ぱふぇ丼!過去ログ置場

2002年2月〜2010年春まで、主にHello! Projectに関する日記をつけていました。これは、その過去ログです。



死んでもあなたを見つめているわ(はぁと)

解説

初出2000年9月。旅行先で乗ったJR西日本線で見かけた車内広告。キャッチフレーズがあまりにアレだったので……。

当時の文章

鰹には「まぶた」がありません。だから目を閉じることはありません。死んでも私達を見つづけています。

大阪で電車移動中に見つけた、鰹節メーカーのイメージ広告です。死んでまで見つめられてもなぁ。これは,死んだ魚の「ような」眼じゃなくて、まさに死んだ魚の眼で、しかも生臭く見つめられるってわけか……きしょっ。

コメント・トラックバックポリシーを変更します

最近、日本語によるトラックバックスパムが増えています。元々ハロプロ日記として立ち上げた経緯があるため、日本語スパムのほとんどが芸能ゴシップを謳ったレンタルブログからのものです。

この手のスパムをフィルタリングするのは現状難しく、その上レンタルブログを渡り歩いての攻撃であるため、今後当分の間、コメント・トラックバックを承認制とさせていただきます。過去の記事についても、攻撃を受けた記事から順次承認制に移行します。

こってりカレー

解説

初出2000年9月。旅行先の新大阪で見つけたレトルトカレー。当時から、こういう変わった食べ物は大好きだったようです。当時住んでいた独身寮は、炊事場が共同だったので、部屋でレトルトカレーを食おうと思うと大変でした。「落ちる」とは、「清水の舞台から飛び降りる」→「(高価な)散財をする」という意味。まだまだパソ通がかった言葉遣いが抜けないころの文章です。

当時の文章

こってりカレー-1

ただの「こってり」だったら、こんなもんに落ちることはなかったでしょう。「みじん切りとんかつをとことんとけ込ませた!」このキャッチにやられました。…だからって,こんなもん新大阪のコンビニで買う必要もないような…(^^;)。



こってりカレー-2

さっそく作ります。独身寮の居室には炊事場がない、部屋を出るのも面倒なので、無菌包装ごはんと一緒に、電気ポットで加熱。よく火事を出さなかったもんだ(笑)。



こってりカレー-3

できあがり。能書き通り、しっかりと豚メンチとパン粉と揚げ油の味がしました。昔あった、カップの「カツカレーラーメン」に比べれば雲泥の差です。コピーはヘンだけど、美味でありました。(^^)



過去記事公開を始めます

作るだけ作って長らく放置していた、「過去記事から」カテゴリへのアップロードを始めます。

2002年秋、ハロプロ専門日記を書くようになりました。その当時、ぼくは内輪向けのサイトと日記を書いていました。当時のハロプロへの熱中ぶりから、ぼくは、ハロプロ日記以前のwebデータをサーバから一旦引き上げました。

その後、ぼくはハロプロ日記を(密度の濃淡はありますが)5年近く書いてきました。そちらから引退した今、当時のデータを戻してもいいかな、と考えています。このカテゴリは、それらの過去データの戻し先として作りました。当時のHTMLは保存してありますが、それをそのまま戻すよりも、今の更新エンジンになぞらえて再入力したほうが、後々楽でしょう。

主に、1999年〜2004年頃の出来事が書かれています。あなたの暇つぶしになれば。

ハニトー2.0

解説

2000年11月撮影、初出2001年1月。首都圏のカラオケチェーン・パセラの名物メニュー、「ハニトー」。何でこんなもんを撮ってアップしたんだろうなぁ……今で言うところの、SNS上の写真日記のようなノリだったのでしょう。今は、「web2.0」なんて言葉が独り歩きしていて、後追いで「○○2.0」なんて表現まであるような。これを撮ったのは2000年ですから、このメニューは、時代を先取りしていたのかも知れません(嘘)。

