三度目の挑戦で蓼科山に登る
(1984年10月)
 |
蓼科山(天翔寺平より、2007年撮影) |
見た目は女神、実は岩がゴロゴロ厳しい山
1984年10月10日(木) 5:30 自宅 → 9:00 御泉水(7合目) → 10:30 将軍平 → 11:00 蓼科山 12:00 → 13:20 7合目 → 17:40 自宅
首都圏に住んでいるとマイカーで日帰りできる「百名山」が結構ある。蓼科山もその一つだ。
蓼科山は均整の取れた円錐形のきれいな山だ。諏訪方面から見ると富士山に似ているので昔から「諏訪富士」と呼ばれている。優しい輪郭の山だから地元では「女神山」ともいわれている。私は大学1年のとき八ヶ岳に登りその山並みのすぐ北にひときわ姿のよい山に目がとまった。それが蓼科山だった。何時か登ってみたいと思った。3年になってチャンスがやってきた。他大学との合同ワンデルングで確か蓼科牧場から蓼科山に登ることになった。雨模様の中を出発したが一段と雨脚が激しくなり「御泉水」で引き返した。霧がかかって見えなかったが近くに湧水群があるらしくその雅な地名が印象に残った。2度目の挑戦は今年の9月だった。家族で八ヶ岳山麓にある銀行の寮に泊まり蓼科山に登ろうとした。だが朝から雨が降っていてやむなく蓼科山を諦め、横岳ロープウェイで坪庭に上って、雨具を付けて遊歩道を回った。そして今回3度目のチャレンジをすることにした。
体育の日の早朝、私は車に家族を載せて家を出た。中央高速の諏訪ICからビーナスラインにはいる。先月来たときは結構込んでいたが時間が早いせいか前後に車はない。蓼科牧場より夢の平スカイラインにはいり紅葉し始めた高原を上ってゆく。北面が開け穂高岳と槍ヶ岳が見えてきた。運転しているのでゆっくり見られないのが残念だ。御泉水の辺りは紅葉の真っ盛りだった。蓼科山の7合目を過ぎると舗装が切れかなり荒れた山道となった。大河原峠に行くつもりだったが引き返して7合目から登ることにした。
7合目の登山口に一の鳥居があった。9時10分に登り始めた。笹原にカラ松と白樺が混ざる明るくて気持のよい道である。30分も歩くと10名ほどのパーティーに追い付く。道を譲ってくれたので先に出る。50分歩かせたが子どもたちは案外元気で疲れた様子はない。次のピッチで大河原峠からの登山道と直交した。将軍平で小屋もある。右折して山頂に向かう。次第に傾斜がきつくなり岩だらけの歩きにくい道となる。振り返ると将軍平の小屋が眼下に小さく見え、緩やかになった斜面の先に大河原峠があった。だがいつの間にかガスがかかってきて眺望がきかなくなった。先頭を行く長女が大きな岩にペンキで「あと5分」と身軽書かれているのを見つけ、俄然長女と長男のピッチが上がる。カミさんと私がフウフウいって付いて行く。子どもたちは案外丈夫だなと感心する。間もなく広い頂上の一角に飛び出した。小屋がありその横を通って三角点に向かう。全体としてはかなり広い平坦な山頂であるが、黒い岩が累々と積み重なって土がない。一木一草もない殺風景で異様な山頂である。色々な形の岩が散り敷かれているから歩きにくい。慎重に足許を定めてようやくやぐらで囲まれた三角点に着いた。そそくさと記念写真をして岩陰に腰を降ろす。視界は頂上を見渡せる程度で暗い。吐く息が白くなるほど寒い。子どもたちにセーターとヤッケを着せて、私は昼食の支度を始める。ガスバーナーに点火しコッフェルで湯を沸かしラーメンとモチをいれる。子どもたちは興味深げに眺めている。日頃台所にはいったことがない私が料理しているのが珍しいのかもしれない。手早く仕上げたラーメンをめいめいの食器に分けると「美味しい」と喜んで食べた。食後の紅茶もいれて1時間ねばったが遂に展望は開けなかった。
蓼科山はその外見から女性的な山という印象を持っていたが、登ってみると頂上に近づくほど荒々しく険しい山だった。山頂はまさに火山でできた山であることを如実に物語っていた。ようやく登頂を果たした蓼科山であったが絶景であろう眺望までは与えてくれなかった。やはり私にとって蓼科山はついてない山だった。
 |
 |
クマザサの登山道 |
ダケカンバの登山道 |
 |
一の鳥居 |
 |
岩がゴロゴロ、蓼科山山頂 |
Copyright Kyosuke Tashiro All rights reserved