静かなる山旅、信州北部の高妻山と雨飾山
(1991年8月)
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戸隠山の右に高妻山 |
雨飾山 |
戸隠の宿へ
8月19日(月) 自宅 7:00 → 戸隠奥社 → 戸隠牧場 → 16:20 中社 戸隠宿山里
夏休みに戸隠から高妻山に登り、小谷温泉に移動、翌日雨飾山に登り、戸隠に戻り、次の日に四阿山に登る計画を立てた。戸隠の宿は長女が高校の運動クラブの合宿で利用していたロッジに泊めてもらうことにした。小谷は学生時代にスキーで行ったことのある小谷温泉山田旅館に泊まりたかったが予約が取れず別の宿にした。
8月19日の朝7時に家を出た。今日は戸隠の宿に行くだけなのでゆっくりとした道中である。中央高速道から長野自動車道にはいり終点の豊科で降り、国道19号線を長野に向かう。追越禁止の国道をのんびり走る。ラジオで高校野球の準決勝を中継していた。地元の松商学園と鹿児島実業が対戦していた。長野県民はテレビを見て応援しているのだろうが松商学園は負けてしまった。長野市街を抜け有料の戸隠バードラインにはいると途端につづら折りの急坂になった。市街地からこれほど急勾配で登る道路は初めてだ。雪が積もったら大変だろうと思った。登り切るとトウモロコシ畑などが広がる高原になった。衝立のような戸隠山が見えてきた。ノコギリの歯のような険しい稜線は見ているだけでもぞっとする。昔の修験僧はよく登ったものだと感心する。その右奧に明日登る高妻山が見えた。こちらはピラミッド風の端正な姿だった。
有料道路が終わり狭い県道を登ると戸隠神社の宝光社と中社が続いていた。道の両側に宿坊や土産物屋、蕎麦屋などが並び観光客が行き交っている。高妻山への登山道を確認するためさらに進むと奥社の駐車場があった。時間もあるので神社の一つぐらい見物しようと参道を歩き出す。幅5~6メートルの一本道が戸隠山に向かって真っ直ぐに続いている。両側に杉の大木がびっしりと並んでいる。樹齢300年といわれる杉は二抱えもあり、見上げる梢の先に青い空が僅かに見える。道端の小さな水路にきれいな水がさらさら流れている。途中の随神門を潜ると道は段々急になる。杉並木も消え山道そのものになった。そして山腹の壁にへばりつくように奥社社殿があった。ここまで2キロメートルはある長い参道だった。横に戸隠山の八方睨に突き上げる登山道の標識があった。10人近い参詣者がいた。ここまで登れば御利益も大であろう。
この後、戸隠牧場に行き高妻山登山道入口を確認した。広々とした草原にバンガローやテントが点在し気持のよさそうなキャンプ場だった。
4時過ぎに中社にある戸隠宿山里に着いた。新築したばかりの清潔な2階建てロッジだった。同宿は若い男性一人だけだった。イワナの塩焼きから刺身、山菜に手打ち蕎麦もあった。テレビでソ連のクーデターを報じていた。ゴルバチョフ大統領は軟禁されているということだった。一つの時代が終わったのだと思った。9時半に床に就いた。
戸隠牧場より高妻山に登る
8月20日(火) 戸隠宿山里 5:00 → 5:20 戸隠牧場入口 → 6:50 一不動 → 8:00 七観音 → 9:00 九勢至 → 9:50 高妻山山頂 10:30 → 11:20 七観音 → 12:30 一不動小屋 → 14:05 戸隠牧場 14:35 → 16:30 小谷温泉太田旅館
4時20分起床。朝食の弁当を食べて宿を出発。黒い雲と青い空が混じる静かな夜明け。車も人もいない中社を過ぎて戸隠牧場に向かう。突然薄暗い道を野鳥が横切る。急ブレーキをかけて間一髪衝突を逃れた。戸隠キャンプ場の駐車場に車を駐め、山支度をする。水場で水筒を満タンにし、牧場入口で登山届を出し、牧柵に沿って歩き始める。牛がもの憂げに佇んでいる。1匹の鹿がじっとこちらを見ている。馬が2頭、身体を寄せ合って戯れている。近くにいた子馬が牧柵から私の方に首を伸ばした。開放的な牧場を過ぎて原生林にはいった。うっそうと繁る枝葉に足許が暗くなる。大洞川に出合い、沢沿いに登る。一枚岩の岩壁「帯岩」が行く手を阻んでいる。鎖を頼りに岩壁の上部を慎重にトラバースする。大洞川の源流は水場になっていて、苔に覆われた岩の間からコンコンと清水が湧き出ていた。
