ほろ苦かった飯豊山、朝日岳
(1963年7月)
 |
飯豊本山を望む |
侘びしい雨の中の夕食
7月16日(火) 上野 急行越後 22:30 →
7月17日(水) 徳沢 → バス 中町 8:15 → 11:00 昼食 11:40 → 12:30 弥平四郎 → 14:45 新長坂下祓川
1963年、ワンゲルの夏合宿は東北南部を9隊に別れて分散集中することになった。3年になった僕は、飯豊、朝日に登り、山形県西置賜郡白鷹町の日影部落に集中する飯豊朝日隊のサブリーダーを務めることになった。
前夜上野を発った一行16名は、翌朝、磐越西線徳沢駅でバスに乗り、終点中町で雨の中に降り立った。何やら前途多難を思わせる。傘をさして奥川沿いのバス道を上流に向かって歩き始める。1年生は俯いて黙々と歩いている。初めての30キロを超える重荷に不安を感じているだろう。肩がしびれるのか、両手を後ろに回し、しきりにザックを持ち上げている。肩の血管が圧迫されて、腕に血が通わなくなっているのだろう。錬成を目的とする夏合宿では、共同装備は1年、2年で分担することになっている。個人装備だけの僕は何となく後ろめたさを拭いきれない。
最後の部落、弥平四郎を過ぎる頃には雨が上がり、日が射してきた。汗がポタポタと地面に落ちる。やがて高い木々に覆われた沢沿いの山道に入り、また山に来られた喜びを感じる。突然隊列が止まった。前の方で1年のMが仰向けになって目を閉じている。「どうした」、「どうした」と話しかけても口も聞かない。しかし、顔色は正常なので、単なるバテだろうと判断し、上級生2名を付けて後から来させることにする。
ごく緩やかな登りなのだが、夜行の疲れからかどんどんペースは遅くなる。ようやく祓川に着く。沢を渡った所にテントが4つほど張れるスペースがあった。水面より3メートルほど高く、増水しても大丈夫だろう。
テントを張り、薪を集めていると、Mが到着した。4時の天気図を取ってみると、前線に囲まれていて、この地方には大雨注意報が出ていた。昨年の北海道合宿も雨にたたられたが、今年も雨に苦労しそうである。
ようやく飯ができあがった頃、雨が激しく降ってきた。傘をさして飯を食っていると、傘からしたたる水が食器の中に流れ込み、汁が冷えていく。味気ない夕食だった。
風雨の稜線をカタツムリのように進む
7月18日(木) 泊地 6:10 → 6:55 鉱山道分岐 → 9:20 松平峠 → 12:00 浅草 昼食 12:45 → 13:15 三国岳 → 15:00 種蒔山 → 15:30 切合せ小屋
雨が降っているが出発。新長坂の尾根を登り始める。飯豊の稜線には薪がないので、途中で薪を拾い3年、4年がザックの上に括りつけて運ぶ。時折、激しく雨が降る。しっとり濡れたアジサイが美しい。1年が遅れがちになってきた。とうとう松平峠の手前でSがダウン。泥道に俯せになっている。顔色が青い。空身で峠まで登らせ休憩。痩せ尾根にひょろっとした木が2、3本あるだけで、雨風を防ぐものは何もない。おまけに雷がゴロゴロ鳴り出してゆっくり休むどころではない。Sの荷を軽くし、稜線上を登り始める。疣岩山の捲き道は急斜面のトラバースで、昨夜来の雨で増水した沢が勢いよく流れ落ちている。シャワーのように水を被りながら通過するが、どうしたはずみか1年Iがザックを沢に落としてしまった。上級生が慎重に急斜面を下り、岩に引っかかったザックに細引きを通して引き上げたが、スコップ、バケツ、ポリタンなどが流されてしまった。パン、米も水に浸かって駄目になってしまった。