当時の文章

ハニトー-1

某カラオケチェーン店の名物メニュー・ハニートーストの実物大模型。手前が長男で,後ろはおねえちゃんらしいです。



ハニトー-2

実際食べたのはこれ。



中抜き

解説

1990年3月撮影、初出2001年3月。高校卒業旅行中に撮影。盛岡駅バスターミナルで見かけた、東北JRバスのロゴです。慌てて撮ったものを無理やりスキャンしたため、画質は最悪です。種明かし部分は、web画像検索結果で置き換えてあります。

当時の文章

初期の東北JRバス

1990年3月。盛岡駅バスターミナルにて発見。…いくらなんでも、この中抜きは、ねぇ。が、これのどこがヘンか、ご存知ない方若い方ももういらっしゃるかも知れませんね。タネあかしは、こちらで。



感電します

解説

ぼくがネット生活を始めたのは、1995年。当時参加していたコミュニティでは、オフラインミーティングのお約束は、土曜夕方、天狗ニュー秋葉原店の開店を襲うことでした。まだ「モバイル」なんて言葉は生まれたばかりで、グレー電話でフィールドアクセスしたり、カラオケボックスでLocalTalk(Macの簡易LAN)をつないだりして遊ぶのがせいぜいでした。

飲み屋のコンセントでこっそり充電……なんていうのも、よくあったことでしょう。この「警告」は、店側のささやかな抵抗だったのかも知れません。

当時の文章

天狗ニュー秋葉原店-2 天狗ニュー秋葉原店-1

とある街(笑)の、いつもの飲み屋(爆)の座敷の壁。

週末の夜には,似たような紙袋を持った,似たような風ぼうのメンツがどこからともなく沸いてきて, 似たような話題に花が咲きます。このメンツ,コンセントを見ればノートパソコンの充電をしたがるので,こういうことになっています。



しらふ?

解説

1985年8月撮影。初出2001年4月。2007年9月現在、トップページに張っている画像の元データです。

当時の文章

国鉄松前線・白符駅駅名標

……って言われてもねぇ。飲んでるわけないじゃんか。ここ来たの、まだ中学生のときだし(^^;)。

青函連絡船といっしょになくなった、国鉄旧松前線白符駅にて。



三人祭

撮影・初出2001年6月。念願の一眼レフカメラを買ったうれしさから、当時のぼくはいろいろと撮りに出かけていました。これは、堀切菖蒲園に出かけたときのコネタです。まだハロプロファンに転ぶ前の公開ですが、そっちの世界をちょっとだけ意識し出したのがよくわかります(^^;。

当時の文章

堀切の三人祭

堀切菖蒲園駅〜菖蒲園までの商店街にて。菖蒲!勝負!というわけで「三人祭」なんですが…なんか,磔にされているように見えませんか?真ん中の子,ろくろ首みたいだし。



コーヒーコーラ

解説

撮影・初出2001年7月。当時も、今も、キワモノドリンクは大好きです。文中で出てくる、ネスレの炭酸入りコーヒーは、ちょっと前にも発売されましたね。もちろん飲みました。

当時の文章

カフェ・ラ・シャワー

UCCの「カフェ・ラ・シャワー」。コーヒー入り炭酸飲料です。撮影用(新デジカメの撮り初めがこれかい(^^;))に、見切り品を買ってきました。……以前一度チャレンジしましたが,予想通りのキワモノ加減。

高校生時代、ネスレの「コーヒースカッシュ」というのを買ってみて、あまりのキワモノ加減に半分残したことがありました。ペプシの「ジャズイン」(紅茶スカッシュ)も、JR東海の「タヒボベビータ」(謎のハーブドリンク)も、ポッカの「維力(ウイリー)」(これも謎のハーブドリンク)も,○和の「○ッコール」(その筋では有名な、麦芽エキスベースの炭酸)だって残さなかったぼくがですよ!(しかも「維力」は大好きでした…。(^^;) )

ネスレの「コーヒースカッシュ」に比べると、コーヒーのうまさは「カフェ・ラ・シャワー」の方が上ですが… 何より炭酸から来る痛さと酸っぱさ、それに○ッコールばりのじゃりじゃり砂糖。……勇気ある方は、なくならないうちにお試しあれ。