急になった道を登って行くと人声が聞こえてきて、一不動小屋に着いた。戸隠山と高妻山の縦走路上にある無人小屋で、親子連れのパーティーが右側の高妻山方面に向かって行くところだった。小屋には4人の男性パーティーと3人の女性パーティーがいて小屋の掃除をしていた。小屋はブロックを積み上げたしっかりした小屋である。野ウサギが一匹飛び出してきて付近をぐるっと回るとさっとヤブの中に消えていった。一瞬ビクッとした。人騒がせなウサギだ。女性パーティーが戸隠山に向かって出発した。
小屋で一休みして高妻山に向かう。すぐに急な登りとなった。台風12号の影響で風が強い。大きく切れ落ちる東壁の縁を緊張して通り抜ける。若いときは急峻な岩場も怖くはなかったが、最近は「君子危うきに近寄らず」で慎重に歩く。「二釈迦」、「三文殊」、「四普賢」の里程標石祠を通過。背丈を超えるクマザサを掻き分けるが足許はほとんど見えない。足先で道を探りながら登る。ズボンが朝露を吸ってびっしょりと濡れてくる。先発していた子ども3人連れの親子パーティを追い越す。クマザサに完全に潜ってしまう子どもは辛いだろうと同情した。風がゴーゴーと梢を揺らし、時折雷鳴も聞こえる。パラパラと雨が降ったり、少し雲が薄くなったり、不安定な天気はまことに心もとない。しかしここまで来たら行くしかない。しゃにむに登ると五地蔵岳に着いた。晴れていれば見晴らしがいいに違いないが、視界が50Mくらいでは立ち止まる気にもなれず、ほぼ直角に左向きになった尾根を進む。「六弥勒」を過ぎ、「七観音」で休憩する。コメツガに囲まれたクマザサのない場所なのでほっとする。細い雨が降ってきた。雨具を着て歩き出す。またもクマザサの道になり前方の視界が遮られるので不安である。尾根道のアップダウンを繰り返すがガスに包まれて山頂が見えないのが辛い。「八薬師」、「九勢至」を越えて休憩。たるみ場所がないので道の真ん中に座って鶯の声と風の音を聞く。
次第に斜面が急になり岩に手をかけ木の枝を掴んで喘登40分。ややなだらかな開けた道になり「御鏡」(黒い金属の鏡)を上に乗せた石祠のある「十阿弥陀」に着いた。そこから岩塊を乗り越え100Mほど行くと三角点のある高妻山山頂だった。心なしか風も弱まり、雲の色も白っぽくなっているようだったが、四周の山の眺望は得られなかった。誰もいない山頂でパンとスープで軽い昼食を取る。デザートにキウイをスプーンですくって食べた。間もなく一不動小屋に泊まっていた4人パーティーがやってきた。
40分ほど休んで雨具を脱ぎ身軽になって下り始める。しばらくすると本格的に雨が降り出したので再び雨具を着る。しつこいクマザサの藪と闘い、何回かクマザサの上で足を滑らせ尻餅をつく。左膝が痛くなってきた。トレーニングもせずに山に来たツケが回ってきた。ペースを落としてゆっくり下る。黄色い花を付けたオタカラコウやゴゼンタチバナ、イワギキョウなどが雨に濡れてひっそりと咲いている。2時間かかって一不動小屋に戻った。戸を開けて中にはいる。コッフェルで湯を沸かし熱い紅茶で一息つく。雨脚を見つめながら一人ぽつねんと佇む。戸隠牧場の緑の草原が雨に煙っていた。
「さて」と気合いをいれて小屋を出る。鎖場で手が泥だらけになり沢の水で洗う。気温が低く雨具を着ていても暑くならないのは助かる。帯岩を過ぎれば後は歩きやすい道だった。スパッツをしていないので靴の中に雨が堪りじゅくじゅくしてきた。登りで追い越した子ども連れのパーティーに追い付いた。途中で引き返したのは賢明だったといえよう。子どもたちは意外に元気でキャッキャと戯れながら歩いていた。牧場に着いて大きな樹が点在する草原を歩きながら、悪条件の中を無事完登したことにほっとしていた。今日高妻山に登ったのは私と4人パーティーだけのようだ。
