調査初日、ナルは改めて依頼主である名取氏に調査内容を説明する。
 自分自身でSPRの扉を開き、依頼をしておきながら彼が自分達を見る視線は不躾なものだった。うさんくさいと思っている態度を隠そうともせず、少しでも自分が胡散臭いと思ったら、蜂巣でもつっついたかのように、大騒ぎしかねないほど、あらを探すように一挙一足に目をこらしていた。
 そのあからさま過ぎる視線には辟易としたが、この手の反応は今回が初めてというわけではない。こういう、輩の対応はナルに任るに限る。難癖付けられてもナルなら容易くあしらえるからだ。
 いつもなら、凝り固まった依頼人の心をほぐすように、明るく振る舞う麻衣だが、この時はいつもより表情が固く、黙々と機材の運び込み作業に専念していた。
 連日みた夢の内容が頭から離れず、どうしても意識が集中せず散漫になってしまう。
 今すぐ危険は感じられなかったが、注意力散漫はどんな事故を招くか判らない。調査に集中しなければと思っても、どうしても気がそぞろになってしまう。
 ナルもそんな麻衣の様子には気がついているようだったが、ただ黙々と機材を運び込んでいる現状では、何か言ってくることはなく、依頼人の質問に一つ一つ答えていく。
 その間に運び込まれる膨大な機材と、霊能者らしくない調査員達の身なりに、少しは安堵したのか好きに調査をして構わないと、はっきり言えば偉そうな態度で告げたのだった。
 対するナルも慇懃無礼な態度に出るのかと思ったが、相手にするつもりもないようで、さらりと流してしまう。まぁ・・・相手の態度が度を過ぎれば、きっとそれなりの態度に出るのだろうが。
 ラックの設置を開始し、モニターが運び込まれている間に、家中に温度や、湿度、歪みなどを調べていくが、これといって気になるような数値は出ない。
 湿気も斜度も全てが問題するような点はなく、役所にて下調べした時点で、地盤沈下などの恐れもないことは判っていた。
 安原が床下に潜り、シロアリや湿気等で土台が傷んでないかのチェックをしてみたが、家の基礎などにも問題点は素人目が見た時点ではなしと告げる。むろん、詳しくは専門家の診断を受けなければいけないが、欠陥住宅の場合はひどいと、素人が見ても判る場合があるのだ。
 周辺住人や人間関係も目立ったトラブルはなく、機械類なども一つ一つ検査した結果、人為的な作為は見あたらなかった。
 とりあえず、現時点で自然現象と人為的なものによる現象とは判断しにくい点だけが判ったことであるが、もちろんだからといってナルが、このポルターガイストは心霊現象ですと即決するわけはない。
 今回の依頼人は、現在進行形で悪化していく不況が渦巻く中で、中小企業ながらそれなりに利益を上げているやり手の経営者だった。
 家族構成は、名取夫妻と十三歳の娘と五歳になる息子の四人であり、ありふれた核家族構成。
 閑静な住宅街・・・高級住宅街としても名高い、世田谷区成城の一角に依頼人の住居であり、ポルターガイスト現象が起きている、名取家はあった。
 ごくごく一般的な家庭で、突然起きた現象に、彼らはすっかりと憔悴してしまっている。
 初めは気のせいかと思うほどささやかな反応。
 だが、時を経ないうちにそれは変化を遂げた。
 唐突にひび割れる窓ガラス。誰も触れていないのに開閉するドア。誰も触れていないというのに、皆の目の前で滑るようにテーブルから落ちる食器。そして、特に一番酷く現象が現れているのが長女の部屋だ。
 眠っている間に枕元の本棚から、本が一斉に少女に向かって落ちてき、軽いとはいえ傷を負ったのを初め、少女が手を伸ばしかけた開いたままのドアが唐突に閉まり、挟まれた親指が骨折をしたこともあった。
 自分の不注意と言うことも考えられるが、その様子を見ていた父親は、娘が手を伸ばしたとたんまるで誰かが力一杯に押したような勢いでドアが閉まったとはっきりと言い切った。
 下手をすれば指が千切れたかもしれないほどの勢いだったという。皮膚が破れ骨が見えるほどの裂傷を負い、治った今も引きつった傷跡が親指に残っている。
 今まで気のせいだと片づけようとしていた両親だったが、尋常ではない事態に、漸く重い腰を上げたのは、現象が起き始めてから一ヶ月後のことで、知人の紹介を受けてSPR・・・シブヤ・サイキック・リサーチのドアをノックしたわけである。















 そして、数日間に及んだ調査の結果を述べれば、心霊現象ではなかった。予想通り・・・と言えば、ナルは先入観を持つなと諫めるだろうが、人によって起きていた現象だった。
