届かない想い









 






 眠りの底に沈んでいたはずの意識が浮上し、不意に目が覚める。
 重く感じる瞼をゆっくりと開けると、掠れた視界には見覚えのない天井が映りこみ、一瞬自分がどこにいるのか判らなくなる。
 ここはどこだろうか?
 ぼんやりとした意識で考えながら数度瞬きを繰り返し、漸く調査先で割り当てられた寝室だということを思い出す。
 一週間ばかりに及んだ調査は終了し、明日の撤収作業に備え身体を休めていたはずだ。
 常に張りつめていた神経は緊張から解き放たれたはずだが、連日に渡り張りつめていた神経はまだ、興奮状態にあるのだろうか。身体は鉛のように重いのに、眠りは浅く微かな刺激で目が覚めてしまったようだ。
 真砂子は疲労を吐き出すように軽くため息をつくと、刺激の元となった方へと視線を向ける。
「閉めたはずですのに・・・・」
 前庭に面したバルコニーへと続く窓が少しだけ開いて、レースのカーテンが冷たい風にゆらめいていた。
 初夏とはいえ山の夜はぐっと冷え込み、室内に張り込む風は身震いをしてしまうほど冷たい。
 その風で目が覚めてしまったのだろう。
 しめたつもりで閉めていなかったのだろうか?
 浄霊が終わり緊張から解き放たれたせいか、眠る直前の記憶は定かではない。
 ベッドから起きだし窓を閉めようと立ち上がったときになって、隣のベッドがもぬけの空だということにようやく気が付く。
 自分よりも精神的に疲れ果て、泥のように眠っていた麻衣の姿がそこにはなかった。
 浄霊がすむと同時に気を失うかのように、深い眠りに落ちそのまま昏々と眠っていたはずだ。おそらく朝まで・・・下手をすれば明日になっても起きあがれるかどうか怪しいぐらいに、その眠りは深かった。
 だが、今現在その姿がベッドの中にないということは、自分達が眠りについてから目を覚ましたと言うことになるのだろう。さらに窓が開いていることを考えれば、彼女が開けて庭に出たと考える方が自然だった。
 だが、この冷たい空気の中、外に出たのだろうか?
 真砂子は軽く眉を潜める。
 調査は終了し危険はないとはいえ、疲れ切っている身体にこの夜風はいいとは思えない。まして、上着が室内に掛かっているのをみると、防寒対策もせずに外に出たのだろう。このままでは疲労から風邪を引くのではないだろうか。
 麻衣のことが気がかりで上着を羽織ると、綾子を起こさないようにそっとバルコニーへと出る。
 バルコニーからは前庭へと降りる階段があり、麻衣はそこから外へ出たのだろう。
 広い前庭は見事なまでの薔薇の庭園となっており、満月の光を受けて静かに花を開かせている。
 昼よりも香りが強く感じるのは、他に気をとられる物がないからなのか・・・真砂子は、何かに惹かれるかのように薔薇園の中へと足を踏み入れてゆく。
 迷路のように入り組んだ薔薇の生け垣を彷徨うように歩いていく。
 薔薇は品種改良がされやすいらしく、種々様々・・・色鮮やかなまでに種類が咲き誇っていた。
 太陽の下で見れば鮮やかな色合いが、今は月の光を浴びて儚げに咲いている。
 綾子なら品種まで細々と言い当てることが出来ただろうが、真砂子には個々の品種まで空で言えるほど知識はなかった。
 だが、名前など判らなくてもこの薔薇たちが綺麗に咲き誇るために、どれだけ世話が大変なのか・・・それだけは、誰に言われずとも美しく咲き誇る花をみているだけで判った。
 丹誠込めて手入れをされた花達は、闇の中・・・淡い月光しか浴びて無くても、しおれることなく生き生きと咲き誇っている。
 麻衣の姿を探しながらも、鮮やかな薔薇に目を奪われながら、ゆっくりと歩いていたが不意にその足が止まる。
 花の中からさまよい出たかのように、一人の青年が立ちつくしていた。
 いつもかけてい眼鏡をかけてはおらず、少しだけ目を細めて切なげに上空に浮かぶ月を仰ぎ見ているその姿は、声をかけるべきか一瞬躊躇ってしまうほど、その横顔は見なれたものからどこかかけ離れているように見え、このまま何も言わずこの場から去った方がいいのではないだろうか。
 真砂子にそう思わせる、近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。
