雪渓に囲まれた山頂で昼寝、巻機山

(1986年6月)

 
割引岳 巻機山
天狗岩、ヌクビ沢、割引岳(1986年6月) 残雪の巻機山(2006年6月)

表紙ページに戻る


深夜のサービスエリアは意外に騒々しい

6月13日(金) 自宅 19:20 → 20:00 K氏宅 → 24:00 関越自動車道石打湯沢SA(仮眠)
 Kさんと巻機山に行くことにした。
 巻機山にはTWVの山小屋がある。私がTWVにいた頃、巻機山の麓に山小屋を作ろうとしていた。部員は代わる代わる整地作業に駆り出され、私も参加した。敷地には大きな岩がごろごろしていてツルハシを振るって悪戦苦闘した。土方作業をするだけで巻機山に登る時間はなかった。私は3年の夏合宿後に退部したので、労働奉仕するだけで完成した山小屋を利用することはなかった。あれから20年経った。
 関越自動車道が完成して越後方面への交通が便利になっていた。金曜日の夜、仕事を終えて急いで帰宅し、山の支度をして車に乗り込んだ。ラジオで西武対近鉄戦を中継していた。死球を受けたデービスが怒って東尾投手に殴りかかり、両チームの乱闘になっていた。
 三鷹のKさん宅に寄ると、まだ肌寒いのにKさんは例によって短パン姿で現れた。
 練馬から関越にはいり、夜の高速道路を順調に走る。高坂SAで休憩。あとは石打まで一気に走る。
 深夜のSAは自動販売機だけが営業している。即席うどんをすすり、Kさん持参のワインを飲んで寝る。Kさんはシュラフを持ち出し草の上でオカンした。私は車の中でリクライニングシートを倒して寝ようとしたが、なかなか眠れなかった。あまりにも寝心地が悪いので、後部座席に移り、エビの様に体を曲げて眠った。ひっきりなしに車が出入りし、エンジンを掛けっぱなしで駐車するトラックが多く、騒々しくて安眠できない。

雪渓に囲まれた山頂で至福の昼寝

6月14日(土) 石打湯沢SA 5:00 → 5:40 桜坂駐車場 → 6:45 5合目 → 7:54 7合目 → 8:40 ニセ巻機 → 9:30 聖地 → 10:16 割引岳 → 11:10 牛ヶ岳 12:10 → 12:40 聖地 → 14:50 桜坂駐車場 15:30 → 21:00 帰宅
 あたりが明るくなり5時に起きる。2〜3時間は眠れただろうか、まずまずの気分である。Kさんのオカンは快調だったという。
 持参の握り飯を食べて出発。六日町のインターまでは一走り。(すぐ石打湯沢インターを出るのが正解だった)
 清水峠に通じる旧街道を淡々と登ってゆく。舗装されたアスファルト道が続く。上杉謙信が関東経略の野望を秘めて登ったのはこの道なのだろうか。今では東京から5〜6時間で来てしまうが、あまり便利になりすぎると旅のロマンが薄れてくる。山の思い出はアプローチの長さに比例するようだ。
 清水で左の細い道にはいる。舗装は切れ、でこぼこの山道をゆっくり登ってゆくと、米子沢を越えたところに桜坂の駐車場があった。
 登山靴に履き替え早速歩き始める。すぐに分岐があり右に井戸尾根コースを取る。半年振りの山道を多少おぼつかなげに足を運んでいると、湿った土の匂い、木の匂い、太古変わらぬ森林の佇まいに再び山に来た喜びが込み上げてくる。雑木林のゆるやかな道が次第に急になって息が苦しくなる頃、尾根に飛び出した。5合目、焼松である。涼しい風がさっと汗に濡れた顔を冷やす。米子沢の源流から一直線に降りて来た白い雪渓が切れて豪快な滝となって流れ落ちる。実に爽快な景観だ。ブナの新緑を透して朝日が射してくる。
 幅広い尾根を左に移り、6合目展望台に着く。割引岳に突き上げる尾根の末端が巨大な三角推の岩山となっている。天狗岩である。割引沢の雪渓が涼しげだ。トウゴクミツバツツジであろうか、鮮やかな紅色の花が咲いている。いつになっても山野草の名前を覚えられない。しきりに鶯が囀っている。
 ブナの林を抜けると開けた尾根となり、上越国境の山がもやの中に浮かんでいた。
 7合目の物見平で一休み。ニセ巻機までの急斜面を登り切ると、米子沢の先に、白い雪と濃緑の針葉樹と茶色の笹が織りなす牧歌的な景色が広がっていた。正面にドームのような巻機山と、左にピラミッド型の割引岳が見えた。
 
