磐梯山に登るもホテルで転んで骨折
(1998年9月)
 |
 |
五色沼より磐梯山 |
白布峠より磐梯山 |
磐梯山は霧の中
9月7日(月) 自宅 6:00 → 11:15 ゴールドライン 八方台駐車場 11:30 → 12:00 中ノ湯 → 12:20 稜線 → 13:00 弘法清水 → 13:30 磐梯山 → 13:50 弘法清水 14:10 → 15:15 八方台駐車場 → 16:30 リステル猪苗代
妻と車で磐梯山と西吾妻山に登ることにした。
磐梯山は高校2年の時の遠足で裏磐梯に行って以来、度々その姿を目にしてきた。大学1年の時、東吾妻の山々をスキーワンデルングして、その帰途、横向温泉から沼尻に滑っている時に見た冬化粧の磐梯山には息を呑んだ。沼尻で合宿を解散した後、私はスキー好きの友と猪苗代の民宿に1泊し、猪苗代スキー場のリフトの天辺から赤埴山を越えて沼ノ平までスキーで行った。爆裂火口の白く輝く懸崖を見上げて感動した。それから37年後、ようやく磐梯山に登頂する機会がやってきた。
6時に自宅を出発した。東北自動車道は那須付近で集中豪雨の被害箇所の復旧工事をしていて片側対面交通だった。11時にゴールドラインの八方台駐車場に着いた。東京を出るときは相当の雨だったので登れるか心配だったが、那須辺りから雨は止んでいた。かなり広い八方台駐車場には数台の車が駐車していた。シーズンには車が溢れ前後の路肩に車の列ができるらしい。
薄暗い曇り空の中を道路を渡って登山道にはいる。中ノ湯まではジープなら登れそうな緩やかな登り道が続く。高い樹林に覆われた暗い道だ。登り切ってちょっと下ると中ノ湯の宿が見えた。裏磐梯からの道を合わせ、急な山道になった。ほどなく火口壁らしい稜線に出た。樹林の間から銅沼が見えた。左半分が泥色で、右半分がコバルト色の不思議な沼だ。ここで一休み。
山腹の右側をトラバース気味に辿り、少し下がって登り返す。霧雨が降ってきて足許の岩が濡れてくる。頂上まで何とか降らないで欲しいと念じつつ、灌木帯になった道を登って行くと、分岐があった。左はお花畑経由で若干遠回りのようなので、右の「弘法清水 0.3Km」を取る。しばらく登ると岡部小屋に着いた。その奧に売店があり、道端に弘法清水の水場があった。今日は寒い位で飲む気にはならなかったが、夏には有り難い水場だろう。雨模様で時間も遅いので売店には寄らずに右手の灌木の中の道を登る。かなり急な道だった。途中、下山してくる女性4人組に出合う。森林限界を抜けると岩だらけの山頂に到達した。山頂標識はちょっと下がった窪地にあった。小さな祠もあった。
眺望は全く得られない。風が強い。百名山を一つ登った喜びはあるが、何も見えないので、山頂標識の写真を撮って引き返した。
弘法清水の売店を覗くと中年女性が1人で店番をしていた。頂上に登り、もう急ぐこともないので休んでいくことにした。ナメコ汁を注文し、コンビニで買ってきた握り飯を食べた。ベストマッチで美味しい昼食となった。女性の話では今日も20名近くの登山者がいたという。女性は毎日猪苗代から通ってくるということだった。晴れていれば月山、鳥海、燧などが見えるという。
何とか雨は止んで、気分的にも楽になり、快調に下った。途中女性4人組を追い越し、駐車場まで一気に下りた。
車に戻り、裏磐梯経由でリステル猪苗代に着いた。8階の部屋からは猪苗代湖が正面に見えた。夕食前にホテルの前にあるハーブ園などを見て回る。なかなか綺麗な庭で、猪苗代湖も見える絶好のロケーションだった。
大浴場で汗を流し、夕食は洋食にした。ワインを奮発、さらに生ビールを飲んでいい気分になった。レストランを出て館内のクアハウスやプールなどを見て回り、部屋に戻ろうと十段くらいの絨毯敷きの階段を下りるとき、足を踏み外し前につんのめって左肩を強打した。何とか起き上がったが左肩に激痛が走る。左膝も擦りむいていた。周りに誰もいなかったので恥をさらすことはなかったが、山ではなくホテルで酔って怪我をしたのはショックだった。何とか部屋に戻っが寒けがしてきたのでベッドに横になった。妻が心配そうにしているが、しばらくすると寒けはなくなり、左肩を動かさなければ寝られそうなので、そのまま寝ることにした。
 |
 |
磐梯山の山頂標識 |
猪苗代湖の眺望がよいホテル |
 |
 |
ホテルより猪苗代湖 |
ホテルより猪苗代湖 |
西吾妻山はロープウェイ運休で途中退却
9月8日(火) ホテル 8:00 → 裏磐梯五色沼 → 白布温泉湯元 ロープウェイ山麓駅 → 徒歩でロープウェイ山頂駅 → ロープウェイ山麓駅 → 米沢上杉神社 → 自宅
怪我をしたのが利き腕でなかったのは不幸中の幸いだった。左手を動かさなければ普通に運動できるので予定通り西吾妻山に行くことにした。吾妻山は大学1年のスキー合宿で一切経山、東吾妻山、高山に登ったが、連峰最高峰の西吾妻山にも登っておきたかった。
8時にホテルを出発し、五色沼の一つ、毘沙門沼を見物した。毘沙門沼の後ろに磐梯山が真ん中が欠けた双耳峰の姿を見せていた。噴火で山頂部分が吹き飛ばされる以前は富士山型の綺麗な山だったのではないかと想像した。それにしても噴火の威力は凄まじい。明治21年の大噴火では461人が亡くなったが、その噴火により裏磐梯の美しい森と湖沼が作られた。自然界は昔から破壊と創造を繰り返しているようだ。火山国に産まれた我々はそういう宿命の中で生きている。
桧原湖の湖畔を通り、早稲沢から有料道路の西吾妻スカイバレーにはいった。峠に近付くとヘアピンカーブが続く急坂となり、左手をほとんど動かせないのでハンドル操作に苦労した。白布峠の展望台で振り返ると桧原湖や磐梯山がよく見えた。
峠を越えて山形県側に下り、天元台高原ロープウェイの湯本駅に到着した。ところが「故障点検のため本日運休」の張り紙があった。「そんな馬鹿な」とがっかりしたが如何ともし難い。山頂駅が見えるので歩いて行くことにした。かなり急な林道を30分ほどで新高湯温泉まで登った。そこから天元台高原まで30分の導標があった。しかしその先は急斜面の荒れた山道で木の枝がはびこっていた。しばらく登ったが、左手が利かず、廃道のような暗い道だったので登る意欲も失せ、引き返すことにした。
車に戻り、米沢で上杉神社を見物して帰宅した。
翌週、左腕の疼痛が治まらないので整形外科でレントゲン写真を撮ってもらったら、上腕部の骨に黒い筋ができていて剥離骨折と診断された。三角巾で左腕を首に吊され、20日間ほどすると骨折は治ったといわれた。しかし左腕は45度以上は上げられず、リハビリ施設に1年通ってようやく元に戻った。
Copyright Kyosuke Tashiro All rights reserved