 だが、真砂子が身を翻すよりもさきに、青年のほうが真砂子の存在に気が付く。
「えー・・・と、原さんですよね? すみません、眼鏡掛けてないのではっきりと見えないんですが・・・・
 こんな時間にどうしたんですか? もう真夜中ですよ?」
 闇の中、月下の花園にいたのは麻衣ではなく優しげな顔立ちをした青年・・・安原だった。
 切なそうな表情はすでにどこにもなく、見慣れている穏やかな笑みを浮かべている。
 目が細められているのは眼鏡をかけていないために、真砂子の姿がはっきりと見えないのだろう。
 なぜ、眼鏡をかけてないのだろうか?
 不思議に思うが、安原の髪が湿っていることに気が付き合点がいく。
 おそらく風呂上がりのまま、散歩がてら庭に出てきたのだろう。
「窓が開いていたので風で目が覚めてしまったんです。
 そうしたら、麻衣の姿がありませんでしたので探しに参りましたの。
 窓が開いてましたから庭に出ていると思いますわ。
 調査の間ずっと散歩したいとずっと言っておりましたもの。
 安原さんこそこんな時間にどうなさいましたの? お風呂上がりではないんですか? 髪が濡れておりますわよ」
「ご名答です。シャワーを浴びたんですが、寝付けそうもなかったので真夜中の散歩としゃれ込んでみました。
 調査で、せっかくの薔薇を堪能する余裕はありませんでしたから」
「散歩をしゃれ込まれるのは構いませんけれど、髪が濡れたままでは風邪をひきますわよ?
 こんなに風が冷たいのですから」
「風邪を引いたら看病してくれますか?」
「あたくし、不調法で風邪を引かれた方の看病をするほど暇ではございませんのよ」
「手厳しいなぁ〜」
 さすがの安原も微苦笑を浮かべて、まだ濡れている髪を無造作にかき上げる。
 月の光の下だからだろうか。
 それともすっかりと湯冷めをしているのだろうか。
 いつもよりも青年の顔が白く、快活な青年というよりもどこか幽鬼的に見え、いつも真砂子が見慣れている少し癖のある好青年という姿とは違って見え、無意識に真砂子は足を一歩引いてしまう。
 ナルと同様に年齢を感じさせない所もあるが、あくまでも年相応の青年としてしか見ていなかった真砂子にとって、今目の前に立つ安原はまるで見知らぬ男を見ているような気がしてきたのだ。
 なぜ、そう思うのか判らない。
 ただ、先ほど・・・まだ、自分がここに来たことを知らず、月を仰ぎ見ていた安原が今まで見たことのない表情を浮かべていたから、そう思うのかも知れない。
 見てはいけない一面をのぞき見てしまったことに、後ろめたさを感じ、逃げるように視線を下げてしまった真砂子に気が付いたのか、気が付かなかったのか・・・淡い笑みを浮かべている青年の様子からではでは判断がつかない。
「谷山さんを探すんでしたら、おつきあいしますよ。
 いくら、調査は終わったとはいっても夜中に女性を一人で歩かせるわけにはいきませんからね」
 そう言ったときの安原は、良く見慣れた屈託のない笑みを浮かべて、真砂子を見下ろす。
「お疲れではございませんの?」
「お疲れでしたら、真夜中の散歩なんてしゃれ込みませんよ。
 原さんの方こそ大丈夫ですか?顔色があまりよくないようですよ」
「月の光でそうみえるのではないかしら」
 疲れてはいたが、冷たい風に当たって目は覚めてしまっていた。
 いまベッドに潜ってもすぐに眠れるとは思えず、麻衣の事も気がかりだった。
「では、一緒に探しましょう」
「お願いします」
 少しだけ後ろめたい気持ちはあったが、先ほどかいま見た安原は見間違えかと思ってしまうほど普通で、やはりただの思い過ごしか・・・・と真砂子の中で片づけてしまう。
 夜遅い故、声をだして麻衣を探すことはできず、ただ黙々と歩いていく。
 特に二人の間に会話は交わされなかった。
 安原とこうして二人連れたって行動することはほとんど真砂子にはなく、安原にたいして何を話しかければ良いのか判らず、気が利く安原の方からも時間を考慮してなのか、話題を振られることなくただ沈黙だけが漂っていたが、居心地が悪いということはなかった。
 庭を踏みしめる二人の足音と、風が葉を揺らす音のみが唯一の音と化す。
 沈黙は苦痛には感じず、心地よくさえ感じた。




