ぱふぇ丼!過去ログ置場

2002年2月〜2010年春まで、主にHello! Projectに関する日記をつけていました。これは、その過去ログです。



ギプス卒業

ギプス最終日の右足

4月1日、無事にギプスを外してもらえました。写真は、3月31日の夜・ギプス最終日の右足です。今は、シャワーと夜眠る時以外は、終日装具を付けています。まだ右足に体重をかける許可は出ていないので、松葉杖2本の生活が続いています。それでも、ギプスのときよりはかなり快適です。

  • ギプスを気にせずにシャワーを浴びられます。
  • 起き抜けにふくらはぎがむくみますが、それがギプスに締めつけられて痛むことはありません。
  • 左足とマジックハンドを使えば、ソックスの脱ぎ着が一人で出来ます。
  • マジックハンドなしでも、ズボン類の脱ぎ着が一人で出来ます。
  • 右足にも靴を履いて外出できます。ギプスの時は、かかとまで固められていたので、靴は履けませんでした。
  • 部屋のトイレのドアを閉められるようになりました。ギプスの時は、足を軽く曲げることさえ出来ないので、ドアを半開きにしたまま用を足していました。

いやぁ、素晴らしい。ただし……シャワー初日に思い切り右足をこすり洗いしたら(そりゃかゆいでしょ!)、あかぎれ状になってしまいました。どれだけ掻いたんだか。それに、寝ぼけて右ひざを曲げてしまった時の痛さといったら!

体重をかける許可が出れば、本格復帰に一歩近づきます。

くにゅっ

4月15日、松葉杖が2本から1本に減りました。ギプスがとれて以来、最初の1週間は無荷重→次の1週間は(全体重の)3分の1の荷重→いよいよ2分の1荷重をかけてよいことになります。理屈上は、2分の1荷重なら杖なしで立てるはずですが、最初はなかなかうまくいきません。6週も無荷重で過ごした後なので、右足にちょっと体重をかけると、それだけで足の裏がびりびりするのです。

右足が荷重にも慣れてきたので、生活はだいぶ楽になりました。杖と装具があれば、怪我をする前の速さで歩くこともできます。今夜は、怪我をして以来久しぶりの風呂掃除。夫は右足が曲がらず着地も出来ない・妻は臨月、という風呂掃除には最悪の状態が続いていましたが、両足を着地できる今なら何とかこなせます。しかし、手すりなしの下り階段はまだ無理ですね。転んだ時のことを考えると、恐ろしくてかないません。装具はしていても、ひざを曲げて荷重をかけると、ひざ関節でももの骨とすねの骨が「くにゅっ」とずれるのがよくわかります。使い物になるじん帯が前より1本減っているんですから、当然ですね。筋トレでどこまでカバーできるかにかかっています。

一方のカミさんは、今週で妊娠38週。主治医は「そろそろかな。いつ出てきてもおかしくないから、心づもりを。」と言っています。外から見ても、おなかのトップがだいぶ下がってきたのがわかります。あれだけ活発だった胎動も、最近は控えめです。ぼく自身のことを考えると、「杖が取れるまでは、おなかにいてほしい」だの、「運転の許可が出るまでは…」なんて考えてしまいますが、それは赤ちゃんしか知らないこと。無事に出てきてくれればそれでよし。

来週からは、カミさんのお母様がうちで出産の応援をしてくれます。二人きりの週末は、今週が最後。カミさんは映画を見ています。

正面向き

22日、ついに松葉杖がとれました。右足を軽く引きずってはいますが、とりあえず歩いています。正面向きで座れるようになりました。杖無しで歩いて数日経ちますが、右ひざが「くにゅっ」とする感覚は、少しずつ減っています。ただ、まだまだ装具は外せませんし、階段の上り下りは片足ずつでないとダメ。外を歩いていて一番困るのは、手すりのない下り階段です。

カミさんの腹は、ますます下がってきました。来週で妊娠40週。いよいよ予定日を迎えます。その時までには、こどものために両手を空けておきたい……これはかないました。あとは、カミさんの退院までには自動車運転の許可が欲しい……これも、次の診察で問題なければOKで、何とか間に合いそうです。カミさんのお母さんも、出産までこちらに泊まってくれます。まずは安心です。

そんなわけで、カミさんが産気づいていないうちに、(2か月ぶりに)髪を切ってきました。若い夫婦で切り盛りする理髪店なのですが、シャンプー担当の奥さんに出産の件を話すと……。