ようやく三国岳との鞍部に近づいた時、今度はMが座り込んでしまった。もう歩けないという。上級生が喚くと、渋々歩き出す。幅広い尾根に出た。浅草である。柔らかい草が生え、小さな紫の花が一面に咲いている。晴れていれば気持のよい所だろう。ここで昼食にする。風雨ともに強く、ガスに包まれ眺望はまったく効かない。震えながらパンをかじる。
三国岳を越える頃、雨が止んだ。少しづつ見通しも良くなってきた。相変わらずノロノロとしたペースだが、何とか歩き続けている。種蒔山を越えると、鞍部に切合せ小屋が見えてきた。今日の予定地だった飯豊山には行けそうもないので、切合せ小屋泊まりとする。1年のほっとした声が伝わってくる。30分で小屋に着いた。小屋番不在。2階建ての明るい小屋だった。
悪戦苦闘のダイクラ尾根
7月19日(金) 泊地 5:45 → 6:30 草履塚 → 8:00 飯豊山神社 → 8:30 飯豊山 → 10:35 切歯尾根最初のピーク 昼食 11:25 → 12:20 宝珠山 → 14:40 千本峰 → 16:40 休場峰 → 19:30 桧山沢出合
朝、小屋を飛び出すと、まさに日が昇らんとしていた。冷たい空気が心地よい。晴れていることの何とうれしいことか。磐梯山、吾妻連峰が黒いシルエットになって地平に浮かんでいる。一際赤い空を背景にそびえているのは蔵王に違いない。朝日連峰はまだ遙か遠くに重畳と連なっている。
朝食を済ませ、元気に出発。飯豊本峰はすぐ目の前にある。左側に實川を挟んで大日岳が実に堂々とそそり立っている。飯豊は緑と岩に彩られている。稜線には花が咲き乱れている。ミヤマキンポウゲ、ニッコウキスゲ、イワカガミ。2ピッチで飯豊神社に着き、本峰まで鼻歌混じりに登る。飯豊山頂で記念写真をパチリ。真っ白な夏雲に飯豊主脈の緑が映える。北端に杁差岳がピラミダルな山容を誇っている。ゆっくりとしていたかったが、足元に荒々しい切歯尾根が待ちかまえている。今日の行程は長いので、そうそうに飯豊に別れを告げた。
ハイ松と岩の尾根を300mほど下ったところで、Mがザックを放り捨てて道端に座りこんでしまった。
「僕だけいつもバテておもしろくないですよ」、「昨日は一睡もしませんでしたよ」などと文句を並べ、「もう先に行って下さいよ」と一向に動こうとしない。ダイクラ尾根を下りきらないとテントサイトはない。途中に置いてゆくわけにはいかないのだ。リーダー以下必死に説得する。それほどバテているようには見えない。膝をガクガクさせている他の1年生よりよほど足取りはしっかりしている。説得に応じてようやく腰を上げたのは30分後だった。
ほっとして歩き出したのもつかの間、15分も歩かないうちに、また、座り込んでしまった。今度は水を飲ませてくれという。「次の休憩になったらリーダーも飲ませてくれるから」といっても、「そんなこといったって、絶対飲ませてくれないんだから」と話にならない。やむなく次のピークまで登っていただいて昼食とする。
たっぷり休んで出発。苦しい下りが続く。道がよくない上に重荷に足元が定まらず、斜面を2、3回転するものも出てくる。転んだ拍子にタッシェに入れておいた米袋を谷に落としてしまう者もいる。なぜタッシェに米を入れるのか理解に苦しむが、人間が転げ落ちなかったのは不幸中の幸いだった。道は忠実に尾根の天辺を辿るので、いやになるくらい上り下りがある。平らな草原に出た。「宝珠山」と書いた木が置いてある。バテてきたSの荷物を減らし、上級生に移す。倒木や大きな岩に出会うと越えるのに時間がかかる。列の後ろの方は度々待たされる。道端に咲いていた一輪の姫サユリに心を慰められる。雪渓跡の砂地にみずみずしいイチゴが生っていた。上級生は盛んに摘んでは口に運ぶ。
