車故障にもめげずに早池峰山、岩木山へ
(1989年8月)
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早池峰山頂は雲の中(川原坊登山口より) |
岩木山(スカイライン入口付近より) |
東北の名峰、蔵王、早池峰山、岩木山へ
3年前に息子と八幡平、岩手山に登って以来、仕事が忙しくなって山に行けなかった。久し振りに夏休みに山に行けるようになった。今回は前回行き損ねた岩木山と、蔵王、早池峰山を回る「百名山東北シリーズ第2弾」である。前回付き合ってくれた息子は中学生になり部活が忙しいというので単独で行くことにした。鉄道にするか車にするかで迷ったが自由度が高い車にした。最初に蔵王、次に早池峰山、最後に岩木山という計画を立てた。
熊野岳を目指すも通行止め、さらに車故障
8月8日(火) 自宅 5:00 → 10:00 東北自動車道白石IC → 10:30 蔵王エコーライン途中、通行止めで引き返す → 11:30 東北道古川IC手前で故障 → 12:30 古川市の整備工場 → 13:30 レンタカー → 15:10 東北道紫波IC出口 → 16:20 峰南荘
早朝自宅を出発。青森県まで往復1400キロ超の長距離ドライブは初めてだ。初日は蔵王を目指す。私にとって蔵王といえばスキーである。学生時代に初めて蔵王に行ったとき、ロープウェイ山頂駅からスキーを担いで地蔵岳の頂上まで登った。そこから樹氷原の中をパラダイスまで滑り降りたのは最高だった。蔵王が我が国屈指のスキー場であるのは山が穏やかで山頂に近い所までスキーができることによるのではないかと思う。蔵王の最高峰は熊野岳なので今回登ることにした。刈田岳のすぐ側まで車で行けるので、そこから往復することにした。
渋滞もなく順調に東北自動車道を北上、白石ICで下り、市街地を少し走って蔵王エコーラインにはいった。蔵王の宮城県側から刈田峠を越えて山形県に通じる観光道路だ。当初は有料道路だったが数年前に無料になったようだ。大らかな山腹をつづら折りに登ってゆく。山頂部が近くなったところに駐車スペースがあり、その先が道路工事中とかで通行禁止になっていた。夏休み中の行楽シーズン真っ盛りにそんな馬鹿なことが許されるのかと思ったがどうすることもできない。蔵王はまたの日にと諦めて引き返した。
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通行止め地点より蔵王山 |
東北自動車道に戻り早池峰山麓の宿に向かった。カンカン照りだがクーラーをいれた車内は涼しい。走っている車はまばらである。仙台を過ぎ、長い上り坂が続いていた。スピードが落ちてきたので時速100キロを維持しようとアクセルを踏み込んだ。何か抜けるような感じでエンジンが反応しなかった。徐々にスピードが落ちてきた。おかしいなと思って計器板を見ると水温計の針が「H」を指していた。オーバーヒートだ。慌てて車を路肩に寄せ停車させた。停止表示板を後方に置いてからボンネットを開けた。焦げ臭い臭いがして煙が出ていた。ファンが回っているのでそのまま水温が下がるのを待った。8月は定期点検の時期だったが今回の旅行を済ませてからにしようと思ったのが間違いだった。後悔しても始まらない。水温が下がったのでエンジンをかけてみたが車は動かなかった。JAFを呼ぶほかはない。1キロごとにある非常電話を探して300メートルほど歩いた。受話器を取ると応答があった。故障したことを伝えるとJAFがそちらに向かうから待っているようにということだった。車に戻り、ガードレールの外側で待った。カンカン照りの中で30分ほど待っているとレッカー車がやってきた。JAFの担当者では修理できないというので修理工場まで牽引してもらうことにした。ロープで引かれてゆっくりと高速道路を走り出した。ロープが弛まないようにハンドルとブレーキ操作をしなければならないので楽ではない。古川ICを出て近くのSモーターズに運ばれた。牽引料を徴収するとJAFは引き上げていった。社長がボンネット開けてちょっと調べると即座にエンジン交換が必要だといった。鉄でできたエンジンがオーバーヒートでパーになるというのは信じられなかった。部品を交換すれば直ると思っていたのでショックだった。修理にどの位時間がかかるのか聞いてみると、社長は電話で中古エンジンを探してくれて4日で直るといった。費用は15万円くらいだという。私は電話を借りて、妻にSモーターズの口座に15万円振り込むように頼んだ。そしてレンタカーを借りて予定通り山行を続けることにした。
タクシーを呼び、ザックや登山靴を持って古川駅近くのレンタカー店に行ってもらった。借りたのはマツダの真っ赤な小型車でマニュアル操作だった。レンタル料は3日で2万6千円だった。
