残雪の木曽駒ヶ岳

(1966年6月)

飯豊頂上にて 大日岳
木曽駒ヶ岳山頂 木曽駒ヶ岳山頂

表紙ページに戻る


雨が降ってきたので道端にテントを張る

 1966年6月、Kさんが木曽駒に行こうといった。銀行の山荘が木曽駒高原にあったので、そこを利用しようというのである。
 金曜日、仕事を終わってから、名古屋駅に向かい中央線に乗った。木曽福島で降りると、タクシーを拾い、山荘に向かった。
 銀行から借りてきた鍵で扉を開けた。番人のいない山荘は真っ暗だ。広間の電灯を点け、しばし歓談した後、就寝。
 翌朝、湯を沸かして、紅茶とパンの朝食を済ますと、戸締りをして、出発。
 別荘地から木曽駒高原スキー場に向かう。シーズンオフのスキー場はうら寂れた廃坑の町のようで、人っ子一人いない。
 スキー場の先から山道となり、カラマツ林の尾根道を登る。梅雨時のうっとうしい空に気分は冴えない。ただ黙々と歩く。
 雨が降り出してきた。どうしようかと思案していると、7合目に着いた。丁度、テント一張り分のスペースがあった。道を塞ぐことになるが、誰も来そうもないので、道の真中に堂々とテントを張った。
 時間はたっぷりあるので、ゆっくりと食事を作り、食べた。雨はしとしと降っている。何もすることがないので、明るいうちにシュラフに潜り込む

残雪のカールを快調に登る

 鳥のさえずりに目が覚めるとテントの中が明るい。外を覗いてみると、雨は上がっていた。早速、飯の支度にかかる。
 「どんな天気?」 Kさんがシュラフの中から声を出す。
 「晴れてますよ」と答えると、ごそごそとシュラフから出てきた。
 やっぱり天気がいいと元気が出てくる。飯を食い、テントをたたみ、サブザックに昼飯をいれて出発。
 駒石の東斜面を横切るようになると、道は残雪の下に隠れてしまう。ツボ足で慎重にトラバースする。次第に木の丈が短くなり、8合目を過ぎると、一面の雪原である。アイゼンを持ってこなかったことを悔やむが、行けるところまで行ってみようと先に進む。やがて頂上らしきものが見えてきたので、ステップカットで一直線に登る。常につま先に体重を乗せていなければならないので、ふくらはぎがやたらに疲れるが、次第に頂上が近づいてきて、山頂に到達した。
 頂上は広く、雪は付いていない。視界の及ぶところ人影はない。長大な南アルプスの山並みを眺めながら、山座同定にいそしむ。
 スベアに火を点け、紅茶を作る。スベアの音が消えると、ひときわ静寂を感じる。
 帰路、8合目手前のトラバースでKさんが「あっ!」という声とともに滑落した。突然のことでこちらは何もできない。20メートルも滑って、少し平らになったところで止まった。
 「大丈夫ですか」と声を掛けると、立ち上がって手を上げた。それから、一歩一歩慎重にステップを切って戻ってきた。
 「ああ、びっくりした」としばらくは顔を強張らせていた。
 7合目のザックデポ地に戻ると、もう雪道はないので、チンタラ下った。

 その後、7合目には立派な避難小屋ができたようだ。当時、名古屋財界の別荘地といわれた木曽駒高原には企業の保養施設が軒を連ねていたが、リストラばやりの今日、昔のまま残っているのだろうか。私が利用した銀行の山荘は多分処分されているだろう。
飯豊頂上にて 大日岳
南アルプス北部を望む 南アルプス南部を望む
飯豊頂上にて
宝剣岳、空木岳を望む

トップページに戻る


Copyright Kyosuke Tashiro All rights reserved