同期会のついでに伊吹山、荒島岳

(1994年10月)

 
伊吹山 荒島岳
伊吹山を振り返る 荒島岳シルエット

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誰もいない雨の伊吹山に登る

10月21日(金) 自宅 5:45 → 6:45 新横浜 → 8:50 米原 タクシー → 9:45 伊吹山ゴンドラ乗場 → 10:00 ゴンドラ降場 → 10:50 7合目 → 11:35 伊吹山山頂 11:45 → 12:45 高原ホテル食堂 13:15 ゴンドラ乗車 → 13:35 登山口バス停でタクシー → 13:50 近江長岡 14:18 → 14:28 米原 14:57 しらさぎ9号 → 16:03 福井 16:44 → 18:06 越美北線勝原 → 民宿「林湊」
     
 銀行同期の入行30周年に山代温泉に1泊してゴルフと宴会をすることになった。私は山代温泉に行くならゴルフより荒島岳に登りたかった。そこでゴルフは不参加にして夜の宴会だけ出席することにした。また前日の金曜日に休暇を取り伊吹山に登ってから荒島岳に回ることにした。ゴルフコンペをサボるのは多少同期の顰蹙を買うかもしれないが、同期会を利用して百名山2座に登るのは我ながらグッドアイデアだった。
 伊吹山は私の最初の赴任地名古屋からよく見えたので懐かしい山である。しかし「伊吹おろし」の寒さは身に沁みた。次の任地金沢支店から本店に転勤になった時はマイカーで東京に戻った。2月下旬だったが金沢から国道8号線で敦賀に向かっている間は雪が舞っていた。敦賀から峠を越えて滋賀県にはいると晴れ間が見えてきた。琵琶湖の東側を通って長浜辺りに来た時はまったく雲一つない晴天になり、左手に純白の伊吹山が蒼天に端座していた。暗く湿った日本海側から明るく乾燥した太平洋側へのあまりにも劇的な変化に驚くとともに、燦々たる陽光の中に躍り出たその道中が明るい未来への一歩であるような錯覚を覚えたものだ。伊吹山は仰ぎ見る山として抜きん出ているように思う。
 
 金曜日の早朝、雨が降る中、妻に最寄りの駅まで車で送ってもらった。新幹線に乗ってからもずっと雨模様だった。米原で新幹線を降りると本降りになっていた。しばらく行くか止めるか迷ったが、やはり登ることにしてコインロッカーに着替えなどをいれたボストンバッグを預け、ザックを持ってタクシーに乗った。東海道線沿いに近江長岡まで行き、そこから伊吹山登山口のゴンドラ乗場で車は止まった。建物内は深閑としていて客はいない。往復乗車券を買って6人乗りのゴンドラに乗り込んだ。壁のような急斜面をグングン昇り5分ほどで高原駅に着いた。係員に誘導され裏口のドアを開けた途端、雨が吹き込んできた。慌てて引っ込み、また止めようかと思ったが、ここまで来たのだから行くしかないと腹を据え、雨具を着けて風雨の中に飛び出した。この辺りは3合目であった。広い斜面に4〜5メートル幅の道が真っ直ぐ続いていた。緩い斜面なのでどんどん登る。4合目辺りから右に、左に蛇行するようになった。動いていないリフトの終点が5合目だった。ちょっと平になった所に無人の小屋があり、飲料自販機のモーターがブーンと鳴っていた。
 7合目まで登って小休止。視界は20〜30メートル。雨具を着ているので濡れてはこないが汗で蒸れてくる。上着のジッパーを少し下ろし冷たい空気をいれ、雨に打たれながら水を飲みチョコレートをかじる。この辺りからつづら折りの登りとなり、小灌木の斜面を効率よく高度を稼いで行くと、8合目の小屋に出た。戸が開いていたが中に誰もいない。9合目に来ると緩やかな高原状の遊歩道となった。雨で滑りやすくなった赤土の上を歩いて行くと山頂部の一郭に出た。売店か山小屋か背の低い建物が並ぶ中を進んでいくと山頂標識があった。人っ子一人見当たらず、売店にも人の気配がない。雨や霧でぼんやりとしか写らないが山頂のモニュメントなどの写真を撮った。囲いの中に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の石像があった。おかっぱ頭のような髪型で全体的にしまりのない姿だった。武尊山にあった迫力のある日本武尊像とは大違いだった。深田さんも「頂上に日本武尊の石像が立っているが、尊にお気の毒なくらいみっともない作りであるのは残念である」と書いていた。雨宿りする場所もないので早々に退散することにした。晴れていれば琵琶湖も、名古屋の市街地も見えただろうと思うと残念だった。
 8合目の小屋で弁当を食べようかと思ったがここも淋しいのでそのまま通過した。4合目から下は少し霧が晴れてきてゴンドラの建物や高原ホテルが見えてきた。一気に駆け下り、ホテルの階段を登る。ホテルの食堂はガランとして誰もいない。雨具を脱ぎザックに仕舞ってから妻に作ってもらった握り飯と牛肉の時雨煮を食べた。平日で雨が降っていたせいか誰にも会わない淋しい山だった。しかし私好みの静かな山旅ではあった。
 ゴンドラ乗場に行くと、係員がスイッチをいれて止まっていたケーブルが動き出した。私1人を乗せてゴンドラは出発した。ゴンドラを下りて登山口のバス停まで歩いた。予想外に離れていてちょっと焦った。バス停で時刻表を調べると大分待たなければならないので、待合室にあった専用電話でタクシーを呼んだ。近江長岡から東海道線で米原に出て、コインロッカーからボストンバックを取り出し、昔よく乗った「特急しらさぎ」で福井に行き、越美北線に乗り継いだ。2両編成のディーゼル車だった。学校帰りの女子高生などが続々と乗り込んできてほぼ満員になった。降り続く雨の中を列車は走り出した。5時半頃には暗くなってきた。越前大野で1両切り離し、さらに山中にはいり間もなく勝原に着いた。宿泊する民宿の中学生くらいの男の子が迎えに来てくれていて、もう1人の登山者と一緒に宿に案内された。駅前は真っ暗で商店の一つもない。男の子が懐中電灯を点けて先導してくれた。こう真っ暗では案内されなかったら辿り着けなかっただろう。民宿「林湊」はアットホームな宿だった。
 
