藤の籠  

















『その世にも美しき御髪を、わたくしに譲って下さいな・・・・・・・・』
 





 か細い鬼の声に、麻衣は恐れを抱く事はなかった。
 見た目の姿は確かに恐ろしい。
 だが、それは偽りの姿のように思えてならない。
 鬼の姿で己の姿を隠すことによって、己を守っているかのように見えたのだ。
 その恐ろしい姿の奥で、涙を流す女の姿が見えるような気がしてくる。
 白い髪で、己の顔を隠し、潜めた声で鳴き続ける女の姿が・・・・・・・・・





『その髪さえあれば、わたくしはきっとあのお方のお心を得る事が出来る』





 爛々と目を輝かせ、一気に距離を詰めようとするが、秋初月と菊月の守りによって鬼は容易には近付いては来れない。
 鬼の刃のように長い爪が、見えない壁に弾かれて火花を散らす。
『おのれ・・・・・・・・・・・・おのれ・・・・・・・・・・・・・・わたくしの邪魔をするか!?
 ただ人の分際で、わたくしを阻むというのか!』
 歯をギリギリと噛みしめ、隙を伺うように周囲をうろうろと練り歩き、時折腕を振りかざしては結界に爪を阻まれ、喉の奥で獣のようなうなり声を上げる。
 虎のような獣も麻衣達の背後に回り、隙を狙うかのように襲いかかろうとするが、結界によって弾かれる。
「ちょ・・・・・・・ちょっと! あんた達鳴瀧の式神なんでしょう!?
 こんな鬼の一匹や二匹ぐらい、やっつけらんないの!?」
 今にも飛びつかれんばかりの距離まで近寄られ、結界に守られているとはいっても、涼子は恐慌状態に陥っていた。
 獣のうなり声を聞いては悲鳴を上げ、結界とぶつかる音を聞いては、麻衣にしがみつき、今にも卒倒しそうな顔色だが、それでも気丈にも正気を保っている。これが普通の姫ならばとうの昔に気を失っているか、正気を無くしているだろう。
「わたくしどもは麻衣姫の安全を第一に考えて動くように命じられておりますゆえ、今は防御に専念しております」
「だったら、鬼を滅ぼしちゃえばいいでしょうが! それが一番確実に安全になるでしょう!」
「あたし達は守りに関しては完璧だけど、攻撃面はそれほど強くないの。
 全く出来ないってワケじゃないけれど、退けられるほどの痛手を与える事は出来ないから、守りに徹しているの。
 こうしてあたしと秋初月の結界を引いて、その中にいる限りは安全だけれど、攻撃に片方が移るとどうしても守りが甘くなっちゃって、確実に乏しくなっちゃうから、攻撃には移れないの。
 あたしも秋初月も姫様の安全のために、賭に出る事は出来ないから」
「じゃぁ、一体いつまでこんな所に居なきゃ行けないのよ!!」
 夜更けのため通りには人っ子一人いない。いや、例えいたとしても鬼など見たらそのまま身を翻して逃げてしまうだろう。間違っても鬼に襲われている彼女らを助け出そうとするような剛胆な、通行人などそうそういるわけがない。
 運が良く、検非違使(けびいし)を呼んでくれたとしても、彼らが駆けつけ、鬼を退けてくれるまであとどれほどの時間が掛かるか。人の助けが来るよりも夜が明ける方が早いようにさえ思えてくる。そもそも、たとえ検非違使が駆けつけてくれたとしても、彼らがこの鬼を退治してくれるというのだろうか。よほど腕に覚えのある物でなければ、鬼に勝てる物などいないだろう。
 ならば、鬼が諦めるのを息を潜めて待てばよいのだろうか
 鬼は闇を徘徊するもの。夜が明ければ闇と共に消えゆくだろうが、それまであと何刻このような場所にいなければいけないのか。
 考えるだけでも恐ろしく長い時間だろう。
「涼子ねー様、落ち着いて・・・・鳴瀧がきっと来てくれるから」
 涼子と違い麻衣は取り乱すことなく、涼子の手をそっと握って落ち着かせようとするが、頭にすっかりと血が上ってしまっているいま、その程度で落ち着くような状況ではなかった。
「来てくれるって、鳴瀧は帝に呼ばれて内裏にいるんでしょう!? そうそう簡単に戻ってくるわけないじゃない! そればかりか、内裏はてんやわんやの騒ぎなんだから、数日は戻ってこれるわけないでしょう!?
