息子に先導されて八幡平、岩手山へ
(1986年8月5日)
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八幡平山頂で |
岩手山山頂を望む |
台風の影響で列車が出るかヤキモキ
8月5日(火) 自宅 18:30 → 上野 21:07 「あけぼの」1号 →
今年の夏休みは10歳の長男と岩木山、岩手山に登ることにした。
月曜日に台風10号が上陸、各地に大雨を降らせた。火曜日、東京は台風一過の抜けるような青空となったが、各地で河川が氾濫していた。東北新幹線も開業以来初めてダイヤが乱れ、在来線の不通も伝えられていた。しかし、本日乗車予定の夜行列車が出るのか出ないのかはっきりしない。とにかく上野まで行ってみることにした。妻と長女が上野駅まで見送りにきてくれた。
上野駅のコンコースは右往左往する人で一杯だった。「あけぼの」1号は動くということなのでホームに並んだ。発車時刻の直前に列車が入線した。長男が一緒というので妻が奮発したA寝台はゆったりしていて気持がいい。長男は大喜びで上段に登ったり下段に降りたりしている。列車は17分遅れで出発した。長男と少しおしゃべりをしてから歯みがきをさせて寝かせた。
線路冠水のため列車の運行中止、やむなく計画変更
8月6日(水) 塩釜 → 仙台(新幹線)→ 15:05 盛岡 ホテルサンルート
目が覚めると大河原という駅に停車していた。奥羽線経由から北上線経由に変更されていた。3つ先の岩沼駅構内が冠水しているということで、そのまま4時間停車。その後はのろのろ走っては止まるの繰り返し。線路の両脇の水田が水を冠っている。漸く仙台駅に着き、弁当が支給された。何もすることがないのでひたすら寝ている。しばらくして走り出した列車は塩釜駅で吉田川氾濫のためとかで運転中止となった。もう1時を過ぎていたので、本日予定していた弘前から岩木山に登ってから盛岡に泊まる計画は諦め、盛岡に直行することにした。上り線で仙台に戻り、特急券の払戻しを受け、新幹線で盛岡に向かった。3時過ぎに盛岡駅に到着。また精算所で行列して乗車券の払戻しを受ける。
予約してあるホテルサンルートに旅装を解く。北上川は茶色の水がかなりの勢いで流れていたが、想像していたほどの大河ではなかった。駅前のレストランで夕食。看板で宣伝しているほど美味くはなかった。物足りないのでスーパーでカップヌードルを買ってホテルの部屋で食べた。こちらの方が美味かった。
八幡平は霧の中
8月7日(木) 盛岡 8:40 → 10:15 八幡平頂上バス停 → 11:10 八幡平頂上 → 12:15 バス停レストハウス 14:00(バス) → 15:50 盛岡 16:35(バス) → 17:30 網張温泉
ホテルの朝食はバイキング。たっぶり食べる。
盛岡駅より八幡平頂上行きのバスに乗る。しばらく高速を走ってから山に向かう。岩手山は中腹から上はガスの中。バスのワイパーが動き出し、ガスの中に突入してゆく。10時15分、八幡平頂上駅に着いた。
レストハウスで雨具を着て、小雨の中を頂上に向かう。遊歩道を通り11時10分、八幡平頂上に到着。その後、八幡平を一周する。雨は降ったり止んだり。一瞬霧が晴れると、アオモリトドマツを背にした明るい草原が現れた。ニッコウキスゲの群落、ぽつんと咲いているコオニユリ。まさに山上の楽園。どんな贅を尽くした庭園もかなわぬ配材の妙。僅かに許された百メートル内外の視界であったが、かつて尾瀬や田代山で感じたような歓びを味わった。しかし霽れたかと思うとまた霧に包まれて、八幡平の全貌は遂に目にすることができなかった。
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八幡平の池塘 |
コオニユリ |
レストハウスに戻り、14時発のバスで盛岡に向かう。駅ビルでラーメンを食べてから、網張温泉行きのバスに乗った。
