道東の秀峰 羅臼岳、斜里岳、阿寒岳

(1990年9月)

 
羅臼岳 海から羅臼岳
知床峠より羅臼岳 オホーツク海より見る羅臼岳
 
斜里岳 雌阿寒岳
国道391号より斜里岳を見る オンネトー湖より雌阿寒岳、阿寒富士

表紙ページに戻る


第1回「百名山」北海道遠征

9月5日(水) 5:00 自宅 → 7:20 羽田空港 8:45 → 10:30 女満別空港 11:00 → 宇登呂(昼食) → 13:30 羅臼 → 14:25 宇登呂 遊覧船 16:00 → 16:30 岩尾別温泉ホテル地ノ涯
 北海道に「百名山」は9座ある。今回は道東の羅臼岳、斜里岳、阿寒岳に登ることにした。
 8月下旬に行くつもりだったが飛行機の予約が取れずに9月に延期した。今回、職場の後輩K君が付き合ってくれることになった。 
 羽田空港でK君と落ち合い、女満別空港行きの飛行機に乗った。20分遅れで離陸。白い縁取りの長い海岸線を越えて北海道上空にはいると、緑に覆われた緩やかな大地が続く。ポツリ、ポツリと人工物が点在するがほとんどは手付かずの原野のようだ。やがて着陸体制にはいって網走湖の上を通過し、オホーツク海でUターンして広々とした女満別空港に着陸した。
 空港前のレンタカー店で予約していた車を借りた。ブルーバードだった。
 さっそく網走に向かう。片側一車線のきれいに舗装された道路をゆっくり走る。行き交う車はほとんどない。爽やかな空気、澄んだ空、気持よいドライブだ。網走で右折して、オホーツク海の海岸線を釧網本線に併行して走る。陸側には草原が広がり放牧されたホルスタインが湿地を渡っていた。人影は見当たらない。ゆったりと両裾を拡げた斜里岳が薄墨色のシルエットを浮かべていた。
 宇登呂の食堂で昼食を取った。ルイベという凍った鮭の刺身を初めて食べた。宇登呂は観光バスの客やバイクで来た若者で賑やかだった。時間があるので知床峠を越えて羅臼までドライブすることにした。快適な知床縦断道路を登って知床峠に着いた。すぐ横にピラミダブルな羅臼岳が見えた。明日はあの天辺にいると思うとわくわくする。峠の先の羅臼側は薄い霧に包まれていた。羅臼港には漁船が十数隻係留されていた。国後島が灰色の靄の中にやや濃い灰色で浮かんでいた。ソ連がこんなに日本に近い所まで占拠しているのは驚きだった。人影のない港でカモメが鳴いていた。
 宇登呂に戻って知床半島巡りの遊覧船に乗った。港を出ても十数匹のカモメが船縁すれすれに飛び続けている。観光客がスナック菓子を放り投げると上手にくちばしでキャッチしている。緑に被われた知床の山が連なっている。中でも午後の陽射しを受けた羅臼岳がきれいだった。海岸線は高さ100Mもある絶壁が続き海鳥の住処になっているようだ。豪快な滝が幾つも見られた。壁が切れて岩尾別川が流れ込んでいた。こんな小さな川にも鮭が遡上するそうだ。硫黄で黄色く染まった硫黄山の沖で観光船は引き返した。1時間半の知床半島海上深訪だった。
 寄り道に満足して今宵の宿、岩尾別温泉に向かう。海岸線を北東に進み、岩尾別川の手前で川沿いになだらかな砂利道をゆっくり登る。木々に覆われて薄暗い道で熊出没注意の看板があり、車に乗っていても何となく落ち着かない。ほどなく「ホテル地ノ涯」に着いた。こんな山奥にしては立派な3階建ての建物だ。日本一透明という食塩泉で、丸太で作った細長い露天風呂もあり、たっぷりと温泉に浸かり、豪華な夕食を堪能した。
 