 それなのに、どうやって、ここまで来れるって言うのよ! 知らせでも走らせたって言うの!? 家人達だって私達がここで鬼に襲われている事知らないでしょう!?」
「結界に異常がきたしているなら、その時点で鳴瀧は気が付いているだろうし、屋敷の傍で鬼が二匹現れて陰気を振りまいていたら、絶対に気が付かないわけないし。
 大丈夫だよ。それに、秋初月とか菊月が鳴瀧の傍にいる他の式神に知らせを送っているだろうし。だから、心配する事は何もないから。鳴瀧はきっと来てくれるよ。いつも鳴瀧はこういう時すぐに駆けつけてくれたから・・・
 鳴瀧が来れない状況だったら、他の式神を寄越してくれるはずだから・・・・ね?
 少し落ち着こう。
 負の感情は鬼とか陰に属する者達の気を逆に高めるって、鳴瀧が以前言っていたの。
 だから、ねーさま。少し落ち着いて?
 大丈夫・・・・鳴瀧が、きっと助けに来てくれるはずだから」
 このような状況で居て、にっこりと微笑みながらそう断言出来る、麻衣を見つめていた涼子は唖然とする。
 なぜ、そこまで一人の人間を信用する事が出来るのか、涼子には理解出来ないで居た。まして、鳴瀧は帝に呼ばれて参内しているのだ。どう、甘く考えても帝に呼ばれている人間が、駆けつける事が出来るとは思えない。
 今上帝よりも自分の事を心配して駆けつけてくれると思っているのだろうか?
 ・・・・・・麻衣はそういう考え方をする人間ではない。ただ、信じているのだろう。
 鳴瀧が助けに来てくれると。
 結婚を失敗した凉子には、無条件に信用できる相手を見つけることができた麻衣が少しだけ羨ましく思えたのだった。



















 内裏は鬼が出、梨壺の女御を襲ったことで上へ下への大騒ぎになっていた。
 むやみやたらとおびえ、退出を願い出る者もおり、いつもならばとうに静まりかえっているはずの夜半だというのに、人の出入りがやたらと激しくなっている。
「鬼の一匹や二匹で、目も当てられぬ醜態ぶりだな」
 殿上人の慌てぶりに冷笑を浮かべながらつぶやく鳴瀧に、榊は苦笑を漏らす。
 鬼が目の前に現れて冷静に対応できる者など、陰陽寮の中に出すらそうそういないだろう。陰陽寮に属する者たちでいざ、鬼を目の前にした時冷静に対応できる者がいかほどいるだろうか。確実に数えられる程度しかいないだろう。そもそも、実際に鬼と正面からやり合った者など、何人いるのか。
 主上や太政大臣が鳴瀧を頼りにするのが、いやでもわかってしまうような現状である。
「最初に鬼の血が流れた渡殿を片づける。いくら内裏中を清めても、血の穢れがあっては何の意味もない」
 足早に歩きながら次の行動を伝えると、榊はもう一方の問題箇所を口にする。
「梨壺の方はよろしいのですか?」
 鬼の血が流れたところは確かに人の行き来はあるが、梨壺は女御の住まう御殿である。そちらを後回しにして問題はないのだろうか?
