荒川岳から赤石岳へ、豪華絢爛空中回廊を行く
(1972年7月)
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千枚岳より赤石岳を望む |
長いアプローチ、畑薙ダムから椹島小屋
7月23日 東京 23:35 →
7月24日 3:03 金谷 3:20 → 6:06 井川 6:30 → 7:30 畑薙ダム 8:15 → 15:15 椹島小屋
1972年夏、長い支店勤めを終えて本部に戻った筆者に、「山に行こうや」とKさんから声がかかった。しばらく本格的な山にご無沙汰していた筆者は、しめしめとばかり、椹島小屋を起点に荒川東岳(悪沢岳)、中岳、前岳、小赤石岳、赤石岳と、3000メートル級5座を廻るコースを計画した。
東海道線で山姿はちょっと違和感がある。それでも23:35発の夜行は南アルプス南部にはいる岳人にはなじみが深い。Kさんは例によって短パンに赤シャツ、赤のタオルを首に巻き、さっそうと乗り込んできた。
翌朝、まだ星の瞬く金谷で、大井川鉄道に乗り込む。薄ぼんやりとした朝がきて、列車は大井川の右岸を走っていた。寝不足でぼーっとした視野に、人気のない木材工場、線路端の露に濡れた花が流れてゆく。千頭で小さな森林鉄道に乗り換える。いつのまにか狭くなった深い谷を列車は車輪をきしませ、トンネルを潜り、鉄橋を渡り、時には木の枝をかすめて進んでゆく。
井川でバスに乗り換え、さらに1時間揺られて、畑薙第1ダムの堰堤に着いた。
ここから椹島小屋までは5時間の林道歩きである。久しぶりにキスリングザックを背負って出発。
ダム湖を横切る大吊り橋の横で休憩。ちょうど4〜5人のパーティーがそろそろと橋を渡っているところだった。
「あんな吊り橋は死んでも渡りたくないな」とKさんが呟いた。
やがてダム湛水面も尽き、大井川本流沿いの道となる。雨が降り出した。傘をさして歩く。中の宿を過ぎる頃、ゴロゴロと雷が鳴りだし、雨足が強くなってきた。運良く道端に小屋があったので、雨宿りさせてもらう。雷はますます近づき、昼間でもピカリピカリと光るのが見える。土間に腰掛けて、昼飯にする。
それから2時間、夕立が通り過ぎるまで休む。雨が上がったので、出発。大分涼しくなっていた。それでも歩きだせば汗がにじみ出てくる。ザックが肩に食い込む。たっぷり2時間歩いて椹島小屋の入り口に着いた。林道から下っていくと、広々とした台地に出た。高い木々に囲まれた広場を進んでいくと、カマボコ型の小屋が並んでいた。一番手前のい号棟が山小屋になっていた。
小屋の入口にある部屋には、囲炉裏に火がくべられ、串にさしたイワナがいぶされていた。
ザックを降ろし、かまちに腰をかけ、タオルで汗を拭う。
花に彩られた千枚小屋
7月25日 椹島小屋 5:30 → 7:23 小石下 → 9:25 蕨段 昼食 11:00 → 13:20 千枚小屋
いんげんのみそ汁とサケ缶で腹ごしらえをして、夜明けの椹島を出る。
林道に出て、大井川上流に向かい、滝見橋の手前で左の登山道にはいる。沢音も涼しい道を通って、奥西河内沢の吊り橋を渡り、尾根に取り付いた。よく踏まれた歩きやすい道を、「ああ、また山に戻ってこられた」という喜びがしみじみと湧いてくる。
2ピッチで小石下。さらに樹林の中を緩やかに登っていくと、左手に赤石岳の東尾根(大倉尾根)が一段と高く見えてくる。
やがて平坦な草原を通って蕨段(ワラビのだん)に着く。絶好の休憩場所だ。向かいの右上がりの尾根の天辺に赤石岳が見える。昼飯を済ませ、また登高開始。1ピッチで見晴らしのいい尾根に出た。左手前方に荒川3山のスカイラインが望まれる。
再び原生林の中を通って、駒鳥の池の側を通る。何となく陰気な池で、敬して近寄らず。
だんだん足に疲れが溜まってくる。道は左手の山腹を巻くようになり、水の湧き出しているところで一休み。
なかなか小屋が現れない。すーっと薄いガスが広がってきた。なおも歩き続けると、ようやくガスの中に、千枚小屋の黒い影が浮かんできた。炊事場の太いパイプから水が勢いよく流れている。思い切り飲む。何という美味。すべての細胞に水分が行き渡り、体が生き返る。
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千枚小屋 |
薄暗い小屋の中は、通路をはさんで両側に板敷きの床がある。南アの小屋としては立派なものだ。まずは紅茶を沸かして、無事に歩き通した満足感と気だるさを感じながら、ゆっくりと飲む。
3時にカメラを持って千枚岳まで散歩に出かける。小屋の裏手の斜面は一面のシナノキンバイだ。これほど好ましいお花畑は見たことがない。