岩尾別温泉「ホテル地ノ涯」より羅臼岳へ登る

9月6日(木) ホテル地ノ涯 6:45 → 7:45 休憩 → 8:14 弥三吉水 → 8:20 極楽平 → 8:45 休憩 → 9:07 銀冷水 → 9:46 ラウス平 休憩 10:00 → 10:50 羅臼岳山頂 11:15 → 11:57 ラウス平 昼食 12:53 → 13:53 弥三吉水 → 14:50 ホテル地ノ涯 → 知床5湖 → 16:30頃 斜里町 旅館たなかや
 朝食を6時30分に用意してもらって、6時45分にホテルを出た。ホテルの右横に登山道がある。すぐ先に小屋があり登山届をポストに投入。熊に注意の立て看板あり。「頂上まで6900M」と書かれた小さな表示板が立木に留められている。道端にいたリスが慌てて木に駆け上る。朝日を浴びて蜘蛛の巣を払いながら登り始める。熊よけのために咳払いをしたり靴音を高くして歩く。
 30分も登ると見晴らしのよいオホーツク展望台に出た。緑の樹海の先に青い海が広がっていた。
 しっとりとした広葉樹と針葉樹の混じった原生林の山道を行く。すすきの生えている見晴らしのよい斜面で休憩。
 次のピッチで深い樹林を抜け、小灌木の中の湿った道となる。せせらぎの流れる弥三吉水を過ぎ、名前負けする極楽平を通過して、石炭のような小石の混ざる道を進む。結構な傾斜の道が緩まず一直線に山頂に向かっている。
 3ピッチ目にきれいな水が湧いている銀冷水で喉を潤し、しばらくして涸れた沢のような所に出る。夏も早い頃は雪渓で涼しかっただろうなと恨めしく思いながら、強い陽射しで蒸すような草付をふうふういいながら登った。高山植物も大方花期を過ぎ、僅かに紫のリンドウが心を慰めてくれる。漸く知床脊梁山脈の鞍部に辿り着くと、そこは幅広いラウス平だった。砂礫とハイマツの広がる気持のよい所である。こここそ正真正銘の極楽平といってよいだろう。小休止して右手に黒々とそびえる羅臼岳を眺める。山頂部はゴツゴツした切り立った岩稜で人を寄せ付けない威圧感を醸し出していた。
 カメラを持って山頂に向かう。最初は緩やかだが段々と急になり、最後の200Mは岩稜の険しい登りだった。宙に浮いたような巨岩の真下をそっと通り過ぎ、最後は安山岩が累々と積み重なった岩稜を攀じ登って狭い山頂に達した。高曇りであったが頂上からの展望は素晴らしかった。北北東に連なる知床連山の果てに特徴的山容の硫黄山が、羅臼岳と覇を競うように対峙していた。左右は茫洋とした海が広がっている。オホーツク海側には間もなく鮭が遡上するだろう岩尾別川の河口や知床5湖が足下に見える。宇登呂から網走への長い海岸線が続き、知西別岳の後ろに明日登る斜里岳が半分雲に隠れていた。根室海峡側に目を転ずれば緑の樹海に羅臼湖が宝石のように嵌められている。羅臼町の先には国後島が煙っている。アイヌ語でシレトク(地の果て)という知床半島の最高峰は静寂に包まれ僅かに風が耳許を過るのみだった。
 ラウス平に戻りモチいりラーメンを作って腹を満たした。本格的な山は初めてというK君も満足そうだった。
 下山中に道端の木に膝をぶつけて擦り傷を作ったり、軽い靴擦れが出来たが、ペースを落とすことなくホテル地ノ涯に戻った。温泉を借りて透明な湯の中でゆったりと身体を伸ばした。両腕だけが真っ赤に日焼けしていた。
 ホテル地ノ涯に別れを告げ、知床5湖をちょっと回って、斜里に向かった。国道沿いに傾いだ小さな廃屋が散見された。この辺りの開拓地は全戸離散したようだ。開拓民の希望を打ち砕いたのは厳冬期の厳しさだったのだろうか。日が暮れる頃、斜里の街にはいり駅近くの旅館「たなかや」に着いた。風呂は省略して駅前を散策する。パチンコ屋が3軒、薬屋が3軒、衣料品店と靴屋があった。商店街の佇まいは東京とさして変わらないが、歩いている人はほとんどいない。線路越しに斜里岳の黒いシルエットがくっきりと見えた。
 宿の料理はたっぷりで美味かった。昨日も今日もホタテとカニと鮭が決まって出てくる。ビールも飲んでいい気分になり、こんな弛んだ登山でいいのかと思った。テレビで野球中継を見て、軟らかい布団で熟睡した。
  
