お花畑の仙塩尾根から塩見岳
(1973年8月)
 |
朝焼けの塩見岳 |
スーパー林道で楽になったけれど・・・
8月5日(日) 新宿 → 12:30 甲府 → タクシー 14:00 広河原
前年の夏、荒川岳から赤石岳へぐるっと廻り、南アルプスの良さを満喫したKさんが今年は北岳に行こうといってきた。それではと、筆者は北岳から塩見岳に縦走する計画を立てた。
新宿を朝出発する電車は混んでいた。甲府まで立ったまま。12時30分、甲府着。
駅前のタクシー会社で交渉し、広河原までチャーターする。芦安から夜叉神峠のトンネルを抜けて、野呂川沿いの林道に出る。落石が無造作に道路上に転がっているおっかない道だ。約1時間半で広河原に着いた。ロッジ風の建物が建ち、橋ができて、バス停までできている。10年前は小屋があるだけだったが。広河原小屋だけは昔ながらの廃屋然とした小屋だった。
ザックを解き、夕食の支度をしていると、夕立がやってきた。沛然と降り始めた雨は騒々しい音をたてて板葺きの庇を走り地面に落ちる。雷鳴が谷間にこだまする。山の上にいる人は怖い思いをしているだろう。一頻り降ると、夕立は去っていった。取り残された霧の塊が谷に沿って昇ってゆくと、陽が射してきて、鶯が鳴きだした。
岩とハイマツの美しい八本歯のコル
8月6日(月) 広河原小屋 4:35 → 6:30 二股 → 8:40 八本歯コル手前の水場 昼食 → 9:15 八本歯コル → 10:05 北岳と稜線小屋の分岐 → 10:50 北岳 → 11:15 分岐に戻る → 12:00 北岳稜線小屋
3時半起床。夜明け前の空に星が瞬いている。
アルファ米の飯を作り、みそ汁で腹にかきこむ。
ほの暗い闊葉樹林帯を登り始める。大樺沢は無粋な砂防堰堤で景観を損なわれている。2ピッチでかなりの雪渓が残る二股に着く。北岳のバットレスが威容を現す。大樺沢コースが一直線に八本歯のコルに突き上げている。
 |
 |
大樺沢二股 |
北岳バットレス |
雪渓上を登り始める。だんだんと沢が狭まり、振り返ると、遥か下の大樺沢出合からの道筋がすべて見える。向かいの鳳凰3山との背比べが高さの指標になる。右を見ればバットレスがますます近く大きく見えてくる。時折、雪渓の上部から手を切るように冷たい風が吹いてくる。雪渓が切れると小さな沢になった。吊り尾根が近づき、濃紺の空を背景に稜線上の緑の木々がくっきりと浮かぶ。その後ろを白い雲が流れてゆく。
最後の水場で昼食を取る。汗が引くと寒いくらいだ。
 |
 |
大樺沢を見上げる |
大樺沢を見下ろす |
ジグザグに小潅木の間を登り、最後の胸突きを一気に詰めて八本歯のコルに出た。大きな岩を伝って吊り尾根の稜線を登る。北岳が実に堂々と聳えている。岩とハイマツとお花畑、ちょっと笠ヶ岳の秩父平に似ているような気もした。時折霧に隠れ、再び青空にくっきりとそそりたつ様は実に荘厳だった。間ノ岳が黒いマッスとなって目に飛び込んでくる。道端に咲く小さな花が風に震えている。
やがて山腹を左に捲くようになり、北岳の主稜線に出た。
ザックを置いて、北岳を往復する。身軽になって稜線を登り、我が国第二の高峰北岳で展望を心ゆくまで楽しみたかったが、沢山の人が休憩していて、おまけにゴミの山で、ハイがぶんぶん飛んでいる。北岳のイメージを傷つけられ早々に引き返した。
 |
北岳山頂のKさん |
ザックを拾い、北岳稜線小屋に荷物を解いた。プレハブ作りの広くて明るい小屋だったが、夕方になると続々と登山客がはいってきて、満員になってしまった。テントの気安さが懐かしい。
