大山、初雪積もって木道滑る

(1999年11月)

大山北壁 弥山山頂
大山北壁は霧の中 弥山山頂モニュメント

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寝台特急出雲で大山へ

10月31日(日) 横浜 21:35 →
11月1日(月) → 9:28 米子 9:51 → 10:19 松江 → 松江散策 → 13:38 松江 → 14:00 米子 15:30 バス → 16:20 ホテル大山
 百名山も残り少なくなってきた。JRで年齢を足して88歳以上になる夫婦を対象に「フルムーン夫婦グリーンパス」を宣伝していたので、これを使って妻と大山に行くことにした。料金は5日間乗り放題で80,500円だった。
 10月31日、午後9時35分に横浜駅で特急「出雲」に乗車した。「グリーンパス」では寝台特急はB寝台となるが、乗客は20%ほどだった。
 翌朝、城崎辺りで目が覚めると日本海の海岸が見えた。雨が降っていて風も強そうだった。今日の登山は諦め、松江市を観光することにした。米子で降りてコインロッカーにザックを預け、快速電車で松江に向かった。駅前から市内観光地を巡回するレイクラインバスで松江城、武家屋敷、小泉八雲記念館を見学した。松江城は小高い岡の上にあり天守閣からの眺望がよかった。宍道湖が間近に見えた。昼食は「八雲庵」で「割子ソバ」を食べた。3枚重ねの朱塗りの椀に盛られたソバに薬味を乗せ辛めのソバつゆをかけて食べると独特な味わいがあった。余ったソバつゆにどろりとした出汁を加えて飲むスープも美味かった。
 雨風が強くなってきたので米子に戻った。駅の喫茶店で時間を潰し、3時半に大山行きのバスに乗った。乗客は私たちを含め5名だった。運転手は立派な観光道路をブンブン飛ばす。大山に近付くとガスに包まれるようになった。大山バスターミナルで降りると私の傘がないことに気付いた。慌てて車内に戻り探したが見付からなかった。駅に忘れてきたようだ。已むなくどしゃ降りの中を妻と相合傘でホテルを探す。当てずっぽうに参道を登って行くが見当たらない。商店もほとんど閉まっていて聞くこともできない。郵便局で道を尋ね、来た道を戻ったが曲がる道を間違えたようだ。結局バス停まで戻って観光案内所に人がいたので教えてもらったら、横に真っ直ぐ3ブロックほど歩いた所にあった。ガスがかかっていなければバスターミナルから見えただろう。ずぶ濡れになって「ホテル大山」に到着した。
 温泉は沸かし湯ながら広くて気持がよかった。部屋は広かったがバスもトイレもなかった。食事は一般的だったがズワイカニが付いていた。