ようやく千本峰に着くが、まだ半分下りてきたに過ぎない。赤土の滑りやすい急斜面でIが鼻血を出してストップすると、Mが今度は足がつったと座り込む。やむなく30分の休みを取り、長期戦に備えてパンを食べる。IとMの荷物を上級生に再分配。厳しい岩場を乗り越えて休場峰に到着。時計は5時近くを指している。ここからは下りオンリーになるが、強烈にぬかるんだ道で皆豪快に滑り落ちる。あたりが暗くなる頃、沢の音が聞こえてきた。ペースは一段と遅くなり、Sはまるで夢遊病者の様にフラフラと歩いている。道端の木のウロにマムシを発見。短パンの3年は気が気ではない様子。暗くなって足元も定かではなくなった頃、ストンと檜山沢と大又沢の出合に下り立った。7時半だった。1年は喚声を上げている。Sはもう立っているのも辛そうだった。この日の最後を飾ったのもMだった。まだリーダーが沢に下り立つ前に勝手にザックを放り出して沢の水を飲みに行ったという。
テントを張り、ラジウスでココアを作り、パンをかじって夕食とする。暗くなってから着いたので辺りの様子が分からず、何となく薄気味が悪かった。蛍が飛び交うのを見て、「キツネ火だ」と恐ろしそうに叫んだ1年生もいた。
 |
 |
飯豊本山頂上にて |
大日岳 |
合宿途中で退部申し出
7月20日(土) 泊地 9:00 → 9:45 温み平小屋 → 10:20 文覚沢、飯豊温泉分岐 → 11:40 旭又滝 → 13:10 長者原 昼食 14:00 → 14:20 泉岡 → 16:40 玉川 → 17:30 下新田
昨夜就寝が遅かったので、今日は5時起床。パラパラと雨が降っている。テントを這い出してみると明るい沢だった。1、2年はカマドを作ったり薪を集めたりしているが、昨日の疲れからか動作が鈍い。飯を食い終わるまでに4時間もかかった。早くも予定が狂う。
今日は平地歩きなので、快調に飛び出す。雨も止んだ。温ミ平から梅花皮沢の登山路を覗く。飯豊温泉への分岐がある文覚沢出合には新築の大きな小屋ができていた。飯豊もだんだん人気が出てきて、登山道や小屋も整備されてきたようだ。
突然、Mがザックを放り出し、後ろも見ずにスタスタと駆け出した。慌てて上級生が追いかけるとヤブの中に逃げ込んだ。引きずり出してみんなで説得するも、言を左右にして動かない。堪忍袋の緒が切れたリーダーが思わずビンタを一発浴びせるが、効き目なし。リーダーも頭を抱えてしまった。完全に戦意を喪失しているので、本人の希望通り退部させることにした。だが、途中で放り出すわけにもいかず、3年生が本部まで連れて行くことになった。
バスに乗る2人を残して出発。ほどなくバスの通う長者原に着き、昼飯にする。
午後はしばらく順調に歩いていたが、今度はIが動けなくなる。マメをかばって歩いているうちに筋肉炎になったらしい。かなり痛そうなので、4年生がついてバスで今日のキャンプ予定地、下新田まで行かせることにする。1年自ら「ファイト!」の声を掛け合い、5時半、Iらに合流した。道路脇にテントを張り、晩飯にありついたのは10時近くになっていた。また降り出した雨の中で、人参が生煮えの汁を飲み込む。
脱落者続出
7月21日(日) 泊地 7:00 → 8:50 玉川口 → 9:30 赤芝橋 → 11:00 針生 昼食 12:10 → 14:00 樋の沢 → 15:00 入折戸 → 16:50 見晴台 蕨峠 → 17:20 飯場前
