平ヶ岳、長い下りに疲労困憊

(2000年8月)

平ヶ岳 平ヶ岳山頂標識
平ヶ岳 平ヶ岳山頂標識

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飲んで騒ぐ登山客に眠れず

8月24日(木) 自宅 11:10 → 15:05 小出インター → 16:35 清四郎小屋
 7月に難関だった光岳に登った勢いで、往復11時間半のハードな平ヶ岳に挑戦することにした。
 環8の渋滞につかまり、1時間40分もかかってようやく関越自動車道にはいった。後は順調で小出インターを出て、シルバーラインを通り、銀山平へ。長いトンネルも越後駒ケ岳に登ったときに通ったことがあるので余裕を持って運転した。しかし銀山平から清四郎小屋までは長かった。舗装はしてあるが、細いくねくねした道でスピードが出せない。結局1時間かかって鷹ノ巣の清四郎小屋に着いた。登山口を偵察に行くと10分ほど先に数台分の駐車場と登山口があった。 清四郎小屋の周辺は只見川の谷間が開けたところで広々として気持ちのいいところだった。清四郎小屋は山小屋というより釣り宿、旅館に近い立派な建物だった。部屋は2階6畳の個室だった。
 夕食は1階の食堂で数人の客が集まってきた。イワナや山菜、ソバも付いていた。
 翌日に備えて早々に布団にはいったが、今日、平ヶ岳に登ってきた4人組が階下の食堂で酒を飲みながら大声でしゃべっているので寝られない。ようやく静かになったのは11時半だった。平ヶ岳に登った喜びは大であったろうが、翌日登る者にとってははなはだ迷惑であった。

やはり平ヶ岳は手強かった

8月25日(金) 清四郎小屋 4:10 → 4:20 登山口 → 6:30 下台倉山 → 7:30 台倉山 → 8:32 白沢清水 → 9:55 池の岳 → 10:20 平ヶ岳 10:50 → 12:15 白沢清水 → 13:10 台倉山 → 14:00 下台倉山 → 15:35 林道 → 15:55 駐車場 → 16:05 清四郎小屋
 3時半に起きると、屋根にポツポツと水滴が落ちるような音がする。雨かなと思って窓を開けると星が見えた。バナナとアンパンで朝食。外に出ると満天の星だった。月も出ている。真っ暗な道をゆっくりと登山口に向かって車を走らす。先着は2台。小型RVの車内灯が点いていて夫婦連れが支度をしていた。もう一台のセダンから男が出て来て、食事の支度を始めた。
 ヘッドライトを点けて林道を登り始める。蛾が一匹寄ってきた。帽子で追い払う。下台倉沢を石伝いに渡り、なおも進むと、右に登山口の導標があった。しばらく樹林の中を歩くと尾根に出た。次第に尾根が痩せてきて、岩の上に砂をまぶしたような痩せ尾根の急登となる。ヘッドライトをしまい、足を滑らせないように注意しながら登る。左手に薄墨色の燧岳が浮かび上がってきた。双耳峰がきれいな対称形を作っている。間ノ岳から見た北岳に似ている。会津駒の右側ににぶい赤色の太陽が昇ってきた。
燧岳
朝靄の燧岳

 2時間弱でヤセ尾根を登り切り、下台倉山に着いた。導標に「平ヶ岳8.3km、鷹ノ巣3.2km」と書かれている。まだまだ先は長い。主稜線上を緩やかに上り下りして1ピッチで台倉山に着く。道の真中に三角点があった。台倉清水の水場は2分ほど下のようなので通過。オオシラビソとダケカンバの林が続く。青空に向かって高く葉を広げるダケカンバの巨木が美しい。晴天続きで、ぬかるんだ道もほとんど乾いている。その上、木道が出てきて、ぬかるみを歩かずに済むのですこぶる楽だ。それにしてもこんな山奥の道に木道を作るのは大変だったろうと思った。
 白沢清水で休憩。木枠で囲った水源に水が溜まっているが、流れていないのでちょっと飲む気になれない。木道に腰掛けて休んでいると、膝の上に蝶が止まって羽を拡げた。紅色のきれいな蝶だ。出発の時間になってそっと立ち上がると、森の中にゆらゆらと消えていった。赤トンボが群舞している。時折、ブーンと蜂も近づいてくる。斜面が急になり、樹林を抜けると池ノ岳が眼前に立ちはだかっていた。頂上は近くに見えるが400mの登りだ。笹や小潅木の中に溝のように掘られた道が一直線に登っている。上の方は砂礫混じりの痩せた岩稜となった。真夏の炎天下、汗が止めどもなく出てくる。1時間近く登ったところで苦しくなって休憩。左手に平ヶ岳が見えてきた。涼風が顔をかすめた。
 後1ピッチと、自らを励まし、出発。登りきった池ノ岳には何の標識もない。低い木の間を潜り抜けると、目の前に素晴らしく広い草原が拡がっていた。地塘の点在する姫ノ原だった。思わず顔がほころんできて、しばし景観を楽しむ。
平ヶ岳 池塘
平ヶ岳を望む 池塘