 ただし、故意的に嫌がらせとして起きたわけではない。
 言葉で訴えることの出来ない、声のない悲痛な叫びだったのだ。




 まるで専制君主のような父親、権力者の顔色を伺ってしか生きられないような母親、有名私立中学に通う絵に描いたような優等生の娘、まだ幼いせいか素直で純粋な息子。彼ら一家を見た時の麻衣の印象は最初から最後まで変わらなかった。
 見た目だけでなく、そのままの家族関係。
 だから、起きたのかもしれない。
 現実的で、数字と結果でしか物事を判断できず、独断で人の話に耳を傾けることをせず、己が一番正しいと思っている父親と、夫の意見に対する気力を持たず、ただ己の平穏のために夫の顔色をうかがって生活しているような母親の間に生まれた娘は、常に結果だけを求められていた。
 世間に恥じない・・・感歎のため息を漏らすような成績と、誰もが褒め称える行いをし続けなければならなかった。
 一切の妥協を許されないことがどれほどのストレスとプレッシャーが掛かるのか、麻衣には想像することさえ出来ない。
 それが、長い年月・・・・少女の年を考えればまだ僅か数年にしか過ぎないだろう。だが、それは、それなりの年月をすでに生きてきた大人が感じる感覚でしかない。まだ、年若い少女から見れば物心ついてから、日々かかる開放されることのない重圧は、僅か数年ではない。数年のもの気が遠くなるような長い年月、ひたすら一人で耐えてきたのだ・・・周囲に見せることの出来ない重圧と哀しみを抱えて。


 それが・・・この現象の全ての答え



 密室された部屋の中央部に設置された小さなテーブル。その上に設置されたのは麻衣が用意した一輪挿しのシンプルな花瓶。それは、確かにテーブルの上に置いて部屋に立ち入り出来ないようにしたというのに、まるで誰かがたたき落としたかのように一輪挿しは床の上で、無惨にも砕け散っていた。
 心霊現象ならあり得ない結果・・・・・・・・・・
 誰かの聞くことの出来ない心の悲鳴が、床の上に散った花瓶の姿と重なる。
 麻衣は昨日ナルが行った暗示結果の証から視線をそらせて、やるせない思いがこみ上げてくるのを唇を噛みしめることによって堪える。
 誰もがうらやむような優雅で優秀な家庭・・・・外面だけをとるならそういえる。
 だが、内面は親のエゴで支配された家庭だった。
 今時珍しいコトではないかもしれない。
 だが、その結果が生み出した物はあまりにも辛い。
 ナルは、淡々と事実と結果を両親に告げ、この現象がけして異常な事態ではないことを説明する。
 抑圧されている彼女の精神状態から起きていることであり、改善するためにも親子の間で良く話し合った方がいいと。もしくは専門家の手を借りるのが一番早い方法かも知れないため、カウンセラーを受けることを薦めたのだが、彼らは顔色をなくし顔面蒼白な状態だ。
 父親など身体が小刻みに触れている。
「まだ、幽霊などと言ったばかげた存在が原因の方がマシだっ」
 切り捨てるかのような言葉に、娘の千鶴は身体をびくりと震わせる。
「カウンセラーだと? 冗談じゃない。世間に何を言われるか判ったモンじゃない」
 忌々しく言い捨てる父親に、千鶴は何かを言いかけるが、鬼のような形相をした父親に睨まれたことにより、言葉を発することが出来なかった千鶴は、細い体をさらにちぢこませてしまう。
「赤ん坊じゃないんだ。私達の関心を引くために、ふざけたまねはやめろ!
 そんなに、お前は子供だったのか・・・もっと、大人になれ!」
 今の彼女にそんなことを言うのは逆効果だ。
 少女は泣きそうな顔をしながらうつむき、ぎゅっと唇を噛みしめ、何かを堪えるが堪えきれない思いが溢れるように手が小刻みに震えていた。
「ママ恥ずかしいわ・・・ちづちゃんは、ママ達を困らせるようなコトをするような子じゃないと思っていたのに・・・」
 次々と彼らは娘を責め立てる言葉を並べる。
 彼女を擁護するべき立場の彼らに見放された、千鶴はどうなると言うのだろうか。麻衣は黙って見ていることが出来ず口を挟む。
「お父さん、お母さん、確かに不思議に思われても仕方ないかもしれません。ですが、けしてあり得ない話じゃないんです。
 所長が今説明しましたとおり、ポルターガイストは人が原因の場合があるんです。
 一種の超能力で、極端にストレスが溜まっていたり、抑制されてしまっていたり、構って欲しい・・・見て欲しいという本人ですら意識していない無意志の欲求から、こういう現象が起きてしまう場合があるんです!
