妻と二人で天城山

(1998年4月)

天城の山並み 万三郎岳
万三郎岳を望む(手前のピークの次) 万三郎岳山頂

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伊豆の山々は初恋の味

4月11日(土) 自宅 6:10 → 8:40 天城高原駐車場 → 9:05 四辻 → 10:00 万二郎岳 → 10:55 石楠立 → 11:30 万三郎岳 12:05 → 12:38 涸沢分岐 → 13:40 四辻 → 13:55 駐車場 → 15:30 ウェルネスの森伊東
 伊豆の山は私に取っては甘酸っぱい青春の山である。伊豆といえば、私だけでなく多くの人は川端康成の「伊豆の踊子」を思い出すだろう。旧制一高生と旅の踊り子の淡い恋物語である。あるいは「伊豆の山々 月淡く 灯りにむせぶ 湯の煙 ああ 初恋」の「湯の町エレジー」を連想する人もいるだろう。確かに伊豆はロマンを掻き立てる何かを持っている。私は高校3年の頃から伊豆山七尾に住む従妹の従姉に淡い恋心を感じていた。ワンゲル2年目の4月、同期の4人で西伊豆をワンデルングしようと誘われた。なぜ標高1000Mにも満たない西伊豆の山に登るのかと私は気が進まなかった。どうも彼らは伊豆を歩けば「伊豆の踊子」のような出会いがあるかもしれないと夢想しているようだった。私も帰りに伊豆山の彼女に会いに行けると気付いたとき俄然乗り気になった。
 修善寺からバスで達磨山キャンプ場に行き、そこから戸田峠に登り、達磨山を越えて船原峠でテントを張った。翌日は棚場山に登り、南無妙峠、宇久須峠を越えて仁科峠に着いた。ここから猫越岳に登る予定だったが登山道が不明瞭だったので沢沿いに宇久須に下った。宇久須からバスで松崎まで行き、そこからまた歩いて雲見に着いた。雲見温泉の野天風呂に浸かり、傍らの小屋に泊まらせてもらった。3日目は雲見から海岸の絶壁に付けられた険阻な道を通って波勝崎に出た。波勝の野猿を見物して、伊浜、落居、子浦まで歩き、下田行きのバスに乗ることにした。他の3人は下賀茂で下車してさらに幕行を続けるということだったが、私はそのまま下田まで乗車して熱海に向かった。もちろん伊豆山の初恋の君に会いに行くことは彼らには内緒にしていた。熱海駅から仲道までバスで行き、七尾の叔母の家まで登った。突然訪ねてきた私の山男姿を見て叔母は驚いていた。翌日、本家の箱入り娘の彼女を誘って岩戸山にハイキングに行った。若き日の想い出である。
 その後もゼミの旅行で湯ヶ島の旅館に泊まり、天城峠から八丁池まで登った。大学の寮があった戸田にも行った。伊豆には海と山の楽しみが詰まっている。

