NO.6 いつまで囚われたままなのか





「ナル、んじゃ明日から四日間、恵子達と沖縄に行ってくるね」
 書斎の扉をリズミカルに3回ノックした後、返事を待つことなく麻衣は扉を開けて、顔だけを覗かせて室内にいるナルに声をかけた。
 パソコンのモニターに視線を固定していたナルは、普段ならその程度の用件では視線をずらしたりしない。まして、キーを叩く手を止めることもない。
 だが、ふいにキーを叩く音が止んだかと思うと、モニターを見ていた視線が麻衣へと向けられる。
「・・・・・・・・・・・・やだなぁ、そんな顔しないでよ」
 それが、どんな顔なのかナルには自覚がない。
 ただ、麻衣は何かを感じ取ったのか苦笑を浮かべながら、室内に入り込むと数歩の距離を縮め、背後からナルの首に手を回し抱きつく。
「あんなこと、そうそうないよ?」
 耳元での囁きにナルは軽くため息をつくと、麻衣の腕を軽く叩く。
「そうだな・・・・・・・・・・・・」
 呟きながら眼を閉じる。
 さらりとした感触が頬を撫でていく。
 麻衣が身を屈め顔をすり寄せてきたため、髪が頬を掠めて落ちていったのだろう。
 肩の上に感じる温もりを、ナルは言葉を発することなく感じながら数年前の事を思い出す。












 あれは、2年前の事だった。
 オフィスでいつも通り仕事をしていると、血相を変えた安原がノックをすることもなく所長室の扉を乱雑に開け放った。勢いよくドアは壁にぶつかり不快な音を響かせてドアは跳ね返り、勢いよく閉まる。
 その不快な行動に。また、彼らしくない行いにナルは眉間に深く皺を刻んで顔を上げた。
 めったに表情を崩さない安原の顔からは血の気が引き、明らかに強ばった顔にナルは不測の事態が起きたことを察するが、一体何が起きたのかまでは読み取れない。
 安原は乾いた唇を舌先で軽く湿らせると、引きつった喉から絞り出すように掠れた声で告げる。

