錦秋の火打山、妙高山
(1984年9月)
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高谷池から火打山を見上げる |
火打山から妙高山を望む |
夕陽を浴びて錦秋の火打山に登る
9月21日(金) 23:58 上野 急行「妙高」 →
9月22日(土) 6:16 妙高高原 → 6:50 笹ヶ峰登山口 → 7:10 自然歩道 朝食 → 8:50 黒沢 → 9:40 十二曲り上 → 10:30 富士見平(黒沢ヒュッテ分岐) → 11:30 高谷池ヒュッテ 16:00 → 17:00 火打山 → 18:00 高谷池ヒュッテ
Kさんより秋の連休に山に行こうと話があり薬師岳を狙ったが急行「北陸」の寝台が取れず火打、妙高に行先変更する。金曜日の夜、退職女子行員の送別会が六本木のレストランで行われ、7時半に抜け出すも渋滞にはまり帰宅は9時40分。急いでパッキングし10時に家を出る。何とか発車20分前に上野駅に着く。Kさんは短パンで現れた。さっそく寝台車のベッドに潜り込む。十分睡眠を取れた。
翌朝、妙高高原駅でタクシーに乗る。赤倉スキー場を過ぎると朝靄の中に野尻湖が見えてきた。笹ヶ峰の広い草原は未だ緑が優勢だが背後の山の斜面では早くもカエデや山ウルシの紅葉が始まっていた。
登山口でタクシーを降り、朝日が漏れてくる樹林を歩き始める。途中で弁当を取り、黒沢を渡る。青い空、透き通るような緑の葉と色づいた紅葉のコントラストが素晴らしい。十二曲りの急斜面を登り切ると針葉樹が多くなり、木の香がプーンと漂ってくる。
富士見平に出ると黒沢岳の斜面は紅葉が始まっていた。緑の中に鮮やかな黄色と赤色が浮かび上がりその美しさは筆舌に尽くしがたい。
黒沢岳の中腹を巻いてゆくと火打山の円錐形の姿が現れてきた。さらに左に影火打、焼山と女性的な山容の山が連なっていた。9月なのに雪渓も残っている。
程なく緩やかな斜面の先に三角屋根の高谷池ヒュッテが見えてきた。根曲り竹に覆われた歩きにくい巻き道を過ぎ草原に出てわずかに登るとヒュッテに着いた。明るくてきれいな1階の大部屋で茶を飲んでから小屋の前のテーブルで即席ラーメンにモチをいれた昼食を作る。眼前に火打岳を背景にコメツガに囲まれた高谷池湿原が広がっている。何という素晴らしいロケーション。この絶景を眺めながらの昼食は最高だった。
その内に火打岳にガスがかかってきて、池のまわりにも漂ってきた。ガスの中を登る気もしないので小屋の2階で昼寝する。雷鳴も聞こえてきた。気温が上昇し積乱雲が発達したのだろう。
4時前にガスが消えてきたので火打に登ることにした。駆け足で高谷池の畔を回り、登りにかかると木道が出てきた。丘を越えると「天狗の庭」が姿を現す。紅葉の斜面に囲まれ池塘が散在する高層湿原だ。湿原の一角をよぎる木道をさらに行くと火打の稜線に出た。北側はかなり崩壊が進んでいる。雷鳥平を過ぎ最後の急登を凌ぐと頂上に出た。夕陽が射してきた。逆光の中に焼山が間近に見える。肩の辺りから吹き出す水蒸気とシューという音が風に乗って聞こえてくる。日本海方面はガスに隠れて見えない。妙高は横に大きく肩を張って雄大だった。赤く染まってくる頂上で刻々変わる四周の夕景をたった二人で独占するのは無上の贅沢だった。
六時に山小屋に戻り、1階で炊事をしてカレーライスをたらふく食べた。寝具は敷き布団、掛け布団、毛布、枕が揃っていた。本当に気持のいい山小屋だ。
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黒沢を渡る |
十二曲がりを登って一休み |
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妙高山が見えてきた |
焼山には一筋の噴煙 |
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火打山と焼山 |
三角屋根の高谷池ヒュッテが見えてきた |
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高谷池 |
火打山へ向かうKさん |
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火打山山頂にて |
火打山より妙高山を望む |
西側から20年振りに妙高山再訪