「梨壺は陰気が残留しているにすぎない。しばらくは影響は残るが、事を急ぐ必要はない。急がなければならないとしたら渡殿の方だろう。
 あそこは藤壺へ向かう通り道にもなっている。長く封鎖しているわけにもいかない。
 愚か者が下手に通り、血に汚れた足で内裏中を歩けば、内裏中に陰気を振りまくことになり、やっかいの元になる」
 穢れが蔓延すれば妖しも陰気に惹かれ集まってくるようになるだろう。小物ならば問題はない。内裏を含め都の中には払うのも馬鹿らしくなってしまうほどのかずの小物が、闇の中で蠢き生息している。気の弱い物や体の弱い物は影響を受け、病に陥る物もでるだろうが、その程度ですめば鳴瀧から見れば何の問題はなかった。
 問題なのは鬼の血に狂う人間が出てくることだ。狂わされた人間が、狂気に走り豹変してしまう者も出てきかねない。また、その血をぬぐい取り持ち去れば、呪詛の一つとして使おうとする者も出てくるかもしれない。力ある者・・・この場合、陰陽師や僧侶とあるていど限られてしまうが、半端に力ある者は中途半端により強い力を求め、力量をはかり間違えるきっかけにもなる。
 鬼の血の力を借りて、成り上がろうと考えない者がいないとは言い切れない。
 それに、鬼を宿した者は内裏には数え切れないほどいるだろう。
 妬み、嫉み、憎しみ、羨望・・・数え上げていけばきりがないほど、負の感情が内裏にはあふれている。日常生活上は穏やかに、己の奥深くに潜めていた感情が、触発され吹き出してくることもある。
 鬼がでたと言われた後、第二、第三の鬼が続けてでやすいのは、触発されて押さえきれなくなった感情が、人の心を狂わせ生き霊へと人を変貌させ、鬼にその様を変えていくのだ。
「今回の鬼は生き霊とすると、いったいどなたが姿を変えられたんでしょうかねぇ・・・・・」
 幾人かの顔が浮かんでは消えていく。
 この内裏ではいつ誰が、闇に落ちてもおかしくはないことを、鳴瀧も榊も知っている。
「梨壺の方は陰陽の頭を始め、他の陰陽師が先を急いで浄化するから、僕があえていく必要も感じない。
 主上も今宵は梨壺にいる。覚えをよくしようと躍起になっている者どもがあふれているところに、行くのは疲れるからやめておくに越したことはない」
 競い合って主上の覚えをめでたくしようと思っている者達が哀れに感じてしまうような物いいだが、鳴瀧は至って表情一つ変えることなく事実の一つを口にしたにすぎないと言わんばかりである。 
 だが、その鳴瀧が不意に止まる。
 表情一つなかったのだが、眉間にくっきりと刻まれ視線がすっと細められ、ほんの一瞬黒い瞳が金に輝いたような気がした。
「鳴瀧殿?」
 足を完全に止め、虚空を睨んでいる鳴瀧に榊は声をかける。
 のんびりと内裏を歩いていたが、そろそろ問題の渡殿につかねばならない頃である。
「鬼がでた」
 鳴瀧の言葉に榊の表情もすっと引き締まっていく。
「今度はどちらに?」
 周辺に視線を巡らせるが、騒ぎが起きているような気配はない。
 内裏のどこら辺にでたのか。
 すでに藤壺、梨壺にでており、考えるのなら梅壺と麗景殿だろうか。中宮候補に上るとは言えないが、それぞれの殿舎には女御達が住まっており、主上の寵を競っていることには変わらず、やんごとなき生まれの姫君達ばかりである。
 それとも宣耀殿だろうか。主上とは同母妹の姫宮が住んでいる殿舎の可能性もまたあったが、鳴瀧は内裏ではないと告げる。
「屋敷だ」
「屋敷・・・?内裏ではなく・・・・・って、鳴瀧殿!?」
 身を翻したと思ったら、鳴瀧は勢いよく走り出した為、慌ててその後を追いかける。
 普段滅多なことでは慌てない、二人が裾が乱れるのも気にせず、烏帽子がずれ落ちるのも頓着せず、内裏を駆け抜けていくため、ぎょっとした顔で足を止めて二人が通り過ぎるのを呆然と見ていたが、鳴瀧はいっこうに気にせず、烏帽子を脱ぎとると、崩れ落ちてきた髪もほどき長い髪を乱しながら臘月を呼ぶ。
「鳴瀧殿! いったいなにがあったんですか!?」
 漆黒の見事な体躯を持った馬が虚空から姿を現した事によって、鳴瀧がどこの屋敷に戻るのかは察しがつく。いや、冷静沈着な鳴瀧が急いで動こうとするのだ。彼女の身になにかがあった以外に考えられなかった。
「どうやら、麻衣が目をつけられたようだ。
 結界の一部が破られた。
 僕は先に屋敷に戻る。榊は渡殿を清めたら来い」
 鳴瀧は勢いよく臘月にまたがると、その勢いのまま馬の腹を蹴り、夜道を疾走していく。
 その姿は夜陰に紛れてしまい、すぐに見えなくなってしまい、その場にただ一人残された榊は深くため息を一つつくと、これからどう動くべきか思考を巡らせる。
 鳴瀧が安部家の方に鬼がでたと言うのならば、その通りなのだろう。
 どうやら、麻衣が次の獲物にされているようだ。鬼と渡殿で遭遇しているのだから、おかしいことはない。だが、だからといって鬼がでた内裏を放ったらかしにしてしまうのもまた問題があった。主上や藤壺の女御はともかく、至ってふつうの殿上人ならば、一番先に内裏の清めを行い、内裏の守りが確実になってから鬼の退治へと向かうべきだろうと責められるだろう。
 だからといって、陰陽生にしかすぎない自分だけが渡殿の清めを行って、周りが納得するかどうか・・・一瞬考えたものの、とりあえず一度渡殿へと向かう。
 清めの儀事態はさほど難しいことではなかった。一通りの事はすでに学び終えており、鳴瀧について実戦もすでに何度か経験している。手順に関して何の不安もない。
 ただ、周りが自分で納得するだろうか?