弥山山頂は吹雪で、木道が滑って怖々下山

11月2日(火) 大山ホテル 7:35 → 8:25 3合目 → 10:05 頂上小屋 → 10:30 弥山山頂 三角点往復 → 10:50 頂上小屋 → 11:35 6合目避難小屋 → 12:00 5合目 元谷 → 13:15 ホテル大山 14:25 → 14:40 大山バスターミナル → 15:30 米子 → 16:02 スーパーやくも22号 → 18:02 岡山 18:15 山陽・東海道新幹線 → 20:16 名古屋
 ぐっすり寝て目を覚ましたら6時20分だった。急いで朝風呂、洗面、食事を済ませ、ホテルを出発。雨上がりで弓ヶ浜、中海が見えた。このまま天気が持てばと願いつつ大山寺橋を渡り夏山登山道にはいる。鬱蒼とした樹林帯の結構急な道をひたすら登る。手入れのしっかりした道だが、階段の高さや長さが一定でないのでリズムが合わずくたびれる。3合目で休憩。パラパラと雨が降り出してきたので雨具のズボンを穿く。行者登山道が合流する5合目辺りから小灌木帯になり北壁が見えてくる。稜線近くは霧がかかっていて幾分威圧感が軽減されている。浮き石に金網を被せ、丸太を横にして階段が作られている。段差がありすぎて1段1歩で登り続けるのは難しい。6合目に小さなコンクリート造りの避難小屋があった。8合目を過ぎる頃、雨に雪が混じってきた。ダイセンキャラボクの中に幅広の木道が続く。木道に薄く雪が積もってきて滑りやすいので慎重に登る。木道の右側に張られたロープに早くも「エビの尻尾」が付き始めている。草原状の緩やかな登りとなり頂上小屋が見えてきた。小屋にはいると先客が1人いた。小屋番は愛想のない青年だった。大きな2階建ての小屋でトイレも室内にあった。握り飯を食べて腹拵えした。雨具の上着も着て空身で山頂に向かうが、すぐ上が弥山山頂だったので拍子抜けした。大きな石造りの山頂モニュメントがあった。周囲の風景は何も見えない。東側に三角点のあるピークがあるが登山道にロープが張ってあり危険の表示があった。見たところ危険には見えないので行ってみる。数十メートルほど歩くと三角点があった。ここから先の大山最高峰剣ヶ峯はガスに隠れて見えない。深田さんは「東西に長い頂稜は、剃刀の刃のように鋭くなって南面・北面へなだれ落ちている。まるで両面から大山を切り崩しにかかっているふうに見える」と山頂稜線の凄まじい崩壊ぶりを描写している。通行禁止になっているのは崩壊が進んでいるということだろう。
 寒いし、何も見えないので写真を撮るとそそくさと頂上小屋に戻った。小屋番にホットコーヒー(300円、インスタントコーヒー)を頼み、ゆっくり飲んでいると少し身体が温まってきた。何はともあれこんな天気の中でも諦めずに登ってきた甲斐はあった。後は安全に帰るのみである。
 小屋を出てびっくりした。小屋で休んでいた20分の間に外は一面の雪景色になっていた。風も強くまさに吹雪である。来た時と違う左側の道を選んだ。木道が少なさそうに見えたからだ。雪が吹き付け軍手は濡れて冷たくなった。冬用の手袋が必要だったと反省する。角材を縦に並べた木道は滑り止めもなく、下り勾配になっているから積もった雪でツルツル滑る。尺取り虫のように小幅でゆっくり下るより他はない。妻は怖い怖いといっている。ソロリソロリと下って、右方向に少し登り返すと、朝来た道と合流した。危険な木道を過ぎてほっとした。驚いたことに山頂部の吹雪を知らずに多くのパーティーが登って来る。さすが人気の大山だ。
 6合目で最後の休憩。5合目で右手の行者登山道に下る。急斜面に丸太の階段が真っ直ぐに下っている。周りはブナの黄葉が真っ盛りだった。紅葉は赤い色のほうが派手だが、大山のブナの黄葉は地味だけどそれはそれで見事なものだった。
 程なく元谷に出た。急斜面の涸沢が目の前で幅100メートルもあろうかと思われる扇型に広がり、灰色の砂礫で埋め尽くされていた。今まで見たこともない光景だった。上流に大規模な砂防堰堤が何段か作られていた。自然の景観の中に人工的な工作物があるのは目障りだが、砂の流出を止めるためには仕方がないのだろう。これだけの砂礫が押し出されてくるのは北壁で崩壊が進んでいる証拠なのだろう。元谷は大部分が伏流になっているのか、水が流れているのはごく一部で、飛び石伝いに容易に渡れた。対岸で林道が始まっていたので歩いて行くと、左に大神山神社に行く山道があった。林道の方が歩きやすいのでそのまま進むが、遠回りをしているようで心配になってきた。すると左に大山寺への分岐標識があったので、そちらの細道にはいった。戻り気味に下って行くと大神山神社奥宮の横に出た。200年前に建てられたという奥宮は古びているが風格のある神社だった。ここから先は観光客が多くなり、その間を縫って石段を下りた。表裏が逆になっているので「後向き門」と呼ばれる神門を潜り、石畳の参道を歩いた。そのまま進めばよかったのだが、大山寺本堂を経由するとまた急な階段を降りる羽目になった。最近運動不足だったので太股、ふくらはぎが痛んできて、長い階段を降りるのは辛かった。ようやくバスターミナルに通じる参道に下り立ちほっとした。途中の警察署に下山届を出してホテルに戻った。
 ホテル大山の温泉で汗を流し、着替え、ザックを宅急便で自宅に送り、登山はジ・エンドとなった。一度も大山の全貌を見ることはできなかったが中国地方屈指の名山であることは十分感じることができた。
 バスで米子に下りて、岡山行き「スーパーやくも」のグリーン車に乗った。フルムーンパスの特典である。グリーン車はガラガラだった。私は鉄道の旅も好きだから中国山脈を横断する鉄路は楽しかった。列車は日野川に沿い左右に蛇行しながらかなりのスピードで遡ってゆく。初めは幅の広い川だったが、山間部に近付くにつれ細い渓流となってゆく。日本の原風景のような安らぎを感じる車窓の眺めである。トンネルを越えて岡山県側にはいると高梁川の源流部が現れれ、次第に大きな川になっていく。中流域にかなり大きな街が現れ、列車が停車した。高梁駅だった。備中高梁といえば寅さんの映画「男はつらいよ」で何度か舞台になった街だ。こんな所にあったんだと何となく感傷的になった。
 岡山から新幹線で名古屋に行き妻の実家に泊めてもらった。翌日、奈良の寺社を見て回り、フルムーンパスをフルに活用した。
弥山三角点 弓ヶ浜
弥山近くの三角点 弓ヶ浜
ブナの黄葉 元谷
ブナの黄葉 元谷の砂礫堆積

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