藤の籠  











 全てを終えて、鳴瀧が戻ってきたのは日がかなり傾いてからのことだった。
 装束の下から見える、肌の上には細い布がきつく巻き付けられている。
 返り風によって、体中に無数の切り傷が刻まれ、血を滴らせていたのだ。その傷はまだ癒えきってはおらず、血が滲み出ている。
 痛みもかなりあるだろうが、怪我をしているそぶりなど欠片も見せることなく、鳴瀧は麻衣のいる部屋へとまっすぐ足を運んだ。
 体内に溜まった陰気により、伏せっていた麻衣はようやく身体を起こせるようになるまで、回復を見せ始めていた。本来ならば鬼によって傷つき、血を滲ませている自分はまだ麻衣には近づかないほうがいいと判断し、避けていたらやたらと麻衣がよけいなことに気を揉んでいると秋初月から聞かされ、体調が悪化しない程度の割合で、屋敷へ・・・麻衣の部屋へと足を運ぶようにしていた。
「お帰りなさい」
 顔色もよくなり、茵に横たわることなく起きていた麻衣は、鳴瀧の姿を見るなり笑顔を浮かべて近づいてくるが、首筋に巻かれている包帯に血が滲んでいることに気が付くと、秋初月にすぐ布と薬の用意をさせる。
 鳴瀧の衣装を脱がし、布を静かに外していく。
 透けるように白い肌に、引き連れた傷が幾本も走っていた。
 そのうち半分ぐらいは治りかけているが、特に深く刻まれた傷はまだ生々しく、血を滴らせている。それらを、清潔な布で丁寧にぬぐいながら、薬草を練って作った塗り薬を丁寧に塗布し、その上に布を当てて巻き付けていく。
 麻衣の好きなようにやらせていた鳴瀧だが、不意に口を開く。
「榊から無事全てが終わったと連絡が来た」
 鳴瀧は内裏への報告や、穢れた内裏の浄化などの作業に追われるため、長期都を留守にすることが出来ず、更衣のことはすべて榊に任せていた。
 榊が出家した更衣を連れて都を離れたのは、七日前のこと。
「宇治の山にある尼寺に身を寄せることが出来たと連絡が来た。
 名もないような小さな尼寺だ、貴人の目に触れることも無かろう」
 鳴瀧の言葉に麻衣は、微笑みを深くする。
「立遠様が今日、ご挨拶に来られたの・・・蝶子様を追って、立遠様も出家をして亡くなられて方々の菩提を弔うとおしゃってた」
 立遠は今回の件に全く絡んではいない。
 最後の最後で、麻衣が彼を呼ばなければ立遠は出家を思い立つことはなかったであろう。
「たとえ、同じ屋根の下で過ごすことが出来ずとも、同じ空の下で亡き方方の冥福を祈ることは出来るとおしゃって、出家を思い立ったと。
 そして、いつか・・・蝶子様の罪が仏に許され、来世で共に生きれる日が来ることを仏に祈ると」
 蝶子が犯した罪は重い。
 だが、きっといつか・・・と望みを託すことは罪ではないはずだ。
 彼女の手にかかった人が、この話を聞けば何を自分勝手なことをと憤慨するかもしれない。
 麻衣とて、蝶子の罪がけして許される物ではないと言うことは判っている。
 それでも、人の心を取り戻した彼女を罰する事は出来なかった。
 あの時、立遠の声にも耳を傾けることがなければ、調伏されるのも仕方ないと思っていた。ただ一人の声が届かないのならば、何者もの声も届かず、彼女はさらに許されぬ罪を重ねていくだろうと。だから、最後の賭に出たのだ。
 彼女の中にまだ「蝶子」が残っているのならば、きっと立遠の声は届くと思って。
 本当に望んでいた物が目の前に表れて、無関心でいられる人がいるわけけがない。
 そして、麻衣は賭に勝つことが出来た。
 立遠の声は蝶子の心に届き、頑なに閉ざしていた殻を破ることが出来たのだ。
 むろん、これから本当の贖罪の日々が始まるのだろう。
 もしかしたら、また鬼と化してしまう日が来るかもしれない・・・・
 だが、麻衣はきっと蝶子はもう己の闇に囚われる事はないだろうと核心を抱いていた。
 全てを捨てても一緒に逃げようと言ってくれた立遠の心が在る限り。
 自分と同じく出家をし、己が犯してもいない罪を共に、背負ってくれると言ってくれた立遠の思いがきっと、これからの蝶子を支えてくれるだろうと。
 なにより、出家をし、ありとあらゆるしがらみから解放された今、ようやく蝶子の望む時間が始まったのだ。
 静かで、何者にも患わされることのない平穏な時間が・・・・・・・・・・
 だが、この願いを聞き入れて貰うために、鳴瀧と榊に、朝廷を・・・ひいては帝を欺くよう願わねばならなかった。
「鳴瀧・・・・・・」
 麻衣の静かな声音に込められた思いを感づいたのか、鳴瀧は麻衣の額を軽く指先で弾く。
「別に、お前が気にするようなことは何もない。
 先日も言ったとおり僕は陰陽師だ。鬼を倒す方法は知っていても、人を裁く権利は持ってはいない」