伊吹山山頂 日本武尊像
伊吹山山頂 日本武尊像

ブナ林の登山道が印象的な荒島岳

10月22日(土) 民宿 6:50 → 7:50 スキー場上部 → 9:12 シャクナゲ平 → 10:10 荒島岳山頂 10:40 → 11:20 シャクナゲ平 → 12:20 スキー場上部 → 12:50 民宿 → 14:53 勝原 → 15:57 福井 16:03 → 加賀温泉 タクシー → 山代温泉 瑠璃光
 夜半強い雨音がしていたので心配したが、朝起きるとさわやかな秋空が広がっていた。同宿の同年配の登山者と一緒に登山口に向かう。国道をしばらく歩くと右側にスキー場とリフトがあった。同宿の登山者は荒島岳に登った後は中出コースで帰るというので、「どうぞお先に」と先に行ってもらった。
 リフト沿いに登り始め、民宿から1時間ほどで秋草の茂るリフト終点に着いた。ここで最初の休憩。オフシーズンのリフト降り場は墓場のように淋しい。風が強く吹き、ススキが波打っている。北西の方から雲が近付いてくる。スキー場の上から登山道はブナ林に中にはいりほぼ一直線に登ってゆく。登りやすくしっとりとした山道だ。湿った落ち葉の臭いがする。二度ほど僅かな下りがあったが効率の良い登りが続く。結構な登りなので幾度か立ち止まって呼吸を鎮めたが、コースタイム通りにシャクナゲ平に飛び出した。右から中出コースが合流している。いつの間にか上空は雲に覆われてきた。3つのピークを並べた荒島岳が逆光で間近に見えた。写真を撮って歩き出すと、ちょっと下ってからモチガ壁の急登になった。階段や鎖場もあり、一歩一歩身体を持ち上げてゆく。ヤセ尾根を過ぎると展望が開けて頂上の建物が見えてきた。明るい熊笹の草原に刻まれた道を頂上を目指してラストスパート。土が掘られ腰の高さほどの溝になった部分を通り抜けると山頂から下山してきた同宿者とすれ違った。中出コースを下りる予定だったが時間が掛かりそうなので来た道を戻るといって去っていった。程なく無人の山頂に着いた。強い風が吹き抜け、雲行きも怪しい。すぐに下ろうかと思ったが、折角ガスコンロを持ってきたので即席うどんを作った。若くて元気な青年が独りで登ってきた。眺望を楽しみにしていた白山は中腹から上は雲に隠れていた。西の方の山はよく見えるが知らない山ばかりである。伊吹山を探してみたが分からなかった。麓の越前大野の盆地が大きく見えた。
 食事が済むと写真を撮って山頂を後にした。下り始めると右膝が少し痛むようになってきたのでゆっくり下った。時間はたっぷりある。登ってくる人が結構いて、単独行4名、2人組、3人組が2パーティーで計12名に道を譲った。さすが百名山である。登山道脇のブナの大木に切り込みがあった。「1965・10・17 MT」という黒ずんだ切り込みに目が止まった。1965年といえば私が就職した年である。地元の青年が刻んだのだろうか。雨がパラパラ降り出した。スキー場の上で傘を取り出し、差しながら歩きにくい斜面を下って、道路をポンカラ歩いて民宿に戻った。シャワーを使わせてもらい、街着に着替えてさっぱりすると、登山靴と山の衣類をザックに詰め、宿のおばさんに宅急便で送ってもらうように頼んだ。後は列車の発車時刻までビールと酒を飲んで過ごした。宿泊者の感想ノートを見てみると百名山マニアの記入が多かった。勝原は10戸くらいの小さな村だったが、この村にも百名山の恩恵があるようだ。話好きの民宿のおばさんが「また来て下さいね」と見送ってくれた。
 この後、加賀温泉まで行き、山代温泉の豪華旅館でゴルフ組と合流した。
 
シャクナゲ平 荒島岳山頂
シャクナゲ平 荒島岳山頂
 
越前大野 白山
大野盆地 雲に隠れる白山

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