南ア随一の重量感、間ノ岳
8月7日(火) 稜線小屋 6:00 → 6:30 中白根 → 7:30 間ノ岳 9:00 → 9:40 三峰岳 → 11:15 熊ノ平小屋
4時半に起床すると身を切るように冷たい風が吹いていた。東の空がオレンジ色に燃えてきた。日の昇らんとする地平の明るい青と、いまだ星の瞬く中天のダークブルーの間のグラデーションは、息を呑むような美しさだ。釣り尾根のボーコン沢の頭の右側に太陽が頭を出した。太古より繰り返される営みだが、夜明けにはいつも新鮮な感動を覚える。天頂の星が消える頃、富士山の黒いシルエットが浮かんできた。
今日は熊ノ平小屋までの余裕のある行程だ。6時に小屋を出た。一点の汚れもない空を背景に、朝日を受けた東斜面のハイマツと灰白色の岩稜がくっきりと視野に写る。反対側の斜面に長い影ができる。岩陰にイワギキョウが俯いている。あまりにも清澄な空気に、足の疲れも忘れて間ノ岳に着いてしまった。
 |
 |
仙丈岳は指呼の間 |
間ノ岳に向かって |
 |
間ノ岳は間近 |
何と広々とした頂上だろう。この大らかな山頂は本邦屈指である。時間はたっぷりある。筆者は手帳に四周の展望をスケッチし始めた。北岳の鋭角的なフォルムが目を惹く。その右下に視軸を動かせば地蔵岳のオベリスクが見える。左に振れば、甲斐駒ヶ岳、鋸岳、仙丈岳が紫の稜線をライトブルーの空に刻んでいる。八ヶ岳も奥秩父も薄紫のセロファンを置いたように、霞の上に浮いている。南面に目を転ずれば、仙塩尾根が徐々に高度を増し、行き着くところが塩見岳である。左に流れる尾根が少し盛り上がって蝙蝠岳になる。その後ろに荒川3山が塩見岳より高く見える。東岳と中岳の間に赤石岳が顔を出している。一度登った山を見るのは楽しい。スケッチが済むと、ザックを枕に昼寝した。最も幸せを感じる瞬間、もっとも贅沢な時間。
 |
 |
北岳、後ろは甲斐駒が岳 |
塩見岳、後ろに荒川岳、赤石岳 |
 |
間ノ岳山頂でKさん |
9時に満ち足りた気分で間ノ岳に別れを告げ、支尾根を三峰岳に向かう。この尾根は、並行する白根3山縦走尾根と仙塩尾根を結んでいる。岩稜のガラガラ道を下って、ほんの少し登り返すと仙塩尾根上の三峰岳である。高度は2999メートルもあるが、間ノ岳の支尾根上の小ピークという感じである。それでも、山梨県、長野県、静岡県の県境であり、また野呂川、大井川、三峰川の三方の氷河に侵食された残丘という来歴を持っている。
三峰岳から2つ、3つピークを越えて、樹林帯にはいる。スタスタ下ってゆくと、いつの間にか、お花畑の点在する熊の平小屋に着いてしまった。もちろん、一番乗りである。木の間越しに農鳥岳が見える気持ちのよい小屋だった。
蝙蝠岳によって塩見岳へ
8月8日(水) 熊ノ平小屋 5:00 → 7:15 北荒川岳分岐(北荒川岳往復) 8:00 → 9:00 北俣岳 9:40 → 10:45 蝙蝠岳 → 12:00 北俣岳 12:30 → 13:00 塩見岳 → 14:00 塩見小屋
5時、小屋を出発。樹林帯の道を行く。眺望は開けないが、柔らかい土を踏んで歩くのは気持ちがよい。荒倉岳を過ぎて、小さな岩のピークに出ると、行手に塩見岳が見えた。間ノ岳と農鳥岳の懐に発する大井川の源流が一望できる。
再び黒木の樹林帯に潜り、新蛇抜山で池の沢小屋への道を分ける。次第に展望が開け、そこここにお花畑が出てくる。
 |
 |
振り向けば間ノ岳 |
塩見岳が大分近づいてきた |