 誰もが、鳴瀧が行うと思っているのだから・・・・
「まぁ、鳴瀧殿は愛妻の危機を救うため鬼退治に行かれてしまったし、当面の保証と言うことで皆さんには納得して貰いましょうかねぇ・・・・本当鳴瀧殿ってば、奥方が変わると目の色が変わるんだよなぁ。いや、うん。これでまた宮中の姫君方がもだえること間違い無しでしょうね。いや、有名な方は辛いですよねぇ〜〜〜〜〜〜」
 ぽつりと場違いなほどのんきな言葉を呟きながら、くるりと身体の向きを変えて、榊はさっさと用事を済ませて安部家へと向かうべく、渡殿に向かったのだった。



































「妾の邪魔をするでない!!」
 鬼は狂ったようにわめきながら、長い爪を振りかざし結界を突き破ろうとするかのようにふるうが、その爪はけして結界を傷つけることはなかった。火花が飛び散りながら耳障りな音を立てる。
「・・・・・・・・・・泣いている」
 真っ赤な双眸をランランと輝かせ、口角の端には泡を浮かばせていたが、麻衣にはどうしても彼女が泣いているようにしか見えない。
 泣きながらその爪をふるっているようにしか見えないのだ。
「姫様、先日から鬼が泣いていると申されますが、わたくしには鬼が泣いているようには一切見えません」
 麻衣の呟きに秋初月が言葉を返すが、麻衣は頭をゆっくりと振る。
「どうしようもできないことで泣いているよ・・・・自分ではどうしようも出来ないことで・・・・すごく、切ない声・・・ああ、夢でみたあの人の泣き方に似ているのかもしれない・・・・・・・・・・・・・・・・・自分ではどうしようも出来なくて・・・ただ、ひっそりと生きていきたいのに・・・望みは何もないのに、かなわない・・・・・・・・・・」
「夢?」
 麻衣はまるで託宣を告げる巫女のように、ぼんやりと定まらぬ視線を鬼に向けながら、ゆっくりとした口調で呟く。
 その鳶色の瞳は今はこの世の何も見ていない。
 式神の自分たちでさえ見ることの出来ない何かを見つめ、それを掴もうとするかのように手を伸ばしているように見える。
「姫様、意識をしっかりと持って!!」
 菊月はふわりと浮き上がると、軽くその頬を叩いた。
「・・・・・・菊月?」
 パチンと乾いた音が響くと同時に、麻衣は瞬きを数回繰り返し、定まらなかった視線を菊月に定める。
「姫様、鬼と同調しちゃダメだよ? 特に姫様はまだ体調が万全じゃないのに、陰気の固まりの鬼と同調したら引きずられちゃう」
「だけど・・・・・・・・・・」
 後もう少しで鬼が望んでいるものが判りそうなのだ。
 あの鬼が、ただ自分の欲望の向くままに人を襲っているとはどうしても思えない。
「主様、悲しませたいの?」
 女童の姿をしていながら、今目の前にいる菊月を子供のようには思えなかった。自分よりもずっと年上の者に諭されているかのような錯覚に陥る。
「姫様に何かあったら主様が悲しむよ?
 主様を苦しめたいの?」
「そ・・・そんなつもりじゃ・・・・・・・・・」
「ないのは、判っているよ。だけど、姫様今鬼のことだけを考えて、自分のことを考えていなかったでしょ? 鬼と同調することで及ぶ危険を考慮してなかったでしょ?
