明け方,「ムーンライト九州」号は,下関に到着。ここで,機関車を交換するので,老若男男の鉄ちゃんたちがカメラを持って先頭付近に集まってきます。お約束。
寝ぼけ顔で失礼いたします。
とりあえず,ぼくは博多まで通して乗ります。高分子討論会で九州大学へ行って以来,7年ぶりの博多。駅はすっかりきれいになっていました。ここで,JR九州オリジナルの割引切符を買って,長崎へ。JR九州は,JRグループの中でも,各駅停車用から特急用までどれもひとくせある新車や改造車を投入し,型式番号をからめた愛称を先頭車正面に掲げて鉄ちゃんを狂喜させている会社です。管理側からすれば,型式番号なんてしょせんは管理用であって,これに執着するのは鉄ちゃんくらいのもんです。
鉄ヲタきしょっ!>(^◇^〜)
ゆきの長崎行き「かもめ」号は,時刻表に「白いかもめ」と紹介されているやつでした。確かに,評判通り野心的な作りなんですが…保守にお金が回らないんでしょうね。内装の傷みがところどころ。国鉄型のおんぼろだったらあきらめがつく…いや,それも味なんですが。車歴が浅いのに,ちょっと幻滅。
「白いかもめ」号。
10時半長崎着。長崎は,路面電車と坂の街。移動はもちろん路面電車で。
駅名標。駅前には電停が。
折しも,当日は長崎原爆デー。この時間に平和公園方面に行ったら大変なことになるだろうと思い,まず反対方向の路面電車に。車内の広告で,「当店オリジナルモンブランだんご」なるものが。そんなもん,物語の中だけの話かと思っていました…。最初の行き先はグラバー園の…ふもとに住んでいるはずのいとしのあの子。ドックそばへ歩き始めました。長崎税関の少し先に,見慣れた形の煙突が覗いていました。煙突をも目印に歩き出すと,そこは桟橋。船主業・中古船舶のリサイクル(不要船舶を,スクラップではなく船として転売する目的で保守・改造を行う)を本業とする会社・ハヤシマリンカンパニー所有のドック。その一番市街地寄りに桟橋が。…そこに見慣れた向きとは反対・舳先を陸に向けて,あの煙突のあの船はたたずんでいました。
「ホテルシップヴィクトリア」。同社の本業の腕で大改装を受け,今では副業のホテルチェーンの一員として暮らしている,旧青函連絡船・2代目大雪丸です。
大雪丸入口。
泊まりでも何でもないヲタクがふらふらしているのを見つけて,フロント責任者であろう初老の男性が,ぼくに声をかけてくれました。ぼくのような,連絡船ファンが見学目的で訪れることは,いまでも月に数回はあるんだそうです。経営者の本業が本業ですから,船目当ての見学客を邪険にすることはないようです。安心。
機関部を現役当時に形で残して見学コースにしてあり,宿泊客だけでなく一般の見学者も受け入れているんだそうです。最上部・旧グリーン船室用展望デッキから,ひとつずつ階段を下り,機関部へ。冗談抜きで,本当にそのまんまでした。青森の八甲田丸でも機関部を見せてもらえるんですが,そこより生々しいです。機関司令室に,引退直前の業務書類があったり。電気系は元の船のをそのまま活かしている部分が多いようです。すると,中で作業員の方と出くわしました。そういえば,さっき汽笛が鳴ったっけ。氏いわく「婚礼用に,汽笛はいつでも慣らせるようにしておくんだけど,現役の時のようにすぐ慣らせるわけじゃなくて準備がいる」とのこと。
船尾・旧自動車航走甲板付近に,キリスト教式結婚式用の祭壇がありました。チャペルには鐘がつきものですが,大雪丸にもきちんと備え付けられていました。
見学コースを出て,ただで帰るのも悪いんで,コーヒーをいれてもらいました。そこで思いの外多くの話を聞かせてもらうことができました。国内に4隻残っている旧連絡船のうち,ビジネスとして成り立っているのはここだけ,とのこと。それをきいて安心しました。ホテルとしては,ひとり・ふたりで泊まる分にはちょっとだけ高め。そのかわり,家族やグループで和室を使うぶんにはふつうより少し安めな感じです。修学旅行の団体を当て込んでいるため,部屋数は和室が多めのようです。大雪丸現役時代の最後の船長・北山さんは,修学旅行シーズンになるとここを訪れ,生徒たちに講義をつけるんだそうです。「一歩船に上がったからには,先生よりも船長の俺のほうがえらいんだからな(笑)」と言って悪ガキどもをびびらせるのがお約束なんだそうで(笑)。
器も凝っています。
東京の羊蹄丸は,(連絡船の経験では,先に挙げた北山さんや,函館の摩周丸の管理スタッフにはかなわないでしょうが)学芸員がいるかたぎの博物館の1展示物ですし,胴元がしっかりしているので,羊蹄丸単体でどうこう,ということはなく,安泰でしょう。が,自治体主導で保存されている青森の八甲田丸・函館の摩周丸の前途は厳しいものがあります。公民館として割り切っている観がある八甲田丸はともかく…函館はついに第3セクタ方式での経営をあきらめ,市の直営に切り替わってしまいました。青森・函館から,長崎まで関係者が視察に訪れるんだそうですが…造船のプロがいるか・莫大な改装費(大雪丸には5億円かけたそうです。自社改造でそれですから…)・許認可の問題をどうするか(大雪丸にも,東京ディズニーランド向けの修学旅行宿にする,という計画があったそうですが,周囲の大手ホテル群の猛反対と,港湾管理の許認可の複雑さで断念したそうです)…などなど,自治体ベースだと後込みしてしまう問題が山積みで,結局身動きがとれないのが現状だとか。…けど,ファンだけ相手にしていても商売にはなりませんって。
長く話している間に,さっきの汽笛のことに。もしや,とは思ったんですが,それは原爆が炸裂した時間に合わせた,黙祷代わりの汽笛でした。そういえば,汽笛の保守のおじさんは,ぼくにはそのことを何も言わなかった。…重い。爆心地には必ず行こう。そう誓って大雪丸をあとにしました。
形だけは船として命を保つ大雪丸から,生きる船・死んでいこうとする船・生まれようとしていたはずの船を。一番奥で建造中の巨大客船・ダイヤモンドプリンセス号は,訪問直後に起きた大火災で半分が消失。のち,サファイヤプリンセス号と改名した上で修復が進められ,翌年9月15日に無事2回目の進水式を迎えました。