 だが、その歩みは急に止まる。




 風に乗って微かな人の話し声が聞こえてきたからだ。
 柔らかなソプラノの声と、低く艶やかな抑揚の欠いたテノール。
 微かな声のため何を話しているのかまでは判らない。
 ただ、薔薇の生け垣の奥にできた空間に、二つのシルエットが月光に照らされて浮かび上がっている。
 まるで、真っ暗なステージの上でスポットライトを浴びているようにさえ見えた。
 互いの腰に腕を回し、親密な雰囲気で寄り添うように。
 身を屈め滑らかな頬に唇を寄せ、涙が滲む目尻に青年はキスをする姿がはっきりと見える。
 微かにわななく唇が、何か言葉を紡ぐように動くと、青年は少女を腕の中に囲うように抱きしめる。
 真砂子は無表情に、二人を見つめていた。
 二人が、そういった関係であることは知っている。
 その距離をぐっと縮め、誰も二人の間に入ることは出来ないほど親密な関係であることを・・・・とうの昔に、知っていた。
 少女本人の口から聞かされる前から、察していたことだった。
 己の想いは成就しない事を知り、それでも一縷の望みを掛け・・・・いや、全てをふっきるために・・・・終わらせるために告白をしたのも、今はもう遠い昔の話だ。
 だが、こうして改めて見てしまうと、心の奥がざわめく。
 まだ、どうしようも出来ない己の想いに振り回され、鉛でも飲み込んでしまったかのように身体の奥が重くな
り、己の意志では一歩も動けずただ立ちつくしていた。
 隣に、自分以外の人間がいることも忘れて。
「戻りましょうか?」
 身をかがめ耳元でささやかれて、真砂子は思わずぎょっとして身を引く。
 そうだ、この場にいたのは自分だけではなかったのだと言うことを漸く思い出す。
 目をまん丸に見開いて見上げる真砂子を、安原は苦笑を浮かべながら微かな声で囁く。
「気がつかれたくはないのでしょう?」
 しっとするように唇に人差し指を当ててささやくと、真砂子は無言で肯き返す。
 麻衣が一人でないのなら、心配する必要はない。
 彼が、側にいるのならなおさらだ。
 彼ならば例え何があろうとも、彼女のみを第一優先に守るだろう。
 逆に自分達がこの場にいることを知られてしまう方が、双方共にとって居たたまれない思いをするに違いない。
 安原は承諾の意を言葉では告げず、そのまま真砂子の手を引いて、元来た道を戻り始める。
 引かれるまま真砂子は黙って歩いていく。
 月明かりに照らされたナルは、とても綺麗だった。
 アラバスターのような肌が月光を浴びより白さを際だたせ、軽く伏せられた闇色の双眸が愛しげに少女を見つめていた・・・その表情は一度も真砂子が見たことがない表情で、一瞬で思考の全てを奪われるほど美しかった。
 そんなナルに見つめられた少女・・・麻衣も、自分が見たことがない艶やかな笑みを浮かべてナルを見上げていた。どこか切なそうな...やりきれなさそうな表情を隠しながら。
 そんな麻衣の思いを包み込むように、ナルは腕を伸ばし少女の華奢な身体を抱きしめていた。
 過ぎ去りし、古い記憶に傷つく少女を癒すように・・・・
 それが出来るのはナルだけで、彼しか出来ないこと。


 判っている。
 なのに、どうしてこの切なさは消えないのだろう。
 感情はどうして意思の力で、思うとおりにいかないのだろうか。
 意思の力でどうにか出来るのなら、こんなみっともないぐらいに自分の感情に振り回されずにすむというのに。