 平ヶ岳へ直進する道を選び、熊笹に覆われた木道を下ると小湿原に出た。玉子石からの道を併せ、平ヶ岳への最後の登りとなった。「ツガの廊下」という高さ4〜5mで頭を刈られたようなツガの林を通り、笹のうっとうしい道を過ぎると、また湿原が現れた。緩やかな斜面を登ると広々とした山頂部に出た。その真ん中に大きな山頂表示板があり、木に囲まれた三角点があった。
 中ノ岐林道から来たという10名ほどの先客がいた。彼らが引き上げると平ヶ岳は私一人のものになった。まったく広闊な草原だった。学生時代に遊んだ会津駒の先の中門岳に雰囲気が似ていた。正面に燧岳が相対している。双耳峰の対称は崩れ少しゴツゴツした感じだが、山裾を大きく広げた実に堂々たる山容だ。懐かしき帝釈山、田代山はその後ろに小さく見える。左に目を転ずれば、会津駒が秀麗な姿を見せている。間に雲がたなびくように見えるのは那須の連山だろう。右手を見れば、奥白根がぽっこりと独特の姿を見せ、男体山も逆光のモヤの中に並んでいた。近くに至仏山が美しい三角形の容姿を誇り、その右に武尊岳がちんまりとたたずんでいる。みんな登った山々だ。私は甘美な思い出に浸っていた。突然、鋭い轟音がとどろき、すぐ目の前の谷間を戦闘機が右に左に機体を傾けながら会津駒の方に飛んでいった。低空飛行訓練をする米軍機に違いない。何ということだ。この美しい自然の中に最もふさわしくないものが傍若無人に浸入してきたのだ。私は激しい怒りを禁じ得なかった。
 不快な気分で握り飯を頬張ったが食欲が出ない。何とか1個を喉に押し込んだ。下りも長いので、早々に帰途に着く。平ヶ岳沢源頭には清冽な水が流れていた。水筒を満タンにした。花の盛りは過ぎていたがハクサンイチゲがちらほらと咲いていた。コバイケイ草もまだ残っていた。
 白沢清水、台倉山までは快調にピッチを刻んだが、下台倉山を過ぎる頃には大分疲労が溜まっていた。空腹を感じるのだが握り飯が喉を通らない。仕方なくミカンと水だけで済ます。いよいよヤセ尾根にかかった。「10里の道も9里をもって半ばとする」と言い聞かせながら慎重に下る。ヤセ尾根の天辺に細い赤茶色の道が万里の長城のように遥か下まで続いている。本当に意気沮喪させる眺めだ。下りても下りても終わりが見えない。下台倉山から50分歩いたヤセ尾根の途中で最後の休憩を取る。急峻な道はまだ続いている。空腹感に耐えかねてアンパンを喉に押し込んだ途端、吐き気がした。水ばかり飲んでいたので胃液が薄まってしまったのだろうか。後1ピッチと心を励まし下り始める。ようやく樹林の中にはいり、草を刈り払われた斜面をトラバースして、平らなところに下り立つと、ひょっこり林道に出た。難関の平ヶ岳を登り切ったという満足感に浸りながら林道をとぼとぼ下る。只見川の沢音が聞こえてきて駐車場に出た。全身がだるくてしばらく両膝に手を当てて休む。とにかく小屋に戻ろうと靴を履き替えて車を出す。
 宿に着くと、おばさんが「早かったですね」と声をかけてくれた。まず汗を流そうと露天風呂に向かった。沸かしたばかりの湯は熱かった。風呂から上がり、服を着ていると全身に倦怠感を覚えしばらく動けなかった。ノロノロと2階の部屋に戻った瞬間、吐き気を催した。どうやら軽い日射病になったようだ。熱い風呂に浸かったのもよくなかったのだろう。ポカリスエットを自販機で買ってきたがもはや水分さえ十分に飲めなかった。チビリチビリと口に含み、夕食までに何とか直そうと、布団を敷いて横になった。
 食事の合図があったので食堂に下りた。ビールなら飲めるかもしれないと思ったが一口飲んだだけでそれ以上飲めなかった。マスの刺身を一切れ飯の上に乗せて口に入れたら戻しそうになった。とても食べられそうもないので、宿のおばさんに「ちょっと胃を壊してしまったので、申し訳ないが片付けてください」と詫びて部屋に引き上げた。
 そのまま寝ることにした。どうなるか心配だったが、いつの間にか眠り、目がさめたらまだ10時だった。喉がカラカラだった。ポカリを2〜3口飲んで、また寝た。その後は1時間ごとに目が覚め、ポカリを飲むというサイクルを繰り返した。朝になったら大分気分もよくなっていた。朝食も普通に食べられた。

体力に過信は禁物、食料計画も反省

8月26日(土) 清四郎小屋 8:00 → 14:00 自宅
 朝食後、しばらく釣り客や宿の主人の星さんと雑談する。星さんは登山道の整備にずいぶん熱心に取り組んでおられる。そのおかげで私たちも安全に登れる。星さんは、近年平ヶ岳への最短コースとして利用する者が増えている中ノ岐林道には批判的だった。がけ崩れや鉄砲水で事故も発生しているらしい。しかし私は鷹ノ巣コースは非常にハードだから、今後中ノ岐コースを選ぶ登山者は増えるだろうと思った。「百名山」ブームの中で楽に登れるコースが選ばれるのは必然だろう。私は鷹ノ巣コースが廃れないように願うばかりだった。ハードであるだけ登った喜びも大きいのだ。
 帰る前に、清四郎小屋から100mほど歩いて只見川を見に行った。高い両岸の間をとうとうと水が流れていた。尾瀬の水を集めてかなりの水量だった。
 8時に小屋を出発した。小屋の周りはソバの花が満開だった。
 平ヶ岳は長い登りで厳しい山だったが、体に変調を来たしたことはショックだった。ミカンとアンパンと握り飯だけでは塩分が不足していたのだろう。トマトに塩をかけるとか、キューリに味噌をつけるとか、もっと塩分を補給できるようにすべきであった。年甲斐もなく頑張りすぎたことも原因かも知れないが、真夏の山行では熱中症対策を十分講じて置くべきであったと反省した。しかし苦労して登っただけのことはある山だった。容易に人が近づけない山だからこそ素晴らしい自然が残されている。
清四郎小屋 ソバの花
清四郎小屋 一面にソバの花咲く
只見川
只見川

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