 潜在的に能力を持っていた場合は、より出やすくなるんです!
 だから、千鶴ちゃんの声を聞いてあげてください。心を判ってあげてください!」
 なぜだろう。この調査に関わってからやたらと昔のことを思い出す。
 初めてナル達と出会った調査も同じ人為的なポルターガイストだった。クラスメイトの不安とストレスから起きた現象でもあった。
 あの時も、自分を見て欲しいという抑圧と、霊を見ることが出来ると嘘を付いていたのがばれそうになった、ストレスから起きたものだった。
 今回の件は、親に過剰なほどの期待をされたことがストレスになり、肉親としての接触に飢えていた少女の寂しさから、起きた現象と思われる。
 両親が少女に対する態度を少しでも改め、彼女が寂しさに苛まれなくなれば、自然とこんな現象はなくなるだろう。
 だからこそ、両親には少女の心の訴えを理解して欲しい。
 急に接し方を変えるのは無理だろうけれど、互いに歩み寄る為の努力をして欲しい。そうすれば、自分で自分を傷つける行為にも等しいことなど起きなくなるはずだ。
 ポルターガイストが少女の周りで頻繁に起こるのは、怪我をすれば親が構ってくれる・・・無意識のうちにそういった思惑が働くからだろう。
 だが、彼女の両親はそこまで柔軟な精神を持ち合わせていなかった。
「こんな事が周囲の人間に漏れてみろ。いい笑い者だ。
 おまえが千鶴を甘やかすから、こんな愚かな人間になったんだ」
 理解をするどころか、嫌悪も露わな様子を隠さない父親に、少女は泣きながら謝る。
 それと同時に、パシ・・・ピシ・・・と何かが弾ける音が聞こえ始めるが、父親はもう怯えることはなかった。
「ここまで来て、まだ親の気を引こうとしているのか。
 いい加減にしないかみっともない」
 名取氏は身体の向きを変えてナルに近づくと、おもむろに今回の件の口外しないことを約束してくれと言い出してくる。
「こんなコトは、我が家の恥だ。取引先に下手に話が伝わってしまったら、私の立場という物がなくなる上に、近所にどんな噂を立てられるか判ったものではない。
 貴方もその年で所長をやられているのだから、私の立場もご理解頂けると思いますが、今回の件については口外しないことを約束して頂きたい。
 礼金の方は相応にさせて頂きます」
 口止め料を払うから口外するなと言うことか。
 とても、父親のする態度とは思えない行動に、麻衣は怒りのようなものを沸々と抱く。
「我々は、学術的な目的で調査をしているだけです。むろん、守秘義務は厳守しますのでその点に関して心配される必要はありません」
 表情一つ変えないナルに淡々と言われると、金で口止めをしようという自覚があったのか、名取氏は「いや・・・お世話になったお礼と言うわけで・・・」と曖昧に言葉を濁し、取り繕うように咳払いをすると娘に視線を向けるが、露骨に反らしため息をつきながら嫌悪も露わに漏らしたのだ。
「まったく、情にほだされて馬の骨の娘なんか引き取るんじゃなかった」
「おとう・・・さ、ん」
 信じられない言葉に、千鶴の目からポロポロと涙がこぼれる。
 調査の段階ですでに安原が調べていて判っていたことだが、長女の千鶴は名取夫妻の実子ではない。名取氏の妹の娘だ。
 父親の居ない子を産むのは名取家の恥だと言われ、堕胎するよう命令する周りの反対を押し切り出産はしたのはいいのだが、千鶴が一ヶ月を迎える前に実母は産後の肥立ちが悪く病死し、名取氏は実子がいなかったこともあって、姪にあたる千鶴を養女として育ててきたのだ。
 その事は、千鶴本人も知っている。
 中学校に上がったと同時に、夫妻は千鶴本人に告げたという話だ。
 だが、ほとんど生まれた頃から育てているのだから、実子とほとんど変わりない。特に当時の名取夫人は身体が弱く、実子を望める可能性が低かったため、喜んで引き取ったという話を聞くこともできた。
 初めはごくありふれた幸せな家庭だったのだろう。だが、夫妻の間に結婚後十年の時を経て初めての実子が授かってから、親子関係は変わっていった。
 父親のいない娘が、どう息子の運命を狂わせていくか判らない不安から、どんな親であっても後ろ指を指されないだけのものを身につけろと言い始め、有名私立中学への入学をきっかけに、成績や評価といったもの成果第一主義の関係へと変わり果てたのだ。
 平凡で当たり前な親子関係を強く望んでいたにもかかわらず、自分の責任ではどうしようもない問題によって、押しつけられる義務に、まだ十三才になったばかりの少女がストレスを感じないわけがなかった。
「ゴメンナサイ・・・ゴメンナサイ・・・・・」
 壊れたレコードのように、呟き続ける彼女を守るかのように麻衣は、震える肩を抱き寄せながら、名取氏の前に一歩出る。
「少しは千鶴ちゃんのことを考えてあげてください! 