「だけど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 もしも、この件が露見すれば鳴瀧も、榊も破滅する。
 帝直々に下された勅命を欺いたのだから。
「僕や榊がばれるようなドジをすると思うか?」
 むろん、この二人がそのような事態を招くとは思えないが、どこからほころびが生じるか判らないのが世の常だ。
「もう、全てが終わった。
 この事は、もう蒸し返すな。判ったな?」
 鳴瀧の言葉に麻衣は、こくりと頷くしかなかった。
 その後黙々と薬を塗り、着替えを手伝っていたのだが、身支度が調うと鳴瀧はおもむろに立ち上がる。
「鳴瀧・・・もう、私は平気だよ?」
 鳴瀧はほんの一時ですぐ、別の部屋に行ってしまう。
 陰気にこれ以上晒されないようにとの配慮からであることは判っているが、あの日以来ほとんど顔を合わせていないとなると、麻衣は寂しげに呟く。
 だが、月光に晒されている顔はまだ微かに青白い。
 頬は窶れてしまった面影がまだ色濃く残っており、柔らかなまろみを取り戻すまでには今しばらく時間がかかるだろう。
 その頬を覆うように両手で触れると、鳴瀧は身をかがめて額にそっと唇をよせると、さらりと・・・と絹糸のような髪を優しく撫でて、麻衣から離れようとするが、麻衣は鳴瀧の袖をそっと掴むとジッと鳴瀧を見つめる。
「麻衣・・・まだ、早い」
 麻衣の体調は完全に回復したわけではなく、また、この身から鬼の穢れが完璧に消えたわけではなかった。本来ならばしばらくの間は山籠もりでもし、身を清めねばならない状態なのだ。それを、屋敷内での清めのみをしているからまだしばらく払うのに時間がかかる。その状態で麻衣の・・・いいや、人の傍にいることは害以外他ではない。
 案の定、屋敷の中で幾人かが不調を訴え、宿下がりを許したばかりだ。
「あのね・・・鳴瀧、緑子様からしばらくの間だお休みを貰ったんでしょう?
 だから、その間湯治に行かない?」
 鳴瀧の袖をぎゅっと掴んだまま、麻衣は鳴瀧に湯治の話を持ちかける。
 麻衣とて我が儘を言っていることは判っていた。
 自分の我が儘のために、鳴瀧は屋敷で清めているがそれだけではなかなか払いきれないことも、鳴瀧は何も言ってくれないが判っていた。その事が屋敷の者達の体調を崩す原因になることも、鳴瀧にとっても身体的によくないことも。
「おじいさまの納める里の近くに出湯(いでゆ)の里があるの。
 傷にとても良く効くお湯だって、おじいさまが昔おしゃってたの。
 そこは人里離れているし、静かな所だし・・・・鳴瀧の身体にも良いと思うの。
 だから、もう少し鳴瀧の身体が良くなったら・・・湯治にいかない?
 そのためなら、少しの間、鳴瀧と会えなくても我慢する」
 否と言えば、麻衣はどうするつもりなのだろうか。
 鳴瀧はふとそんな意地の悪いことを思い浮かべるが、ふっと口元に笑みを浮かべると、麻衣を宥めるようにポンポンと軽く頭を叩く。
 それは、恋人にするというよりも、幼子にするような優しい仕草。
「出立は、七日後。それで良いのならば共にいこう」
 その言葉に麻衣は弾けんばかりの笑顔を浮かべると、鳴瀧の首に勢いよく抱きつく。
 その瞬間、鳴瀧の鼻先に麻衣が纏う香りが掠める。
 自分がどれほどの理性で押さえ込んでいるか、彼女は全く判っていないのだろう。思わず苦笑が浮かび上がるが、その背に軽く腕を回して抱き留めると、落ち着かせるように背を軽く叩く。
「それまで、僕は籠もって鬼の気を払う。
 しばし、こちらには足を向けることが出来ないが?」
「大丈夫。それまでの間に準備を進めておくね」
 鳴瀧から離れた麻衣の顔にはもう寂しげな表情は浮かんでおらず、心はすでに七日後に飛んでいるようだった。その変わりように呆れつつも、鳴瀧は麻衣の腕を掴んでその柔らかな唇に軽く口づける。
 息をけして吹きかけないように、気をつけながら。
「はしゃぐのは良いが、お前もまだ快調なわけではない。ほどほどにしておけよ」
「は〜い」
 幼子のように肩を軽く竦めながら返事を返すと、麻衣はクスクスと弾けるような笑みを零す。
「なにが、そんなに嬉しいんだ?」
「だって、仕事抜きでの遠出は初めてだから、今からとっても楽しみ。
 おじいさまの所にも寄っても良い?」
「そうだな・・・まだ、挨拶もまともに済ませてなかったから、寄ろう」
「じゃぁ、おじいさまにもお文を出さなきゃ!
 鳴瀧、絶対に七日後に出立だからね! 約束破ったら絶対に許さないからね!」
 指を突きつけて、念をお住まいに鳴瀧はお前ではないのだから約束は忘れないと軽く流す。
「僕のことよりも、はしゃぎすぎてぶり返したが為に、出立出来なくなったという事態になるなよ」
「判ってますよーだ」
 鳴瀧としてみれば自分のことよりもその方が可能性が高いように思えた。