Iは歩けそうもないので、上級生が付き添ってバスで本部に向かうことにする。残ったメンバーは元気に出発。1ピッチで荒川に出た。ちょうど米坂線の鉄橋を貨物列車が通り過ぎていった。しばらく鉄道と平行したバス道を歩く。玉川口は山峡の静かな小駅。藁葺きの民家の垣根に花が咲き乱れている。日が照りつけてきた。Sが遅れ出す。赤芝橋でバス道と分かれ、針生の河原で昼食。
午後は太陽の照りつける中、土ほこりをあげながらひたすら歩く。街道歩きで1、2年生はマメを大量生産してしまったようだ。やがて道は蕨峠の登りに差しかかった。そこへ3年Mが凄いピッチで追いついてきた。退部するMを本部に届け、すぐに引き返してきたという。頼りになる上級生が戻ってきて、リーダーは一安心。1年が遅れだし荷物を上級生に回す。毎日バッシリと荷物を背負わされ、上級生も大いに絞られる。振り返り見れば飯豊が霞んで見える。峠が近づき、前方に朝日連峰が折り重なるように見えてきた。見晴台からの眺めは見事なものだった。
5時20分、峠をわずかに下った空き地にテントを張った。8時過ぎに食事が終わった頃には夜空に星が瞬いていた。星が見えたのは今度の合宿で初めてだった。黒々と佇む朝日連峰の上にカシオペアがかかっていた。
三面川水量多く、リーダー徒渉断念
7月22日(月) 泊地 6:15 → 7:15 末沢橋 → 8:00 三面 → 9:30 ミヨド沢 → 10:00 オソノ沢 → 10:30 深戸沢 昼食 11:30 → 12:20 平四郎沢手前ヘズリ 13:00 → 13:45 中矢打沢 → 14:10 下源十郎沢 → 14:20 三面小屋
予定が遅れているので、「今日は絶対大上戸山まで行くぞ」とリーダーははっぱをかける。平家の落人部落で美人が多いといわれる三面に近づくと、みな、きょろきょろ左右を見渡すが人の気配はない。トップの2年がニヤニヤと振り返った。前方から野良仕事に向かう娘さんがやってくるではないか。通りすがりにチラリチラリと視線を送る。しばらくして誰かが呟いた。「名物にうまいものなしか」
ほどなく三面川との合流点に着き吊橋を渡る。緑色の水を湛えた美しい渓谷だ。三面川の右岸を遡る。奥三面ダムを過ぎると山道になる。丈なす草が覆い被さる道を、例によって超スローペースで進む。深戸沢で昼食。今日も大上戸山までは無理な状況になってきた。
午後、最初の難関は平四郎沢手前の10mのへずりだった。沢の方に傾いた一枚岩の上を横切らなければならない。連日の雨で増水した沢がとうとうと流れている。滑り落ちたらことだ。足元がふらついている1年がいるので、ハラハラしながら見守る。何とか通過すると、Sが遅れ始めた。3年生を付けて後からくるようにすると、残りのメンバーは勢いよく歩き出し、たちまち三面小屋についた。荒れ果てた小屋だったが、屋根があるだけでも有り難いと思わねばなるまい。
リーダーと僕は渡渉点の偵察にゆく。小屋の横にあるはずの吊橋は無惨に壊れている。川幅が狭く、水が盛り上がるように流れていて、とても渡渉はできない。そこで300mほど戻り、急斜面の踏跡を木の根に掴まりながら50mほど下って川岸に出た。対岸に黒倉沢が流れこんでいる。どこか黒部の薬師沢出合に似ている。川幅は広かったが、水の深さは膝から腰くらいに見えた。流れはかなり速い。少し上流に、深いが流れの緩やかな所があった。底は砂で歩きやすそうだ。下流に向かって斜めに進めば渡れそうな気がした。深さはへそくらいはありそうだった。僕がどちらを選ぶべきか考えていると、「これは無理だな。明日引き返そう」とリーダーは額にシワを寄せていった。あまりに早いリーダーの決断に僕はびっくりした。渡れるかどうか自分で確かめてみたかった。しかし、リーダーが渡渉不可能と判断した以上、勝手に渡るわけにはいかなかった。ザイルを持ってこなかったことが悔やまれた。リーダーは僕の不満そうな顔に気がついたようだ。気まずい空気が流れた。