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一面のお花畑 |
千枚岳への登山道 |
ダケカンバの背丈が縮まり、盆栽のように捻じ曲がり始めた。高度が50メートルも違わないのに樹相が変化する。ダケカンバも消えると、あとはハイマツだけの世界となる。二軒小屋からの道を合わせ、千枚岳の頂上に立った。
大分傾いた日差しの中で、山々が昼間の活動を終え、深呼吸をしているようだった。大自然のキャンバスは刻々と変わるから見飽きない。小屋番の青年がサンダル履きでやってきた。4時になると赤石小屋とトランシーバで交信を始めた。
「明日、こちらのお客さん2名がそちらに行きます。どうぞ」と我々の予約までしてくれた。山々がオレンジ色に染まる頃、3人で小屋に戻った。
晩飯の後、小屋番の青年とお茶を飲みながら雑談した。7月初めから小屋番にはいったが、天候が悪かったので、ほとんど人がこなかったそうだ。今日も客は我々だけだ。こんな山奥でたった一人で過ごす夜は怖いだろうな、と思った。
荒川岳から赤石岳へ、豪華絢爛空中回廊を行く
7月26日 千枚小屋 4:20 → 5:00 千枚岳 → 6:20 東岳(悪沢岳) → 7:40 中岳 → 8:50 荒川小屋 9:30 → 11:25 小赤石岳 → 赤石岳往復 12:40 → 14:10 富士見平 → 14:45 赤石小屋
朝露に膝を濡らしながら千枚小屋裏手のお花畑を登る。千枚岳頂上の朝景色は夕景とは違って清々しい。
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千枚岳山頂のKさん |
塩見岳方面の展望 |
千枚岳を下り、ちょっとスリルのあるやせ尾根を越えると、お花畑を散りばめた広い尾根になった。南アルプス第3の高峰荒川東岳(悪沢岳)に向かってしゃにむに登り、岩礫の山頂に飛び出した。たなびく雲の下に中央アルプスが紫のシルエットを浮かべていた。
中岳までは鼻歌交じりの稜線漫歩である。三角点にタッチして、ほとんど起伏のない稜線を下り、コルから前岳を往復。
左側の斜面に斜めに刻まれた道を荒川小屋に下る。森林限界を超えた世界は頗る見通しがよい。遥か下に小屋が見える。広大な斜面に高嶺の花が咲き誇っている。
荒川小屋では小屋番が毛布を干していた。ここで昼食にする。
小屋から斜面を切りあがってゆくと、石ころだらけのだだっ広い鞍部に出た。大聖寺平である。大きなケルンが点在する中に、ぽつんと導標が立っていた。殺風景なところだ。こんなところでガスられたら地獄の1丁目だ。
ここから小赤石岳まではちょっとしたアルバイトだった。砂礫の急斜面をジグザグに登る。しばし喘登。1時間で小赤石岳に達した。
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赤石岳をバックにKさん |
赤石岳の雪渓で筆者 |
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一面のシナノキンバイ |
岩陰の花 |
ここから、2つ、3つピークを超えた赤石小屋への分岐にザックを置き、15分登って3120メートルの赤石岳頂上に立った。一等三角点がある。ガスっていて眺望が得られないのが残念だった。缶詰を開けて、今回山行の目標達成を祝った。頂上直下の雪田で戯れる。
東尾根(小赤石尾根、大倉尾根)を下山開始。北沢側の急斜面に付けられた巻き道はあまり足場がよくない。カールの底は高山植物が咲き乱れていた。富士見平まで1ピッチで行こうと頑張るが、なかなか着かない。Kさんが先に行ってくれという。「それじゃ、紅茶でも沸かしておきます」とペースを上げる。しばらくして富士見平に出た。薄もやがかかり富士山は見えない。さらに樹林の中を20分ばかり下ると、赤石小屋だった。
小屋番は見当たらない。ポリタンを持って5分ほど下った水場に向かう。思う存分水を飲む。顔を洗い、ポリタンを満タンにして小屋に戻る。空身なのに足が重い。Kさんが小屋の前にいた。「どこに行ってたの。心配しちゃったよ」といった。「水を汲んできました」とポリタンを差し出すと、ふたを開けてゴクンゴクン飲み始めた。「ヒャー、うまいな」と元気を取り戻した。
それから紅茶を沸かし、レモンをいれて飲んだ。これもまたうまかった。
しばらくして小屋番の青年が帰ってきた。昨日、トランシーバで連絡してあったので、ヤア、ヤアと挨拶した。今日は椹島まで荷物を取りに行ったそうだ。途中で熊を見たという。「えっー」と驚くと、「大丈夫ですよ。この辺の熊は人を襲わないから」という。
