卒業


あの娘が振っていた真赤なスカーフ
誰のためだと思っているか
誰のためでもいいじゃないか
みんなその気でいればいい
真赤なスカーフ

書庫・雑記1の通り,ぼくは元々は「宇宙戦艦ヤマト」のファンです。ハロプロファンになってからは,テレビ版パート1のエンディング曲・「真赤なスカーフ」を聴くたび,「モーニング娘。」やハロプロのユニット・メンバーに限らず,(とくに異性の)タレントを応援したり,実生活でも,相手の意志が分からないまま誰かに思い入れたりするのって,こういうことなのかなぁ,と感じるようになりました。

片想い。

片想いほど不思議なものはありません。思い入れるひとの数だけ,そのひとの心の中に理想の異性がいる。仮に恋が実り,交際が始まったとしても,心の中の彼氏/彼女と,現実のそれとのギャップに悩むこともある。ええ,あるんです。ぼくがそうだったから(泣)。心の中の相手って,往々にして,自分にとっていちばんいいときで時間が止まってしまうものでして,進む時にそって変わっていく相手に対して,悩んだり,苦しんだり,時には恋敵や相手の親御さんなど,障壁となる現実に怒ったり,絶望したり。自分の想いが通じないときって,思い入れが大きいほど,そうなるものなんじゃないでしょうか。…そういうときの選択肢に,「その相手をあきらめる」というのがあります。相手をおとしめて自分を納得させる場合もあるでしょう。10年前のぼくがそうでした(また泣く)。

年が明けてからの娘。の動きの激しさを,ネット巡回を通して見て思ったのが,「ファンにも卒業が求められるようになったんだな」ということ。これは,ある方のページを読んでこちらからメール差し上げた中で書いたことです。ぼくは,娘。やハロプロについては,多少無茶でも何かしら変え続けないと,商売として続いていかないものなんだ,と,ある面割り切って接しています。変わっていく枠組みを見つめて,そこから新しい喜びを見つけよう,と。そうでないと,それは決して通じることの無い片思いとなって,ぼくはぼろぼろになってしまうから。現に,ぼろぼろになっている方もいらっしゃるはずです。恋の始まりの時に,それが終わることまで考えるひとは少ないでしょうから,終わりが見えた時の衝撃は計り知れないはずです。けれどぼくは,そこから逃げているくせにファンを名乗る。そういう意味を込めて,ぼくはいつも自分のことを「偽善者ですから…」と書いてはお茶を濁しているのです。

さて,ファンを「卒業」するという場合,ケースとして,

  1. 対象への思い入れと現実とのギャップに堪えかね,思い入れを捨てる/薄めることで解決を図る
  2. 対象を上回る興味が現れ,結果対象への興味が薄れる
  3. 実生活で,対象を捨てざるを得ない障壁にぶち当たる

…などが思い浮かびます。前述の「ファンにも卒業が求められる」というのは,この1つ目にあたります。これまでも,何らかの変化があったときには,それへの拒絶としてファンをやめる,というケースはあったと思います。が,昨夏の改編以降,事務所はそういうファン層がいることは織り込み済みで,良くも悪くも開き直って変化を提示しているのかな,と感じられるんです。たぶん,UFAに限らず,人気商売で一番怖いのは,世間全体が2番目のケースで動いていく場合だと思います。1番目のケースは,新しい視点が生まれる分「賭け」なり「勝負」であるといえますが,2番目の場合は明らかに勝負に「負け」た結果なのですから。ファン個人の視点から見れば,世間的に2番目のケースとなり,解散・脱退ということになっても構わないから,変化を望まない,というスタンスはアリだと思います。そういうファンの方の意に反して,事務所が無茶とも言える変化を打ち続けることを称して,ぼくは「ファンにも卒業が求められる」状況になっている,と考えています。

今は考えられませんが,きっとぼくにも,いつかはファンを卒業するときが来てしまうのでしょう。どのケースになるんだろう…1番目のケースはいやだなぁ。ぼくに幸せを分けてくれたひとたちに対して,後ろ向きにはなりたくない。きれい事ですが。


…これを打っている間,「muSix!」はレコーダに任せて,なぜか千葉テレビを見ていたんですが…そこで,昭和50年代を代表する,アナウンサー界の影のアイドル・大橋照子さんがナレーションをするミニ紀行番組が流れてきました。大橋さんは,株式市況・競馬・特殊番組(通信講義・受験口座・医師向け臨床症例解説…)だけだった日本短波放送に入社,いまの愛称・「ラジオたんぱ」が生まれた昭和50年代に,局としては経験の薄い,リスナー参加のバラエティー番組を成功させました。後にフリーとなり,昭和60年代に担当した中波番組・「ラジオはアメリカン」でも,代替わりを経て3代約10年という長寿の礎を築いた方です。スポンサーが,ゲーム業界のナムコ単独だった,というのも業界初であり,当時としては画期的なことでした。今でこそアニメ・ゲーム系番組はラジオ番組の大きなジャンルの一つですが,そういったジャンルを開いた功労者のひとりといえます。(世代的に,ぼくが「ラジアメ」に間に合ったのは,2代目の斎藤洋美さんのときからなので,大橋さんの存在は後で知りました。ぼくが娘。ファンになったときには,すでに娘。に中澤さんがいなかったのと似た状況ですね。)

ちなみに,この「ラジアメ」の構成作家・鶴間政行氏が担当する別番組・コサキン(これも化け物長寿番組ですね)のはがき職人からプロになった方のうちのひとりが,ANNSで矢口さんがたまに名前を出す,楠野一郎氏です(所属はニッポン放送じゃありません)。矢口さん→楠野さん→鶴間さん→大橋さん…とつなげるのは強引でしょうか?さらに蛇足。鶴間さんは,欽ちゃんのラジオ番組のはがき職人からスタートされた方ですから,巡り巡って中澤さんにたどりつきます。鶴間さんのいる(た?)「いいとも!」に中澤さんが準レギュラー,っていうのも。浅井企画ファミリー(大橋さん・斎藤さんは除きます)とハロプロ-UFAの縁って太いんだなぁ…そういや,「muSix!」の「キャイーン」も所属は浅井企画だよなぁ。

たまに,中波やネットラジオで,往時を偲ぶレギュラー・特別番組が組まれるんですが,ぼくも(気づけば,ですが)たまに聴いています。今では大作家である鶴間さんのトークも聴けるし。鶴間さんが斎藤さんをいじるサマは,さしずめ「ハロプロニュース」での中澤さんの梨華ちゃんいじりと,娘。メンバーの中澤さん・圭ちゃんいじりを合わせたような感じ。斎藤さんが三十路を迎えた時,「♪さんじゅ〜のあなた〜,さんじゅ〜のあなた〜,あなた〜はさんじゅ〜」なんて替え歌も投稿されていたし。(元歌は,分かる方だけ分かって下さい(^^;))…昔から,こういうの,好きなんだよなぁ(笑)。

今はハロプロにはまっているぼくですが,いつか来る「卒業」の後,メンバーの声・姿を振り返り続けることが出来るとしたら,ぼくは幸せに感じます。何年か後,何十年か後,振り返る気が起きるような,そんな幸せな「卒業」を迎えたい。ぼくはそう願って止みません。

…千葉テレビでは,また別のミニ紀行番組が。ナレーターは,なぜかまた大橋さんでした。

「モーニング娘。」2分割のプレスリリースの日に:2003.01.28
大幅加筆・ちょっと修正:2003.01.29