山小屋に感謝、念願の光岳

(2000年7月31日〜8月2日)

光岳山頂 光岳
光岳山頂 イザルガ岳より光岳

表紙ページに戻る


念願の光岳へ

 百名山も残り少なくなってきたが、行きにくい山が残っていた。アプローチが長いので後回しになっていた光岳もその一つだった。最近、付き合ってくれる妻も山小屋泊まりでハードな光岳には誘いづらい。結局、一人で行くことにした。調べてみると横窪沢小屋、茶臼小屋、光小屋が寝具、食事付きになっていた。南アルプス最南部の山小屋が寝具、食事付きになったのは隔世の感がある。

明るく清潔な横窪沢小屋

7月31日 自宅 4:35 → 9:35 沼の平駐車場 → 10:15 大吊り橋 → 10:45 ヤレヤレ峠 → 11:00 上河内沢 → 11:50 ウソッコ小屋 → 12:50 中の段 → 13:30 横窪峠 → 13:35 横窪沢小屋
 早朝マイカーで自宅を出た。御殿場を過ぎた頃、黒雲が天を覆い、強い雨が降り出した。一瞬、戻ろうかと思ったが、行くだけ行ってみようと先に進む。
 静岡インターを出て道に迷う。「井川・梅ヶ島」の道標を見つけ、やれやれと進むと、静清バイパス入り口でまた道を間違えた。何とか県道29号にはいり、後は安倍川沿いに進む。延々と安倍川沿いの道を遡り、やがて山間の道になると、ところどころ1車線の部分もあるが、バスも通っている道なので危険はない。井川湖に下りて、さらに小1時間走る。雨は降ったり止んだり。畑薙第1ダムの堰堤上は駐車している車がずらっと並んでいた。堰堤を渡った所にあるテントで登山届を出し、少し先の沼の平まで車を入れる。
 登山靴に履き替え、出発。幸い雨は止んでいた。
 長さ182mの大吊橋はスリルがあった。川床ははるか下にある。半ばに達した頃、対岸から一人渡り始めた。狭い板の上で慎重にすれ違う。対岸で10人ほどの女性パーティーが待っていた。
 すぐに急登が始まった。150mほど登ると、山腹を捲き始めた。鬱蒼とした樹林の中を歩いて行くとヤレヤレ峠に出た。だらだらとした緩い下りになり、やがて沢に出た。上河内沢である。さっと陽が射してくる。水辺の岩に腰を下ろし休憩。沢の流れを見ていると心が和む。
 吊橋を渡り、左岸に出て、緩やかに登ると青い屋根の小屋があった。ウソッコ小屋かと思ったが、それにしては早過ぎる。沢が屈曲している所で第2の吊橋を渡り、3つ目の橋で再び左岸に移り、4つ目の橋を越えると、鉄梯子が続く急斜面となった。一頻り汗をかくとウソッコ小屋が現れた。古びたいかにも南アの山小屋らしい佇まいである。
 上河内沢がとうとうと滝になって落ちる傍を吊橋で渡る。ここから容赦ない急登が始まった。久し振りの重荷に、せいぜい12〜3Kgであるうが、あえぎながら登る。幾分傾斜の緩くなった中の段で一息入れる。
 そこから一登りで横窪峠に着いた。ほんの5〜6分下って沢を渡ると横窪沢小屋だった。まだ時間は早かったが、あっさり茶臼小屋はあきらめた。しばらくして雨が降り出した。小屋は中年のオジさんと、親類らしい女の子が手伝っていた。まだ新しい2階建ての小屋で、南アにもこんな山小屋ができるようになったのかと一驚。10人ほど小屋に泊まったが、これから登るのは二人だけだった。
 寝具、食事付きの横着組は5人。食事を終え、6時過ぎにはシュラフに潜り込んだ。今回始めて両手ストックを使ったが、そのせいかいやに肩が重い。なかなか寝付かれなかった。

