初めて関西の山へ、大台ヶ原山、大峰山
(1992年10月)
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大台ヶ原山(日出ヶ岳山頂) |
大峰山(八経ヶ岳山頂) |
天王寺のホテルでKさんと合流
10月23日(金) 自宅 16:30 → 17:27 新横浜 → 新大阪 → 天王寺 → 21:00 天王寺都ホテル新館
大阪に赴任していたKさんから大台ヶ原から大杉渓谷に下ってみないかと誘いがあった。いずれ大台ケ原山は登らなければならない山だったので渡りに船であった。苗場山、奥白根山で一緒だったS君も同行することになった。金曜日の夜にKさんが手配してくれた大阪のホテルで合流することにした。
10月23日、銀行を早退して急いで山支度をし、新横浜から新幹線に乗った。新幹線はほぼ満席だった。東京より乗車のS君と落ち合い、ビールを飲んで良い気分になる。大阪支店に勤務したことのあるS君の案内で新大阪駅の飲食店街にある「美々卯」で「もみじうどん」を食べる。天ぷらの付いたうどんで、もみじおろしを全部汁にいれたら辛くて汗が出た。結構混んでいる地下鉄に乗り込んだが、ザックを背負っているので肩身が狭い。天王寺で下りて真新しい天王寺都ホテルにはいった。登山靴がいかにも場違いである。Kさんも着いたばかりで一緒にチェックイン。2階のラウンジでグラスを傾け歓談した。3人同室で後は寝るだけだった。
雨の大台ヶ原を散策、日出が岳に
10月24日(土) 近鉄阿部野橋駅 5:37 → 大和上市駅下車、タクシー乗車 → 大台ヶ原駐車場 10:40 → 11:35 大蛇ー分岐 → 大蛇ー → 12:25 大蛇ー分岐 → 13:30 日出ガ岳 14:20 → 15:00 大台ヶ原駐車場 タクシー → 17:00 洞川温泉「角甚」
ホテルに隣接する近鉄阿部野橋駅より吉野行きの始発急行に乗り込む。同じ近鉄系列のせいか最短距離で駅まで行けてまことに便利である。電車が走り出すと外はまだ暗く、雨粒が窓硝子に斜めの筋を付けている。車内は寒いのでザックからセーターを出して着る。
大和上市で下車、駅前のタクシーに乗り込み大台ヶ原駐車場へ。麓でこれだけの雨では大杉谷の方は大変だろうと思う。タクシーは一面緑に覆われた山間にはいる。秘湯入之波温泉を過ぎ、大台ヶ原ドライブウェーにはいる。8月の台風で道路が流され復旧工事中だったが本日開通したとのこと。間一髪で間に合った。紅葉がだんだん増えてくる。大台ヶ原駐車場は広々としていて、周辺は見事な紅葉であった。
駐車場の食堂にはいって先ず朝食を取る。月見うどんを注文したがなかなか美味であった。雨が強く降っているので予定通り大杉谷に下るか作戦会議。雨が降り続く中で渓谷を下るのは危険と判断し、大杉谷は諦めた。Kさんが今日泊まる予定だった大杉渓谷の「桃の木山荘」にキャンセルの電話をいれた。これから日出が岳まで登り、明日は大峰山に登ることにした。食堂のおばさんが親切な人で、3時30分に川上村のタクシー運転手を来てくれるように手配してくれた。
ガスコンロと食料は私が持って、二人は空身で、大台ヶ原に向かった。雨具を着けて駐車場よりシオカラ谷に下る。きれいな沢を吊橋で渡り、対岸を登り始める。シャクナゲ林を登ってゆくと樹林の中の明るい平に出た。大蛇ーへの分岐があった。傘を差して右方向の大蛇ー展望台に向かう。300Mも行くと露出した岩が宙に突き出ていた。その先は断崖になっていた。雨に濡れて滑りそうな岩に鉄柱が1M程の間隔で岩に打ち込まれ、鎖が掛けられていた。いかにも頼りない柵だから近づくのも憚られる。行者はここで身を乗り出して修行するようだ。見渡す限り800Mもある絶壁が谷を囲んでいた。一見の価値はあった。
長居する場所ではないので早々に分岐まで引き返し、東に進む。幅の広い歩きやすい遊歩道が続く。牛石ガ原の草原に出た。池塘はないが苗場の山頂部にも似た景観だった。都笹が独特の明るく柔らかい雰囲気を醸し出している。この辺りから大台ヶ原特有の湿潤な樹林帯が続く。苔に被われ倒木や岩、真っ赤に紅葉したカエデが彩りを添える。登山道に水が流れるが泥道にはならない。靴を濡らさぬように水溜まりを避けて歩く。尾鷲辻から少し登り、正木ケ原に出る。雨にも拘わらず観光客が多い。駐車場から最短距離で登ってくる道を合わせると本格的な登山道になった。しばし急登すると日出ケ岳山頂の展望台と雨量観測小屋が見えてきた。展望台の横に三角点があった。展望台に上り四周を見渡すも眺望は得られない。晴れていれば尾鷲湾や大峰山も見られたのに残念だった。
展望台の下で買い換えた新型ガスコンロで紅茶を作りパンで昼食。コンパクトでボタンを押せば着火する優れ物だった。
下りは頂上直下の急坂を過ぎればほぼ平坦な遊歩道となり、建物が並ぶ駐車場に戻った。その頃になって雨は止み、霧も上がって、青空さえ見え始めていた。 駐車場には既に迎えのタクシーが着いていたが、予約時間には間があるので、食堂に寄って雨具を脱ぎ、お汁粉で一息ついた。
