炎天にめげず魚沼駒ヶ岳へ

(1994年8月)

魚沼駒ヶ岳
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栃尾又の秘湯の宿に泊まる

8月9日(火) 自宅 7:25 → 10:16 関越自動車道入口 → 13:20 小出IC出口 → 15:00 湯之谷温泉郷栃尾又 自在館
 7月に銀行から子会社に出向となり多少忙しかったが、漸く夏休みが取れたので、バタバタと山支度をして越後駒ヶ岳に行くことにした。(『日本百名山』では魚沼駒ヶ岳と呼んでいるが、私は越後駒ヶ岳という方が好きなのでこちらを使う)
 8月9日、今日は宿に行くだけなのでゆっくりと家を出た。東名も環八も酷い渋滞で関越自動車にはいるまでに3時間掛かったのにはうんざりした。幸い関越は空いていて気持よく走れた。関越トンネルを抜けると空は曇っていて、高校野球のラジオ中継にガリッ、ガリッと雷によるノイズがはいってくる。塩沢・石打SAで400円のカレーライスで昼食。
 小出インターを出て、明日の暑さ対策のためコンビニに寄って氷のパックを買ってクーラーボックスにいれる。湯之谷に向かう頃より雨が降り出した。このまま旅館に行っても早過ぎるので、湯之谷手前で左折して奥只見シルバーラインで銀山平に向かった。平ヶ岳登山の偵察に鷹ノ巣まで行ってみようと思った。シルバーラインは奥只見丸山スキー場に行ったとき通ったことがあるが、ずっとトンネルでダンプカーやトラックとすれ違う時はちょっと怖かった。トンネルの途中で右折するとぽっかり地上に出て、橋を渡ると銀山茶屋に出た。案内標識に鷹ノ巣まで36Kmとなっていたのでさすがに遠すぎるので諦めた。越後駒ヶ岳の登山口がある枝折峠経由で戻ろうとしたが、道路工事のため通行止めになっていたので、来た道を引き返した。3時に栃尾又の自在館に着いた。
 自在館は慶長年間に開業した宿で「日本秘湯を守る宿」であった。建物はそれほど古いものではなく、6畳の和室に通された。一休みしてから別棟の温泉施設「クアハウス栃尾又」に行った。効能書きに書かれていた通り手桶で低温湯5杯、高温湯5杯を身体に掛け、低温の寝湯にはいった。微温いのでいくらでも浸かっていられる。それから高温の湯と発砲湯にはいって上がった。僧行基が発見したといわれる温泉で1200年の歴史がある。ラジウム含有量が日本で2位の単純弱放射能泉ということである。
 6時に夕食が運ばれてきた。品数は多い。ビール1本を飲み、料理はあらかた平らげた。朝食は弁当にしてもらい、今日中の精算を頼んだ。のんびりした宿の亭主は9時半頃漸く弁当を持ってきて精算をしてくれた。明日は5時に出発するので玄関の鍵を開けておくように頼んでおいた。
 夜は冷房が切れ、暑くてよく眠れなかった。