9月23日(日) 高谷池ヒュッテ 8:45 → 9:30 黒沢ヒュッテ → 10:30 長助池ルート合流点 → 12:00 妙高山 12:50 → 14:00 天狗堂 →
15:00 血の皿 → 16:00 燕温泉岡本屋
ぐっすり眠って4時半に目が覚めた。今日の泊まり客はまだぐっすり眠っている。外を見ると星も見えずガスっている。夜半に雨が降ったようだ。もう少し寝ていようと我々もまた布団に潜り込む。
5時半に起きると天気がよくなっていた。飯の前に写真を撮りに付近を散策することにした。木道が滑るのでよく見ると氷が張り付いていた。青い空と紅葉、池塘に写る火打の影、かげろうが漂う。稜線に出ると黒いシルエットで高妻山の端正な姿が見えた。遠く青いかすみの中に後立山の山並みが広がる。ひときわ目立つ雪渓を抱えた白馬岳、独特の双耳峰の鹿島槍はすぐに見分けることができる。東側に目を転ずれば逆光の中に黒々と怪異な山容を見せるのはこれから登る妙高である。何時間か後には遥かに見えるあの山の頂に立っているのだ。いつもながら人間の歩く力に感心する。日本海は朝靄に沈み姿を見せなかった。
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高谷池に映る朝焼け火打 |
小屋に戻って朝食を済ませ、8時45分に居心地のよい山小屋に別れを告げた。茶臼山に登る頃より妙高が黒い雲に覆われてきた。まことに日本海側の秋の空は移ろいやすい。黒沢池は辛うじて見えたが黒沢池ヒュッテに着いたときはすっかりガスに囲まれていた。高谷池ヒュッテはおとぎの国の家のようにメルヘンチックだったが黒沢ヒュッテもユニークな形をしている。
大倉乗越の登りは深いクマザサの海をカヌーに乗って漕いでいるような感覚を覚える。クマザサの緑に赤や黄色の紅葉とダケカンバの白い幹の配色の妙に目を奪われ、登りの辛さもしばし忘れる。乗越を通過すると急斜面のトラバースとなりシダのような葉が狭い道を覆う陰湿な下りとなる。薄いガスの中に黒々とした台形の妙高が迫ってきた。何という威圧的な姿だ。果たして登れるのか不安になる程の急傾斜でそそり立っている。長助池からの道と出会い、右に妙高への登り口を見付けほっとする。
枯れた小さな沢を登り始め、急登に急登を重ね、息を継ぐ場所もない。木の根を掴み岩角にすがりしゃにむに登ってゆく。森林帯を苦闘1時間、ようやく小灌木が多くなり、頂上の一角に顔を出した。岩陰に祠があった。横長の頂上には大勢の登山者が思い思いに頂上を究めた至福のときを過ごしていた。我々もどっかりと腰を降ろした。そのとき、さっとガスが払われ足許に広がる裾野が見えてきた。目線を上げると野尻湖が視認できた。振り返れば火打山、焼山の連山も望まれた。私がこの頂きに立ったのは2度目である。大学4年の夏休み、池の平でゼミの合宿をした最終日にみんなを連れて妙高に登ったことがあった。
ゆっくり昼食をとり、強い日射しの中を下山開始。急峻な岩稜地帯を汗をしたたらせて下る。地獄谷の荒涼とした岩だらけの道を惰性で足を運ぶ。高度差1500メートルの下りは辛い。3ピッチで燕温泉手前の吊橋に着く頃には膝が笑っていた。温泉客がそぞろ歩く中で今宵の宿を決め、ゆっくりと温泉に浸かって旅の汗を流した。
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稜線より黒沢池を見る |
黒沢湿原 |
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黒沢ヒュッテにて休憩 |
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紅葉の大倉乗越 |
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妙高山頂、背後に火打山、焼山 |
山頂展望、野尻湖が見える |
秋晴れの車窓展望
9月24日(月) 燕温泉 7:20 → 8:04 妙高高原駅 あさま11号 → 12:04 上野着
本日は快晴。車窓から妙高山を見上げる。東側から見る妙高山はひたすら明るく大きかった。
左右の山を見ながら走る列車は楽しい。浅間山が妙高に負けずに雄大な山容を誇示していた。
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車窓より妙高山を眺める |
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