 姫様の身に何かあったら悲しむ人はいっぱいいるんだよ?
 あたしたちは姫様がとっても大好き。姫様を守ることができて幸せだよ。だけど、あたし達は主様の式神なの。その主様を悲しませるなら、姫様のこと許せない」
「菊月!!」
 いさめるように秋初月が声を荒げるが、菊月はちらりと秋初月を見ただけで言葉を止めることはしない。
 麻衣は、ただ瞬きをするのも忘れて菊月を見つめていた。
「秋初月は姫様のことを第一に考えているのかもしれないけれど、あたしは違うよ。
 あたしは主様の守護月(菊月=9月)の名を冠した式神。主様を守るためにある式神。姫様を守ることは主様の心を守ることでもあるの。
 あたしは姫様のことも大好きだから、姫様を守りたいと思う。だけど、その姫様が主様の心を傷つけるなら話は変わるの。たとえ、何人たりとも主様を傷つける者は許せない」
「菊月!! 言葉が過ぎます!!」
「秋初・・・いいの、確かに私今他のこと考えていなかった・・・・・・から。
 だけど、鳴瀧を傷つけるつもりはないよ。それだけは、判って?」
 麻衣の訴えるような視線に菊月は童女らしくない苦笑を浮かべる。
「姫様はとっても主様のことを愛しているもん。誰よりも、誰よりも主様のことだけを考えてくれていることも、もちろんあたし達式神は全員知っている。
 だけどね、姫様考えてね。姫様が主様を想うように主様も姫様のことを想っているの。
 主様はわかりにくい人だけれど・・・・だけれど、姫様のことを誰よりも愛しく想っているの。だから、姫様の守護月の名を冠している秋初月だけじゃなくて、主様は自分ともっとも繋がりの深いあたしも、姫様の守に回したの。
 その心忘れないでね・・・姫様の身に万が一のことがあったら、主様の心も死んでしまうことを。
 だから、姫様はけして無茶はしないで。
 本当は何もしないで、じっとしていて欲しいところ何だけど、姫様はそういうことできないでしょう?主様も姫様を閉じこめるつもりはないみたいだから、あたしたちも止めないけれど・・・だけれど、無茶はしないでください。
 もうじき、すぐそこまで主様は来ているから・・・だから、無謀なことはやめてください」
 菊月の真摯な言葉に麻衣は瞠目する。
 自分はそこまで無謀なことをしようとしていたのだろうか。
 確かに鳴瀧からは同調は危険だということは何度も聞かされている。だが、何も今回初めて同調するわけではない。もう何度も経験していることであり、好きこのんで同調をしたいわけではないが、それによって鳴瀧の手助けが出来、あの哀れな鬼を救うきっかけが掴めるのならば、多少の危険は承知の上だった。
 だが、その危険は今回に限らずいつもついて回るものだ。何も今に限ってではないのにもかかわらず、こうして彼女たちが二人で諫めることに、驚きを隠せないでいた麻衣に、秋初月は苦笑を思わず浮かべてしまう。
「姫様、同調はとても危険な事です。
 体調が万全な時でも危険な行いなのですから、今の姫様のように陰気の影響を受けていらっしゃる時に行えば、鬼の狂気に引きずられてしまう方が高いでしょう。
 さすれば、姫様も生きながらにして鬼となりはて、主様の手にかかっていたかもしれません。
 もちろん、これは仮定の話です。
 姫様が引きずられない可能性もありますが、その可能性の方が今は高いと言うことをお心に止めておいてください」
 二人の言葉に麻衣は神妙に頷き返す。
 鳴瀧の手助けになるのならばともかく、その手を煩わせることをやりたいわけではない。
 だが、あと少し・・・あとほんの少し手を伸ばせば、何かが掴めそうな気がするのだ。
 これらのやりとりの間にも、鬼と獣はかまうことなく結界に飛びかかっては、はじき飛ばされると言うことを繰り返していた。
 低く地の底から聞こえるような声で、うめき声を上げる鬼と獣の声に隠れて聞こえる、女のか細い鳴き声・・・・この声を無視することがなぜか出来なかった。
「お前は、今二人に同調するなと言われていながら、学習すると言うことを知らないのか」
 意識がまたそぞろになり始めた頃、不意に聞こえた声に麻衣は我に返る。
 いつの間に近づいてきたのか、鳴瀧が背後に立っていたのだ。
