鳳凰越えて北岳、間ノ岳を行く
(1962年7月)
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鳳凰山(TWV、X氏撮影) |
間ノ岳より北岳を望む |
木立に囲まれた南御室小屋
7月5日(木) 新宿 23:45 →
7月6日(金) 3:30 甲府 4:00 → 4:50 芦安 → 5:05 旧道入口 → 8:40 夜叉神峠 9:00 → 14:20 南御室小屋
新宿発の夜行列車に乗った一行8名は、まだ暗い甲府駅前から芦安行きの始発バスに乗った。小一時間もしない内に終点で降ろされた。夜が明けてもまだ薄暗い梅雨空の下をトボトボと歩き始める。ほどなく民家の横を右に曲がって、旧道を夜叉神峠に向かった。結構な登りである。ようやくたどり着いた夜叉神峠もまったく眺望はなし。とうとう雨が降り出した。
ここから本格的な山道となり、大崖頭山を捲いて、樹林に覆われた樋状の道を黙々と登る。雨に濡れた粘土状の道はやたらに滑る。眺望も効かず、雨と汗でじめじめして一向に意気が上がらない。だらだらした登りがいつまでも続きうんざりする。それでも辻山を捲く頃には雨も上がり、やがて木々に囲まれた草原の一角にある南御室小屋に着いた。静かで感じのよい所だった。夕方には青空もちらっと顔をのぞかせ、明日への期待が高まる。
別世界のような鳳凰三山縦走路
7月7日(土) 南御室小屋 5:30 → 7:30 観音岳 8:15 → 15:00 広河原小屋
雲一つない快晴である。早朝の冷気の中を元気に出発。森林の丈がどんどん低くなり、森林限界を超えると、砂払岳に出た。ここからは青い空にハイ松の濃緑と白い花崗岩砂が眼に染みる素晴らしい稜線歩きだった。薬師岳を過ぎ、観音岳への稜線は砂の上に大小様々な形状の岩を散りばめた石庭のようだった。
観音岳の頂上からの展望はまことに雄大だった。甲斐駒、仙丈、白峰三山が指呼の間にあった。何よりも野呂川の向かいにドンと座る北岳の大きさに圧倒された。明日はあの頂上にいるのだということがとても現実的には思えなかった。鳳凰三山は南アの展望台として屈指の位置にあるといって過言ではないだろう。
地蔵岳のオベリスクも異様な岩塔だった。何のために天に突き出しているのだろう。鳳凰三山の縦走はどこか異国の砂漠を歩いているような独特の雰囲気があった。
高嶺から白鳳峠までは浮き石の多い岩ごつの道だった。白鳳峠は樹林に囲まれた空き地で、名前から受ける優雅な感じはどこにもない。峠を野呂川に向かって下り始めると、すぐに急なガレ場になった。目の前に北岳がそびえているが、ゆっくり見る暇もない。ガレは10分ほどでクリアしたが、急斜面の上、倒木が多く、踏跡も不明瞭な荒れた道だった。一気に1000m下ってようやく野呂川の河原に立ったときはほっとした。少し下流に歩き、丸木橋を渡って広河原小屋に着いた。
広河原は南アルプスの上高地と称されているが、河童橋から見る穂高岳のようなアルペン的景観は持っていない。なるほど谷間に北岳がちょこっと見えるが、山腹の原生林が重苦しい。野呂川の谷筋も崩壊跡が目立ち、梓川のような美しさはない。まだ浸食が進んでいる山の荒々しさが目立っていた。
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鳳凰山を行く(TWV、X氏撮影) |
北岳や頭つかえる梅雨の空
7月8日(日) 広河原小屋 6:35 → 9:35 白峰御池小屋 → 11:40 稜線 → 13:20 北岳 14:45 → 15:30 北岳小屋
台風が接近しつつあったが、リーダーは出発と決める。