ガレを過ぎた稜線上のピークから、北荒川岳を往復する。仙塩尾根西側の大崩壊が凄まじい。崩壊のヘリをきわどく、心細げに続く縦走路が見える。
縦走路に戻り、お花畑で小休止。この付近のお花畑は見事としかいいようがない。ふと思いついて、紫の花一輪をナイフで切り取り、ガイドブックの間に挟んだ。今回の山行に参加を希望していたが休みの都合で来られなかったN嬢のために。松浪明さんの「風雪のビバーク」に挟んで進呈しよう。筆者が高山植物を採ったのは、この時が最初で最後である。
 |
 |
お花畑 |
お花畑 |
 |
 |
登山道の花 |
登山道の花 |
昼食前の1ピッチで、次第に高度を上げてゆく砂礫とハイマツの道を一歩一歩登り、北俣岳に着いた。ここで昼食。
丸っこい蝙蝠岳が目の前にある。何より名前がユニークだ。行ってみたくなった。Kさんは「留守番しているよ」というので、一人で出かけた。入口はやせた岩稜で、「これは・・・」と思ったが、すぐに広い砂礫の道になった。ザクザクと駆け足で進むと、樹林になり、再び岩礫帯になり、最後にドーム状の丘を登れば頂上だった。その先は緑の絨毯がなだらかに大井川に下っている。荒川岳の眺めが最高によいところだった。
帰りも飛ばしたが、最後はバテバテだった。往復2時間20分の寄り道だった。
 |
蝙蝠岳から戻った筆者 |
ザックを背負って目の前に立ち塞がる塩見岳に向かう。疲労が蓄積していて苦しい30分だったが、何とか天辺に到達し、Kさんと喜びを分かち合った。南アルプスのほぼ真中に位置しているので、主な山を確認できた。
ガラ場の急斜面をブレーキを効かせず、重力にまかせて駆け下りる。瞬時に浮石を避けて次の着地点を決める。経験と反射神経が必要だ。Kさんは慎重に下りてくる。天狗岩は塩見沢側に捲き、30分間一気に下ると、なだらかな尾根になった。ハイマツの間を歩いていると、塩見小屋に着いた。
小屋は2棟あったが、いずれも小さく粗末なものだった。小屋番の若夫婦と赤ん坊と犬が1匹いた。こんな不便なところで赤子を育てるのは大変だろう。客用の棟は三角屋根のテント型だった。床板の半分は外れて斜めになっている。正常な床板を選び、そっとザックを置いた。小屋の中で炊事はできないので、外で食事を作った。水場は小屋から5分ほど下ったところにある。
夕焼け空を見ながら食事をした。小屋から見る塩見岳は堂々としていた。
風通しのよい小屋なので、夜は寒かった。
 |
塩見小屋から塩見岳を仰ぐ |
仕上げは温泉で汗を流す
8月9日(木) 塩見小屋 7:30 → 9:15 三伏峠小屋 11:10 → 12:20 水無沢出合 13:00 → 13:30 塩川 15:30 バス → 鹿塩温泉
塩見小屋から三伏峠までは木の香の漂う樹林とお花畑の気持ちよい道だ。
 |
三伏峠に向かって |
三伏峠は広々とした草原で、立派な山小屋がある。電話もあり、南ア中部の重要なベースとなっているのだろう。
烏帽子岳方面を散策。小河内沢源頭の荒々しい崩壊壁と美しいお花畑が対照的だった。
バスの時間を確認して、後は下るのみ。毎度のことだが下りは辛い。心肺に負担がない分、膝の蝶つがいが悲鳴を上げる。1ピッチ強で水無沢にたどり着く。冷たい沢水で顔を洗い、塩川まで汗をかかないようにそろりと歩く。
塩川のバス停にザックを並べ、コーラを買って飲む。
鹿塩でバスを降り、旅館に泊まった。温泉で汗を流し、たらふく飯を食い、ゆっくり眠った。
Copyright Kyosuke Tashiro All rights reserved