ワンゲル最後の旅、燧岳、会津駒ケ岳

(1963年8月)

燧岳
燧岳を見上げる

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加仁湯から奥鬼怒林道へ

 夏合宿が終わって、僕は何となく憂鬱な気分だった。大学入学以来、ワンゲルに打ち込んできたが、山登りが人生の目的とはなりえないのは明白だった。このまま大学を卒業していいのかという焦りを感じ始めていた。夏合宿でサブリーダーとしての存在感を示せなかったこともわだかまりとして残っていた。そんな鬱々とした気分が、僕の思い出の山を巡る山行を企画させたのかもしれない。同期のE君と1年下のN君が付き合ってくれた。
 この山行の記録がまったく残っていない。40年前のことが断片的にしか思い出せないのは寂しい限りだ。
 川俣温泉から加仁湯にはいったと思う。1年の初夏、初めて尾瀬を訪れたときのコースである。鬼怒沼から、黒岩山、赤安山を通って小淵沢田代へ。1年のとき2日かけた行程を1日で歩いた。西の空がオレンジ色に変る頃、送電線を目指して袴腰山の斜面を駆け下りる光景が記憶にある。小淵沢田代でテントを張る。 

燧岳は人で溢れていた

 さんざめく尾瀬沼湖畔の賑わいを横目に、長英新道にはいる。樹林の底を緩やかに登り始めると、次第に傾斜を増す。高い枝に赤布が結ばれている。3月にシールを付けて登ったところだ。いつしかダケカンバとササ原の明るい草原の道が混じるようになる。振り返れば尾瀬沼の湖面が見える。森林限界を超えると、俄然、高山の趣である。ナデッ窪道と合流すると、大きな山頂部が見えてくる。急登一汗、俎ー(マナイタグラ)に立った。双耳峰の柴安ー(シバヤスグラ)を往復。
 さして広くない山頂はハイカーで埋まっていたので、裏燧道へ少し下った所で昼食。
 裏燧はすれ違う人もない仙境だった。池塘や池を配した柔らかな草原に足を踏み入れるとき、最近のメランコリックな気分をしばし忘れた。
 再び樹林の中を下ると、さらに広い草原に出た。一面の池塘である。涼しい風が、水面に小波を立てる。
 湿原を過ぎると、樹林帯の長い下りになった。倒木や、木の根、岩が立ち塞がるやたら疲れる道だった。向かいの大杉岳の斜面が近づいてきて、鞍部にある御池小屋に着いたときはヤレヤレという気分だった。
 テントを張り、薪を集め、紫の煙が上がる頃には、静かな谷間は早くも山陰になっていた。 

会津駒、草のしとねの中門岳

 今回の仲間は足が揃っている。1ピッチで大杉岳。大津岐峠からひとしきり登ると、開けた尾根道となり、濃緑の小潅木と浅緑の草原に彩られた、たおやかな会津駒が見えてきた。心がウキウキしてくる。池ノ平大池にザックをデポし、会津駒山頂に向かう。
 山頂からの展望は素晴らしかった。まず南に僕らの歩いてきた山々を辿った。振り返り、北東に分かれる尾根を、窓明山、坪入山、高幽山、会津朝日岳へと目で追った。2年前の夏合宿で仲間の隊が猛烈な藪を漕いで縦走してきた尾根だ。北東に視線を移したとき、足元に連なる大らかな緑の尾根に目を奪われた。僕らは魅せられたよう中門岳に向かっていた。なんと広々とした闊達な草原だろう。イワツバメが舞い、緑の絨毯に宝石のように散りばめられた池塘。水面に夏雲が流れる。まさに山上の楽園だった。中門岳に立つと、大きな船の舳先で大海原を見下ろしているような気分だった。
 僕らは草のしとねに寝転び、麦わら帽子を顔に載せ、うたかたの午睡を楽しんだ。手足を伸ばすと、すーっと疲れが消えてゆく。ブーンと近づき遠ざかる虫の羽音。一瞬のまどろみ。無限の空白。至福のひとときだった。
 デポ地に戻り、山を下る。桧枝岐へ近づくと、ブナの大木に文字が刻まれている。傘マークの下に男女の名前が書かれている。地元の青年が山仕事のつれづれに刻んだものであろうか。
 初めて訪れた秘境の村、桧枝岐はひっそりとしていた。川原にテントをはったのか、宿に素泊まりしたのか、まったく思い出せない。