 普通の親子に戻ってあげてください! そうすれば、こんな事はもう起きなくなるんです!」
 不安が、重圧が、過剰なストレスが消えれば、自然とポルターガイストなど起きなくなるだろう。これは、彼女から両親に当てたSOSなのだ。
 自分を見て欲しいという。
 手をさしのべ、彼女の身体を抱きしめてあげれば済む。
 だが、名取氏は汚いものでも見るかのような目で、今まで娘として育ててきた姪を見つめる。
「人の家庭問題に関係のない人間が口を出すのは止めて頂こう。
 千鶴、おまえは直ぐに荷物をまとめるんだ。こんな騒動は二度とごめんだ。全寮制の中学に転校して貰う。いいな。優一に危害でも加えられたりでもしたらたまったものじゃない。
 おまえも直ぐに準備を始めなさい。近所の人間に何を聞かれても答える必要はない。いいな、全ては優一の為だ。
 渋谷さんも、原因は判ったのでお引き取りしてくださって結構です。礼金などについては改めて、妻を事務所の方に行かせますので」
「名取さん!」
 麻衣は一歩さらに身体を乗り出そうとするが、ナルがその肩を掴んで押さえ込む。
「ここから先は、僕達が関わることじゃない」
「だけど!」
「依頼人が希望すれば、今後の対処方法を指示することも出来る。場合によっては専門家を紹介することも可能だ。だが、彼らはそれを望んでいない。
 いいか麻衣。勘違いをするな。僕達は原因を調査しに来たのであって、解決はあくまでもアフター・ケアーにしか過ぎないんだ。依頼人が望まなければ、解明した段階で調査は終了するのが通常なんだ。
 依頼人が望んでいないことに関して、僕達が口だし出来る問題ではない」
 ナルに理論整然と言われなくても判ってはいる。ここから先は家庭の問題だ。
 原因が判ったのだからもういいと言われてしまえば、その時点で終わりである。元々、自分達の仕事は現象と要因の解明であり、解決はサービスのようなものだ。相手が望み、自分達の手に負える場合のみ解決まで引き受ける。
 判ってはいる。だが、あまりにも酷すぎる。
 たとえ、実の親と子ではなかったとしても、伯父と姪という肉親関係には変わりない。
 生まれてから一年は別個の人生を歩んできたのかもしれないが、一歳から十三歳を迎えた今年までの十二年間、家族として一緒に過ごしてきながら、あの態度はあんまりである。
 それから、ナルの態度にも麻衣は苛立ちを隠せなかった。
 確かに自分達には家庭の事情に口を出す権利はないが、調査をして結果が出ればそれだけとはあまりにも酷すぎる。
 自分を睨み付ける麻衣の視線の意味に気が付かないナルではない。だが、不要なもめ事は避けて通りたいというのが正直な感想だが、確かに放って置けることではない。
 ナルの言う放っておけるようなことではないというのは、麻衣のように家庭環境や、親子関係ではなく、純粋にポルターガイストについてだ。
 このままでは確実に、同じことを繰り返し、いずれは骨折では済まない事態が起きることもあるのだ。下手をすれば、当人、もしくは少女の周りにいる家族の命を落とす可能性もあるのだから。
「我々は、あなた方の親子関係に口出しをするつもりはありませんが、この問題は一朝一夕で収まる現象ではないと言うことを理解しておいて下さい。
 お嬢さんの精神状態が改善されない限り、幾度でも同じような事は起きます。公になったからと言って沈静化する現象ではありません。
 逆に過度の抑制が掛かり、悪化する場合もあります。その時は掠り傷や骨折では済まないかもしれません。これ以上事態が重くならないうちに、うやむやにせず専門家の診断を受けることを、調査結果として加えさせて頂きます」
 あくまでも専門家としての立場を崩さないナルに、もう少し深くちゃんと言って欲しいと思うのだが、彼の性格を考えればここまで言ったのも特別扱いに近いだろう。
 だが、不思議なことではないのだ。
