残雪の奧白根山に登る

(1992年5月)

奧白根山
奧白根山

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思わぬ雪景色にアイゼン着けて山頂へ

5月2日(土) 自宅 3:20 → S君宅 → 4:20 K氏宅 → 7:30 菅沼茶屋 8:20 → 13:15 奧白根山頂 → 14:00 座禅山付近で昼食 14:45 → 16:45 菅沼茶屋 → 17:20 ペンション・カレンズ
 昨年苗場山に登ったKさん、S君と5月の連休に奧白根山に登ることにした。
 5月2日、交通渋滞を避けるため早めに出発した。S君宅、Kさん宅に寄って関越自動車道にはいった。幸い渋滞に巻き込まれることもなく7時半に菅沼茶屋の駐車場に着いた。すぐ横に白根山登山口があり20センチ位の雪が積もっていた。先着した3パーティーがアイゼンを装着していた。私たちもアイゼンを着けることにした。S君はアイゼンを着けるのは初めてなので装着を手伝った。スパッツも着けていざ出発である。私は両氏にピッケルを用意するようにはいわなかったのでピッケルを持っているのは私だけだった。
 歩き出して間もなく尾根に取り付いた。積雪は30センチ位になっていた。踏跡を追って雪を踏み抜いたり、木の枝を払いながら登った。大体夏道を通っているようだった。軍手をはめていたが雪に触れると手がかじかむほど寒かった。2ピッチとちょっとで尾根を登り切り、今は平らな雪原になっている弥陀ケ池を突っ切り対岸の疎らな木々の間を登ってゆくと、目の前に奧白根山のゴツゴツした山頂が聳え立っていた。次第に傾斜が増してきて森林限界を越えた。見上げると二つのコブを持つ山頂が威圧するように構えていた。そこはまったくの岩と雪の世界だった。岩と岩の間の雪渓に踏跡が続いているが上部は相当の急斜面なのでピッケルを持っていないKさん、S君に、「登りますか」と聞いてみた。Kさんは「僕はここで待っているから君は登ってきたら」といった。S君もKさんに同調した。寒いところで待っていてもらうのは申し訳なかったが、私は空身で頂上を往復してくることにした。
 登り始めると雪面は締まっておりアイゼンが気持よく効いた。急斜面をほとんど恐怖心を感じることなく登り続けた。ルンゼ状の雪面を登り切ると山頂らしき高みが左手に見えた。そこからくぼみに降りてゆくと下山してきた2名の登山者とすれ違った。トレースに従い窪地を上がると山頂部には三つのピークがあったが、方向標識に従い一番高そうに見えるピークに向けて登り始めた。風が強く当たるのか雪は飛ばされ、凍り付いた岩と砂礫が露出していた。火口の縁をアイゼンの歯を痛めないようにそっと登ってゆくと奧白根山の山頂に着いた。中禅寺湖と男体山が見えた。至仏山、燧岳、会津駒ヶ岳も間近に見えた。さすがに関東以北で一番高い山である。周りの山より一段と高い所から見る山岳展望は格別だった。カメラを持たずに来たのが悔やまれた。
 二人を待たせているのでゆっくりしているわけにはいかない。すぐに踵を返した。山頂部は雪が薄くトレースが明瞭でなかったが、来たときと同じと思われる所を下りてすり鉢状の底に着いたとき、登ってきた道と違うようだと気が付いた。トレースが見当たらないのだ。取り敢えず向かいのピークに登ってトレースを探して見ることにした。ピークに辿り着くと小さなお宮があったが、そこから見渡してもトレースは見つからなかった。道に迷ったときは元に戻るのが鉄則である。わたしは急いですり鉢の底に戻り、出発点である山頂まで戻ろうとしたが、時間のロスが大きすぎると思った。山頂から見て右方向にある火口壁に登ってみればトレースが見つかるのではないかという気がしてまっさらな雪面にピッケルを打ち込み強引に登った。これでガスが出てきたらアウトだなと不安で胸が締め付けられた。心臓をバクバクさせながら壁の上に出ると、向かいの窪地にルンゼの降り口に続く一条のトレースが見つかった。私が通ってきたトレースに間違いない。心底ほっとした。斜面を飛ぶように降りてトレースに合流した。後は忠実にトレースを辿って駆けるように下った。夏道の消えた雪山を歩くときはもっと慎重に歩かなければと反省した。後で『日本百名山』を読み直すと、「奥白根の頂上は一種異様である。それは蜂の巣のように凸凹がはげしく、どこを最高点とすべきか判じ難い。小火口の跡があちこちに散在しており、それをめぐって岩石の小丘が複雑に錯綜している。その丘の一つに貧弱な小祠があって、白根権現が祀ってある。少し離れた小丘の上に三角点があったから、そこを最高点と見なしていいのだろう。おもな火口を数えただけでも5指にあまった」と書かれていた。雪が消えれば明治時代まで噴火活動をしていた荒々しい火山の姿が現れるのだろう。積もった雪が火山の実相を隠していた。私はそこが噴火口跡だとも気が付かずに彷徨っていたようだ。
 Kさん、S君は木陰で寒そうにして待っていた。すぐにザックを背負って弥陀ケ池を渡り座禅山付近で食事にした。ラーメンを食べて身体が暖まり、コーヒーも飲んでみんな元気を取り戻した。
 午後になって雪が少し重くなってきて、アイゼンの歯に雪が団子のようにくっつきまことに歩きにくい。小灌木の枝を掻き分け、ズボズボと雪を踏み抜きながら下って、2ピッチで菅沼茶屋の駐車場に戻った。5月になって日光の山で初めから終わりまで雪の上を歩くとは予想もしていなかった。奧白根山は気候的には日光というより尾瀬に近いのではないかと思った。
 この日は近くの丸沼高原スキー場のペンション「カレンズ」に宿泊した。洋風の洒落た建物で夕食はフランス料理だった。ワイン好きのKさんが選んだシャトーラロックを味わいながら楽しく歓談した。
登山口
登山口
山頂を荷上げる
山頂を見上げる