 
山頂標識 知床連山
百名山最東端の山頂標識 知床連山を望む

清里コース、きれいな沢を登って斜里岳へ

9月7日(金) 旅館たなかや 7:20 → 8:30 清岳荘 → 9:04 二股 → 9:20 休憩 → 10:28 上二股 休憩 → 11:13 馬の背 → 11:38 斜里岳山頂 12:22 → 13:33 熊見峠 → 14:20 二股 → 14:54 清岳荘 → 摩周湖見物 → 17:30頃 ホテル阿寒湖荘 
 目が覚めるとカーテン越しに朝日が射していた。朝食を済ませ旅館を出発。快晴だった。釧網線に沿って車を走らせ、清里駅の先で左折し、畑の中の真っ直ぐな舗装路を緩やかに登ってゆく。センターラインの白線も鮮やかな道だ。北海道の道路は羨ましいくらいに整備されている。斜里岳登山口の表示があって砂利道になった。ここにも熊に注意の看板がある。朝日が正面から射してきて時々視界を失うが、慎重に運転して清岳荘手前の駐車場に着いた。登山靴に履き替え8時30分に登山開始。ダケカンバの白い幹が鮮やかな登山道を30分ほど歩いて一ノ沢の出る。しばらく沢沿いに歩いて旧道と新道の分岐がある二股に着いた。迷うことなく涼しそうな沢筋をゆく旧道を選ぶ。
 一ノ沢の遡行開始。それほど水量は多くない。小灌木に被われた沢筋は直線的で、木漏れ日に羽虫が飛んでいる。赤茶けた沢床を清流が流れる。鉄分が多いせいか沢石も赤さび色をしていて、生物には不向きな環境のようである。一ノ沢が合流する川がチェサクエトンビ川(アイヌ語で魚のいない川)と呼ばれるのはそのせいであろうか。苔が岩に生えないので靴が滑らないのは有り難い。飛び石を伝って徒渉すれば登山靴が水に浸かることはない。大小の滝が連続するようになり、それぞれに滝名が書かれた表示板があった。ガイドブックには下から白糸ノ滝、水蓮ノ滝、羽衣ノ滝、万丈ノ滝、三筋ノ滝、七重ノ滝、見晴ノ滝、竜神ノ滝、霊花ノ滝となっている。滝には違いないが垂直の滝はなく、いずれもなめ滝で、高巻きすることもなく沢沿いに付けられたロープを手繰れば容易に登れる。滝名を一つ一つ確認したわけではないが、羽衣ノ滝と七重ノ滝は見応えがあった。白い水しぶきが乱舞する様にしばし見とれていた。所々谷が開けた所で斜里岳の山頂が見えた。
 上二股で新道と合流すると、沢はチョロチョロと流れる細流になった。緩やかな源流部を登って行くと、いつの間にか水は消え、乾いた石の上を歩く靴音だけが響いた。小灌木も消え背後から照りつける陽射しをもろに受け汗が噴き出してくる。急になった砂礫の登りは「胸突八丁」といわれる難所だが、なるほど苦しい登りだ。主稜線の鞍部である「馬の背」が見えてきたがなかなか近付いてこない。それでも最後のガレ場を登り切り「馬の背」に出ると、向かいの谷からすっと涼しい風が吹き上げてきた。左側のピークの奧にドーム状の斜里岳山頂が見えた。