ああ、私と同じ病院ですね。3年前に産んだ時なんだけど、一つ忠告を。

……何でしょう?何だか恐ろしい話がありそうな……。

分娩台の赤ちゃんを取り上げる側が、分娩室の入り口を向いているんです。立ち合い出産で、奥さんと一緒に分娩室に入れればいいんですけど、もし(うちの夫のように)遅れて立ち合うと、血を見ますよ。それに、分娩台が2台あるから、タイミングが悪いと、他の奥さんが(流血M字開脚で)いきんでいるところに出くわすかも知れません。

聞いてないよ!この話をカミさんにただすと、「ああ、そうだよ。」と。だったらそう言えってば。カミさんが通う(=理髪店の奥さんが通った)産婦人科は、強く断らない限りは立ち合い出産をさせる方針の病院です。夫や家族の立ち位置は妊婦の頭側なんですが、そこに行き着くまでに血を見るとはなぁ。覚悟があれば大丈夫だとは思いますが……。

仕事は、今日から6日まで休み。予定日通り、連休中に無事産まれてきてくれることを祈ります。

誕生

そうそう、この口!本物だぞ、これ!『のの口』だ!

27日の朝。「笑っていいとも!増刊号」で、辻さんからのお土産(と称する)キャラ弁を、夫の杉浦さんがタモリさんに手渡すのを、テレビで見かけました。そのキャラ弁の口の造作を見て、ぼくはカミさんにそう言ったのでした。辻さんを話題のダシにする杉浦さんのトークには、賛否両論あるかと思いますし、辻さんやハロプロのファン側からみると、否定的な意見も多いかも知れません。けれど、(もうファンOBとなってしまった)ぼくには、それがほほ笑ましく見えてしまいました。辻さんが幸せで、彼が彼女の幸せを守るのに奮闘していれば、それでいいんです。ついに、ぼくにも彼を笑って受け入れられる時が来たのかと思うと、独特の感慨があります。

カミさんの実家から、お母さんが泊まってくれて、その日で6日目。初めての週末です。これまで封を開けずにいた、ベビーカーやら赤ちゃん布団やらを出して、干したり組み立てたりしていました。妊娠40週を控えて、最終準備に入ったのです。ぼくは、辻さんのキャラ弁を見ながら、居間のカーテンを防音タイプのものに交換していました。

昼前に作業が一段落し、パソコンに向かおうとしたとき、カミさんがどこかに電話しだしました。

電話の相手は、通院中の産婦人科でした。どうやら、「おしるし」がおりてきたようです。痛みもそこそこの間隔でやってきていて、いつの間にか10分置きくらいになっていました。作業を打ち切って、産婦人科に向かったのは、正午時頃でした。

連休中の出産を計画した夫婦が多いのか、入院病棟は、個室も相部屋も全て満室。金曜日からは出産ラッシュで、丸三日帰宅できない助産師さんが出るほどの忙しさです。カミさんは、とりあえず陣痛待ちの部屋に案内され、検査。そのまま入院してお産に入ることになりました。分娩は真夜中になるだろう、と思っていましたが、夕方には分娩室に移り、20時前には無事こどもが出てきました。カミさんは汗さえかかずに乗り切ったのに、立ち合っているぼくの方が過呼吸気味でくらくらする始末。後産の処置と経過観察を終えて、カミさんと別れたのは22時。10分間隔の陣痛〜出産までは、約8時間。標準的な初産では15時間かかるといいますから、大安産だったと言えます。(もっとも、最初の痛みらしい痛みは、26日24時頃からあったようです。カミさんは痛みには強くて、深夜の痛みを陣痛の始まりだとは思っていなかったようです。そこから数えれば、18時間。)

明けて翌日。ぼくの右ひざの回復も順調で、無事自動車運転の許可がもらえました。カミさんは、いまだにまともな病室が空かず、外来の妊婦さんが点滴を受けるためのベッドで寝起きしています。本来の差額ベッド室が空けば、個室で赤ちゃんと一緒に過ごせるんですが、それもかないません。しかし、このご時世、無事産めただけよしと思わないといけません。

そんなわけで、27日、無事に娘が産まれました。以前、カミさんは、産婦人科備え付けの妊婦向け雑誌で杉浦さんの連載手記を読み、ぼくに内容を聞かせてくれました。ぼくが彼を受け入れられたのは、もしかすると、ぼくも彼も同じ時代に父親になる決心をした男だからなのかも知れません。