「鳴瀧!?」
 馬から狼へと転じた臘月が虎のような獣の首に思いっきり牙を食い込ませ、地面にたたきつけているのが視界の陰に映り、鬼が真っ赤に焼けただれている手を掴んでジリジリと後退していくのが見えた。
 鳴瀧は麻衣の前に立ち、右腕を真横に伸ばして袖でその姿を完全に鬼の視界から隠すと、鬼を真っ正面からにらみ据える。
 鬼は目をせわしなく動かす。
 形勢が不利になってきているのを察したのだろうか。乱杭歯をむき出しにして唸りながらも、一歩二歩後退し夜陰に紛れるように姿を消す。
 それと同時に獣も首から血を滴らせながら、姿を消したのだった。
 鳴瀧はそれを目を細めて見送ると、袂から白い枚取り出すとそれに何か手印を切るとくしゃりと丸め込み、ふっと息を吹きかける。それはまるで生き物でもあるかのように身動きをし出し、白い鳩へと姿を変えた。それを鳴瀧は空へと放つと、白い鳩は鳴瀧の頭上を一度だけ回ると、夜空へと向かって羽ばたいていく。
 それの行く末を見送ると、鳴瀧は己の背後にいる麻衣へと視線を戻した。
「お前は考えてから動くと言うことが出来ないのか」
「だ・・・・・・・だって・・・・・・・・・鶴が・・・・・・・・・・・・」
 恨めしい目をしたまま事切れている鶴へと麻衣は視線を向けると、その双眸にじわりと涙が浮かび始めてくる。
 まだ、ようやく13〜14を向かえたばかりで、これからという時だというのに、鬼に無情にも命を奪われてしまった鶴。鬼に殺されてしまった者の魂に救いはあるのだろうか。
 鳴瀧は麻衣の視線を追うように鶴へと視線を向けるが、そこに哀れみの色は一切ない。
 痛ましいとは思うが、鳴瀧にとって鶴はただの使用人であり、それ以上でも以下でもなかったが、この状況は放っておける問題ではなかった。
「秋初月、家の者に指示をして下女の身を清め野辺送りにするように。それから、榊が遅れてくる。来たらこの地の清めを行っておくように。
 それから、使いを出して下女の家の者にこの旨を知らせを。遺体は見せずに野辺送りに出してしまった方がいいだろう」
「判りました、他に何か?」
 秋初月の問いに鳴瀧は今はそれで全部だと告げると、麻衣へと視線を戻す。
 今にも倒れ込んでしまいそうなほどその顔色は悪かったが、麻衣は鳴瀧を見上げて鬼の望みを伝える。
「あの鬼は髪を望んでいる・・・・・・・・・自分にはないもの・・・・なくしてしまったものを、求めている・・・・・・・・・」
 そこで大きくため息をつく。
 自覚はしていなかったが、酷く緊張していたようだ。
 鳴瀧がこうして駆けつけてきてくれたことで、体中に張っていた余分な力が抜けていくようなきがし、乗り物に酔ったかのように頭の中がふわふわとして、現実味が遠くなってきた頃、ふいに身体が浮き上がった。
 鳴瀧が抱き上げたのだ。
「少し休め、また鬼の気に当てられている。
 凉子姫も、禊ぎをすることをお勧め致しますが・・・・・・・・」
 こちらはすっかりとその場に座り込んでしまい、疲れ果てている凉子を鳴瀧は静かな目で見下ろす。
「冗談でしょう・・・? こんな寒い日にそんなことやったら、あたしは風邪引いて死ぬわよ?」
「菊月、凉子姫の清めを任せる」
 麻衣に付いている二人の式神に、それぞれの指示を出してしまえば、麻衣の傍にいるものはいなくなってしまうが、二人は鳴滝の指示何も言うことなく了承し、素早く動いていく。
 鳴瀧がいる限り自分たちに用事はないのだ。
 その事を心得ている二人は、指示を実行するために姿を消す。
 鳴瀧に抱えられて屋敷に戻って行く麻衣は、忍び寄る睡魔に逆らえきれず、心地よいぬくもりに安堵のため息をつき、そっとまぶたを閉ざす。
 深くはき出す吐息混じりに、一言呟きながら。


「あの人は、人の心を・・・・・・なくしては、いないよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 鳴瀧が腕の中に視線を向けた時には麻衣の吐息はすっかりと寝息に変わっていた。












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