杉や赤松の樹林の中を一筋の有料道路が走っている。木の間に緑の草原がなだらかに起伏している。放牧された牛や羊がのんびりと草を食んでいる。小岩井農場の中をバスは20分も走り続けた。5時30分、網張温泉に到着した。
温泉に浸かってから夕食。品数は多いが冷めている旅館料理の典型だった。別館の6畳の部屋はトイレ臭かった。
明朝早立ちのため朝食用の弁当を受取り、精算をすませる。登山に不要な荷物をフロントに預ける。
何となく寝付けない。羊を500匹まで数えたが馬鹿らしくなって止めた。小岩井農場で見たドロで汚れた羊を思い出す。トイレに3回も通う。
岩手山、膝を痛めて、小五の息子の後を追う
8月8日(金) 網張荘 6:30 → 7:00 第1リフト乗り場(リフト) → 7:34 第3リフト終点 → 7:49 犬倉山 → 8:27 松川分岐 → 9:28 お花畑 → 10:37 不動平 → 11:15 岩手山山頂 → 11:46 不動平 → 13:13 お花畑(御苗代湖) → 14:00 松川分岐 → 14:50 弟3リフト乗り場(リフト) → 15:30 網張荘 16:53 (バス) → 18:00 盛岡 18:13(やまびこ72号) → 23:10 自宅
5時45分起床。6時20分出発。リフト乗り場に一番乗り。待っている間に朝食の弁当を食べる。7時近くになると続々とマイカーが到着。親子連れもいる。
リフトはきっかり7時に動き出す。ゆっくりとガスが上がっていく。朝日を受けて緑の草が輝く。トンボが微かに羽を震わせて体が暖まるのを待っている。
3本のリフトを乗り継ぎ、歩き出すとすぐに尾根に出て、赤トンボの群れをかき分けるようにして犬倉山に着く。
いったん下って、アオモリトドマツとクマ笹に覆われた姥倉山のなだらかな道を登る。
黒倉山の南を捲いてお花畑コースと鬼ヶ城コースの分岐の切通しに出る。左にクマ笹のかぶさる道を大地獄谷に下ると、プーンと硫黄の匂いがする。沢沿いに上流に向かい、上り切るとニッコウキスゲの咲く湿原に出た。お花畑である。右に黒々と鬼ヶ城の尾根が迫り、前方に大きな岩手山の山腹が見えた。
小休止の後、湿った樹林帯を登って行くといつの間にか荒れた涸谷に出る。今週の台風によるものか生々しい土砂が押し出されている。30メートル程の壁にぶつかり、左側を木の根に掴まりながらよじ登る。土砂に埋もれたを樋状の涸谷を通り抜けると、いつのまにか明るく開けた不動平に出た。雲が流れて青い空を背景にドームを乗せたような岩手山の山頂が見えてきた。
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気持ちの良い草原 |
山頂をバックに |
ドームを捲くように一歩登ると半歩ズリ落ちる砂礫の道を蝸牛のように進む。外輪山の縁に着くと頂上は間近だった。赤茶けた火口を見ながら岩手山の頂稜を極めた。眼下は厚い絨毯を敷き詰めたような雲が広がり展望は全くきかない。僅かに不気味な火口壁の内側を見るのみだった。
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火口を回って登る |
岩手山山頂 |
不動平に戻り、湯を沸かしてカップヌードルで昼食。
結構長い下山路だった。私は大分草臥れてきて、切通しの登りで顎を出したが、長男はスイスイと登っていく。姥倉山の下りにかかる頃から右膝の関節が痛くなってきた。夏の日差しが照りつけてきて、空腹にも苦しめられる。無数の赤トンボが護送船団のように付いてくる。漸くリフト乗り場に辿り着き、カタカタとリフトに揺られて麓に向かった。広々とした岩手山の緑の山麓は美しい。遠く盛岡市街も見えた。
網張荘の温泉で汗を洗し、バス、新幹線を乗り継いで帰京した。息子の成長が印象に残る山旅だった。
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