 
「谷山さんの乗った飛行機が、羽田空港で墜落しました」
 
 
 それは、ナルの耳にもむろん届いた。
 日本語は母国語ではないとはいえ、母国語と同じように理解できる言語だ。
 安原が口にした言葉は、別段難しい事はなく理解するのに時間を要する必要はない。
 だが、とっさにナルは反応出来なかったが、無意識のうちに所長室からテレビのある事務室へと足を向けると付けっぱなしになっているテレビに視線を向けた。
 そこは羽田空港をフェンスの外から移しているのだろう。金網越しに無惨な姿になりはてた飛行機が映し出されていた。
 機体からは黒煙と赤い炎を吹き出し、あわただしく消防車が周りを囲み放水活動をしている映像が映し出され、リポーターが現状を興奮した口調で説明している。
 北海道発羽田空港行きエアーライン18時着211便が着陸に失敗し、発火炎上。
 現時点で生存者などもいるようだが、多数の死傷者を出しており詳細は不明と繰り返し伝えられていた。
 その説明をしている直後、激しい爆音と共に機体の一部が吹き飛び、その爆発によって消防車の一台も吹き飛ばされるという二次災害が起き始めていた。
「谷山さんが乗っているはずの飛行機です・・・・・・・・」
 ナルの後から所長室を出てきた安原が重い口調で、耳障りな言葉を告げる。
「現時点では生存者の名前は発表されてません。
 現場はかなり混乱・・・・・・・・所長?」
 ナルはそれ以上安原の言葉を聞くことなく身を翻すと、まるで何事も無かったかのような足取りで所長室へと戻っていく。
 安原はさすがのナルでもオフィスを飛び出すかと思ったのだが、いっこうに出てくる様子のないナルにしびれを切らし、乱雑にドアをノックすると扉を開けた。
「所長、羽田へは?」
 ナルにとってはまるで人ごとのように、ソファーに腰を掛けて本を手に取り読み老けている様子に苛立ちを隠しきれないまま、問いかける」
「僕が羽田に行って何の役に立つと?」
「ですがっっっ!」
「僕が行く事によって助けになるのならば行きます。
 ですが、今行っても何一つ有力な情報を得ることはできるとは思いません。
 現場はかなり混乱していることでしょう。なによりも、現在は立ち入ることが制限されているはずです。ならば、無駄な事はしないに越したことはありません」
 自分の恋人が墜落事故に巻き込まれたかもしれないという事態に陥りながらも、平然とした態度で「無駄なことはしないに越したことがない」と言い切るナルに、さすがの安原も殺意の一つや二つ覚えたが、ギリッと握りしめた拳をふるわせながら、視線をナルへと落とした安原は、大きなため息を一つ着くと、握りしめた拳から力を抜く。
「出来る限り情報を集めてみます。何か判りましたら連絡します」
 安原はそれだけ告げると、扉を静に閉める。
 素直ではない・・・・常々そう思っていたが、なにもこんな時までそんな態度を取らなくても良いのではないかと思ってしまう。
 平然としている様子を保っていた。
 だが、それがあくまでも表面的な事にしか過ぎないと、安原は気がついたのだ。
 いつものように優雅にソファーに腰を下ろし、分厚い専門書を読みふけっているように見えた。
 だが、足の上に置かれた洋書は上下が逆さまだったのだ。
 読もうと思えば読めなくはないがかなり読みにくいことには違いない。ゲームでもあるまいし、そう言う読み方をしようとは思わないだろう。
 本が上下逆さまになっていることに気がつかないということは、実際には呼んでいないと言うことになり、それだけ彼が内心動揺している事とも言えた。
「何が何でも駆けつけようとするものだろうけれど」
 我をなくすには自制心が強すぎたのかもしれない。
 ほんの僅かでも自制が働いてしまえば、感情のままに動くことを拒絶するかのように、彼は理性をなくすことは無かった。
 人間時には感情的になってしまった方が楽なときがある。
 だが、おそらく彼には一生感情的になるような事はないのではないだろうか。
 そう思えてしまうほど、己の感情という物を見事にコントロールしているように思えた。
「いや・・・・前に暴走しているんだから、そんなことはないか  
 調査中の時、暴走した事があった事を思いだす。
 あの時は確か憑依されそうになり、リンによって眠らされていた頃のことだ。
 まだ、ナルの正体が不明の時でカミサマを相手にしたときのこと・・・・プライドがえらく傷つけられた時の話だ。
 彼が我をなくすときが唯一、己のプライドを傷つけられたときだけだとしたら、少しばかり麻衣が気の毒だ・・・と思わなくもないのだが、少なからずとも上司の理性を揺さぶっていることは確かなことだった。
 そして、上司の思いの外冷静な態度によって、頭に登っていた血が引き、己も冷静さを取り戻せたような気がする。
 もしも、あのまま二人して気が動転したまま車にでものり、羽田にでも向かったら事故でも起こしていたかもしれない。
 安原は深呼吸をして己を落ち着かせ、さっきから鳴り響いていた電話を手に取る。
『安原か!? 今ニュースを見たんだが、麻衣が乗っている飛行機だよな!?』
 凡人はやはりこうあるべきであろう。
 せっぱ詰まった様子の声で滝川が電話越しに怒鳴っていた。
「事前に聞いた話だと、6時に羽田に着く予定と行っていたから間違いないと思います」
『っっっっっっそうっ、何かの間違いで居て欲しいって思っていたんだがっっっっ!』
 ガッツーン!!と何かを蹴り飛ばしたのだろう。派手な音が響く。
「死傷者生存者のテロップはまだ一切流れていません。
 現場はかなり混乱しているようですが、これから問い合わせて谷山さんの行方を捜してみます」
『俺もこれから、羽田に行く。ナルはもう向かったのか?』
「いえ、所長は本を逆さまにして読書中です」
 ずばり事実をそのまま告げる。
『はぁ〜!? あのバカは麻衣の生死が不明って時にも読書中って言うわけか!?』
「上下逆さまにしてですが」
 あまり耳元で怒鳴らないで貰いたいのだが、安原は興奮している滝川の相手をしながら、インターネットで航空会社のHPにアクセスし、事故の情報をチェックしていく。
『逆さま・・・・・・・・・・・・・・あいつなりに動転しているって事か  まぁいい。俺は空港まで行って情報をかき集める』
「そちらの方はお任せします。僕は病院のチェックなどしますから」
『任せた。また後で連絡する』
 ぶちっと唐突に電話が切れると安原は、受話器を元に戻し空港周りにある病院の確認も同時に始めながら、ちらりと固く閉ざされた扉へと視線を向ける。
 今頃、彼は何を思っているのだろうか?