尾瀬沼まで燧岳を見に行く

5月3日(日) ペンション・カレンズ 9:00 → 10:10 大清水駐車場 → 11:00 一ノ瀬休憩所 → 12:10 三平峠 → 12:30 尾瀬沼 13:30 → 14:50 一ノ瀬休憩所 → 15:47 大清水駐車場 → 17:30 ペンション・カレンズ
 この日は尾瀬沼までハイキングすることにした。宿から鎌田まで下り、国道401号線を北上し、1時間ちょっとで大清水に着いた。水芭蕉見物の観光客で溢れていた。道端の田圃のような所に水芭蕉が咲いている。尾瀬山中の道なき湿原を訪ね、せせらぎに咲き誇る水芭蕉を見てきた私には、ここに咲いている水芭蕉はいかにも貧相に見えた。
 大勢の観光客に交じって一ノ瀬に向かう。一ノ瀬を過ぎると山道になり観光客は減った。所々に雪が出てきた。学生時代の冬合宿でスキーにシールを着けて登ったコースである。この辺にテントを張ったななどと昔を偲びながら登る。木道もあり、緩やかな登りだから楽だ。三平峠が近付くと一面の雪野原になった。
 峠に着くと木の間から意外に近く燧岳が見えた。峠からはスキーのパスガングの要領で靴を交互に滑らせながら下った。三平峠から尾瀬沼湖畔への道ほど楽しい峠道は他に思い浮かばない。
 尾瀬沼は全面氷結していた。正面に聳える燧岳は雪を被って神々しいまでに美しい。木陰で眼前の風景を観賞しつつ食事をした。
 帰りはポカポカ陽気になり、もう春だった。途中国道120号沿いにあった温泉施設の露天風呂でゆったりと湯に浸かった。
 ペンションに戻り、この日はアルザスワインのボトルを開けて乾杯した。思わぬ雪の多さでKさん、S君を奧白根山山頂まで案内することができなかったのは残念だった。それでも両氏がアイゼンを着けて雪山を登ったことや、燧岳の雄姿に感動したことを楽しそうに話していたことは多少の救いではあった。

 翌朝、窓の外を見ると大粒の雪が舞っていたので驚いた。ペンションオーナー自慢の手作りパンとブルーベリージャムの朝食をゆっくり味わってから、渋滞に捲き込まれないように早めに帰ることにした。車の上に積もった5センチほどの湿った雪を払い出発した。鎌田辺りで雪が雨になり、沼田からは晴れ間も出てきた。関東平野に出ると五月晴れだった。
燧岳
尾瀬沼から燧岳を見る

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