お_い・このドアは_____く_さい

解説

撮影・初出2001年7月。よくあるいたずらです。当時撤退したゲートウェイ2000ですが、後に別資本で再来日を果たしました。が……あまり声を聞きませんね。

当時の文章

パソコシをざわって遊べます。


ゲートウェイ看板-1

もちろんいたずらです。

似たようないたずらを、寒冷地の電車で見たことがあります。「お願い・このドアは手で開けてください」というくだり、見たことありませんか?この文字の一部を削ると、「お_い・このドアは_____く_さい」となります。



ゲートウェイ看板-2

いたずらされていない面は、これ。このメーカー、2001年8月末に、突然日本から完全撤退してしまいました。外資の早業か、はたまた看板の呪いか?



港の珍客2隻

解説

2001年8月撮影。初出2001年9月。大学の同期会のために屋形船を貸し切り、台場へ繰り出したときの出来事。

当時の文章

港の珍客-1

屋形船で台場に出たときです。テレビ局のイベントで、帆船が出ていました。 この後、クルーがこちらに手を振ってくれました。これはうれしい珍客。



港の珍客-2

こちらは、招かざる珍客・海賊船(苦笑)です。漁船なのですが、屋形船に勝手に横付けして、宴会客にアピールしては、佃煮の試食を勧める……そっとしておいてくれよなぁ。

……けど、これで盛り上がることも事実。うまいこと考えたもんです。その席で、「こういうビジネスモデルは好かん」と評した友人。これもまたうまいこと言うもんだ。



イカ広場

解説

文中で取り上げた、旧函館シーポートプラザ。ハコ物での町興しが難しいことの象徴でしょうか……テナントも管理組織も二転三転しています。「見覚えがあるか」と問うている、函館名物イカ踊りの振り付け絵は、別途アップします。

当時の文章

イカ広場-1

ここは,函館シーポートプラザ1階脇から海岸に通じる道。「イカ広場」というらしいです。



イカ広場-2 この絵、見覚えがありませんか?ある方は,このページをよくご覧くださっている方か、いか踊りマニヤか、どちらなんでしょう?(笑)

イカ広場-3

……そう,この通りには、タイルで函館名物いか踊りの踊り方が示されているのです。以前、日記で「函館踊るいかグミ」を取り上げましたが、あれのパッケージに書いてあったやつです。

この先には、旧青函連絡船・摩周丸が眠っています。



北斗入浴拳

解説

撮影2001年8月。初出2001年9月。今では、公モノのネーミングはすっかりゆるくなりましたが、そのハシリかも知れません。

当時の文章

あたた丸

ここは、JR東日本奥羽本線(山形新幹線)・かみのやま温泉駅前。温泉周遊バスの発着所です。

けど、「あたた丸」って聞いて、ケンシ○ウが舳先に仁王立ちしているサマを想像しちゃう自分って……ヘンですか?



飲む……

解説

撮影・初出2001年8月。相変わらずのキワモノドリンク好き。2007年現在、不祥事で入手不能。何が起こるかわかりませんね。

当時の文章

飲む「白い恋人」

「白い恋人」。

飲む……ときくと、ヨーグルト、ってのはよくありますが……ぼくは怖くて飲めませんでした。同僚への土産。

……と思っていたら、彼はこいつを何本か買い置きしていたらしく、ぼくにも同じ缶を返してきたではありませんか!恐る恐る飲んでみると……何のことはない、ただのチョコレートドリンクでした。

白くないのか……。何かさびしい。



○ーさんのバ●殿様

解説

撮影・初出2001年12月。当時の仲間内で、箱根へ温泉旅行に行きました。その2か月後、ぼくは、ハロプロ専用日記を立ち上げました。それがこのサイトの前身にあたります。

それにもかかわらず、ぼくは後からわざわざハロプロネタを書き足しています。文中にある「某ユニットのリーダー」とは、「ミニモニ。」初代リーダー・矢口真里さんのこと。ハロプロ日記とそれ以外の内容を切り分けたくなくなる位、そっちにハマってきたのがよくわかります。

当時の文章

○ロの●ーさん

とある博物館にて。アンティークなんですが……これって,はちみつをなめるというよりも吐き出しているような……。 いつからバ●殿様になったんだ、○ーさん!?