 ナルも持つ力故に、幼い頃ポルターガイストを頻繁に起こしていたという。それによって、母親はニグレストになり、父親は出奔、ナルとユージンは危うく飢え死にしかねない状況にまで陥った。
 家庭一つが崩壊したのだ。
 ポルターガイストがいかに危険なものなのかは、ナルが一番知っているはずである。
 だが、そんなナルの忠告にも耳を傾ける様子はなかった。
「まったく、優一の将来に響いたらどうしてくれるんだ。
 母親も母親だが、娘も娘だ。そろいもそろって、迷惑をかけてくれるものだ。恩を仇で返すとはこのことだな」
 響くも何もまだ、五歳児の息子の将来にどう響くというのだろうか。
 それに、いったいどこまで彼女の存在を否定すればいいのだろうか。
 名取夫人の方はさすがに、夫が言い過ぎていると思っているのか、控えめに「余所の方もおりますし、今後のことは今夜にでも・・・・・」と娘を擁護しているとはとても思えない言葉で夫の口を止めさせようとする。
 父親が娘を責めるのなら、せめて母親だけは少女を擁護して欲しかった。
 父にも母にも見捨てられてしまったら、どうやって己は愛されていると思えばいいのだろうか。
 世界中の誰もが的になったとしても、彼らだけは見捨てるようなコトを口にしてはいけないというのに。
 たとえ、そこに本当の親子関係はなかったとしても、戸籍上は親子であり生まれてから共に家庭を作ってきたのならば、十分に親子ではないか。
 麻衣はナルの手を振り払って、名取夫妻に攻め掛かろうと、足を一歩踏み出したのだが直ぐ傍で聞こえた低くうなるような声に足を止める。
「そんなに、あたしはいらない子?」
 俯いているため、どんな表情をしているのか判らない。
 だが、泣いているようには思えなかった。
 取り乱しているようにも声だけを聞くには思えない。
 だが、全てを諦めるにはまだ少女は幼すぎる。にも関わらず、低く漏れた声は、全てを諦めてしまったかのように空気を震わせた。
 固唾を呑んで見守る麻衣の前で、少女はゆっくりと顔を上げると、絶望的な微笑みを浮かべながら父を、母を見つめる。
「お父さん、お母さん、あたしはいらない子?
 お父さん達の中で必要な子は、優一だけ?」
 否定して欲しい。
 少女はきっとそう思っているだろう。
 『そんなことはない。おまえも大切な子供だよ』と言って貰いたいに違いない。
 否定をして、ぎゅっと抱きしめて貰いたいに違いない。
 ただ、それだけなのだ。
 少女が求めているのは、純粋な親の愛情。
「期待はずれもいいところだな。
 お前はもう好きにして構わない。だが、我々には迷惑をかけるな。
 成人するまでは、責任を持って面倒を見るが、自分のことはすべて自分でしなさい」
 それは、彼女が求めた答えではなかった。
「酷い・・・酷い!
 ずっと、頑張ってきたのに! お父さんと、お母さんが自慢に思えるように、頑張ってきたのに!
 なんなの? あたしはいったい今まで何のために頑張ってきたの?」
 少女の慟哭が痛い。
 これが、成人した人間の叫びなら、人の為じゃない。自分のために頑張ってきたんでしょ? と言えたかもしれない。
 誰かのためというのは甘えだ。
 何事も結局は自分のためにやるのだ。誰かのためというのは責任をその人に押しつけているにしか過ぎないと。
 だが、自分の出生を知り、親の愛情を失わないように頑張ってきた少女にとって、それは、死の宣告にも等しい言葉だ。
 まして、漸く十三歳を迎えたばかりなのである。幼くまだ脆い心に傷が付かないはずがない。
 カタカタと周囲のものが小刻みに動き出したかと思うと、急にドアが激しく開閉をし出す。
 そればかりではない、食器や花瓶、雑誌や小物等が宙を飛びかい初め、壁に当たっては激しい音を立てて砕け散る。
「いい加減にしないか!!」
 名取氏の恫喝と同時に、今まで押さえられていたものが一気にあふれ出した。








第三話へ続く