 来た道をただ黙って歩いていたが、ふいに足が止まる。
 どうしたのだろうか?
 そう問いかけようと顔を上げると、まっすぐに自分を見つめる真摯な目とぶつかる。
 いつから、彼は自分を見ていたのだろうか。
 薔薇でも前でもなく、足下をずっと見て歩いていた真砂子には判らない。
 少し戸惑った表情を浮かべる真砂子を安原は真摯な目で見下ろしながら、たった一言を告げた。
「好きですよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
 思いにもよらない言葉を向けられ、真砂子は二の句が続けられなかった。
 まぬけにも程があるのだが、それ以外咄嗟に声はでなかったのだ。
 パチクリと、音が聞こえそうなほど瞬きを繰り返したかと重うと、うろたえるかのように真砂子の視線が当たりを彷徨う。
 その間も安原の視線はそらされることなく真砂子と見つめていた。
「あ・・・あたくしは・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 なにをどういえばいいのかとっさに言葉が浮かばず、しどろもどろになってしまう。
「判っています」
 なにをどう判っているのだろうか。
 全てを見通すような視線で見下ろされ、問い返すことができない。
 ナルのように有無を言わさない強い視線ではない。
 静かで穏やかな眼差し。だが、まるで自分では気が付かない・・・見えない部分すら、見通されてしまうような視線に耐えきれず真砂子が視線をそらすと、ふっと圧力が和らぐ。
「と、言ったらどうしますか?」
 和らいだのは視線だけではなく、空気そのもの。
「え?」
 何が言いたいのか判らず、おそるおそる伺うように視線をあげると、見慣れた表情を浮かべる安原がいた。
 よく、SPRの事務所で滝川をからかうときに安原が浮かべる顔だ。
「あたくし、滝川さんではございませんのよ。からかうのはよしてくださいませ」
 その顔を見てからかわれた。と言うことを理解する。
 間に受けた自分がバカのようではないか。
 安原の手を振り払うと、真砂子はバルコニーへと続く階段に足をかける。
「安原さん、麻衣へ伝言をお願い致しますわ。
 部屋の鍵は防犯のためかけますから、休むのでしたらナルの部屋でどうぞ。と。
 必ずお伝え下さいましね。
 それでは、お休みなさいまし」
 ぶりぶりと腹を立てて言い捨てると、一度も振り返ることなく真砂子は割り当てられた部屋へと戻っていく。
 カーテンの奥へと消えた真砂子の姿を最後まで目で追った安原は、苦笑を漏らす。


「馬に蹴られて死んじゃうじゃないですか」


 あんな良い雰囲気の二人に声をかける勇気はさすがにない。
 まさにでばがめ状態。
 人の恋路を邪魔するやつは〜を地で行くことになってしまう。
 幾ら安原でもそこまで無謀なことをするつもりはない。
 だからといってこのまま部屋に戻るわけにもいかなさそうだ。
 そのうち、飽きれば二人ともここへ戻ってくるだろう。
 だが、その前に寒さで凍える方がさきではないだろうか?








 そんなことを思いながら、空を見上げる。
 どこまでも澄み切った闇夜に浮かび上がる満月。
 だが、今はそれが微かに滲んだ光に見えるのは気のせいだろうか。








「判ります..................よ、好きな人に届かない想いを抱える重さは」










 安原の呟きを聞く者はいない。



















☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆<BR>
安原×真砂子は無理でも
安原→真砂子→ナル×麻衣
という、図式が私は好きなのかもしれないと、改めて思ったわ〜
周りの目を盗みながら、ちまちま打っていたのでございます。仕事途中放り投げて。
休み時間も入れて・・・1時間ぐらいのに、さらに描写を細かくしてみてUPでございます。
たぶん、久しぶりに書き下ろしたわん(笑)
イメージとしては「Love Phantom」に再録した「月恋下」のシーンを覗き見しちゃった、
安原と真砂子って感じかしらん。
で、いかがでございました?
この話を書こうと思った理由が、風呂上がりのまま安原がバラ園に立っている所を真砂
子が通りかかるつーシーンだったんだよねぇ。
安原も真砂子もそれぞれ、切ない片思いを抱えていて〜なかんじでー
初めてだよ。浮かんだシーンの主役が安原だって事は(笑)
ナルに当てはめて、麻衣に告白するシーンにしようかなぁとも思ったんだけれど、これなら
安原メインにしても書けるかなと。
これは私には珍しくイラスト的に浮かんだ話でございます。
薔薇の生け垣の中、たって、安原(ナル)が切なげな目で真砂子(麻衣)を見つめて、告白する。
空には滲んだ満月が浮かんで、薔薇の花びらが宙を舞って・・・・
そんな光景が浮かんだのでございます。
絵が描ければ絵で描きたかったものだわ!
生粋の文字書きなので、文字で頑張りました。

さて・・・最後に、ナル麻衣じゃなくてごめんねー(笑)



この話は芳野さんに捧げますーv
芳野さんとのメールのやりとりの最中に思い浮かんだから(笑)