 ナルは力なくソファーにもたれながら、ぼんやりと手元の本へ視線を落としていたが、何が書いてあるのかまったく理解できなかった。
 なぜ、こんなにも意味を成さないのだろうか?
 見慣れない文字の羅列に違和感を覚えるが、なぜ理解できないのかが判らなかった。
 これ以上理解できない物を理解しようという気が起きず、無造作に本を脇へずらすと背もたれに身体を預けながら、眼を閉じる。
 壁越しに微かにリンと安原のやりとりの声が聞こえてくる。
 まだ何も有力な情報を掴むことが出来ないのだろう。
 いつの間に訪れたのか、綾子の甲高い声が混じり不快指数が跳ね上がる。
 だが、いつものように注意をする気にはなれない。
 身体中から力が抜け、身体を起こすことが億劫であった。
 飛行機が不時着したのならば、自分に出来ることは何一つない。
 墜落ではないため、多少なりとも生存の見込みはある。実際に運び出された乗客が近隣の病院に運び込まれているというのだから、生存者もけして少なくはないだろう。だが、同時に爆発炎上までしているのだから、死者も少なくはないはずだ。
 それに病院に運び込まれた後に息を引き取る者も多数いることだろう。
 麻衣がどこの位置に座っていたかは知らない。
 飛行機がどんな状態なのかもナルは知らない。
 ただ、待つ事しかできなかった  彼女が、無事で在ることを。
 ジーンのように己の手の届かない所へ逝かないことを。
 知らず内に握りしめた拳に力が入り、爪が掌の皮膚を傷つけ血を滲ませる。
 微かな痛みを感じるが、握りしめられた拳から力が抜けることはなかった。




 どのぐらいの間そうしていただろうか。


 
 
 眼を閉じたままジッとソファーの上に座っていると、ふわりと暖かな温もりが、冷たく固く握りしめられている拳を包み込む。
「ナル、掌傷ついているよ?」
 聞き慣れた声にギョッとして瞼を開いてみれば、見慣れた姿の女がしゃがみ込んで拳を握りしめていた。
「へへへ・・・・ちょっと、遅くなちゃったけど、タダイマ」
 ナルは何も言わずに麻衣を凝視する。
「いや、あのね、実は友達のお家で不幸があってね、一本早い飛行機で帰ってきていたんだけど、時間が早かったから途中でお茶してたんだ・・・だから、遅くなちゃったんだけど、まさかこんな事になっているとはおも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 ナルは何も言わず麻衣の腕をぐいっと引き寄せると己の腕の中に囲い込むように抱きしめる。
 麻衣は咄嗟にどうしようとワタワタと、無駄に腕を振り回していたのだが、あいかわらず何も言わないナルの背に腕を回し、小さな子供をあやすように軽く背中を叩く。
「心配かけてごめんなさい・・・・東京に戻っていた事だけでも連絡しておくべきだったね」
 麻衣達は予定を切り上げて、一本早い飛行機で東京に戻っていたため、事故に巻き込まれることはなかった。
 帰りを急ぐ友人と空港で別れた後、麻衣達はとりあえずまだ時間が早いからと、場所を空港から渋谷へ移し、麻衣のバイトの時間までお茶をして過ごす事にしたのだった。
 旅行の話をしながら時間いっぱいいっぱいまで過ごして、友人と別れてSPRのオフィスに着いたのはほんの少し前のこと。
 麻衣がただいま〜と呑気な声で扉を開けた瞬間、オフィスの中は一瞬にして凍り付いた。まるで、幽霊でも見るかのような目で見られて、麻衣は始めて羽田空港が大変な事になっていることを知ったのだった。
 綾子になぜ直ぐに連絡を寄こさないのかと怒られたのだが、まさか、自分達が当初乗る予定だった飛行機が不時着爆発炎上するような事になっているとは誰も思うはずがない。
 麻衣自身には何一つ落ち度はないのだが、彼らが起こるのも仕方ないため麻衣は素直に頭をさげたのだった。
 そして、こんな騒動でもやはり所長室に籠もったままのナルに、呆れつつ、ちょっとだけ寂しいなと思いながら部屋へと訪れたのだが、ナルの様子を見て麻衣は寂しいと思ってしまった事を改めた。
 いつもと何一つ変わらない様子にもかかわらず、頼りないと思ってしまった後ろ姿。
 固く握りしめられている拳に、彼の内に潜む表に出すことの出来ない感情をかいま見た気がし、不器用なそんなナルが愛しくてたまらなかったと同時に、こんな思いをさせてしまったことが申し訳なくて仕方なかった。
「心配かけてごめんね    
 腕の中で囁かれた言葉にナルはため息を一つ零すと、少しだけ身を離し彼女の顔を正面から見つめる。
「別に、お前が誤るようなことじゃない   
 こんな事態になって言えると思わなければ、連絡をしてこなくても不思議ではない。
 喫茶店に入っていたのならば、ニュースも耳に入らないだろう。
「でも、心配かけたから・・・・・・・」
「違うな・・・・・・・・・」
「え   ?」
 麻衣の呟きをナルは否定する。
「心配していたわけじゃない」
 ナルの言葉の意味が判らず、麻衣は軽く首を傾げてナルを仰ぎ見る。
 視線で問いかけてくる麻衣にナルは答を告げることはせず、淡い色が乗せられている唇にそっと口づけを落とす。
 啄むような口づけは、徐々に角度を持ち、深みを増していく。
 呼吸をするために僅かに開いた唇の隙間から、舌を差し入れ温もりを宿す彼女の内側を味わうように貪る。
 力が抜け始めた麻衣の身体を抱きしめながら、キスを幾度も繰り返していく内に、胸の中でささくれ立っていた何かがゆっくりと静まり帰って行くことを実感していた。
 と、同時に先ほどまで目を通していながら理解できなかった理由に漸く思い当たる。
 上下逆さまにして読んでいれば、見慣れない文字の形であることも、文章が咄嗟に理解できないのも仕方ないことだ。
 その事を今まで気がつかなかった自分の心理状態に苦笑が漏れる。
「・・・・・・・・・・・・・・・ナル?」
 淡く色づいた唇が、微かに己の名を呼ぶ形に変わるが、熱を帯びた吐息が漏れるだけで声はほとんど音をなさなかった。
「何でもない   
 腕の中に彼女が戻ってくれば、なんでもない事だった。
 心配していたわけじゃなかった。
 航空機事故などに巻き込まれてしまったら、心配するしないという次元は全て吹き飛ばされる。
 ただ、在るのは喪失の可能性   
 その事に恐怖を抱いたのだ。
 二度と触れることの出来ない可能性を。
 二度とまみえることの出来ない可能性を。
 二度と・・・・・声が聞こえなくなることの可能性を。 