タクシーに乗ってドライブウェーを下り始めると晴れ間が広がった。紅葉も一段と映える。谷間に消え残った白い霧が漂っている。大峰山系の方角に幾重にも山が連なっている。正に山岳重畳として紀伊山地の奥深さに感嘆した。大台ヶ原を下りきり、国道169号線を南下し、右折して大嶺山系を越える国道309号線にはいる。舗装はされているが狭い道を延々と登ってゆく。タクシーのメーターがどの位になるのか心配になった。山脈のかなり上部迄登って行者還トンネルを通って大嶺山系の西側に出て、川迫川渓谷を下った。御手洗渓谷の入口を過ぎ、漸く洞川温泉に着いた。運転手が紹介してくれた木造総二階建ての温泉宿「角甚」前でタクシーを降りた。料金は15,480円だった。
早速温泉で温まる。滑らかな透明の湯が心地よい。料理も美味かった。Kさん持参のワインを飲みながら賑やかに歓談した。
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雨の大台ヶ原 |
強風の中、大峰山系最高峰の八経ヶ岳へ
10月25日(日) 「角甚」 5:30(タクシー) → 6:00 行者還トンネル西口 → 7:00 主稜線 → 8:05 聖宝の宿跡 → 8:55 弥山小屋 → 9:30 八経ヶ岳 → 10:00 弥山小屋 10:55 → 12:30 トンネル西口への分岐 → 13:10 行者還トンネル西口 13:45 (タクシー) → 15:00 下市口駅 → 15:43 橿原神宮前駅 → 16:00 八木駅 → 18:25 名古屋駅 → 20:10 新横浜駅 → 自宅
5時半に昨日の運転手が迎えに来てくれる。昨日下りてきた川迫川沿いを遡り30分で行者還トンネル西側入口で下りる。2時に迎えに来てもらうことにする。山の上の方はガスに包まれているが麓の方は晴れている。さっそく登山開始。風が強く木の枝が大きく揺れている。すぐに支尾根に出て急斜面の効率の良い登りとなる。樹林帯の中までゴーゴーと北風が吹き荒ぶ。霧が物凄い勢いで斜面を登っていく。1時間登ると大峰山脈の主稜線に出た。古来修験者が通った「大峯奥駈道」である。細い尾根にベンチが2つあったが吹き上げてくる風をもろに受けて座っていられないので風下側の木の陰に腰を下ろす。ウインドヤッケを着ても寒い。凍える手で弁当の握り飯を頬張る。
軍手をはめて稜線の南に向かう。ガスに囲まれて眺望は効かない。「聖宝の宿跡」の先で休憩。歴史を感じさせる遺跡がいろいろ出てくる。ここからかなりタフな登りとなり、ガスは益々濃くなって視界は100M位である。1時間登ると広い平らな弥山山頂に着いた。山頂といってもだだっ広い広場にしか見えない。大きな山小屋がありその前に幾つかテーブルがあった。他にも建物が並んでいる。ザックをデポして八経ヶ岳に向かう。空身なのでスイスイ下る。トウヒの濃緑色と立ち枯れの木立の灰色と小さなカエデの赤色が奇妙なコントラストである。枯木立が無残で美しい山という印象はない。伊勢湾台風で立ち枯れたのだろうか。鞍部から登り返して八経ヶ岳山頂に立った。標高1914Mは近畿で一番高いそうだ。山頂の小さなトウヒに沢山の登頂記念の板がぶら下がっている。今日も眺望に恵まれなかったが関西の百名山2座に登れて満足だった。弥山に戻り広場のテーブルでモチいりラーメンを作って食べる。寒くてラーメンがみるみる冷めてゆく。早々にコンロ、食器をパッキングして帰途に付く。
「石休の宿跡」を通る頃から晴れてくる。振り返れば八経ヶ岳、釈迦ヶ岳が青空をバックに見えてきた。大台ヶ原から紀南に向かう山並みがくっきりと見えた。昨日も今日ももう2〜3時間早く天候が回復してくれたらと恨めしかった。澄んだ青空のもとで歩くのは楽しい。枯れ葉に埋まった道はふかふかして気持がいい。初冬の静かな山歩きをしみじみ味わいながら稜線を歩き、行者還トンネル西口への分岐で大峯奥駈道と別れた。
トンネルの近くの沢で登山靴の泥を洗い、最後のティータイムで身体を温め道路に上がった。タクシーは既に到着していた。相変わらず強い風の中でズボン、シャツを着替え、車内に乗り込みほっとする。
ラジオで西武対ヤクルトの日本シリーズを中継していた。逆転、逆転の緊迫した試合をしていた。下市口でタクシーを降りる。二日間乗せてもらった川上村の運転手はニコニコと見送ってくれた。タクシー代はトータルで4万7千円掛かったが3人の割り勘だったし、効率よく百名山2つを回れたので十分元を取った。
下市から近鉄に乗り、橿原神宮で大阪に帰るKさんと別れ、私とS君は橿原線に乗り換え、さらに八木で名古屋行きの特急に乗った。白子駅で鈴鹿サーキットで行われたF1世界選手権の観戦客がどっと乗り込んできた。名古屋駅でも新幹線の指定席が取れず、ギュウギュウ詰めで立ちっぱなしだった。新横浜でS君と別れ、自宅に戻ったのは8時半だった。
週末を利用した山行で大台ヶ原山と大峰山に登れたのはひとえに大阪に赴任していたKさんが声を掛けてくれたからこそである。Kさんが当初計画した大杉渓谷に行くことができなかったのは残念だったが。
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