夜半、強い雨が降り出した。
 |
吊橋は切れていた |
雨天停滞
7月23日(火) 泊地 停滞
昨夜来の激しい雨が降り続いている。大粒の雨がトタン屋根を叩きつける。雨漏りでシュラフが濡れてくる。この雨では三面に戻るのも危険なので停滞となった。
午後になって雨が上がった。リーダーと3年Mが下流を偵察に行く。平四郎沢の先のへずりが厳しそうだった。僕が黒倉沢の渡渉点を見にゆくと対岸に1パーティーが現れた。明日水の引くのを待って渡渉するという。彼らは2、3日前にここを渡ったそうだ。その話をリーダーにすると、それなら我われも明日渡渉しようということになる。杖を作ったり、細引きを継ぎ足して、渡渉の準備をする。
再び雨、引き返す
7月24日(水) 泊地 9:00 → 9:40 中矢沢 → 10:15 平四郎沢 → 10:55 深戸沢 昼食 11:35 → 12:45 三面バス停 16:20 バス → 19:10 樋の沢 バス → 19:30 五味沢 公民館
渡渉を期して3時起床するも、雨が激しく降っている。当分減水しそうもないので、ついに渡渉は断念。
9時、雨が上がってきたので、三面小屋を出発する。1日休養したので、かなり快調に進む。平四郎のへずりも難なく通過。来る時に昼食を取った深戸沢は形が変わっていて、増水の激しかったことを窺わせた。昼過ぎに三面に着く。バスが来るまで時間があるので、飯を炊く。バスに乗る客が注視する中、上半身裸で飯を食う。
汗臭い匂いを発散させながらバスに乗り込む。苦労して越えたきた蕨峠もあっという間に通り過ぎる。樋ノ沢で乗り換え、7時半に五味沢に着いた。付近の家でキャンプができる所はないかと聞くと、すぐそばの公民館に泊まれるように手配してくれた。有り難し。夕立が通り過ぎていった。
お花畑に囲まれた平岩山キャンプ場
7月25日(木) 泊地 6:15 → 7:05 徳綱 → 8:00 針生平 → 8:35 1番目の鉄線橋 → 9:30 祝瓶山分岐 → 9:35 2番目の鉄線橋 → 10:05 3番目の鉄線橋 → 10:35 小玉沢 昼食 11:35 → 10:45 大玉沢 → 13:10 蛇引清水 → 14:25 祝瓶 朝日岳縦走路 → 14:35 北大玉山 → 14:45 平岩山キャンプ場分岐 → 16:20 平岩山キャンプ場
朝起きると、雨が降っていて肌寒い。本当に雨にたたられた合宿だ。
荒川で恐怖の吊橋に出会う。針金に丸太が吊るされただけの橋だ。蟹の横這いのように一人づつゆっくり渡る。落ちたらただでは済まない。13人が渡りきるのに30分を要した。祝瓶山への分岐を過ぎて、第2、第3の吊橋があったが、慣れてきたのか、それぞれ10分で渡り終えた。第3の橋を渡ると、テント型の小さな角楢小屋があった。
雨は止んだ。大玉沢を渡って、尾根に取りつき、ぐんぐん高度を稼ぐ。合宿も終わり近くになって、ようやくコースタイム通りに歩けるようになった。真横に祝瓶山が切り立った豪快な山容を見せている。北大玉山のハイ松の上に寝転がり大休止。気持がよい。
稜線上を1ピッチも歩くと、左下に緑の草原が見えてきた。平岩山キャンプ場だ。ゴールが見えてくるとほっとする。ヤレヤレと縦走路から下り始めると、ぐちゃぐちゃにぬかるんだ草付きの急斜面は意外に手強かった。下級生はやたらに尻餅をついている。中には10mも豪快に滑る者もいる。30分以上かかって辿りついた。地面が湿っているところを我慢すれば、三方山に囲まれた素晴らしいキャンプサイトだった。ニッコウキスゲが風に揺れていた。