大樺沢に沿って歩き始め、程なく右手の尾根に取りついた。深い原生林の中の急登が続く。山腹を捲くようになって白根御池小屋に出た。小屋の裏手に残雪があり、小さな池もあった。ここから道は一気に小太郎尾根に突き上げてゆく。樹林帯をジグザグに登ってゆくと、名にし負う草スベリの急登が始まった。森林限界を超え、掴まるものもない草付の急斜面が続く。足首を最大限に曲げて斜面に顔をつけるようにして登ってゆく。風に震える道端の花がわずかに心を慰めてくれる。苦闘2ピッチで稜線に出た。さっと冷たい風が当たり、汗がすっと引いてゆく。ガスに包まれ眺望はない。北岳山頂まではさらに1ピッチ半を要したが、頂上に近づいているという喜びが疲れを忘れさせた。ついにケルンの林立する3192mの我が国第2の高峰北岳山頂に達した。
時折ガスが流れ去り重い鉛色の雲の下に甲斐駒、仙丈が頭を見せた。360度の大展望とはいかなかったが、僕らだけの静かな山頂を心ゆくまで味わった。
1時間半ものんびりとして、そこから北岳小屋までは一投足だった。
堅忍不抜の間ノ岳
7月9日(月) 北岳小屋 6:30 → 7:00 稜線 → 9:40 間ノ岳 10:25 → 11:00 石室小屋テント設営 12:00 → 西農鳥岳 → 13:10 農鳥岳 → 石室小屋テント
相変わらずの梅雨模様だった。小屋から稜線に出ると、間ノ岳に続く長大な尾根のリッジ通しに細い糸のような縦走路が続いていた。中白峰から3000mを超える稜線となる。目の前に見上げる間ノ岳は実に大きな山だ。振り返れば北岳が三角形の端正な姿を見せている。奔放不羈の北岳、堅忍不抜の間ノ岳。高さでは北岳がわずかに勝るが、3000mより上の面積は間ノ岳の方が断然広い。間ノ岳山頂はその雄大な山容に相応しく広々としていた。
雪田で大休止の後、直下に見える農鳥小屋目指して駆け下りた。石の壁に囲まれ数棟の立派な小屋が建っていた。この時期には珍しく番人がいたので、小屋泊まりは諦めテントを張った。
昼飯後、空身で農鳥岳に向かう。西農鳥岳(3056m)に差しかかる頃より雨が降り出し、農鳥岳(3026m)頂上に着いたときは本降りになっていた。梅雨の真っ最中なので、この天気もやむを得まい。
午後はテントの中でインスピレーションなどをして過ごした。親が題を出して、みんながその題で思いつくことを書いて提出し、親が読み上げるのを聞いて、作者が誰か当てるゲームだった。みな頭を捻って面白おかしく書くので、ゲラゲラ笑って半日停滞の無聊を慰めた。
木の根に掴まり降りる大門沢
7月10日(火) 石室小屋 9:15 → 9:55 広河内岳 → 12:10 大門沢小屋 → 14:20 発電所 → 15:40 奈良田
7月11日(水) 奈良田 6:40 → 7:05 奈良田バス停 → 10:25 甲府
雨が降り続いているので塩見岳までの縦走は諦め、大門沢より下山することになった。
農鳥岳までは昨日通った道である。相変わらず視界は悪い。大門沢の分岐にザックをデポして、霧の中にひっそりと佇む広河内岳(2891m)を往復した。
大門沢コースは聞きしに勝る厳しい下りだった。2800mの稜線から1000mまで一気に下る。段差の大きい山道が容赦なく続く。おまけに至る所で倒木が行く手を阻んでいた。膝が笑い出す頃、ようやく大門沢の河原に下り立ち、沢沿いに歩いて大門沢小屋に着いた。いつの間にか雨が上がっていた。
小屋の前で一息ついて、後はポンカラポンカラ惰性で足を運んだ。発電所を過ぎると、道も平坦になり、しっかりとした吊り橋を何度か渡って、早川の合流点に到着した。奈良田発の終バスには間に合わないので、橋の下にテントを張って最後の夜を過ごした。
初めての南アルプスだったが、北アルプスとの違いは実感できた。長いアプローチ、深い原生林、大きな山容。北アルプスのような派手さはないが、奥の深いしっとりとした味わいがあった。
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