20012年、奇しくもバ●殿様とコラボレートすることになった某ユニットのリーダーは、○ーさんが大好きとのことなんですが……ここでフュージョンせんでもいいのに。



プラット・ピット

解説

撮影2002年8月・初出2003年1月。出張明けの三宮から「ムーンライト九州」号で旅行したときのものです。プラットホームでピットイン、なんでしょうがね。

当時の文章

プラット・ピット

確か、これは小倉駅のホームで捕獲したものだったと思います。更新間隔がかなり空いてしまったので、記憶が定かじゃないんですが……(^^;)。スタンドそばなんですが、店の名前は「プラット・ピット」といいます。iShotの画像では見づらいのが申し訳ないんですが……。



○プシブルー○ットに乾杯!

解説

撮影・初出2004年6月30日。キワモノドリンク好きと衛陶マニアがフュージョンすると、こういう悲惨な結果になります。後日、(これまたサントリーから)青い飲み物が出たとき、同じことをやった自分は大馬鹿者です。

当時は「ノベルティの灰皿」と書きましたが、灰皿ではなく色見本用のミニチュアと考えたほうがよさそうです。

当時の文章

2004年、「ペプシブルー」という、ただただ青い炭酸飲料が発売されました。これをグラスに注いだとき、ぼくはあるものを連想してしまったのです。……そして、そのばかばかしい妄想を実現するためだけに、オークションである品物を落札しました。あとは、煩悩の赴くままに……。

聖杯-1

ノベルティの灰皿。形は…そのまんまです。



聖杯-2

想像通りのものが姿を見せます。



聖杯-3

もうひとつの主役・ペプシブルー



聖杯-4

キャメルブラウンとマリンブルー。出会うべくして出会ったふたり。



聖杯-5

見よ,この泡立ちを!



……もう、ここまでしてしまったら……ええ。あとは、もうする事はただひとつに決まっています。一思いに……。























聖杯-6

いったらっきま〜す!























……あ〜あ、やっちまったよ……以上、「○プシブルー○ット」で乾杯!でした。おそまつ。

カテゴリ「過去記事から」について

表題のカテゴリ「過去記事から」について、順次追加しています。過去サイトの手持ちデータをここに統合したい、と前々から考えていました。暇を見て追加していきます。

大衆的ヘルスセンター

木曽岬-1

いまの住まい・旧桑名市から、隣町・木曽岬町まで出かけてきました。木曽岬は、文化圏も地勢も交通網も、三重県桑名郡というよりも愛知県弥富市と言ったほうが近い、「近くて遠い隣町」。

木曽岬といえば、町のオフィシャルマスコット・「トマッピー」。公共施設案内だけでなく、木曽川の堤防にまで書かれていました。そういえば、このマスコットを使って、非公式紹介Flashを作った方がいらっしゃいますね。(→トップページそのFlash作者blog

今回の目的は、温泉。木曽岬町には、周辺市にある「流行りモノ」(例えば、ぼくの自宅最寄りには民間の人工温泉公共健康施設があります)ではなく、旅館の日帰り湯や昔ながらのヘルスセンター型の浴場が数軒あるのです。(詳細は、町公式サイトの観光案内をどうぞ。)

木曽岬温泉

それらのうち、昔ながらのヘルスセンター・「木曽岬温泉」に入ってきました。(→Google Mapsで地図を表示)入湯料大人600円・コインロッカー100円・ソフトドリンク20〜30円増ということで、一人1000円見ておけばよいでしょう。1966年に掘削成功したという、伝統でも流行りでもない絶妙な古さです。建物の雰囲気からして、それはもう高度成長期の大衆娯楽を感じさせます。写真に写っているビニールテントの下では、池でコイが泳いでいます。