手続きが終わるとすぐに出発した。蔵王に登らなかったので早池峰の宿には予定通りの時間で着きそうだった。1時間半ほど走って紫波ICで下りた。市街地や主要国道を抜けて目的地まで一本道の県道25号線にはいった。行き交う車も少なく日本の原風景のような山村風景が続く。山が迫ってきて上り坂になった。曲がりくねった細い道を登ってゆく。まったく車が通らない。どんどん人里から離れ、ここで故障したらどうしようと不安になってきた。ようやく峠を越えてほっとした。登った分だけ下って、後は川に沿ってゆっくり登り小さな山里の集落、岳に着いた。早池峰神社の先に今宵の宿、嶺南荘があった。ロッジ風の宿で客は他に1組いた。
トラブル続きの一日だったが登山を継続することができたのは不幸中の幸いだった。
岩と高山植物の早池峰山
8月9日(水) 峰南荘 5:10 → 6:00 河原坊 → 6:48 頭垢離 → 8:00 打石付近 → 8:38 早池峰山 9:05 → 10:00 頭垢離 → 11:00 河原坊 11:55 → 13:00 紫波IC → 弘前IC → 16:30 嶽ホテル泊
早池峰山は名前が印象的で、アルプス地方のエーデルワイスに似たハヤチネウスユキソウが咲く山として有名だったから、学生時代から登りたいと思っていた。ようやくその思いが叶えられるというのにあいにくの曇り空だった。
朝食の弁当を食べてから車に乗り、深い霧の中を登山口の河原坊に向かった。たちまち窓が曇ってきた。エアコンで曇りを取ろうとしたが慣れない車でうまくいかない。ワイパーをかけ、タオルで窓を拭いながらゆっくり車を走らせる。細い道で両側から樹林の枝葉が覆い被さってくる。30分ほどで河原坊の駐車場に着いた。
登山靴に履き替え、左側の岳川の河原に下って飛び石伝いに渡り、支流のコメガモリ沢沿いの登山道を登り始める。蛇紋岩のツルツルした岩が多く歩きにくい道だ。鶯のさえずりに慰められる。霧が全身を包み、帽子からポタポタと水滴が落ちてくる。1ピッチで頭垢離(こうべごうり)に出る。昔の登山者はここで水垢離して身体を清めたようだ。コメガモリ沢の源流で尾根に出る。緑のハイマツの中を岩の道がまっすぐに続いている。早池峰山を特徴付ける蛇紋岩の大岩が次々に現れる。天狗が飛行中に霧に巻かれて頭を打ちつけたという打石(ぶついし)や縁結岩などの名前を付けられた奇岩が次々と現れる。迷いやすい所には岩にペンキで矢印が付けられている。岩陰に高山植物がけなげに咲いている。早池峰山には氷河時代生き残りの固有種が多い。ハヤチネウスユキソウを見たかったが少し時期が遅かったようだ。しかしミネウスユキソウやナンブトウウチソウらしき花があった。私は高山植物に詳しくないので目で見た多くの花の名前を挙げることができないのは残念だ。頂上に近づくほど斜面が急になってきた。荒い呼吸をしながら岩を攀じ登ってゆく。視界はますます悪くなり夕闇のように暗くなってきた。霧の中を進んでいくと遥か頭上に切り立った大岩が突然現れてくる。まるで冥界をさまよっているように感覚に囚われる。一人で登っているのが心細くなる。それでもたゆまず登ってゆくと奥宮の祠や山頂標識が見えてきてようやく山頂に達した。小さな小屋もあった。案外広い山頂には誰もいなかった。小休止して甘味品を口に運んだ。眺望がまったくないのは残念だった。晴れていれば三陸海岸や太平洋も見えるのだろう。
天気の回復を待つ余裕はないので早々に下山することにした。しばらく下りてゆくと数名のパーティーが登ってきた。立ち止まって道を譲ると、肩で呼吸しながら「こんにちは」、「有り難うございます」と挨拶してすれ違っていく。こちらは下りの余裕で挨拶を返す。標高が下がると霧が晴れてきた。青空も出てきて、向かいの薬師岳も見えてきた。緑の絨毯の中に河原坊への道が一筋になって見え隠れしていた。
河原坊に戻って名残を惜しむように振り返ると緑の尾根が右から左に緩やかに高度を上げているのが見えたが、急峻な山頂部はいまだ雲の中にあった。いつも晴天に恵まれることはないのが山である。眺望には恵まれなかったが念願の山に登れて十分な満足感があった。
駐車場でラーメンを作って腹ごしらえをした。それからポロシャツに着替えて弘前に向けて出発した。早池峰神社のひなびた鳥居があったので写真を撮った。この神社の例大祭では500年以上の歴史がある「早池峰神楽」が奉納されるという。この村の人々にとって早池峰山は不即不離の山なのだろう。早池峰山は遠野盆地の北端にある。柳田國男の「遠野物語」では女神が三人の娘を連れて遠野に来たとき、もっとも良い夢を見た娘に好きな山を与えるとして、末娘が「最も美しい山」早池峰山を得たという伝承が記録されている。都会のコンクリートと喧騒の内で過ごす私は、それと正反対の自然と共存している村里に共感を禁じ得なかった
一度通った道は安心だ。昨日不安を感じながら運転していた峠道も気持ち良く登り、ヒール・アンド・トウのドライブテクニックを駆使してスイスイ下った。紫波ICで高速に乗ってからは淡々と車を走らせた。3年前に登った岩手山が実に大きく見えた。大鰐弘前で高速を下りると岩木山が見えてきた。リンゴ畑の中の道は車も少なく快適なドライブだった。のどかな田園風景に似合わない自衛隊の車両が何度かすれ違った。岩木山の麓にある嶽温泉の嶽ホテルに着いたのは4時半だった。昨夜泊まった所も「岳」だったなと思ったが、こちらの「嶽」は温泉地で嶽ホテルはちゃんとした温泉旅館だった。宿泊料は昨日の宿の2倍だった。