 鳴瀧はこのご、しばしの間だ籠もり鬼の陰気を払うことに専念する。
 そして、七日後麻衣と共に京を離れることになったのだった。
 

 あれほど、浮かれていた麻衣の顔がなぜ曇っているのか、まだ鳴瀧は知らない・・・・・・
 















 ☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆


 やっとこさ、終わりましたー♪
 なんだか足がけ丸一年ぐらい経っているような気がします・・・・すみません。
 本当はこれほど時間をかけるつもりはなかったのですが。
 えへへへへ・・・やっぱ、同人原稿に追われているので、どうしてもサイトは後回しになってしまいますー(^^;ゞ 次の更新になるのか判りませんが、ちょっと次の話に続くわよ♪てきな匂いを残してみました。
 最後の一文で(爆)
 次回は一話完結か、二話ぐらいに納めたいなーとか思っていたり。
 今度もお題で、できればお色気ネタにふってみようかと思っていたり居なかったり。
 どうなるか、わかりませんが、ここまでおつきあい下さってありがとうございました。


 ご感想など、きかせて頂けると大変ありがたく思っていたりします〜
 ちなみに、誤字脱字時代考証のご指摘は勘弁して下さいね?
 何も調べず、無知の状態でやっているし、誤字はけっこう修正面倒でスルーしているところ在りますので(笑) 同人誌じゃないから、それほどきっちり、チェックしてなかったりするのが正直なところですー。
 いい加減ですが、そこまで時間かけていられないんだって事で見逃して下さいませ〜〜〜


ではでは、これにて物語は終わります♪




2005年 9月 24日 土曜日
Sincerely yours,Tenca




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