車の中で濡れた衣類を着替え、次の宿泊地である小谷温泉に向かった。鬼無里までの県道は途中狭いところもあったが概ね走りやすかった。国道406号は深い谷の右岸を延々と走る。雨も降っているので急カーブの道を慎重に走る。1時間20分で白馬に出た。国道18号はゆったりした片側一車線で時速60キロで快調に走った。中土で姫川を右岸に渡り、小谷温泉への道にはいった。緩やかな浅い谷を登って小谷温泉の太田旅館に到着した。太田旅館はかなり古い木造二階建で、案内された部屋は2階の通りに面した長い廊下の一番奥だった。障子を開けると6畳の部屋で座卓とテレビがあった。早速地階の浴室に向かったが膝が痛くて階段を降りるのに苦労した。温泉は薄茶色の透明泉で肌がすべすべする感じだった。
部屋に戻りテレビを見ていると台風12号の影響で青梅の民宿が崖崩れに遭い宿泊者が何人か亡くなったと報じていた。また中央東線や中央高速が不通になっているということで、長野地方の明日の天気予報は曇り時々雨だった。膝も痛いし天気も悪そうなので明日の登山は止めようかなと思った。しかし夕食を食べているうちにやはり行くだけ行ってみようと思い直し、明日の朝食は弁当にしてもらいことにし、精算も済ませておいた。
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「御鏡」のある十阿弥陀の石祠 |
高妻山山頂の三角点 |
雨飾山、天気回復し山頂の景色を満喫
8月21日(水) 太田旅館 6:40 → 7:24 登山道入口駐車場 → 8:48 荒菅沢 → 9:55 尾根に出る → 10:35 雨飾山山頂 10:45 → 12:04 荒菅沢 → 13:20 駐車場 → 14:00 露天風呂 → 16:05 戸隠宿山里
5時半に起床。外を見ると雨は降っていないが雲が重く垂れ込めていた。行くか行かないかしばらく逡巡していたが意を決して弁当を食べ、6時40分に宿を出た。舗装された林道を上り雨飾山荘を通り過ぎて間もなく左に鎌池林道、右に笹ヶ峰方面への林道の分岐があった。笹ヶ峰への道は遥か先の茶色の山の斜面を一直線にトラバースしているのが見えた。運転を誤ったら谷間に転落して1巻の終りのように見える。百名山ブームのお蔭か小谷温泉から妙高方面に道が延びているのは便利には違いない。雨飾山へは左の鎌池林道をさらに登ると、指導標があり右側の狭いでこぼこ道にはいる。両側から雑草が覆い被さり、車の底が石にぶつからないようにそろそろと走る。程なく4~50台は駐車出来そうな空地に出た。
食料をザックに詰めて登山開始。少し下って大海川の川原に降り右岸の湿地帯に付けられた木道を歩いて行くと広河原に出た。霧雨が降り出したがそのうち止んだ。そこから左側の山腹に取り付きブナ林の中をぐんぐん登る。たちまち呼吸は荒くなり汗がポタポタ滴り落ちる。やがてトラバース気味に進むようになり、荒菅沢への下りになった。昨日痛めた左膝をかばいながら荒菅沢に着いた。ガイドブックのコースタイムを数分オーバーしてがっかりする。荒菅沢の源流部に先端が矢尻のように尖った巨岩「フトンビシ」が立ちはだかるように聳えていた。一休みの後、水筒に水を補給して、沢を渡ると急登の連続となった。微かに陽が差してきた。間もなく尾根に出たが岩が続く急な道は先が見えにくい。岩を越えて頭を出したら登山者が一人目の前に降りてきた。駐車場には車がなかったのでどこから登ったのか不思議だった。挨拶を交わすと、青年は山田旅館を早立ちして頂上を往復してきたということだった。これから妙高の方に行くという。達者なもんだと感心したが、その若さが羨ましかった。去り際にふと思い出したように広河原で4~50メートル先を熊がのっそりと横切って行ったので怖かったといった。嫌なことを聞いたなと苦笑しながら登ってゆくと、右の方に意外に大きく佐渡島が見えた。夏の陽が照りつける尾根を赤トンボに先導されながら登る。幸い登るときは膝の痛さを感じないので助かる。稜線上には強い風が吹いていたが涼しいので助かる。帽子を飛ばされないように手に持って登る。いつしか傾斜はなだらかになり一面笹に被われた高原状の茂倉尾根に出た。そのとき山頂部を覆っていたガスがぱっと消えて、尾根の端に雨飾山の山頂が見えてきた。稜線の右側には糸魚川の扇状地が開けその先に日本海が広がっていた。
