サイレント・オブジェクション


支持できないことについて,個人の好き嫌いに帰着することが明らかなことは,ぼくはここに極力書かないようにしています。「嫌い」というのはある意味その対象の個性の現れであり,その分「好き」というひとがいれば,それはそれでその対象は報われているということですし。何も,その「好き」という気持ちに水を差すことはないんですよね。ぼく自身,自分が支持しているものに対して「嫌い!」とはっきり言及するページを見ると,へこんだり頭に来たりするんですけれど,それと近い思いを,ここをご覧下さるみなさんに味あわせることは本意じゃない。

…そんな思いは,実生活でだけで十分。実は,10/19分で書いた友人は,その席上で「お前は,娘。だからいいんだろ,どうせ。俺はやつらを単体では芸能人とは認めない。ぎりぎり吉澤。」と言ったんです。彼は,娘。なりハロプロなりの,集団としての売り方を,ビジネスモデルとしては認めつつも,個人的な好みではない。だからこうはっきりと切り捨てることができるんですが…ぼくはその集団としての売り方を楽しむことに喜びを感じている。好き嫌いの話は好き嫌いの話として済ませたいのに,彼は引っ張ろうとする。そうやっていやがるヲタを見るのが彼はおかしいんだろうなぁ。なので,最近は彼には「ハロプロの話はもうさんざんしたから…」とお茶を濁すようになってしまいました。ええ,逃げています。

逃げる…というより,反論するだけエネルギーの無駄,というふうに考えてしまうこともあります。科学のように,たいていの場合答えが存在して,単に解明する技術が足りないからその答えが見つかっていない,というものならともかく。好みや信条のような,ひとの数だけ答えがある問題で討論することそのものは構わないんですが,それに決着をつけようとしたり,自分の意見が唯一の答えであると断定したり,反論を「自作自演ご苦労様です」などと陥れたりすることほど,実りのないことはない。職務や議会のように,ひとの数だけ答えがあるものに対して何かしらの決着を絶対に付け,誰かを従わせなければ(極端な話)立場上自分が死んでしまう,というものでない限り,ぼくはそんなことにエネルギーは割きたくない。力を割いているサマは,反論を受ける側からすれば見苦しくもありこっけいでもあるんでしょう。熱くなるだけ思うツボ。現に,ぼくにはそう思われてならないものが,いくつかあります。それや,それを運営する対象に向けて,ぼくがとる姿勢は…黙殺。こういう意地の張り方もあるんですよ,ということで。

2002.12.23