米子沢の雪渓 割引岳
米子沢の雪渓と牛ケ岳 割引岳

 ニセ巻機の下り斜面は雪に覆われている。ザクザクとザラメ雪を蹴散らし鞍部に降りると立派な避難小屋があった。大小の池を通り過ぎ、雪から顔を出したばかりの赤い土を踏みしめ、大らかな斜面を一歩一歩登り、遂に山頂稜線に出た。
 正面には黒い岩肌に雪渓が食い込んだ越後三山が対峙していた。振り返れば南に大源太山から谷川に続く稜線が紫のシルエットになって浮かんでいた。
 
牛ケ岳 割引岳
牛ケ岳、遠くに谷川連峰 越後三山(八海山、駒ケ岳、中ノ岳)

 ザックをデポして割引岳を往復する。シラビソの点在する広い稜線は一面の雪原で、初夏の日差しを反射している。鞍部を過ぎ急になった斜面を一気に登れば、一等三角点のある割引岳に達した。
 聖地に戻り、反対側の牛ヵ岳に向かう。まことにのんびりとした草原だ。シャクナゲやハイマツの中を一筋の道が伸びている。地塘にさざ波が漂う。草原の端に位置する岡が牛ヵ岳であった。遙か南に奥利根源流の藤原湖が見えた。
 聖地に戻って、草の上で昼食にする。すぐ傍の雪渓に埋めておいた缶ビールで乾杯。ラーメンに餅を入れて食べる。デザートは桃の缶詰。満腹した後は暫し昼寝。日除けのタオルを顔に乗せて大の字になれば、気の遠くなるような心地よい眠りに吸い込まれる。
 小1時間昼寝して帰途に付く。一気に駆け下りるとビールを飲んで怠惰になった体が悲鳴を上げる。午後の強い日差しに汗が噴き出す。惰性で歩いていると、左膝の関節が痛くなり、堪らず6合目で休憩。だんだん無理が利かない年齢になってきたようだ。Kさんは元気である。
 うるさい程のセミ時雨の中をテレテレと下る。今頃セミが鳴くのかと思ったが鳥の囀りとも思えなかった。(後年、エゾハルゼミと知った)
 漸く桜坂の駐車場に辿り着いた。米子沢の河原に降り、誰もいないのを幸いパンツ一枚になって、水に濡らしたタオルで体を拭った。手の切れるような冷たい水で非常に気持がよかった。
 3時20分、東京に向かって車を出した。

2006年、再び巻機山に登る

 ワンゲルの仲間のO君に誘われ、巻機山に登った。TWVが山小屋建設時に大変お世話になった清水の民宿「雲天」に泊まることになった。
 東京をゆっくり出て、3時頃には「雲天」に着き、山小屋を見に行くことにした。TWVを中退した私は山小屋を見るのは初めてだった。山小屋には先輩のWさんが小屋番をしていた。OBがボランティアで小屋のメンテナンスをしているようだ。室内はきれいに手入れされていた。しばらく雑談をして「雲天」に戻った。
 夕食は山菜をたっぷりの料理で、地元の名酒「八海山」を飲んだ。TWVのOBは女将のことを「かあちゃん」と呼んでいる。O君は学生時代から「雲天」に通っているのでもちろん「かあちゃん」とは顔なじみだから話は尽きない。今年は豪雪で知られる当地でもかつてない大雪だったそうで、家が潰れるかと心配したそうだ。昨年の秋には熊が庭の柿の木に登っているのを見てたまげたそうだ。
 
TWVの山小屋 山小屋より巻機山を見る
TWVの山小屋 山小屋より巻機山を見る

 翌6月2日、巻機山を往復した。登り初めてすぐ雪が出てきて、殆どの行程を雪の上を歩いた。アイゼンを付けなくても歩けたが、雪を被ったブナの枝に邪魔され、難儀した。夏道が殆ど消えているので、幅広い尾根を右から左に移るところでルートファインディングに時間を食った。ようやく夏道を見付け尾根の左側にでると天狗岩の絶景が現れた。今回もピンクのツツジに出会うことができた。
 
ツツジ ニセ巻機
ツツジ ニセ巻機

 ニセ巻機から先は一面の大雪原で、巻機山山頂も雪で覆われていた。
 
巻機山山頂
巻機山山頂標識の横で

 前回登ったときから10年経っているが、それほど体力の衰えは感じなかった。最近使い始めた両手ストックの効果だろうか。
 帰りに「雲天」のかあちゃんから段ボール箱一杯の山菜を土産に貰った。

トップページに戻る


Copyright Kyosuke Tashiro All rights reserved