最後の急登を一気に詰め雨飾山山頂に立った。左手に三角点のあるピークがある。日本海方面の視界はよく、能登半島の黒いシルエットが細く長く海に浮かんでいた。後立山の峰は雲に被われ判然としない。昨日登った高妻山も、数年前に上った火打山や妙高も頂上付近は雲に覆われて見えなかった。風が強いので10分ほどで頂上を後にした。足許の石の上に深紅の羽を拡げた蝶がいた。踏まないようにそっと石の横に足を下ろすとヒラヒラと風の中を飛んでいった。ギフ蝶が2匹飛んでいた。巻機山を思い出させる広い草原状の尾根には高山植物が沢山咲いていた。今の時期にこれだけ咲いているのだから7月にはもっと見事だろう。まことに気持のよい尾根である。県境尾根を離れた所で男の子を一人連れた夫婦に出合った。今日も雨飾山に登るのは5人だけのようだ。強い陽射しにじりじりと肌を焼かれる。足を労りながらゆっくり下り荒菅沢に着いた。冷たい沢水をたっぷり飲む。沢の上部には雪渓が残っていて黒く口を開けたシュルンドから湯気が昇っている。雪渓から流れる水をもう一度味わってから最後のピッチに向かう。荒菅沢からの登り返しは結構きつい。最後の登りと頑張り、恐怖の下りになった。左膝は酷く痛むようになりピョコタンピョコタンとびっこを引きながら歩く。何度も立ち止まって休む。熊が出たという広河原に近づいているので口笛を吹いたり、咳払いをする。広河原の白く光る水面が木の間越しに見えてきた。しかしそれからが長かった。歯を食いしばり、すべてのものに終わりはあるのだと言い聞かせながら足を運ぶ。遂に広河原に下り立った。朝、曇り空のもとでは薄気味悪く見えた河原も、陽光燦々と差し込む今はまことに気持のよい場所だ。ただし熊が出なければだが。無数のバッタが飛び交う木道を歩きながら、今日登ってよかったなとつくづく思った。登りと同じ時間を要して駐車場に辿り着いた。
蒸し風呂のような車をクーラーをかけて冷やし、鎌池林道入口にあった露天風呂に向かう。道端の木立の中に男女別のきれいな露天風呂があった。汗と汚れを流し浴槽に身を沈める。正に至福のときである。3人の男がはいってきて温泉情報を交換していた。秘境の温泉マニアのようである。乾いた下着に着替えて身も心もすっきりした。
満ち足りた気分で昨日通った道を戻る。ガソリンが少なくなり給油所を探すが国道406号にはいると20キロ走っても現れない。鬼無里で漸く農協の給油所を見付けて満タンにした。
戸隠宿山里は一昨日泊まったので気楽である。夕食の蕎麦はやはり美味かった。
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荒菅沢より奇岩フトンビシを見る |
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前峰より雨飾山山頂を見る |
雨飾山山頂標識 |
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糸魚川と日本海と能登半島 |
四阿山と浅間山の登山口を偵察
8月22日(木) 戸隠宿山里 8:00 → 8:45 野尻湖 → 10:45 鳥居峠 11:15 → 峰の茶屋 → 17:45 自宅
もう四阿山に登る元気はなかったが、次回登るときの登山口を確認することにした。ゆっくりと起きて朝食を取る。宿の主人としばらく雑談して、8時に宿を出た。
野尻湖に寄って、菅平から鳥居峠に向かった。峠には大きな駐車場があり茶店もあった。傍にしっかりとした登山道があり、車で来るには最適な登山口のようだった。鹿沢を通り、鬼押出から浅閒・白根火山ルートを通って峰の茶屋の駐車場に車を駐めた。浅間山は雲に隠れて上の方は見えなかった。登山口を調べると、「火口より4キロメーター以内立入禁止」となっていた。頂上に向かってブルドーザーの跡が付いていた。ゲートは閉まっているが通り抜けはできそうだった。茶屋にはいって昼食を取った。茶屋の女性に「ここから浅間山に登る人はいますか」と聞いてみると、「登山禁止だから登っている人はいないでしょう」といった。浅間山には当分登れそうもないなと思った。
6時前に無事帰宅した。
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