 馬の背で小休止して、もうひと頑張りと歩き始めると、見かけより楽に頂上に着いた。頂上からの大展望は素晴らしいものだった。平地にそびえる単独峰だからどこを見ても遮るものがない。真夏のような陽射で大気はややもやっていたが、斜里の街とその先のオホーツク海が、西方には屈斜路湖や摩周湖が見える。その奧に山岳重畳としているのは大雪、石狩、日高の山々であろうか。北海道の広さを実感した。これほど気持ちのよい山頂は希有である。ゆっくりと昼食を取った。そのうち自衛隊の大集団が登ってきたので下山することにした。
 帰りは上二股から新道の尾根道を歩くことにした。高原状のハイマツの尾根に付けられた見晴らしの良い道だ。時々振り返って山頂風景を目に焼き付けた。馬の背からのカール状の大斜面、西尾根から連なる稜線の起伏、何度見ても見飽きなかった。快適な稜線歩きも熊見峠までで、ここから谷筋への急降下となった。昨日からの疲れが出てきて辛い下りとなった。木の間に見える沢筋との高度差もなかなか縮まらない。沢の音も近付いてこない。しかし常に終わりはあるもので、やっと二股に出た。冷たい水に手を浸す。後はポクポク歩いて3時前に清岳荘に着いた。
 小屋の前の流しで冷たい水をたっぷり飲んだ。中年の夫婦が小屋番をしていて、おじさんが「今日は今年の夏一番の好天気だった」といった。おばさんに何か飲物はないかと尋ねると、「ここは何もない所で…」といった。「熊は出ませんか」と聞くとおじさんが「今年はまだ出ていないが、例年7月頃にもう少し下流の方に出るんだが」といっていた。
 車に戻り、今宵の宿泊地、阿寒温泉に向かう。摩周湖に寄ってみることにして、箱根の大湧谷のような景観の硫黄山を右に見ながら、川湯温泉で左折して摩周湖に向かう。平らな畑を進むと目の前に山が現れた。その麓から立派な観光道路を登ってゆくと摩周湖を囲む外輪壁にある展望台駐車場に着いた。展望台に登ると眼下に摩周湖のブルーの湖面が広がっていた。かなり大きな湖だ。湖面には近づけないので余計神秘的に見える。そして何より感激したのは正面に登ってきたばかりの斜里岳が悠然と両翼を拡げていることだった。霧の多い摩周湖でこれほど明瞭に斜里岳が見えるのは滅多にないことだろう。有料の望遠鏡で覗くと山頂や馬の背のガレ場、南斜里岳まで手に取るように見えた。屈斜路湖も雄阿寒岳も間近に見えた。大いに満足して車に戻り山を下り始めた。摩周湖は不思議な湖だなと思った。湖面の標高は350Mというから、もし人間がカルデラ壁を透視できるなら周りの大地の遥か頭上に摩周湖があることに気が付くだろう。そんなことを考えながら弟子屈から阿寒横断道路にはいり、夕闇迫る阿寒湖畔のホテル阿寒湖荘に着いた。
 立派なホテルで、5階6階吹き抜けの空中展望大浴場で汗を流し、生ビールで乾杯、豪華な食事を満喫した。
 