夜は、青年と遅くまで駄弁った。明日は下るだけだから気が楽だ。今日も客は二人だけ。
ヒッチったのは正解だが、愛用のゴンスケを無くす
7月27日 赤石小屋 6:30 → 9:10 椹島 → 10:00 下剃石橋(ヒッチハイク) → 12:00 畑薙第一ダム → 13:00 赤石温泉ロッジ(ヒッチハイク)
今日は椹島まで3時間の下り、それから畑薙ダムまで5時間の林道歩きである。余った食料を小屋番に寄付した。荷物は大分軽くなり、軽快に下り始める。深い原生林が真夏の太陽を遮ってくれる。樹林越しに聖岳や赤石岳が見えるところがあり、写真を撮る。
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樹林越しに聖岳が見える |
赤石岳も見える |
小屋番から熊が出たと聞かされたので、見通しの悪い曲り角は気持ちが悪い。熊から見て、Kさんと俺とどちらがうまそうかな、などと考える。先を歩く筆者はわざと大きな声でしゃべったり、ドタドタ靴音をたてて歩く。しかし下りは辛い。3日間の疲れが出てきて、あまり声も出なくなる。前方からガサゴソ音がした。ぎょっとして立ち止まると赤茶けた動物が飛び出してきた。心臓が凍りついた。呆然と立ちすくむ我々の横を、犬がハアハアと息をしながら通り過ぎていった。まったく人騒がせな犬だ。心臓麻痺でも起こしたらどうしてくれるつもりだ。
背丈ほどもある熊笹の間をなおも下ってゆくと、木の間に林道が見えてきた。最後に梯子を伝って林道に降り立った。椹島小屋への側道入口まで歩き、休憩した。
シャツを脱いで風を当て、甘味品などを取り出していると、「小屋で車をチャーターできないか聞いてみよう」とKさんがいう。山に来てまで文明の利器に頭を下げることを潔しとしない筆者は、「さあ、車がありますかね」と気乗りのしない返事をしていると、小屋の方からライトバンが上がってきた。やにわにKさんが手を振り回しながら車に近づいた。運転手と二言、三言話をしていたKさんがニコニコしながら戻ってきた。途中まで分乗させてくれるという。あわててシャツを着て、ちらかした武器やポリタンをザックに放り込み、車に乗り込んだ。動き出すと窓から涼しい風がはいってくる。筆者も内心では5時間の林道歩きがカットされてうれしかった。下剃石橋の近くで車を降ろされた。運転手はここから沢に下りて釣りをするという。心付けを渡し、ザックを担いだとき、ゴンスケがないことに気が付いた。あわてて車に乗るとき、道端に置き忘れたようだ。さすがに椹島まで捜しに戻る元気はなかった。こんなことなら車になんか乗るんじゃなかったと、暗い気分で歩き始める。愛用のゴンスケは毛足の長さ、柔らかさ、色と3拍子揃った逸品で二度と手にはいらないだろうと思うとショックだった。畑薙ダムまでの1時間半は本当に長く感じられた。
ダムの堰堤に着くと、山岳相談所のテントがあり、お茶をご馳走してくれた。またまたKさんが誰か赤石温泉まで送ってくれないかと申し出た。当惑している相談所の人を見て、筆者が「一時間ちょっとで行けますから、歩きましょうよ」といいかけたとき、指導員の腕章を付けた人が、「それじゃ、送ってあげましょう」といってくれた。世の中、ずうずうしい方が得するようだ。もっとも「武士は食わねど高楊枝」と気取りながら、おこぼれに与る筆者も大きなことはいえない。
赤石温泉ロッジの湯は、透明でスベスベしていて、肌が白く見えた。顔と腕だけは真っ赤に日焼けしていた。
夕食のニジマスとビールがうまかった。
バスが定刻前に通過してしまうハプニング
7月28日 赤石温泉 → 井川 → 金谷 → 東京
翌朝、始発のバスに乗ろうと定刻の5分前に宿から少し歩いて道路沿いのバス停に出たが、いつまで待ってもバスが来ない。井川から登山者を畑薙ダムまで運んだ折り返しのバスが定刻前にさっさと通過してしまったようだ。とんでもない話だが、仕方がないので宿に戻ってタクシーを呼ぶ。タクシーの運ちゃんがぶっ飛ばしてくれて、井川の手前でにっくきバスを追い越したので、いささか溜飲が下がった。振り向いてバスの運転手を睨みつけてやったが平気な顔をしている。本人は気が付いていないのだから無理もない。
井川でおもちゃのような大井川鐵道に乗った。ゴトンゴトンと走り出し、窓を一杯に開けると涼しい風が吹き込んでくる。夏雲の下で刻々と変わる大井川の渓相を眺めながら充実した山行を終えた満足感に浸っていた。
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