焼岳、硫黄臭漂う不気味な山頂
(1999年9月)
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焼岳山頂にて |
焼岳山頂より上高地を俯瞰 |
中の湯から噴煙上がる焼岳へ
9月6日(月) 自宅 5:06 → 9:20 中の湯温泉旅館 → 9:40 登山口駐車場 → 11:20 中の湯からの道合流 → 12:05 南峰と北峰の鞍部 → 12:15 焼岳頂上 12:25 → 14:35 登山口駐車場 → 15:00 中の湯温泉旅館
昨年磐梯山に行ったときホテルで転んで左腕を骨折したが、長いリハビリを経て漸く左腕が自由に回せるようになった。一年振りの登山は焼岳に行くことにした。今回も妻が付き合ってくれた。私が学生時代の1962年に焼岳の噴火があり焼岳小屋が火山噴出物で押しつぶされ4名が負傷した。その後、焼岳は全面入山禁止となり、その後山頂から半径1Km規制に緩められたが、焼岳北峰に登れるようになったのは1992年だった。長い間焼岳は登れない山だった。
早朝自宅を出て、中央高速松本ICから国道158号線にはいるとポツポツ雨が降り出した。上高地へ向かうマイカー客用の駐車場が蝟集する沢渡を過ぎると、後続車はなくなった。上高地に行く釜トンネルへの道を分け、左に中の湯方面に向かう。つづら折りの上り坂になり、安房トンネルの手前で右に別れ、7号カーブを過ぎると今日泊まる中の湯温泉旅館があった。雨が本格的になってきたので登山は明日にしようかと迷った。宿の人に焼岳登山口の場所を聞くと、10号カーブの先に一番近い道があるという。それを聞いて明日も晴れるとは限らないので登ることにした。
車に戻り国道を先に進むと10号カーブの先に15台くらい駐車出来るスペースがあり2台駐車していた。新しくできた安房トンネルの通行料を節約するためか旧道で峠越えをする車が時折通り過ぎる。
さっそく登山靴に履き替え、妻は雨具を着け、私は傘のみで出発した。しばらく平坦な道を歩いて行くとやがて山腹をまっすぐに登り始める。20メートルを越そうかというダケカンバやオオシラビソの巨木の中を濃厚な木の香を嗅ぎながら登る。1ピッチで休憩を取る頃には雨は上がった。中の湯からの登山道と合流すると、赤茶けたピークが見え始める。急に樹の丈が短くなり森林限界に達した。左側の斜面は笹原の中に灌木が点々とするアルプス的風景だが、登山道は火山礫の裸地となる。小石が詰まって案外歩きやすい。見上げる二つのピークの真ん中を目指して登る。鞍部に達すると左右の火口に真っ青な池が見えた。右手の南峰が三角点のある2455M峰だが登頂不可となっている。南峰の噴煙が吹き出しているすぐ下を横切る。至る所から噴煙が上がり、硫黄臭が漂う。息を詰めて通り抜ける。中尾峠からの道を合わせ、左に直登すると北峰の山頂に出た。コースタイムより早く2時間35分で登頂した。山頂の10センチ角の傷んだ柱に「焼岳」の表示があった。西側から噴煙が舞い上がってくる。北峰にも噴気孔があるようだ。
先ずは展望をと視線を巡らせれば、眼下に焼岳小屋が見えた。小屋から登って来るのは相当しんどそうだ。その右方向に梓川と上高地が見えた。左手には新穂高温泉の旅館群が見えた。新穂高ロープウェイの山頂駅も見えたが、西穂高岳は8合目辺りから上は雲の中だった。残念ながら槍穂の縦走路も雲に隠れていた。焼岳山頂は噴気孔に囲まれていて硫黄臭が漂ってくる。火山のど真ん中にいる感じがして、ゆっくり腰を下ろす気にはなれないので、早々と下山した。出合った登山者は単独行2人と6パーティーだった。下りはコースタイム通り2時間10分で駐車場に戻った。
中の湯温泉旅館は安房トンネル工事の関連で釜トンネル入口の梓川沿いにあった旧中の湯から、安房峠中腹の森を切り開いて新築移転した真新しい旅館だった。さっそく湯を浴びに行く。露天風呂は左右の山裾の真ん中に穂高岳が見える絶好の位置にあった。旅館の庭にあるダケカンバの巨木がまた素晴らしい。残念なことに穂高の山頂部は雲がかかっていて見えなかった。一瞬でも晴れないかと温泉に長湯をして粘ったが、右端の明神岳が上まで見えたきりで前穂、奧穂は遂に姿を現さなかった。晴れていれば釣り尾根が見える素晴らしいロケーションの露天風呂である。
夕食は天ぷら、イワナの塩焼き、鯉のうま煮、鯉のあらい、鰻の柳川、ハモの吸い物などで腹一杯になった。
朝飯は朴葉味噌が美味かった。
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山頂付近の噴気孔 |
中腹は緑の草原 |
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不気味な山頂付近の景観 |
火口湖 |
雨の中、大正池、田代池を散策
9月7日(火) 中の湯温泉旅館 → 沢渡駐車場 → 9:30 大正池 → 10:30 上高地帝国ホテル → 12:00 上高地バスターミナル → 12:35 沢渡駐車場 → 松本城 → 19:00 自宅
妻は上高地に行ったことがないので案内することにした。私自身も大正池や田代池に行ったことがないのに気が付いた。私が山に行き始めた頃には既に上高地までバスが通っていたから、槍や穂高から下山するとバスターミナルに直行し、焼岳も大正池もバスの中から眺めるだけだった。大正池は観光客の領分だからわざわざ行く気にはなれなかった。それでも当時のガイドブックに載っていた大正池の写真を眺めて、その神秘的で幽玄な佇まいに一度は見てみたいと思っていた。
マイカー規制で上高地に乗り入れはできないので、沢渡まで下って駐車場に車を預け、バスで大正池へ向かった。期待していた大正池の景観はいささか淋しいものだった。池の中で立ち枯れした白樺はめっきりと数が減り、老残の身をさらしているようだった。池も浅く狭くなったようだ。大正4年の大爆発による火山泥流で梓川がせき止められてできた大正池も今年で誕生から84年、経年変化するのも無理はない。それでも梓川の清流は相変わらず美しかった。田代池を散策して、帝国ホテルでケーキとコーヒーを味わいながら休憩した。このホテルには有名シェフがいて、なかなか予約が取れないので有名だった。ホテルを出ると雨が強くなってきた。田代橋で梓川の右岸に渡る頃にはどしゃ降りの雨になってズボンの裾が濡れてきた。ウェストンのレリーフを見て、超有名スポットになった河童橋を渡ったが穂高岳は見えなかった。晴れていれば明神池まで行こうと思っていたが、諦めて上高地バスターミナルから沢渡に戻った。
時間が余ったので松本城を見学して帰宅した。
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大正池 |
梓川の清流 |
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