。『心さわぐ…』の順番が回ってきたら,スタッフの方が『リクエストを入れた方,前で一緒にうたってください』と。まぁいいか。青春だしぃ〜。(大嘘)こうなったら,遠慮もへったくれもあったもんじゃありません。ガンガンいきます。
うたごえ喫茶に行った一番の目的,それは『今,今,今,』をうたうことでした。ぼくはこの曲を編曲して,向岳合唱団でステージ曲にしたんですが,そのきっかけをくれたのが,昔のともしびの歌集だったからです。歌集をヒントに,国会図書館のレコード室やら,神保町の中古レコード屋やらをまわり,女声合唱になった『今,今,今,』のCD(合唱名曲コレクション17・『見上げてごらん夜の星を』[東芝EMI,CZ28-9090]に収録)やら譜面(女性合唱曲集『見上げてごらん夜の星を いずみたく作品集』[河合楽器出版部,現在絶版])やらを買い漁り…この曲がなかったら,ぼくの合唱生活は語れない,というくらい大切な曲です。(後日談。当時,やっとこさCDを見つけて帰宅したら…うちにそのレコードはもうあったんです。うちの父の上司が,録音を指揮した中村博之先生と同じマンションにお住まいだったので…。)
当時,うたごえ喫茶でこの曲にはまった方は多かったようで,お客さんの中にも『これが歌いたくて毎日通った頃があってね…』なんて方もいらっしゃりました。悲しい時,辛い時にこそ,ひとは生きているということを噛み締める…いまでもぼくをなぐさめ,励まし,勇気づけてくれる曲です。これをCDで聴くのではなく,腹の底から歌いたかった。そういう心境だったから…。
(尻切れとんぼですみませんが(^^;))こうして,ステージタイムと休憩をくり返し,最後のステージタイム(〜23時)まで居てしまいました。(^^;) うたっていると,時間はあっという間です。
翌日が平日ということあって,さすがにお客さんは少なくなっていました。が,そのぶん,常連さんやスタッフの方とお話しできる機会ができ,楽しく過ごすことができました。
最後のステージでは,ロシア・ソビエト音楽の定番中の定番・『アムール河の波』も歌えました。たいてい,うたう曲は斉唱かせいぜい2部合唱なんですが,これだけはなぜかみんなお約束のように4部合唱になっていました。
閉店の23時…名残惜しいですが,これでおしまい。きっとまた行くことでしょう。けど,誰と行こう!?その面子を探すことの方が大変な時代になっているようです。(^^;)