 |
恐怖の吊橋を渡る |
快晴に恵まれた朝日岳
7月26日(金) 泊地 6:05 → 6:50 平岩山 → 8:05 大朝日岳 → 9:35 小朝日岳 → 10:30 鳥原山 昼食 11:30 → 11:40 小寺鉱泉分岐 → 11:50 朝日鉱泉分岐 → 14:00 白滝 → 16:00 木川 → 17:40 萱野 → 18:50 莖の峯峠 → 19:20 集中地 日影
今日はいよいよ集中日。コース変更を余儀なくされたが、朝日岳に登れば何とか飯豊朝日隊としての面目もたつ。幸い天気もよさそうだ。勇躍、出発。あっさり稜線に出て、1ピッチで平岩山、次のピッチで大朝日岳を目指す。ガスがかかっていた大朝日岳も、頂上に着く頃にはすっかり晴れてきた。賑やかに天突きをして、ゆで小豆に羊羹という豪華な甘味品で喜びを分かち合う。西朝日から以東岳への稜線を目に焼き付ける。これから向かう小朝日、鳥原山が飛び石のように雲海に浮かんでいる。今日の行程は長いので先を急ぐ。1ピッチで小朝日岳、次のピッチで鳥原山と今日は快調。ここで昼休み。振り返ると大朝日岳がY字雪渓を抱えて大きくそびえている。
食後、麦藁帽子を顔の上に置いてつかの間の昼寝。アブが1匹ブーンと飛び回っている。我が隊の他に人はいない。悠久の天地の中で思い思いの時間を楽しむ。
名残惜しさを振り切り、下山開始。白滝へ下る。真夏の太陽が照りつけてくる。今まで頑張ってきたSがびっこを引き始める。筋肉に炎症を起こしてしまったようだ。空身にして歩かせるが、脂汗を浮かべている。これから峠を二つも超えなければならないが、とてもついて行けそうもない。残念だが、上級生2名をつけてバスで集中地に向かわせることにした。
3人を残して木川に下る。朝日川を渡る吊橋を捜して右往左往するが、何のことはない木川のバス停のすぐ下にあった。吊橋はバス道よりかなり下に付いていたので、上からは見えなかったのだ。吊り橋を渡り、対岸の沢を登り始める。道は草に覆われていたが、趣のある古い道だった。残った1年は早いペースで飛ばすトップに遅れずについてゆく。山を越えると一面に萱の波打つ萱野部落だった。3軒の藁葺きの家がひっそりと夕日を浴びていた。部落のはずれの沢で最後の休憩を取る。顔を洗い、上級生はシャツを着替えたりしている。
最後の峠に向かって歩き出す。せっかく洗った顔に汗がにじみ出る猛烈なペースで400mを一気に登り、莖ノ峯峠に飛び出した。薄暮の中に日影部落が箱庭のように見えた。後は下るのみ。何回目かのコールに応答があり、「ファイト!」を連発しながら多くの仲間達に迎えられて集中した。リーダーを胴上げして、ついでにサブリーダーの僕も胴上げしてもらった。本部の用意してくれた冷えたトマトが美味かった。しばらくして、先ほど別れたI達も無事に到着した。
この合宿はほろ苦い思い出である。リーダーと十分な意志疎通がはかれなかった上、三面川の徒渉についてリーダーの判断に疑問を持った。それ以来何となく相互に信頼関係を築けなかった。今になってみると、隊員の安全を第一に考えて徒渉を断念したリーダーの決断は正しかったと思う。サブリーダーとしてリーダーを十分サポートできなかったことは残念だった。1,2年の頃は無邪気に山を楽しんでいた。しかし3年ともなると単純に山を楽しむだけでは済まなくなっていた。
Copyright Kyosuke Tashiro All rights reserved