大菩薩嶺は明るく優しい山だった

(1984年11月)

 
大菩薩嶺
大菩薩峠より大菩薩嶺を望む

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母の故郷の山は観音菩薩のようだった

11月3日(土) 自宅 6:00 → 10:00 上日川峠駐車場(長兵衛山荘) → 10:26 福ちゃん荘 → 11:46 雷岩 → 12:00 大菩薩嶺 12:15 → 12:15 雷岩付近 13:15 → 14:40 上日川峠駐車場(長兵衛山荘) → 自宅
 
 百名山には蔵王山、至仏山、薬師岳、常念岳など抹香臭い名前を付けられた山がある。大菩薩嶺などはその最たるものだ。新羅三郎が奥州征伐の途中この峠を越えるとき「おお八幡大菩薩」と叫んだという由来からみれば八幡平や両神山のような神道系の系列となろうが、神仏混淆の大らかな宗教観のこの国のことだからどちらも有り難い山名であろう。無宗教の私でも「大菩薩嶺」という名前は悪くないと思う。
 大菩薩嶺のある塩山市は私の母の故郷である。小さい頃何度か母に連れられて遊びに行ったことがあるが、大菩薩嶺がどの山か教えられたことはなかった。後年「日本百名山」に選ばれていることを知って「へえ」と思った。日帰りできる山だったので今回も家族と一緒に登ることにした。
 文化の日、雲一つない秋晴れだった。自宅を6時に出発。高速道の入口で早くも車が列をなしていた。談合坂辺りから渋滞が始まった。大月で事故があったようでほとんど動かない。3時間かかってようやく勝沼ICに着き、ほとんど車が走っていない甲州街道と青梅街道を背後に陽を浴びて北上する。次第に上り坂になり、雲峰寺の登山口からは狭い山道になった。落ち葉散り敷くつづら折りを上って行くと深い谷間のでこぼこ道となり際どい場所も出てくる。不安になったがタクシーがすれ違ったのでほっとする。程なく長兵衛山荘の駐車場に着いた。
 登山靴に履き替え出発。紅葉も過ぎた枝の間に青空が広がる。福ちゃん荘の裏手から唐松尾根を登る。日影には霜柱が立っている。振り返る度に富士山が大きくなっていく。塩山の市街地からは御坂山塊に遮られて富士山は頭の部分しか見えないが、今や裾野はまだ雲海に隠されているが驚くほど高く大きく均整の取れた富士山が望めるのだ。足下には塩山の町並み、その奥に甲府盆地の縁を一直線に走る中央高速道が薄もやの中に見えた。写真を撮りながら底抜けに明るいカヤトの斜面を登ってゆくと稜線上の雷岩に着いた。数パーティーが休憩していた。
 ザックを置いて大菩薩嶺を往復する。木に囲まれた狭い頂上にも数パーティーが写真を撮ったり腰を降ろして満員だった。
 雷岩に戻り休憩場所を捜しながら大菩薩峠に向かう。強い風が甲州側から吹き上げてきてかなり寒い。岩陰を見つけて昼食とする。例によってラーメンを作り、子どもたちと楽しく食事をする。眺望が素晴らしかった。正面に北岳、間ノ岳、農鳥岳の白嶺三山が早くも白雪をまとって等間隔に秀麗なフォルムを競っていた。手前に鳳凰三山のシルエットが幻想的である。さらに右に目を転ずれば大菩薩嶺の左肩にかかって八ヶ岳が見えた。奥秩父は慎ましくも武州側の樹林に隠れているが、木の間から金峯山、国師岳、甲武信岳を垣間見ることができる。雲鳥山、七つ石山、奥多摩の山は濃紺の空のもと明瞭であった。
 1時間の休憩の後、稜線を中里介山の小説で有名な大菩薩峠まで下り、介山荘の前を通って幅の広い歩きやすい道を下った。勝縁荘の前には姫ノ井沢の清流が流れていた。後は平らになった広い道をのんびりと長兵衛山荘まで歩いた。天気に恵まれた初冬の山歩きだった。
 母の故郷の山は明るく優しかった。山名に因めば武張った八幡大菩薩ではなく慈悲深い観音菩薩のような山だった。
                       
 
大菩薩嶺を見上げる 富士山
登山口より大菩薩峠を見上げる 富士山が見える
 
大菩薩峠 大菩薩を見る
大菩薩峠より大菩薩峠を見上げる 山頂から大菩薩峠を見る
 
展望、奥秩父方面 展望、金峰山
山頂展望、奥秩父方面 山頂展望、金峰山方面
 

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