白雲流れる緑の草原を逍遥

8月1日(火) 横窪沢小屋 4:35 → 5:50 水飲み場 → 6:10 樺段 → 7:05 茶臼小屋 → 7:45 茶臼岳 → 9:00 希望峰 → 9:10 仁田岳往復 9:45 → 11:25 易老岳 → 13:50 静高平水場 → 14:15 光小屋 → 光岳往復、イザルガ岳往復
 まだ暗い原生林の中を懐中電灯を点けて出発。茶臼小屋まで約800Mの登りで、急なジグザグ道が続く。1ピッチ半で水飲み場に出るが、水はチロチロ。飲めるだけコップに集めるに時間がかかる。だんだんシラビソが多くなる。赤茶けた落葉が道を埋めている。樺段は傾斜がちょっと緩くなった所で休むのによい。尾根も明るくなり、ダケカンバが多くなる。やがて樹林も疎らになり茶臼小屋が見えてきた。立派な2階建ての小屋だ。近くを流れる小沢に沿って、稜線に向かう。シナノキンバイがポツリポツリと咲いている。森林限界を超え、砂礫の道をしばらく登ると稜線に出た。途端に強風に帽子を飛ばされそうになる。8月というのに凍えそうだ。薄いガスに包まれ視界も悪い。風除けになる岩を探しつつ歩いていると分岐に出た。小さな看板の消えかけた文字は、「左 仁田池、右 茶臼岳」と判読した。ザックをデポして茶臼岳を往復する。霧の頂上に3人組がいて、先に進むかどうか迷っていた。導標が見当たらないので、光岳の方向が分からないのだ。荷物をデポしてきた私が引き返すのを見て、彼らも戻ってきた。後で分かったが、先に進めば仁田池から主稜線の道に行けたのだ。分岐で茶臼岳への道が逆方向に向いているのが誤解のもとだった。
 2重山稜の間を通る道になり、ダケカンバが枝ぶりを競っている。仁田池は小さな池で、茶色の水は飲めそうにない。
       
茶臼岳 縦走路
茶臼岳山頂 明るい樹林の縦走路
 
 分岐から1時間で希望峰に出た。左に向かう道に仁田岳の表示があり、今度はそこから光岳へ行けるものと早とちりして、ザックを背負ったまま歩き出した。青い空が広がり、草原状のなだらかな稜線を辿ると15分もかからずに仁田岳の頂上に立った。その先は大井川に向かって落ちている。まるで大きな船の舳先に立っているような気分だ。富士山が逆光の中にブルーのシルエットを浮かべていた。こんな素晴らしい展望をたった一人で独占した。しかし、先に道はなく、仁田岳が主稜線から派生した尾根にあることを思い出す。お粗末なカン違いで、トボトボと引き返す。単独行の時はよくよく導標や地図を確かめるべきである。
仁田岳 仁田岳山頂
仁田岳 仁田岳山頂

 喜望峰に戻り、昼飯にする。即席うどんに餅とコンビーフをぶち込む。先が長いので食べ終わるとすぐに出発。樹林の中の長い下りとなる。猛烈に暑い。汗が止めどもなく出てくる。登りになると息が続かず、何度か立ち止まった。行けども行けども易老岳に着かない。光小屋まで辿り着けるか不安になってくる。コースタイム1時間20分のところを20分もオーバーしてようやく易老岳に着いた。
 木陰で小休止して元気を取り戻し、シラビソの巨木に覆われた暗い道を下り始める。シダやアザミが道に被さり、高山帯の稜線歩きとは思えない。立ち枯れの木が林立する斜面を下り、登り返して、暗くジメジメした三吉平に着く。道はぬかるみ、苔むした倒木が散在している。あまり気持ちのいい場所ではない。
 船底状の暗い道を過ぎると涸れ沢の登りになった。岩がゴロゴロしていて歩きにくい。暗い谷間が次第に開けてくると、真夏の太陽が照りつけてきた。たまらず小潅木の陰に逃げ込んで休憩する。
 「あと1ピッチ」と、自らを励まし眼前の高みに向かって登り始める。喬木が少なくなり、道も緩やかになってきた。静高平である。なだらかな斜面の緑が美しい。自然に顔もほころんでくる。道端に水場があり、通りかかった者は皆歓声を上げて水を飲んだ。光小屋では水を得られないとのことなので、水筒を満タンにした。
 なだらかな道を進むと、センジガ原に出た。
センジガ原
センジガ原を行く

 広い高層湿原の中の木道をポクポク歩いていると小屋が見えてきた。目的の小屋が見えてきたときのうれしさは格別だ。光小屋も新しい2階建ての小屋で、到着したらお茶を出してくれた。昨夜、横窪沢小屋に一緒に泊まったTさんが、前後して到着したので、一緒に光岳を往復する。15分ほど登ると山頂に出た。2591Mの頂上はシラビソの林に囲まれ、眺望は利かない。ちょっと先の展望台に行くと、南西がスパッと切れ落ち、寸又峡へ続く深い谷が刻まれていた。向かいに大無間山が高さを競っていた。
 小屋に戻り小休止してからイザルガ岳に向かった。皿を伏せたような山で、盆栽のように背丈を縮めたダケカンバの枝ぶりが面白い。頂上はだだっ広い砂礫で、ケルンが3つ建っていた。光岳が流れるガスの間に見え隠れした。
ダケカンバ
ダケカンバのオブジェ
 夕食は山菜の天ぷらにワカメの味噌汁で、ご飯のお代わりありだった。南アの山小屋も北ア並みになってきたと感心する。トイレもバイオトイレということで環境にも意を用いている。7時半消灯。布団状のシュラフに潜り込む。夜は2〜3度目を覚ましただけでよく眠れた。

