そうそう、この口!本物だぞ、これ!『のの口』だ!
27日の朝。「笑っていいとも!増刊号」で、辻さんからのお土産(と称する)キャラ弁を、夫の杉浦さんがタモリさんに手渡すのを、テレビで見かけました。そのキャラ弁の口の造作を見て、ぼくはカミさんにそう言ったのでした。辻さんを話題のダシにする杉浦さんのトークには、賛否両論あるかと思いますし、辻さんやハロプロのファン側からみると、否定的な意見も多いかも知れません。けれど、(もうファンOBとなってしまった)ぼくには、それがほほ笑ましく見えてしまいました。辻さんが幸せで、彼が彼女の幸せを守るのに奮闘していれば、それでいいんです。ついに、ぼくにも彼を笑って受け入れられる時が来たのかと思うと、独特の感慨があります。
カミさんの実家から、お母さんが泊まってくれて、その日で6日目。初めての週末です。これまで封を開けずにいた、ベビーカーやら赤ちゃん布団やらを出して、干したり組み立てたりしていました。妊娠40週を控えて、最終準備に入ったのです。ぼくは、辻さんのキャラ弁を見ながら、居間のカーテンを防音タイプのものに交換していました。
昼前に作業が一段落し、パソコンに向かおうとしたとき、カミさんがどこかに電話しだしました。
電話の相手は、通院中の産婦人科でした。どうやら、「おしるし」がおりてきたようです。痛みもそこそこの間隔でやってきていて、いつの間にか10分置きくらいになっていました。作業を打ち切って、産婦人科に向かったのは、正午時頃でした。
連休中の出産を計画した夫婦が多いのか、入院病棟は、個室も相部屋も全て満室。金曜日からは出産ラッシュで、丸三日帰宅できない助産師さんが出るほどの忙しさです。カミさんは、とりあえず陣痛待ちの部屋に案内され、検査。そのまま入院してお産に入ることになりました。分娩は真夜中になるだろう、と思っていましたが、夕方には分娩室に移り、20時前には無事こどもが出てきました。カミさんは汗さえかかずに乗り切ったのに、立ち合っているぼくの方が過呼吸気味でくらくらする始末。後産の処置と経過観察を終えて、カミさんと別れたのは22時。10分間隔の陣痛〜出産までは、約8時間。標準的な初産では15時間かかるといいますから、大安産だったと言えます。(もっとも、最初の痛みらしい痛みは、26日24時頃からあったようです。カミさんは痛みには強くて、深夜の痛みを陣痛の始まりだとは思っていなかったようです。そこから数えれば、18時間。)
明けて翌日。ぼくの右ひざの回復も順調で、無事自動車運転の許可がもらえました。カミさんは、いまだにまともな病室が空かず、外来の妊婦さんが点滴を受けるためのベッドで寝起きしています。本来の差額ベッド室が空けば、個室で赤ちゃんと一緒に過ごせるんですが、それもかないません。しかし、このご時世、無事産めただけよしと思わないといけません。
そんなわけで、27日、無事に娘が産まれました。以前、カミさんは、産婦人科備え付けの妊婦向け雑誌で杉浦さんの連載手記を読み、ぼくに内容を聞かせてくれました。ぼくが彼を受け入れられたのは、もしかすると、ぼくも彼も同じ時代に父親になる決心をした男だからなのかも知れません。