心惹かれる木賊の露天風呂

 桧枝岐から街道を2.5Kmほど下り、右の沢沿いの林道にはいる。小繋峠への分岐を探しながら歩いていると、林道が切れ、沢沿いの踏跡となり、いつしかそれも消えてしまった。地図と磁石で位置を確認すると白身山の真横あたりに来ているようだった。道を間違えたのだ。その時になって、林道を登り始めて間もなく、沢に下りる細い道があり、棒切れに小さな板が付いていたのを思い出した。あれが正解の道だったに違いない。トップがずんずん先に進むので、つい確認を怠った自分が情けなかった。小1時間も間違った道を歩いてしまったのはリーダーである僕の責任だった。
 分岐まで引き返し、小さな沢を渡り、登り始めた。小繋峠に出ると、いったん沢に下り、登り返すと小峠だった。一面、切株だらけの伐採跡で、道が分からなくなってしまった。また道を間違えたらヤバイなとびくびくしながら歩いていると、立派な林道に出くわし、ほっとした。
 それからの林道歩きがやけに長かった。ようやく谷間に紫の煙がたなびくのを見て、人里が近いことを知った。「民のかまどは賑わいにけり」である。いかにも山深い里を感じさせる「木賊」(トクサ)という地名に惹かれていた。道端にテントを張ると、さっそく村の子供がやってきて物珍しげに見ている。
 杉木立の細道を沢まで下りると、板囲いの露天風呂があった。先客がいた。赤子を抱いた若い母親だ。僕らは浴槽の反対側にそっとはいった。湯口から透明な湯がチロチロと流れ込んでいた。

思い出の田代山へ

 ザックをパッキングしていると、親切な村人がトラックが出るから乗っていけという。ありがたく乗せてもらう。西根川沿いの林道を荷台でガタガタ揺られていると、登山口で降ろしてくれた。
 早朝の冷気の中を登り始める。高度を上げてゆくと、樹間に会津駒が見えてきた。あまり踏まれていない歩きにくい道だが、森の香りが満ちている。ロボット雨量計を過ぎると、山頂の一角に出た。2年前に初めてこの大草原を見たときの感激を再現することはできなかったが、懐かしさに胸が塞がれる。
 太子堂近くの水場にテントを張った。当時のままにチョロチョロと水が湧き出していた。夕食後、赤く染まる山々を見ながら一人感傷に浸っていた。時は流れ、時は戻らず。

湯西川温泉で偶然の出会い

 山旅はいつか終えなければならない。いつかまた来ることがあるだろうかと考えながら、かまどを壊す。
 クロベ、コメツガ、オオシラビソの高い梢をザーザーと風音が鳴り渡る。風倒木が道を塞ぐ。軽くなったザックがありがたい。湯西川への分岐があり、懐かしの縦走路に別れを告げる。支尾根にまっすぐに付けられた道を飛ばし、沢に下り立つと、林道に出た。やがて人家が見えてきて、いくつかの集落を過ぎると、湯西川だった。
 両側に旅館が並ぶメインストリートを場違いな格好で歩いていると、突然横から声をかけられた。ワンゲルの先輩Iさんだった。勉強のため当地の宿に逗留しているという。しばらく立ち話をしているうちに、僕たちもこの温泉で一泊したくなってきた。Iさんが宿に交渉してくれて、格安の料金で素泊まりさせてもらうことになった。
 温泉でゆっくりと汗を流し、その夜はIさんを囲んでいろいろな話をした。居心地のよいワンゲル生活の明け暮れにどこか虚しさを感じ始めていた僕に、Iさんは一緒に勉強してみないかと経済学の研究会に誘ってくれた。Iさんとの邂逅は僕の人生の転機となった。
尾瀬の森林 燧岳
尾瀬の森林 燧岳

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