 「百名山」の天城山はいつでも行ける山だったから残しておいたが、たまたま会社が「ウェルネスの森伊東」の1室を保養施設として借り上げたので、そこに1泊して天城山に登ることにした。買い換えたばかりのマイカーに妻を乗せ、カーナビに目的地を天城高原ゴルフ場にセットして出発した。妻が山に付き合ってくれるのは久し振りだった。熱海まで順調に走り、多賀でカーナビの案内に従い山道にはいった。車1台が通れる位の細い急坂を右に左に回って登った。ゴルフ場に向かう道がこんな狭い道であるはずがないと引き返そうかと思ったが、Uターンもできずに登って行くと、山伏峠で伊豆スカイラインに合流した。カーナビは最短距離の道を選んだのだろうか。オプションで30万円もかけて設置したのだがあまり信用はできないと思った。伊豆スカイラインは行き交う車がほとんどないので気持よく走れた。沿道の桜が満開でまことに快適なドライブだった。天城高原ゴルフ場の門柱があったので、ゴルフ場の私有地にはいっていいのかなと思いながら進むと、ゴルフ場の駐車場に向かうロータリーの手前に登山口の標識があり、左手に広い駐車場があった。先着の車が10台ほど駐まっていた。
 登山靴に履き替えて登山口から登り始める。10分ほど歩くと四辻の分岐があった。万二郎岳に先に登り、万三郎岳を回って、戻ってくる時計回りのコースを選択した。新緑にはやや早いブナやアセビに囲まれた明るい道を登り始めた。妻が一緒なのでゆっくり登る。ゴルフ場のアナウンスが聞こえてくる。少し傾斜が増してきて一頑張りすると万二郎岳に着いた。狭い縦走路にしっかりとした案内標識がある。三角点は地面から抜けて横になっていた。樹林に囲まれているので見晴らしはよくない。誰もいないので通り道に腰を下ろして休憩した。万二郎岳は万三郎岳から八丁池、天城峠に至る天城山縦走路の東の起点である。
 天城の最高峰万三郎岳に向かう。ヒメシャラとアセビのトンネルを所々に残る雪とぬかるみを避けながら下っていくと石楠立(はなたて)に出た。シャクナゲの群落も今はまだ目立たない。急ぐ旅ではないので休憩し、写真を撮って、缶詰のフルーツを食べた。万三郎岳への登りは広い尾根のブナの根が広がる道を進み、一つピークを越えて、最後にぽっこり盛り上がった小山を登ると万三郎岳だった。標高1406Mの山頂標識やら案内板が並んでいる10坪位の山頂に10人程先客がいた。木のベンチが三つあった。細いブナの木が邪魔して眺望は効かないが、木の間にうっすらと富士山の山頂が見えた。鍋焼きうどんをガスバーナーで温めて食べた。携行食もいろいろ選べるようになった。
 登頂の目的を達して下山にかかる。主稜線を少し下ると、右に天城高原への下山路があったが、雪のため通行禁止という警察署の警告をぶら下げたロープが張られていた。先行の2パーティーがロープを潜って下りて行ったので、私も心配する妻を宥めてロープを潜った。北向き斜面なので窪みになった所には大分雪が残っていた。私は登山靴なので問題ないが、妻はジョギングシューズなので、雪とぬかるみを避けて慎重に下りてくる。涸沢分岐まではさして難場もなく下りてきたが、ここからの残雪に覆われた急斜面の下りに再び侵入禁止のロープが張ってあった。今さら引き返せないので左に右にトラバースしながら下った。私は登山靴を雪面に蹴り込んで足場を作れるが、妻はジョギングシューズがつるつる滑って怖かったようだ。何とか残雪の急斜面を下りてほっとした。その先もまだシーズン初めでコース整備が十分ではなく、枯れ枝などが散乱して道も明瞭ではなかった。警察が侵入禁止にしたのも当然である。ハイカーには危険であったろう。私は温暖の伊豆で4月にこれほど雪が残っているとは思ってもみなかった。やはり山は油断できない。ジョギングシューズの妻に危険を強いたことを反省しつつ四辻に戻ってきた。
 駐車場に戻り、伊東に向かう。沿道は春の盛りだった。ピンクや白の桜に、一際鮮やかな赤色のハナモモが混り実に美しい。冷川経由で3時過ぎにウェルネスの森伊東に着いた。だだっ広い3LDKの部屋は2人で泊まるには広すぎる。バブルの勢いで急増しているリゾートマンション風の建物だった。夕食は最寄りの南伊東まで歩き伊豆急で伊東に行きレストランを探した。イタリアンの「パパクチーナ」が手頃な感じだったのではいった。ステーキ、ピザ、スパゲティを食べた。なかなか美味かった。シャブリのハーフボトルでいい気分になった。
雪の残った道
4月というのに沢筋には雪

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