膝の蝶番にガタが来た

8月2日(水) 光小屋 4:30 → 5:20 三吉平 → 6:37 易老岳 → 8:20 希望峰 → 9:20 茶臼岳 → 10:20 樺段 → 11:30 横窪沢小屋 → 12:20 中の段 → 13:10 ウソッコ小屋 → 14:20 ヤレヤレ峠 → 15:00 大吊橋を渡った林道 → 15:30 沼の平 → 15:45 赤石温泉 → 18:30 静岡 → 18:45 静岡インター → 20:30 自宅
 3時半に起きて、キャンピングストーブで湯を沸かす。食堂の大きな窓から、東の空が茜色に染まってくるのが見える。小屋は富士山が正面に見える素晴らしいロケーションにあった。燃える地平に富士山が紫色に浮き上がってきた。スープを飲み、朝飯の代わりに作ってもらった握り飯を頬張る。
朝焼けの富士山
朝焼けの富士山

 4時半、薄暗がりの中を出発。今日はTさんと一緒に下ることになった。熱海に住んでいるというTさんは今日中に自宅に戻りたいと小屋の主に最短の下山ルートを相談していたので、それなら私の車で静岡駅まで送りましょうということになった。
 順調に三吉平、易老岳、希望峰とピッチを刻む。希望峰への登りは長かった。まだかまだかという感じで、大分消耗した。途中、聖岳が見えるところで写真を撮ったが、銃走路の大半は樹林の中で眺望が利かない。希望峰を過ぎると、聖岳が大きく見えたが、あっという間に雲がかかって姿を隠してしまった。
聖岳
聖岳は雲に隠れる
 茶臼岳の捲き道を見落とし、いつの間にか茶臼岳の頂上に出てしまった。昨日登ったので巻き道を通るつもりだったのだが。折角登ったので休憩し、帰し方を振り返り名残を惜しむ。
 いよいよ下りだ。茶臼小屋を過ぎ、樺段で休憩する頃には、足に力が入らなくなってきた。横窪沢小屋まではよくもこんなところを登ってきたものだと感心するほど急斜面が容赦なく続いた。つづら折の角でブレーキをかけて方向を変えるとき太股の上側の筋肉にまったく力が入らず、カクンと膝をつきそうになった。ブレーキの利かない車で坂道を下るような気分だ。ようやく横窪沢小屋が見えたときは、足が動かなくなる寸前だった。小屋でジュースを買って、30分休憩した。
 ウソッコ小屋まで、まだまだ急下降が続く。中の段でTさんが休みましょうかといってくれたときは天使の声のように思えた。残っていたレモンでジュースを作って飲む。
 ウソッコ沢手前でにわか雨が降り出したが樹林帯なのでほとんど濡れない。森が水を吸収する能力は大したものだ。滑りやすくなった鉄梯子をふんばりの利かない足で恐る恐る下り、ようやく小屋の手前の水場に着いた。冷たい水を飲んで生き返る思いがした。小屋で一休みして、あと一頑張りと最後の力を振り絞る。幸い斜面も緩やかになり何とか歩ける。上河内沢を渡ったところの水は最高にうまかった。
 ヤレヤレ峠まではだらだらと登り加減の捲き道が続く。峠に着いたときは本当に「ヤレヤレ」だった。最後の急斜面で足が保つか心配だったが、意外にも普通のペースで下りることができた。人間の回復力は大したものだ。畑薙湖に向かって最後のジグザグ道を下る。川床はまだ遥か下に見えたが、ひょっこりと吊橋に出た。長い吊橋を風が吹いたら怖いだろうな、などと考えながら慎重に渡り終えた。
 後は平らな林道を歩くだけだったが、急に夕立がやってきた。慌てて傘をザックから出していると、通りかかったマイクロバスが拾ってくれた。まったく地獄に仏だった。沼の平で降ろしてもらってマイカーに辿り着いた。土砂降りの雨で車内で着替えもできないので、そのまま車に乗り込み、赤石温泉に行くことにした。受付で外来の入浴時間は4時までといわれ、慌てて浴室に飛び込んだ。20年ほど前、赤石岳からの帰りに泊まったときの浴槽とは違うような感じがしたが、肌がつるつるする透明な湯は同じだった。汗と汚れを落とし、身も心もすっきりした。こんな温泉を登山者のために使わせてくれるのは何とも有り難い。
 静岡駅までの長い道のりも2時間半で順調に走り、Tさんと別れてから、東名高速を2時間足らずで走って自宅に戻った。
 光岳は小屋に2泊しても楽ではなかった。百名山の中でも最も懐の深い山の一つであった。

トップページに戻る


Copyright Kyosuke Tashiro All rights reserved