もうひとつの「港町」

8月10日

8時起床。天気はあいにく。まだ訪れたことのない,鉄道連絡船の「港町」…門司・下関に立ち寄ることにしました。まずは在来線で門司まで。今度当たった特急は「ソニック」型でした。自由席特急料金が安かったんですが…検札はなし。なんだかなぁ。小倉から各駅停車に乗り換え,門司へ。いまの切符そのままでは,次の目的地・門司港駅には行けません。そこで,門司〜門司港駅の往復切符を買うため,一旦改札を出ました。いま思えば,片道きっぷ+関門間の渡船とか,片道+関門歩道トンネルとか,遊び方はいくつでもあったのに…下調べが足りないと,こういうときに悔しい思いをしますね。

門司港駅。駅舎そのものが国の重要文化財。ホームからして威厳があります。

改札脇には,バリケードでふさがれたトンネルが…旧関門連絡船桟橋へ通じていたんだそうです。青函連絡船・宇高連絡船と違って,関門連絡船はトンネル開通後も20年近く併存していました。地元にとって重要な足だったんでしょう。今でも民間の渡船が20分おきに走っているくらいです。その他の町並みは,最近観光化されていて,流行りの感じです。まぁそんなところ(冷めている)。

市街のビルで,対岸の街・下関の観光地情報を入手。下関には,ものすごい水族館があるらしい,という話を聞いていたので,そこを調べてみると,下関駅からバスですぐ行ける場所にある様子。さっそく列車で門司へ戻り,関門鉄道トンネルで下関へ。

下関。駅も,駅前も,なにやら寂しげです。雨のせいではありません。さびれているんです。門司のように工業地域を持っているわけではなく,捕鯨の衰退とともにさびれた街,といっていいと思います。駅前の,マルハ所有のビルに,もう自分のものではなくなった横浜ベイスターズの宣伝ポスターが。すごい水族館・市立海響館(かいきょうかん)は,かつて漁業で栄えた街の意地なんでしょう。ものすごく立派。ただし,薄暗い水族館内で見られたのは,我が物顔で走り回る子供たちばかり。…さっさと出てきました。確かにすごいんだけど。夏休みで,しかも土曜の午後,っていう時間帯が悪かったなぁ。後悔。駅に戻るバスを待つ間,目に付いたのは,どれも立派な生命保険・損害保険会社の出先のビル群。海の仕事と保険は,切っても切れない関係。これも寂しげでした。

駅に戻り,ぼくはミスに気づきました。部屋の鍵を,三宮から送った荷物に一緒にいれてしまったんです。慌てて伝票を探し,運送会社に電話。幸い,配達はせずに配送センター預かりとしてもらえたので,部屋の前で配達を待ちわびる,という最悪の状況は避けられました。

部屋の鍵をなんとかした後,夕方,臨時の寝台特急・「サンライズゆめ」号に乗り込みます。これ,久しぶりの新造寝台電車・283系「サンライズエキスプレス」の予備編成を使った臨時列車です。お盆はじめの上り便っていうこともあって,車内はがらがら。翌日下り便のための回送代わりなんでしょうから,こんなもんでしょう。

設備は…デビューから4年近く経っていることもあって,細部の傷みが目立ちます。が,先輩寝台車がどれも20年選手・30年選手であることを考えれば,大したことはありません。かなりいい部類に入るでしょう。 サンライズエキスプレスには,ふつうの蚕棚形式の寝台はありません。寝台は,蚕棚を個室化したB寝台(1人用・2人用),蚕棚よりは天井の高いB寝台(1人用),ベッドと別に座席のある,個室寝台(A寝台は1人専用・B寝台は2人利用可)。ほか,細長く区画指定された,雑魚寝用桟敷席。これまでの蚕棚B寝台モノクラス編成に比べて,安く上げたい側にも高級に行きたい側にもうれしい編成です。初代寝台電車・581・583系電車の時代は,ひとよりも手間よりも車体そのものが貴重な時代でしたから,神業とも言える折り畳みで寝台・座席への切り替えをやって,昼は座席車・夜は寝台車,なんてやっていました。その神業とデザインで,未だに鉄道ファンからは愛される583系ですけれど…もう潮時でしょう。583系B寝台は,現存する最後の3段蚕棚寝台です。あれをあてがわれて喜ぶお客さんは,鉄道ファンだけですってば。が,283系は寝台専用。しかも,寝台解体→座席セットなんてことはしなくていいわけです。いい時代になりました。寂しいけれど。

8月11日

列車は,早朝に東京駅着。ただ,この時間では配送センターの事務所が開いている保証がありません。仕方なく,わざと山手線の反対回りに乗り込んで時間を稼ぎました(^^;)。で,田端駅で降り,ゆっくり朝食をとってから,駅近くの日本通運へ。無事荷物を受け取り,部屋まで歩いて帰ることができました。