行きは快調、帰りは暑さでヘロヘロ

8月10日(水) 自在館 4:40 → 5:25 枝折峠 → 5:58 明神峠 → 6:45 道行山 → 8:20 百草の池 → 9:30 駒の小屋 → 9:45 駒ヶ岳山頂 10:25 → 11:35 小倉山 → 12:25 道行山 → 13:30 枝折峠 14:00 マイカー → 20:00 自宅
 4時起床。洗顔し、弁当の握り飯を一つ食べる。
 4時40分に玄関を出ようとすると戸が動かない。あれっと思ってしばらくガタガタやっていると帳場から亭主が出てきて鍵を開けてくれた。
 黎明の道を枝折峠に向かう。舗装されている良い道だった。ゆっくり走って5時20分に整備された駐車場に車を駐めた。登山靴に履き替えているとタクシーがやってき来て、大きなザックを持った青年が独り下りてきた。軽く挨拶して登山届を並んで書き、一足先に出発する。ゆっくり歩き出したが、最近ランニングをしているせいか順調である。登るに連れて朝日が射してきた。雲一つない快晴である。左下に湖面を霧に被われた奥只見湖が見える。道端に白衣観音像があった。コップに水が供えられている。賽銭箱もある。遭難碑があり檜枝岐の青年が越後三山縦走の途次遭難したという。無雪期の7月に遭難しているのには驚いた。余程悪天候だったのだろうか。遭難は悲しい。
 荒沢岳が凄く立派に見える。行く手の尾根の遥か先に朝日を浴びた越後駒ヶ岳が見えてきた。深い青色の空をバックに輝いている。枝折大明神の小さな祠があり、右に「銀の道」の案内がある。「熊が出没するので注意」の看板があったので、見通しの悪い所はちょっと緊張した。程なく明神峠を通過。鶯が鳴いている。「ホーホケキョ」の後に「ケキョ、ケキョ、ケキョ……」と何度も繰り返しさえずり、心を和ませてくれる。50分歩いたが適当な休場がないので歩き続ける。見晴らしのいい所に出ると平ヶ岳が見えてきた。鋭い双耳の燧岳、きれいな三角形の至仏山、釣り鐘型の奥白根山も顔を出す。窪地の小さな池の側を通り、道行山の登りに掛かる。すぐ近くで鶯が鳴いた。立ち止まって回りの木の枝を探したが姿は見えない。西にちょっと下った所に導標があった。「枝折峠 3.3Km、小倉山 1.7Km」となっていた。ここで小休止。
 少し下って、ぬかるみを避けながら黙々と登る。だんだん展望が開けてきた。尾根の左斜面を登り始める。ちょっと広くなった所で短パンに履き替える。俄然歩きやすくなる。駒ノ湯からの登山道が合流する地点で先ほどの休憩時に追い抜いていった青年と下山してきた人が腰を下ろして話をしていた。お先にと歩き続け、小倉山の左を巻いて緩やかに下る。尾根上の小灌木の道を上り下りし、草原状の広い尾根を登ってゆくと左下に百草の池が見えた。次第に草付きと露岩の急斜面になる。疲れも感じるようになってきたが、前に見えるピークまでと頑張り、登り切って右に駒ヶ岳山頂がよく見える所で小休止。クロワッサンとパイナップルジュースで養分補給。
 10分間の休みでまた元気になる。森林限界を超えた岩稜を一歩一歩登る。駒の小屋のアンテナの先端が見えてきて、それを目標に喘登を続ける。左側の沢に雪渓があり、水の流れる音も聞こえてきた。大きな猛禽類が一羽、悠々と谷間を昇ってくる。黒い影が緑の斜面を走る。鎖場も出てくるがそれほどのものではない。50Mくらい下を青年が追ってくる。漸く小屋の横に辿り着いた。広場もあり水も引かれている。コップが置いてあったので1杯飲んで見る。引いているうちに温まってしまったのかあまり冷たくなかった。
 小屋からは山頂が手に届くように見えた。人の姿も見えた。山頂部は南北に広がり、稜線のすぐ下に横長の雪渓が残っていた。小屋の上の方で沢音がする。源流部の冷たい水を飲んでみたかったがロープで侵入禁止になっていた。
 正面に構えた山頂部に取り付き山頂稜線の南側に登ってゆくと中ノ岳への縦走路にぶつかった。右の山頂に向かって300Mほど緩やかに登ると越後駒ヶ岳山頂だった。先客が2名いた。先ずは写真を撮っていると1人は下山していった。腰を下ろすと56歳という元気なオジさんが話しかけてきた。昼食を取りながら話を聞いていると、百名山を目指していて先週平ヶ岳に登り、来週はトムラウシに行くといっていた。私より5歳年上だが元気なものだ。夏の陽射しが容赦なく降りかかってくる。熱中症が心配になってくる。折り畳み傘を拡げて差し、水をたっぷり飲む。見渡せば秋の空のように澄み渡った空のもと山岳展望は最高だった。八海山は切り立った懸崖に囲まれている。戸隠山ほど怖さは感じなかったが、やはりその鋭い頂稜は容易に人を寄せ付けない厳しさがある。隣の中ノ岳は穏やかな山容で簡単に行けそうに見えた。
 40分ほど至福の時間を過ごし、そろそろ出発と手帳を拡げて時刻を記入していると手帳に赤トンボが止まった。そっと手帳を振って赤トンボを放しポケットにしまい帰途につく。小倉山で休憩。陽を遮るものがないので水を飲んで早々に歩き出す。カンカン照りの尾根のアップダウンが恨めしい。鶯の声に僅かに慰められる。ムンムンする草いきれの中をとぼとぼ歩く。タオルに水筒の水を流し、首の後ろを冷やしながら歩く。道行山の登りで犬のようにせわしく口呼吸する。木陰にはいった所で息を整える。水が400cc程残っていたので半分を頭から掛ける。ポロシャツがぐっちょり濡れて却って蒸れる。時々後ろを振り返ると山頂が遠ざかってゆく。人間の歩く力は凄いと思う。一歩一歩は小さいが歩き続ければ驚くほど遠くに行ける。我ながらまだまだ登れるという気がしてくる。足の疲れは大したことはないが、問題は暑さだった。日射病にでもなったら年甲斐もなくと物笑いの種になるだろう。最後の下りは傘を差して歩いた。昨日の夕立が羨ましかった。明神の祠を過ぎ、白衣観音を過ぎ、もう少し、もう少し、と足を動かしていると、ひょっこりと道路が見えてきて、1時半に枝折峠に下り立った。
 本日行き会った登山者は11人、お盆近い時期としては静かな山だった。
 車の中はサウナのように熱かった。エンジンを掛けクーラーを強にして、隣りに駐車していたワゴン車の陰に腰を下ろし、クーラーボックスから氷のパックを取り出し、融けた氷水をコップにいれてガブガブ飲んだ。何杯も飲んで漸く生き返った気持になった。バスが通り過ぎて停留所に止まった。車に隠れて上半身裸になって氷水で冷やしたタオルで身体を拭いた。足も拭って靴下、ズボンを替えた。短パンは良かったが太股やふくらはぎが真っ赤に日焼けしてヒリヒリしていた。身支度を調え、漸く冷えてきた車に乗り込んだ。
 峠を下りだしたが日影はなく車内に差し込む日射で後頭部がクラクラしてくる。日影の待避線で仮眠してみようと思ったが眠れそうもない。已むなく車を走らせ、昨日寄った小出のコンビニでブロックアイスと冷たい飲物を買い込んでクーラーボックスにいれた。冷たいコーラを一気に飲むと少しすっきりしてきた。元気が出てきたのでそのまま関越道にはいる。赤城高原SAで給油し、駒寄PAで家に無事下山の連絡をいれ、氷アズキとパンを食べる。最後に高坂SAでグロンサンをコーラで割って飲んだ。居眠りよけのおまじないである。渋滞もあったが8時半に自宅に帰還した。
奥只見湖 白衣観音
雲海の奥只見湖 白衣観音
百草池 越後駒ヶ岳山頂
百草の池 越後駒ヶ岳山頂
中ノ岳 八海山
越後三山 中ノ岳 越後三山 八海山

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