浴衣に着替えてゆっくりと温泉に浸かり、早池峰に登った汗を流した。食事も美味かった。
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早池峰山、山頂標識 |
早池峰山、奥宮 |
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白い花はウスユキソウか? |
ナンブトウウチソウが見える? |
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早池峰神社東参道 |
車とリフトで楽々岩木山
8月10日(木) 嶽ホテル 8:00 → 8:30 8合目駐車場 → 9:25 岩木山 → 10:00 駐車場 10:40 → 15:00 古川セントラルパークホテル
ゆっくりと宿の朝食を取り、8時に出発した。すぐに有料道路である津軽岩木スカイラインにはいった。料金所を過ぎるとなだらかな尾根に左右のカーブが続いている。上から見ればウェーデルンのシュプールのように見えるだろう。全長9.8キロの間に69のカーブがある。30分ほどで800メートル登り、8合目の駐車場に着いた。
登山の支度をして駐車場を出ると9合目に登るリフトが動いていた。歩くつもりだったが時間の節約という理由を付けてリフトに乗った。薄い霧の中をゴトゴト運ばれる。7〜8分で鳥海噴火口駅に着いた。ようやく自分の足で歩き始める。少し下って右側に噴火口が切れ落ちている際を通る。無人の鳳鳴ヒュッテを通り過ぎて岩がゴロゴロする道を登る。頂上部は火山性の凄みのある形状をしている。次第に急になるおみ坂を登り切って岩木山山頂に立った。今日も山頂部はガスっていて何も見えない。小さな鐘を吊した石のモニュメントがあった。鳥居と奥宮があるのは早池峰山と同じで、山麓の人々の信仰の山であるからだろう。
長居をしても仕方がないのですぐに下山した。さすがに帰りはリフトを使わなかった。8合目に戻ると麓の方は晴れていて朝日を浴びた東側は明るく、西側にはくっきりと岩木山の影が写っていた。湯を沸かしてコーヒーを飲んだ。駐車場の横にハンググライダーのスタート地点があって、次々に飛び立っていく。大空を舞うのも楽しいだろうなと眺めていた。岩木山の山麓は広々として何をしても楽しい山なのだろう。
今回の山行を無事終えて満ち足りた気分で車に乗り込んだ。広大な裾野を見ながら下りてゆくのは痛快だった。パラレルで深回りするような感覚で車を左右に振って下りた。津軽岩木スカイラインを出て、岩木山神社に寄ってみた。鳥居越しに岩木山の山頂が見えた。鳥居を配した構図は面白いが山頂がちょっと気の抜けた双耳峰に見える。どこから見る岩木山がいいのか人によってそれぞれであろう。私は昔、弘前辺りを走っていた列車から見た岩木山がもっとも印象的だった。津軽平野の中に堂々と左右に裾を拡げた端正な岩木山は津軽富士という名にふさわしかった。
東北自動車道を3時間走って古川ICで下りた。駅近くのレンタカー店に車を返却した。近くのビジネス・ホテルを紹介してもらって、チェックインした。電話でSモーターズに修理状況を確認すると明日10頃に引き渡せるということだった。
それから市内を少し歩いてみた。古川市は新幹線も停まる宮城県北部の中核都市だった。駅前の通りは真っ直ぐで明るくきれいだった。大正デモクラシーの中心になった吉野作造の生地だった。小野小町の墓もあるということだがこれは伝説に過ぎないだろう。
夕食は生ビールを飲みながら焼き肉をたらふく食った。
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山頂は霧の中(9合目より) |
山頂のモニュメント |
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山頂の三角点 |
岩木山神社奥宮 |
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8合目より影岩木山と日本海 |
岩木山神社より岩木山を見上げる |
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奥羽本線より岩木山を望む(1974年5月) |
エンジン交換した車で恐る恐る帰る
8月11日(金)
朝食後、タクシーでSモーターズまで行き、中古エンジンに換えた愛車と対面した。よく3日で直してくれたものだ。お蔭で予定通り山を回ることができた。社長に見送られて出発する。エンジン音が少し違うようだったが走っていて特に問題はないようだった。それでも帰りの道筋は長いので、あつものに懲りて何とやらで再びオーバーヒートしないようにクーラーは使わずスピードも控えめにして走った。不測の出費が重なり財布がほとんど空だったので最後はガソリンが保つかハラハラしていた。何とかガス欠寸前で我が家に辿り着いた。
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