滝を登る 稜線に出る
沢を登る(羽衣の滝) 胸突き八丁
 
斜里岳山頂 山頂標識
斜里岳山頂を望む(馬の背より) 斜里岳山頂標識
 
摩周湖より斜里岳
摩周湖より斜里岳を望む

雌阿寒温泉より雌阿寒岳に登る

9月8日(土) ホテル 7:20 → 8:00 雌阿寒温泉 → 9:03 4合目 → 10:15 雌阿寒岳山頂 10:45 → 12:10 雌阿寒温泉 → オンネトー湖 → 屈斜路湖 → 18:45 女満別空港 → 20:30 羽田空港
 目覚めて窓のカーテンを開けると阿寒湖は霧に包まれていた。7時20分、ホテルを出発、針葉樹林を切り開いた国道を登ってゆく。今日も抜けるような秋空だ。雌阿寒温泉の登山口に近づくと路肩に駐車する車が続いていた。今日は土曜日なので登山口駐車場は一杯なのかと心配したが広い駐車場はガラガラだった。
 手早く支度をしてエゾマツの原生林の中を登り始めた。エゾマツの根が四方に這っている。植生は羅臼岳とも斜里岳とも違っているのが面白い。落葉と木の根と苔の道を味わいながら歩く。2合目付近でジャンパー姿の初老の男が降りてきた。もう頂上に行ってきたのかと尋ねると、松茸狩りをしてきたといって、ナップザックの中から2本の松茸を宝物のように取り出して見せてくれた。松茸の香りがプーンと漂ってきた。素人でもコツコツ探せば見付けられるが急斜面を這いずり回るのは相当の重労働なのだそうだ。路肩に駐車していたのは松茸狩りの人々だったのだろう。
 見上げるようなエゾマツ、トドマツも高度が増すとだんだん低くなってきた。4合目で小休止すると、そこここで熊除けのベルがチリンチリン鳴り、人の話し声も聞こえてくる。姿は見えないが松茸狩りの人々だろう。やはり熊には注意しているようだ。周りは高さ2メートルほどの背丈の詰まった赤松に覆い尽くされている。こんな低い赤松で松茸が採れるのかと驚いた。
 次第に傾斜がきつくなり、いつの間にか森林限界を越えていた。火山性ガスの影響もあるのか植物のない一面の砂礫地帯になっていた。一歩一歩足を運んで漸く火口壁に辿り着いた。その先に荒々しい火口が覗かれた。激しく音を立てて水蒸気が吹き出し白煙となって立ち昇っていた。そこは正に活火山だった。振り返れば緑の絨毯の中に雌阿寒温泉の赤い屋根と、エメラルドグリーンの神秘的なオンネトー湖が見えた。どこまでも広がるエゾマツとトドマツの大樹海に白い細紐のような道路が直線的に延びていた。
 火口壁の縁をさらに登るとまもなく山頂標識があった。先着は2組だった。中年の男性が無線アンテナを立てて交信していた。色々な山の楽しみ方があるものだ。左側には黄土色の火口原が広がり、噴煙を上げる噴気孔がある。まわりの岩は黄色に染まり、時々ドーンと腹に響く音がする。眺望は絶佳である。阿寒湖と雄阿寒岳は指呼の間にあり、十勝、大雪の方角に紫に煙る山々が見えた。山座同定はできなかったがいつかそこに登ることになるだろう。
 目標の3名山に登り満ち足りた気分で下山した。途中で中学生が集団で登ってきたので道を譲ると元気に挨拶をして登って行った。
 雌阿寒温泉では200円で温泉にはいれた。明るい木造の浴室には誰もいない。湯口からコンコンと注がれる透明な湯が木の浴槽から溢れていた。窓を開け放して湯船に浸かった。最高の気分だった。着替えをしてさっぱりした。
 すぐ近くのオンネトー湖を見に行った。誰もいない静かな湖畔から山を見上げる。男性的な雌阿寒岳に女性的な雌阿寒富士が寄り添うように並んでいる。
 名残惜しいが帰途に付く。大きな屈斜路湖の横を通って美幌峠の休憩所から屈斜路湖の全景を見渡す。北海道らしい雄大な景色だ。
 それから一路女満別空港に向かった。三日間乗ったブルーバードを返し、空港レストランでK君と生ビールで山旅無事終了の祝杯をあげた。
 搭乗機が女満別空港を離陸したとき外は夕闇に包まれていた。
 
山頂標識 阿寒湖、雄阿寒岳
雌阿寒岳山頂標識 噴煙を上げる火口と阿寒湖、雄阿寒岳
 
青沼と阿寒富士 オンネトー湖と樹海
青沼と阿寒富士 オンネトー湖とエゾマツ、トドマツの樹海
 

トップページに戻る


Copyright Kyosuke Tashiro All rights reserved