 今ある日常が壊れる可能性を   































「今度は、羽田に着いたらすぐに連絡するし、乗る便が変更した場合も連絡する」
「別にそこまでする必要はない。
 何度も航空事故に巻き込まれるような事はないだろう」
「そうだけど   でも、心配かけるのもうやだから」
 過去の事を思い出していたいたが、麻衣の言葉にナルは連絡はいらないと言うのだが、麻衣も引かない。
「心配はしていなかったと、僕は言ったはずだが?」
 片眉のみを器用にあげて言うナルに、麻衣はそうだったねと同意する。
「だけど・・・不安にさせたでしょう?」
 あの時ナルが実際に何をどう思っていたのかは麻衣にも判らない。
 ただ、自分が感じたままを口にする。
 ナルが感情のない非人間だとは思っていない。
 自分が死んだかもしれないというような事態になっても、ナルが感情を一切揺るがさないほど理性的な人間だとも思ってはいない。
 少なくとも、ああいった時に多少なりにとも気を動転させてくれると思えるぐらいに、愛されている自覚はある。
 いや、そこまでナルの感情が動けば十分すぎるほど、愛されていると思える。
「もしも、私がナルの立場だったら、不安でたまらなかったと思うから・・・・
 ナルがいなくなっちゃうことが、こうして触れあえていた人が唐突に居なくなっちゃうかもしれないと言うことが、ものすごく怖くて不安だったと思うから・・・
 だから、ごめんね・・・・・・・・・」
 例え言葉にせずとも、本能的に悟っている麻衣にナルは苦笑を漏らす。
「何度も言っている。お前が謝るような事じゃない」
 ナルは身体の向きを変えると、麻衣の腕を引いて己の足の上に座らせる。
「僕もお前も何も言わずに、逝くことはない   
 どちらかだけの約束ではなく、双方共に交わす約束。
 額に口づけ、誓うように囁く。
 麻衣はナルの首にしがみついて、誓うのだった。






 今ある温もりを、唐突に失った瞬間から付きまとう喪失の恐怖。
 いつまで、囚われたままなのかと思うことがある。
 だが、その喪失の恐怖は、新しく温もりを求めた瞬間から、失うその瞬間まで終わることなく付きまとうのだろう。




 いつくるか判らないその時が、不意に訪れないことをただ願うことしか出来ない。













☆☆☆ 天華の戯言 ☆☆☆
 難産でございました。
 No.2とNo.4はさっくりといったのに、今回のお題は難しかった!!
 本当は(気がつくと2と4でも言っているけれど)No.6はナルの嫉妬話にしようかと思ったんだけれどね(笑)
 一番始めに書いた話は、6よりも8向きかな。と思ってさっくり変更にし、嫉妬話編にしようかと思ったんだけれど、どうにもまとまらず、ほんの2時間前・・・・23時頃にオールクリアー(笑)
 今日は諦めようかなぁと思ったんだけれど、時間が経つとこの話もまとまならくなりそうだ!ってなわけで、2時間で書いた話ざます。
 勢いで書いているので、まぁ勢いで読んでやってくださいませ(笑)







2006/10/16 UP
Sincerely yours,Tenca