入場券を買ってカウンターを通り、下駄箱に靴を入れると、そこは薄暗い大桟敷です。「直営食堂」は休業中。正面には大ステージ「歌踊笑劇場」が!桟敷を迂回して脱衣場に向かいますが……トイレが昔ながら。白壁に黒タイルの無駄に広い空間に、間仕切りナシで朝顔が並んでいます。水洗ボタンや個室部分などは、比較的新しいものに交換されていましたが、リフォームとはほど遠いものです。

薄暗い脱衣場を過ぎると、これまた薄暗い大浴場が待っています。外光に頼っているからですが……。男湯と女湯を区切る壁には、なぜか城の天守が(笑)。壁に書かれた施設のキャッチコピー「大衆的ヘルスセンター」や、名物の砂利風呂の案内も、とにかく古めかしさばかりが攻めてきます。楽しくて狂いそう。

土曜の昼間でしたが、10人くらいは入っていたでしょうか……一見さんであるぼく以外は、皆ポリタンクを持ってきていました。ここの温泉水を汲んで帰るためです。実は、ここの最大の売りは「62℃天然温泉かけ流し」。真新しい浴場でも、人工温泉だったり、天然温泉であっても沸かし直しが必要だったり、循環式なため塩素消毒が必要だったり、色々と縛りがあるものです。が、ここはそんなせちがらい縛りとは無縁です。塩素臭がしない公衆浴場なんて、久しぶり。それだけでも十分うれしく感じました。お世辞にもきれいとは言えない、流行りから取り残された古くさい浴場ですが、それでも生き続けているのは、この売りに恵まれているからなのかも知れません。

帰りは、町道鍋田川線を走りました。延々4km桜並木が続いています。春はさぞきれいなんだろうな……と思いをはせ、木曽岬を後にしたのでした。

おことわり

更新当初、「Google Maps」のデータをインラインフレームで表示させていましたが、フレーム内のテキストデータが頻繁に変わるため、その度に「はてなアンテナ」が反応してしまう状態です。「はてなアンテナ」で、更新無視文字列を複数指定できないため、地図をインラインフレームから外部リンクへ変更しました。

その後webで読んだ記事によると、木曽岬温泉は、湯船のそばに寝転がり、かけ流しであふれた湯を背中に浴びる「寝湯」でも知られる、常連さんの愛情で守られた湯なんだそうです。ぼくのような一見者にはわからない力があるからこそ、あの古さでも流行り物に負けずやっていけるのかも知れません。(2007年10月10日)

最後の独身生活

三連休だというのに、自動車学校でペーパードライバー講習を受けたり、ひとりで温泉までミニツーリングしたり、ひとりで名古屋に繰り出して大須を散策したり……カミさんを放っています。遊んでいるだけではありません。もう1か月近く、炊事や買い物はぼくが担当しています。週末だけだった風呂掃除も、今は毎晩やっています。もしかすると、風呂掃除はこのまま一生自分の担当になるのかも知れません。それ自体は、全く苦になりません。独身寮を出てから結婚するまでの4年近く、毎日やっていたことですからね。

その間、カミさんは何をしているかというと……つわっています。会話らしい会話はありません。吐き気で話すのも苦しいのでしょう。テレビ以外に気晴らしの方法がないみたいです。(カミさんの大好きな)ドラマもフジ系バラエティも好きでない自分には、接点が持てません。掃除や洗濯は、本人なりに譲れないものがあるようで、こっちが手を出しても手直しされます。そういうことがあると、向こうもこっちも負担になるので、放っておくことにしました。

これからは、子供のために暮らさねばなりませんから、これが最後の「独身生活」。そうわかっていても、実のところあまり楽しくありません。「出産は夫婦でするものだ」なんて言いますが、それは建前です。実際に体を張る女性=カミさんに比べれば、男のできることなんて限られているのです。その限られた中でベストを尽くしたとしても、カミさんのつわりが軽くなるわけでも何でもありません。いつかは治まるとわかっていても、正直憂うつです。

そういえば……辻さんも飯田さんも、この時期はもう過ぎたのかなぁ。長引いていなければいいんですが……。こればっかりは、ウルトラマンだろうが誰だろうが、夫は(直接は)救ってやれないのです。